恋人はバカ 〜理系彼氏の叱り方〜
飯山和弘が本社に異動となったその日。
職場での歓迎会は日を改めて行われることになっていたが、安西が本社にいる同期に声をかけて飯山の本社異動歓迎会を計画してくれていた。本社の各部署にいる同期と改めて挨拶を交わせる機会は飯山にとってはありがたく、週半ばの水曜日ではあったが二次会三次会まで飯山は笑顔で主役を務めた。
その帰り。
もう電車もない時刻で、飯山はタクシーを使って帰宅した。ほろ酔い加減で気分よく、通りでタクシーを降りてアパートまでほんの少しの距離を歩く。
ぼおっとしていた。
最後の数メートルはカバンに入っているはずの鍵がなかなか見つからず、下を向いて歩いていた。だから深夜の静寂を破り、
「おかえりなさい」
いきなり前方からそう声をかけられて、飯山は飛び上がるほど驚いた。
杉だった。香港にいるはずの杉義彦がドアの前に立っていた。
「え、え、なんで……!? ウソだろ、なんで、おまえ、香港じゃ……」
もしかしたら飲み過ぎで幻影でも見てるんじゃないのか、いや、アパートに帰ってきたというのも夢で、本当は自分はまだタクシーの中で寝こけているんじゃないか――目の前に立つ杉の姿が意外すぎて、ついラチもないことを考える。
「…………」
そんな飯山をじっと見る杉の視線の剣呑さに気づけたのは、最初の驚きがようやく落ち着いてからだった。
「あ、いや……びっくりしたよ! どうしたんだよ、帰って来るなんて一言も……」
「仕事ですか」
いきなり詰問口調で問われる。
「こんな時間まで仕事ですか」
「いや、今日は飲み会で……酒臭くないか、俺?」
だらしなくゆるめたネクタイ、肘にかけた上着という格好が急に恥ずかしくなる。見れば杉のほうこそ仕事帰りのようにきちんとスーツを着込んでいる。
飯山は乱れていた襟元をさりげなく整えながら、ドアへと近づいた。
「ま、とにかく入れよ。待ってくれてたのか、悪かったな」
玄関を入ると、小ぶりな旅行カバンを持って杉が続く。その目つきがどうにも不穏だったが、リビングに入るなり、
「脱いでください」
と高圧的に言われたのには眉が寄った。
「――なんだよ、いきなり」
「今、胸元を隠しましたよね」
「はあ?」
「飲み会って、誰と呑んでたんですか。その相手の痕がついているんですか」
「ちょ、ちょっと待て、杉……」
「脱いでください」
もう訳がわからなかった。杉は猜疑心のかたまりになっていた。
そう――こまめに連絡を取り合っていたのは、本当だ。
昨日、ネット電話で長話したというのも、本当だ。
が。
「わ、わかった。見せればいいんだろ、見せれば」
ネクタイを抜き取り、シャツのボタンを外し、飯山は前を広げた。ランニングも少し押し下げる。
「ほら。キスマークもなにもないだろ」
とりあえず杉の疑いを晴らしてやらなければ話が前に進まない。飯山は素直に要求に従ったが、
「全部」
突然現れた恋人は頑なだった。
「全部脱いでください」
飯山は大きくひとつ溜息をついた。
「……どうしたんだ、杉。俺は浮気なんてしてないぞ。疑ってるのか」
「はい」
はい。即答だった。
酔いが急速に醒めていく。厄介な状況になっていることを飯山は認めた。
「――わかった。じゃあ全部脱いでやる。けど、その前に少し座らないか」
まず落ち着いて話をしようと、自分からカウチにかける。だが、杉は突っ立ったままだった。
「……あなたは口がうまい」
ぼそりと言われる。丸め込まれるとでも言いたいのかと、さすがにむっとくる。
「だからあとでちゃんと脱いでやるって言ってるだろ!」
「携帯を見せてください」
「は?」
「浮気をしていないと言うなら、携帯電話を見せてください」
なんでそこまで、とは思った。が、やましいことがないのにこんな深夜に押し問答するのも面倒で、飯山は尻ポケットに突っ込んであった携帯を乱暴に引っ張り出すと杉に突きつけるように差し出した。
「失礼します」
そんなところは律儀に断りを入れて、杉が携帯電話を開く。飯山にしたら、ヘンな履歴などない、怪しいところがあるなら見つけてみろ、ぐらいの気持ちだった。だが、杉の顔はみるみるうちに強張った。
「……メールも……通信も……安西、安西、安西……」
「あ!」
うっかりしていたとしか言いようがない。本社営業への異動と同時に安西の仕事を引き継ぐことに決まってから、安西とはなにくれとなく連絡を取り合っていた。よりにもよって、安西――以前にも杉が飯山との仲を疑って嫉妬した相手だった。身に覚えがないからこそあっさり携帯を差し出したが、杉にしてみれば開き直っているようにしか見えないだろう。
「杉、それは……」
「おかしいと思ってました。この一ヶ月ほど、あなたはいつも帰りが遅かった。メールしてもいつもより返信が遅いし、電話で話していてもあまり楽しそうじゃなかった」
「だから、それは……」
「今夜も安西さんと一緒だったんですか」
「……あ、安西だけじゃなくて、ほかのヤツも……」
一緒、とまでは言えなかった。舌を噛みそうな勢いで、杉にカウチの上に押し倒されていたからだ。
こまめに連絡を取り合っていた。昨日もネット電話で話した。
それは本当だ。
が、確かに、異動前のこの一ヶ月、飯山は忙しかった。今までの仕事を後任に引き継がなければならなかったし、夜ともなれば、今までのつきあいから「送別会」に引っ張り出された。新宿支社内の身内ばかりではない、営業としては誇りにしていいだろうが、客先から異動を惜しんで飲み会に誘われることも多かった。
なにしろ杉を驚かせたくて隠していた本社への異動だ。多忙の理由を話すわけにもいかない。今まで通りを装っていたが、確かに杉とのコミュニケーションがおろそかになっていたかもしれない。
「……くやしい」
飯山の両肩を上から押さえつけ、杉が呻くように呟く。逆光になっていても、眼鏡の奥のその目が炯炯と光っているのがわかる。
――まずい、キレてる、こいつ。
飯山はごくりと唾を飲んだ。
「あなたを信じて、三年、我慢しなきゃいけないと……なのに」
だから俺はおまえを裏切ったりしていない、そう言いかけたところで覆いかぶさってきた杉に唇を塞がれた。
いきなり舌を捻じ込まれる。
体重を使って飯山の動きを封じ、嫉妬に駆られた男は乱暴なキスをした。ぶつかった歯がガチガチ鳴り、舌も、唇も、噛みつかれて血の味が広がった。
「ちょ、ちょお待てっ!」
渾身の力で狂った犬のような男の頭を押し返す。
「血、血出たろ、バカっ!」
怒鳴る。
だが、杉は飯山の怒声にも動じなかった。自分の頭を押し返した飯山の両手を掴むと、ひとつにまとめて飯山の頭上で押さえつけた。
「安西さんとは何回?」
「何回もクソもあるか! あいつとは仕事の……」
「この一ヶ月ですよね」
「だから、それは……!」
「くやしい。ぼくは数ヶ月に一度しかあなたに会えないのに」
「杉! 人の話を聞け! ……ンぐ…ッ」
また強引に唇を重ねられる。不実をなじり、罰するような、きついキス。
日本と香港の海をまたぐ遠距離恋愛、一ヶ月にわたる恋人の不穏な動向、熱が醒めたのだとしか思えないようなレスポンス、不安を抱えて様子を見に来てみればタクシーを使っての深夜の帰宅、見せてもらった携帯電話には怪しいと疑ったことのある相手の名前。
杉の立場に立って考えて、まずかったと思ってもいまさらだった。
「あなたを誰にも渡したくない……!」
そんな宣言、されなくても。この、ちょっと変わった思考回路を持つ、困った男だけが飯山の好きな相手なのだ。
ガチャガチャとベルトを外す音がした。乱暴な手がスラックスのファスナーが壊れかねない勢いで、スラックスと下着を押し下げようとする。
さすがに血の気が引く。
「す、杉っ! し、したいならさせるから……なにもこんな、乱暴……」
強制的に下半身を剥き出しにされる。殴られてこそいないものの手の自由を奪われての暴力的なやりように、飯山はさすがに抵抗した。このままではレイプと変わりない。
躯をよじり、肩で杉を押しやり、脚で杉を蹴ろうとした。
その抵抗が気に入らなかったのか、杉が大きく動いた。
「あっ、うわっ!!」
スラックスと下着を一気に脚から抜き取られた。ふくらはぎをきつく掴まれ、大股開いたV字開脚の形にさせられる。膝が胸につくほど深く躯を曲げられ、息苦しさと痛みに飯山は呻いた。
男に無理矢理躯を奪われる女の憤りと口惜しさと、そして恐怖が、その瞬間の飯山には理解できた。
――が。
飯山は飯山で、杉は杉だった。
奇妙な間があった。
そこまで暴力的にコトを進めてきた杉が、ふとその動きを止めたのだ。
下半身すっぽんぽんで深くV字開脚している飯山の秘所は無防備に曝け出され、さらなる狼藉に対してまったく無力なように見えた。
もし、杉もまた下半身すっぽんぽんの状態だったら、飯山はそのまま合意なしに杉に貫かれていただろう。
が……嫉妬の勢いだけでコトを進めてきた杉はまだ自身のベルトすら外しておらず、両手で飯山の両脚を押さえつけている杉にはファスナーを下ろす手はなかった。
杉は瞬間どうしようかと迷い、そして片手で両脚を拘束しようとしたらしい、大きく広げられていた脚が正面で閉じられ、そして左手がゆるんだ。
チャンスだった。
飯山は遠慮のない蹴りを正面の男目掛けて放った。
不自然な体勢での蹴りはクリーンヒットとはならなかったが、杉は大きく上体を揺らがせる。その隙に飯山は急いで躯を起こした。
「この……!」
飯山の反撃を封じようと、杉は反射的にだろう、手を振り上げた。
だが、そこでもまた、奇妙な間があった。
――この男は俺を殴れない。
一瞬の確信だった。
この男は俺を殴れない、だが、俺は殴れる。
飯山は固めた拳で杉の頬を思い切り打ったのだった。
「正座!」
眼鏡が飛び、レンズが割れた。
殴られた衝撃とその音でようやく正気づいたように見える男に飯山はすかさず命じた。
社会人になってからは縁のなかった喧嘩だが、それなりに元気な少年時代には取っ組み合いの経験ぐらいはあった。喧嘩は気迫だ。いったん優勢となったらそのまま押さねばならない。
「そこに座れ!」
びしっと床の上を指差す。
頬を赤くした杉が黙って膝を揃えて座る。
ワイシャツの裾でなんとか股間を隠し、飯山はその前に立った。
「おまえ、今、なにをしようとした」
「…………」
「言え! なにをするつもりだった!」
「……あなたを……」
「俺を?」
問い詰める。
「……抱こうと」
「抱く!? 嘘つけ! おまえ、無理矢理やろうとしてたろ!」
決め付けられて反論の余地もなく、杉がうなだれる。
「……ごめんなさい」
謝ってすむなら警察はいらない。そんな常套句が出そうになるのを飯山は飲み込んだ。拳を受けた杉の頬は痛々しく腫れあがりだしている。会うのは八月のお盆休みに合わせて飯山が香港に遊びに行って以来、約二ヶ月ぶりだ。確かに一瞬、怖い思いをさせられたが、このまま怒り続けたいわけではなかった。
「――おまえ、俺が浮気してると思ったのか」
少し声をやわらげて尋ねる。
杉が無言でうなずく。
「バカだな。何度も言ってるだろ。俺にはおまえだけだって」
「……でも、あなたはこの一ヶ月、おかしかった。前の決算の時期だってこんなふうじゃなかった。メールの返事は遅いし、ぼくの話をちゃんと聞いてくれてるようには見えなかった」
「それは……悪かったよ。ちょっと……」
人事異動が決まったことを杉には伏せていた。職場に電話が掛かってきたら驚くだろうと、それが楽しみだったからだ。しかし、こんなふうに杉が日本に帰ってきてしまったなら黙っていてもしようがない。
「……人事異動が決まったんだよ。今日付けで俺は新宿支社から本社の営業に移ったんだ。アジア担当だ。前から安西にも誘われていて……おまえのフォローができると思ったから……」
目尻の切れ上がった、シャープな印象のある杉の目が見開かれた。
「飯山さんが本社に……」
「安西の後任だ。この一ヶ月は俺自身の仕事の引継ぎでバタバタして……今日は異動初日に安西が同期で歓迎会を計画してくれて、遅くなった」
「……知りませんでした……」
呆然と呟く杉の前に飯山は膝をついた。肩に手を置く。
「……悪かったよ、知らせなくて。……その……驚かせてやりたかったんだ」
飯山からの情報を整理しようとしているのか、杉がぱちぱちとまばたきする。その視線がやがて飯山の顔に固定された。
「『恋人というのは通常の友人関係や会社での人間関係よりはるかに親密度の高いものだ』」
杉がなにを言い出したのか、最初、わからなかった。
「『そういった相手には、どうしたんだろうと相手が不安になるようなことは極力避けてやるのが恋人同士のマナーだ』」
それはかつて、平気で連絡を断ってしまう杉に飯山が言って聞かせたことだった。急激に居心地が悪くなり、飯山はもそりと腰を動かした。
「――あなたが教えてくれたことです」
「……その……悪かったよ。仕事でも関係ができると知ったら、おまえ、喜ぶかなと思って……驚かせたくて、黙ってた」
すまん、と頭を下げると、杉は『いいえ』と首を振った。
「責めたいんじゃないです。ただ……そういうことをマナーとして知っているあなたがぼくになにか隠している、正直に話してくれない、だったら、それは……ぼくに知らせたくないことにちがいない。裏切り……それしか浮かびませんでした」
「それで……確かめたくて日本に戻ってきたのか」
杉がこくりとうなずく。
飯山は唇を噛んだ。先刻、杉に噛まれたところがぴりりと痛む。いくら不安だったと言っても、あんなキスをしたり、無理矢理やろうとしたり……ここはびしっと言って聞かせるべきところだ。頭ではそう思う。思うのだが……。
「……悪かった。不安にさせて」
厄介な男の頭を胸に抱え寄せて飯山は囁いた。
俺は杉を甘やかし過ぎているのかもしれないと自覚しながら。
今度は優しく、お互いに唇を寄せ合ってキスを交わした。
「……鉄錆の味がする……」
「おまえが噛んだからだろ」
「ごめんなさい。安西さんとあなたが、と思ったら……」
「安西にもたいがい失礼だぞ。あいつ、ちゃんと可愛い彼女がいるのに」
「……ごめんなさい……」
「もういいよ、黙ってた俺も悪かった」
口中に差し入れられてきた舌は、今度はいたわるようにゆっくりと飯山の舌の上をすべる。
本来の杉の、優しいけれど、いやらしいキス。
舌を絡め合い、欲しがるままに好きに口腔をねぶらせていると、なんだか口の中の粘膜がほどけて柔らかく蕩けていくような気がした。その蕩けたものを杉に与えたくて、自分からも舌を差し入れる。男は唾液ごと飯山の舌を吸い上げた。
「……ん……」
杉の硬い毛のあいだに指を忍ばせる。
思わぬ展開に驚いていた飯山の躯も、馴染んだ腕に抱え込まれてゆっくりと弛緩していく。
「和弘……もう、ここで?」
ベッドに行かなくてもいいかと尋ねられ、飯山は答えの代わりに濡れた唇を杉のそれに再び押し付け、杉の頭を引き寄せながら、自らラグの上に倒れこんだ。
「和弘」
最近、深い行為に及ぶ時、年下の男は飯山の名前を呼び捨てるようになった。少しだけ傲慢で、少しだけ自分の所有権を主張するような、呼び捨て。そうして呼ばれるたび、『えらそうに』と思うと同時、この男にそこまで拓かれ征服された実感が湧いて、飯山は腰の下あたりが不思議に疼くのを覚える。
首筋に杉が鼻先を擦り付けるように顔を埋める。今日はシャワーも浴びてないことに気づいて羞恥が込み上げたが、それさえもいまさらだった。
もうすでに裸に剥かれていた下腹に杉の手が触れる。この二ヶ月、自分の手しか触れるものがなかったソコを握り締められ、飯山は思わず声を漏らした。
「――この手触り、やっぱり好きです」
嬉しそうに囁かれ、柔らかく耳朶を噛まれる。飯山の好きな強さに握られたまま上下に擦られれば、すぐに分身は芯を持って立ち上がった。
男の指は熱を持って膨らんだエラのあたりを形を確かめるように撫でまわす。
「ん、ん……杉……あ……」
与えられる快感に素直に声を放つ。愛撫の手は淫らがましさを増し、耳朶で遊んでいた唇はさらなる快感を与えようというのか、飯山の乳首を挟んだ。
「あッ……」
上げた声が吐息に溶ける。それを喜ぶように杉はべろりと胸の尖りを舐めた。
「ん、あ……!」
今まで飯山がつきあった女性たちの中で、男の胸を愛撫したがる者はいなかった。しかし、杉にかわいがられるようになって、自分でも単なる飾り程度にしか思っていなかった乳首に性感帯があることに飯山は初めて気づいた。
今では、舐められるのも、かじられるのも、吸われるのも、指で弄られるのも――好きだ。
心得ている杉は空いた手で濡れた乳首をつまんでくる。
「ッ!」
鋭く走った官能に、握られたままのペニスが先走りの露をこぼした。
それはそのまま飯山を握る杉の手を濡らし、強弱つけてしごく動きにつれてにちゃにちゃといやらしい音が立つ。すると、もっと零せとばかりに指で先端の割れ目をくじられた。
「――っ、アア……!」
腰が勝手に跳ね上がる。
躯の奥に小さくともった火が荒々しく狂い立ち、飯山は激しく乱れるだろうこれからの行為に小さく身震いした。
荒い息を互いの口の中にこぼしながら唇を寄せる。
どれほど吸いあっても足りない。
だから、噛む。
舌を噛まれ、唇を噛む。
新たな血の味が広がる。
男はやはり、獣に近いのだろうか。血の香りに、煽られていた。
下半身から絶え間なくグチグチと湿った音が聞こえてくる。もう、飯山の手も杉が零した透明な露にしとどに濡れていた。
互いに求め合う手に互いの服はとうに取り去られ、全裸で唾液滴る口づけを交わし、互いの性器をしごき合う。
遠距離恋愛になって、セックスが濃くしつこいものになったように飯山には感じられる。会えなかった時間を、二人を隔てている距離を、一気に埋めてお互いを確かめ合う。どれほど肌をこすりあっても、どれほど唇と舌を使いあっても、もっともっとと乾く心がある。
今日はそれに、杉の嫉妬による暴走の余波が絡み、狂おしさはいやましに増していた。
イキたい。
イキたくない。
挿れたい。
挿れたくない。
焦らしたくて、焦らされたい。
無残に上りつめて散りたくもあり、いつまでも炙られてもいたかった。
ついに杉の指がヒクつく後孔を探り当てたとき、飯山は深い吐息を漏らした。
「――もう?」
問いかけに飯山は小さくうなずく。
いやらしい湿りに濡れていた指はやすやすと飯山の内へと沈められてきた。
「あぁ――」
それは己の耳にさえ、満足げに響く声だった。
ぬぷ……。
二本目。
己を拡げる指に、飯山は背を反らす。
「ん、ア、ああ、ああ、ん――ッ」
激しく指を出し入れされて、荒々しい波に躯の内を満たされる。快感に溺れたいのか、逃げたいのか、わからぬままに飯山は躯をのたうたせる。
「和弘……」
それなのに、少し苦しげな呟きとともに虚ろを満たしていた指を引き抜かれた。
「あ!」
思わず飯山は声を上げていた。
「な、そんな……」
ひどいじゃないか。
抗議の声はやはり深いキスに溶ける。
キスのさなか、くるりと躯を半回転させられ、飯山は杉の上に乗る形になっていた。
「ぼくも、もう……。今日はあなたが上に。お詫びです。好きに動いて……」
さきほどの乱暴のお詫びだという。
――そんな勝手な理屈があるか、なにがお詫びだ。
頭の片隅でそんなことを思ったが、躯はもうさらなる快感を追うことしかできなかった。
天を向く杉の屹立に手を添えて、飯山はゆっくりとそれを身の内に呑み込むために腰を落とした。
己を責めるように。
いやらしい肉の襞をいじめるように。
何度も何度も浮かせた腰を深みに落とす。
「う、あ……はぅ……んー、ンッ……んぁ――っ……!」
絶え間なく、淫らな声を放ち、腰を揺らめかせる。
「和弘……いいです、すごく……」
横たわる男の眉間に、なにに耐えるのか、深く縦皺が刻まれているのを見ながら、飯山は大きく、自身を抉らせるために腰を回す。
「――ん!」
下の男が顔を歪める。
――バカな男。
自分がこんなふうに乱れるのはこの男に対してだけなのに。
欲しいのはこの男だけなのに。
「……ばーか」
荒い息と乱れた喘ぎの合間に、そう罵ってやる。
「おまえ……俺のこんなカッコ……ア……ほかの誰が、知ってる、って……言うんだ」
後ろに男の剛直を呑み、それでもいやらしく前を勃て、男の胸に手をついて、腰を振る。時に快感に喉を反らし、よがり声を放ちながら。
「バーカ……おまえだけ、なんだよ。……おまえ、だか、ら……ッ」
ぶるりと躯が震える。もう、限界が近い。快感がきつすぎて、なぜだか目が潤む。
「おまえが、好き、なんだよ…! バカ、バカ、ばー、か……あ!」
くるりと躯を入れ替えられた。
バカバカといいだけけなした相手に雄の顔で見下ろされ、新しいざわめきが胸を走る。
「ぼくも、です」
ゆっくりと飯山の太股を抱え上げながら杉が囁く。
「ぼくも、あなただけが、好きです」
杉。
飯山は手を伸ばした。大好きな男の首を引き寄せる。
直後、激しく――今までの飯山の動きなど稚戯に等しかったのだと思わせるような激しさと強さで――男の楔を引き抜いては打ち付けられ、眼裏が眩しいほどの白さに灼けるのを覚えながら、飯山はだくだくと快の証を己の腹の上に撒き散らしていた。
* * * * *
休みたい日に限って休めないというのは、なにかの法則だろうか。
寝不足と激しい運動と消耗による全身の倦怠感、加えて腰の痛みに、飯山は溜息をついた。
つらい。
出社したくない。
これが今までの古巣の新宿支社だったら、急な発熱とでも腹痛とでも理由をつけて休んでいる。
異動二日目、実質出勤一日目の新しい職場に、いきなり欠勤するわけにはいかない。
事情を知った杉はひたすら「ごめんなさい」を繰り返し、朝食の支度も飯山の出社の支度もかいがいしくやってくれたが、一日休める杉に恨みがましい視線を向けずにいられるほど飯山もできた人間ではなかった。
冷水で少しむくんだような顔を何度も洗い、とっておきの千円のドリンク剤を飲んで、飯山はなんとか出社した。
「よう。ゆうべはお疲れ!」
一緒に三次会まで過ごした安西の笑顔が眩しい。
「おはよ……ゆうべはありがとな。みんなと会えてよかったよ」
安西が幹事を務めてくれた昨夜の歓迎会の礼を言う。ほんの昨夜の出来事なのに、その歓迎会がひどく遠い昔の出来事のような気がした。
「……なんだ、おまえ。えらく疲れた顔してないか」
「あー……少し緊張してるかな。新しい職場だし」
笑顔を作って見せる。安西はすぐに『そうか』と納得してくれたようだった。
「今日はいろいろ挨拶回りするけどな。まず香港と上海に電話で挨拶いれようかと思うんだ」
あ、と思ったが、飯山になにを言えるわけもなかった。
まず安西が電話をかけ、それから飯山に替わるという手順を何度か繰り返した。
その、何度目か。
「え、あ、そうですか。今日だけ? え? 今週いっぱい? なにかあったんですか? ああ、年休がたまって……ああ、そうですか。いえ、また掛け直します。はい、どうもー」
電話を切った安西は残念そうな顔で飯山を振り返った。
「設計の杉だけど。昨日の昼から今週いっぱい、年休とって休みだって。せっかく仲のいいおまえが担当になったのにな。知ったら喜ぶだろうに」
「――あ、ああ、そうか……うん、残念だな。来週には戻るんだろ?」
「今まで休みなんかとったことないヤツなんだよ。でも年休の消化率が悪すぎるって人事から連絡があったらしい」
それは杉からも今朝聞いたことだった。
飯山の様子がおかしいと悩んでいた杉は、人事から年休消化促進の連絡があったのを幸い、半日使って仕事の段取りをつけ、日本に帰ってきたのだという。
安西には初めて聞いたような顔で無難な相槌を打った。
「月曜には出てくるらしいけど……五連休か。どっか旅行でも行ってんのかな。おまえ、聞いてる?」
「さ、さあ」
その男は左頬に保冷剤を貼って腫れを冷やしながら、たぶん、今頃ウチで掃除機でもかけてます。
まさかそんなふうに言うわけにもいかない。
「まあ挨拶は月曜だな。おまえが担当だって知ったら驚くぞお」
ばん、と安西に背中を叩かれ、いやもう話しちゃったしと心で返して、飯山は作り笑いを浮かべたのだった。
Next
Novels Top
Home