血まみれの純情

   
「おまえは俺の犬だから」「流花無残」番外編
   このSSは2015年10月J.GARDENで無料配布したものです。
   「痛い」描写がありますので苦手な方は避けてください。









「アーニキー!」
 ベニヤのドアをどんどん叩いてから合鍵で鍵を開ける。
「おう、泰造、ええとこに。ちょっと出るさけ留守番頼むで」
 兄貴分である安部恒夫(あべつねお)にそう言われて、城戸泰造(きどたいぞう)はすでに靴であふれている狭い玄関でくたびれたズック靴を脱いだ。
「アニキ、またパチンコですか」
「負けがこんどんねん。あそこの店、釘師が代わってもて出にくうてしゃあないわ」
 恒夫はジャンバーに袖を通す。部屋の奥から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
「剛士(つよし)、頼むで。ミルクはここ。おしめの場所は知っとんな?」
「……アニキ。姐さん、また出てきはったんですか?」
「あー…うま年の女はやっぱアカンな。気ぃきつうてかなんわ」
「アニキが女遊びばっかしてはるから」
 泰造がびしりと言うと、恒夫は決まり悪そうにワックスで固めた前髪をいじった。
「ほなまあ、頼んだで」
「はい、行ってらっしゃい」
 いそいそと出て行く恒夫を見送り、泰造は奥へと入る。ゴミと洗濯物と布団が雑然と散らばった部屋のなかで、赤ん坊は座布団に寝かされていた。
「おーツヨ坊、なんやなんや。腹へったんか。おしめが濡れとるか」
 泣いている赤ん坊の両脚をひょいと持ち上げ、泰造は指先でおしめを探る。案の定、さらしのおしめはカバーにまで浸みそうなほど、ずっくりと濡れている。
 中学を卒業するなり家を飛び出して早三年。実家でも幼い弟妹の面倒はよく見ていたし、兄貴分の恒夫の子供である剛士の世話は生まれた時から押しつけられていたから、手慣れたものだ。
 濡れてずくずくになったおしめを替えてやり、適温に冷ましたお湯でミルクを作って飲ませてやる。
「ツヨ坊、はようおおきいなりやー」
 泰造に抱っこされて、赤ん坊は「あぶ」と声を上げた。


 中学を出たら実家の近くの鉄工所で雇ってもらうことになっていたが、一日、油まみれになって旋盤を回し、親方に怒鳴られながらあくせく働く気にはなれなかった。男やったら、どーんと勝負かまして一旗揚げてなんぼやと、泰造は思っていたからだ。
 そうして家を飛び出した泰造はすぐにヤクザの世話になることになった。その時、兄貴分として出会ったのが四つちがいの安部恒夫だ。暴力団だ組員だといっても、泰造や恒夫のようなチンピラの仕事は知れている。あちらこちらの祭りに出向いて屋台を出したり、商店街をのし歩いてはショバ代を取り立てる。それでも、カタギになってちまちました日銭を稼ぐしか能がない男になるより、イチかバチかの勝負をかけられるヤクザのほうがよほど面白かった。
 そんな泰造が二十二になった時、大きなチャンスが来た。
 泰造たちが世話になっていた仁勇会が組同士の抗争で鉄砲玉を探していたのだ。対立する組の組長をマークして、そのタマを取る。失敗すれば返り討ちに合うし、成功しても逮捕されれば刑務所だ。しかし、名を上げて、「あいつはえらいやっちゃ」と評価を得るにはまたとない機会だった。
 腹に巻いたさらしにドスを忍ばせ、泰造は出発前に恒夫のアパートを訪ねた。最後の別れの挨拶のつもりだった。はっきりは伝えていなくても恒夫は事情を察しているようだったが、五歳になっていた剛士はいつものように泰造に遊んでもらおうとまとわりついてきた。
「たいぞぉ、たいぞぉ。見てみ、ボク、字ぃ書けるようになってんで」
「ほお! もう字ぃが書けるんか! ツヨ坊は賢いなあ!」
 泰造が大袈裟に驚いて褒めてみせると、剛士は肩をすくめてくくっと笑う。
「今はまだひらがなだけやけどな。すぐに漢字かておぼえるで?」
「へえ! ひらがなだけやのうて、漢字があることも知っとんか! ツヨ坊、えらいなあ」
「そんなん来年は小学生になるんやで? 当たり前やん」
「ツヨ坊のおしめ替えたったん、ついこないだみたいな気ぃするけど、早いもんやなあ。もう来年小学生かあ」
「なあ、たいぞう、なんか祝いくれるか?」
「せなやあ。考えとかなあかんなあ」
 泰造はにっと笑って剛士の頭をぐりぐりと撫でた。横から恒夫が、
「泰造はとうちゃんに用事があんねん。おまえ、向こう行っとれ」
 と手を振る。しぶしぶ剛士が離れていくと、
「……泰造。あとのことは心配せんでええ。思いっきり、やってき」
 恒夫は泰造の肩を力を込めて叩いた。
「はい……!」
 大きくうなずいて返した泰造だった。


 人を刺したのは初めてではなかったが、命を奪おうとはっきり意識して刺したのは初めてだった。頭はかーっと熱く、手足はぶるぶる震えていたが、どこか妙に醒めた意識があって、刺した瞬間に「急所がずれた」とわかった。すぐに周囲からわああっと雄叫びやどよめきが押し寄せてきて、刺し直す余裕がないと悟る。
 泰造は握ったドスの柄を深くに押し込んだまま、ぐりっと中を抉るように回した。中の傷が大きくなり、空気が入ればまず助からないと聞いていたからだ。
「てめえ! なにさらしとんねんッ!」
「こいつ……ッ」
 どっと押し寄せた男たちに殴られ伸し掛かられたが、泰造は最後までドスを離すまいと渾身の力を籠め続けた。しかし、しょせん多勢に無勢。引き離され、ぼこぼこに殴られ蹴られた。
 刑務所には十年、入ることになった。
 俗に「くさいメシ」などというが、確かに米飯は必ず麦が混ぜられ、白米だけの艶やかでふっくらした炊き立てのご飯はそれだけでご馳走に思えるほどだった。初犯でも暴力団組員である泰造には看守の風当たりも強く、泰造のまわりで少しでもトラブルがあれば泰造が関与していようといなかろうと殴られた。もちろん、そんな時は「娑婆に出たら覚えてろよ」と捨て台詞は忘れない。懲罰房に入れられることもしばしばだったが、刑務所内にはほかにも極道が多くいる。看守に日和って「ホネのないヤツ」と思われるくらいなら、気概のあるところを見せて懲罰を食らったほうがはるかによかった。
 檻の中は檻の中であって、しかし、外界と隔絶した世界ではなかった。いろんな組の暴力団員がおり、外の力関係や組関係がそのまま塀の中にも持ち込まれていた。そんな中で、泰造は将来に役立ちそうな人脈や情報網をしっかりと作り上げた。
 そして、きっちり十年務めあげて泰造が出所してきた時、勢力を拡大していた仁勇会は若頭見習いの金バッジを用意して泰造の帰りを祝ってくれたのだった。

 出所後の泰造はよくもてた。持って生まれた細面の優しげな顔立ちに、刑務所で十年過ごしたことで静かな凄みが加わり、三十三になって渋みも出てきて、いわゆる「男の色気」があるらしかった。その泰造の色気に惹かれるのはどうも女性ばかりではないらしく、年上年下関係なく、同性からもさりげなくアプローチされることが多々あった。
 そんな中――泰造はかつての兄貴分である安部恒夫の息子・剛士とも再会した。
「へえ……おおきゅうなったなあ。おしめはもうはずれたか」
 十五になった剛士をそう言ってからかうと、子供と大人の危うい狭間にいる少年は「当たり前や」とむっと唇を尖らせた。
「そんなん、泰造が刑務所入る時にはもうしてなかったし」
 剛士のすねたような口調に怒ったのは父の恒夫だった。
「こら、おまえ! 誰にもの言うてんねん。ちゃんと城戸さんて呼べや! もう城戸さんは若頭見習い、立派な幹部やねんぞ!」
「ええですよ、兄貴。ツヨ坊は特別や。……なあ、ツヨ坊、俺がムショ入る前のこと、覚えてくれとるんか」
「当たり前や。泰造のことはようおぼえとる。腹立ったもん。急におらんようになって」
 剛士はそう自慢げに胸を張った。
 その場は「そうか」としか思わなかったが、後になって泰造は、まだ小学校に上がる前、父親の弟分でしかなかった自分のことを「よくおぼえている。急にいなくなって腹が立った」と言った剛士の言葉を、ある種の怖さを持って思い返すようになった。――そんな頃から剛士は自分に執着していたのだろうかと。
「なあ、泰造、中学出たら、俺を泰造の子分にしてくれへん?」
 思い返せば、その台詞も。
「はあ? なに寝言言うてんねん。中卒なんかどもならん。高校行け高校」
「自分かて中卒やん」
「時代がちゃうわ、時代が」
 十八も年下。だから逆に気安く泰造は剛士を己のテリトリーに入れたし、剛士にはぽんぽんと遠慮のないことを言えた。――それがまた、まずかったのか、それとも、そういう関係になったのが、そもそもふたりの因縁だったのか。
 決定的になったその日、泰造は下の失敗で取引がうまくいかず、苛立っていた。下の失敗は上の失敗だとは重々承知だが、それでも何百万という商売がダメになったのは痛手だった。そこに遊びに来たのが剛士だった。
「泰造、聞きたいことあんねんけど」
「今日はもうややこしいことはナシや。話やったらまた別の日に……」
 そう言っているのに、剛士はやめなかった。気づけばその顔が強張っている。
「ねえ……ムショん中で、泰造……女にされてたって本当?」
「はあ?」
 思わず大声あげて聞き返した。女っ気のないムショの中、外の関係がそのまま持ち込まれる複雑な力関係、その環境でボス的な人間に目をつけられたら逃げようはなかった。が、塀の中のことは塀の中。泰造は自分からその話をしたことはなかったし、それはそれと割り切っていた。
「誰がそんなとろい話しとんねん」
「……みんな言ってるよ……城戸さんは色っぽいからって……ねえ、泰造、本当に……」
 こたつの縁を四つん這いでまわって剛士は泰造の傍らに来る。そして肩に手をかけ、体重をかけて……。
「――なにやっとんねん」
 泰造は自分を押し倒した少年を冷めた目で見上げた。誰がおもしろがって話したか知らないが、罪作りなことをしやがると思う。まだ毛も生えそろっていないようなガキに猛毒を与えたようなものだ。剛士は息を荒げ、頬を紅潮させて泰造を見下ろす。
「泰造……ええやろ。そんな……女になっとったんなら……」
「なにがええねん、アホやな」
「アホちゃうわ。……俺も、俺かて、泰造と……っ」
 目の光が尋常ではなかった。そのまま剛士はしゃにむに唇を泰造の唇に押しつけてきた。
「……ダアホッ!」
 まだ躯も出来上がっていない、喧嘩慣れもしていない少年など、泰造の敵ではない。泰造は罵声とともにくるりと体勢をひっくり返した。
「俺がなんやて。あんまり舐めたことゆうてると痛い目見るで」
 まだ細い少年の躯を組み敷き、すごんで見せる。
「大人を甘う見んなや」
 ぐっと抑えた手足にさらに力を込め、その気になれば怖いのだと見せつけて、泰造は躯を起こした。
「まあエロいことに興味あるんはしゃあないわ。ガキはガキ同士、似合いの相手と乳くりおうて……」
「俺は!」
 驚いた。がばりと躯を起こして、剛士は立ち上がろうとした泰造に抱きついてきたのだ。
「俺は泰造がええねん! ガキ同士とか……いやや! 俺は泰造が……!」
「は? なにを寝ぼけたことを……」
 しがみついてくる少年を振りほどこうとするが、剛士は泰造の背に回した腕をゆるめようとはせず、がむしゃらに抱きついてきた。
「た、泰造が……泰造がいややったら……俺が女でええ! 俺が女でええから……!」
「はあ? なに寝言ゆうとんねん。アホも休み休み言え。毛ぇも生えそろわんようなガキに手ぇ出すほど飢えとらんわ」
「毛……毛なら生えとる!」
 そして剛士は泰造の手を取ると自分の股間に押しつけようとする。
「なあ、俺もうちゃんと大人やで? オナニーもしとる! こないだ女ともやった! 子供やない! せやから、せやから泰造……」
「女とやったておまえ……」
 呆れ半分、驚き半分、泰造は必死の形相の少年を見つめた。
「えらいマセガキやなあ。まだ中坊やろ。末恐ろしいなあ、おまえ」
「ガキ扱いせんで!」
 剛士は噛みつく勢いで言うと、また泰造の首にかじりついてきた。
「俺を抱いてえな。俺っ俺は、泰造が……!」
 泰造は己にしがみついてくる細い躯をなんとか引きはがそうとした。おしめを替えた相手にそんな気になれる気がないだろうとも、俺みたいなオヤジ相手になにをトチ狂っているんだとも諭したが、剛士は聞く耳を持たなかった。ついには、あきらめた素振りで立ち上がって服を脱ぎだした。
「おま……おま、なにやっとんねん!」
「――泰造。おしめ替えた時の躯と、今の躯、全然ちゃうやろ。よう見てや」
 確かに十代半ばの剛士の躯は、綺麗だった。成人した男とも女ともちがう、未熟な色香。
「剛士……」
「泰造」
 黒い瞳に自分が映っているのが見えた。吸い込まれそうな、底の見えない瞳を見ているとくらりと来た。
「俺、泰造がええねん」
 耳元でささやかれて、タガがはずれた。
 泰造は剛士を女にした。

 躯の相性というのは確かにある。微妙なリズムや流れ、肌の馴染み具合、百人と会話すれば百通りの会話になるように、最終的に「する」ことは同じでもセックスも相手によって、そして時によって変わる。
 それでいけば、剛士とは相性がよかったのだろう。剛士の勢いに流されて関係を持ってから、「大人の分別」で「なかったこと」にしなければと思いながら、泰造は二度三度と繰り返してしまった。剛士とのあいだでなければ生まれない熱が確かにあり、それは色事の経験豊富な泰造にとっても抗いがたいものだったのだ。
「俺、ええやろ」
 事後のまったりした空気の中で、剛士が腕に半分顔を埋めて笑う。
「わかんねん、俺、泰造のことやったら」
「なにナマゆうとんねん。おまえが俺のなにを知っとんのや」
「知ってるてゆうてへん。わかる、ゆうてんねん」
 その言葉にぞくりとして泰造は剛士を見つめる。こんな人生経験の浅い、まだ子供の剛士に自分のなにがわかるのかと思うと同時に、本当に自分のすべてを見透かされているような気もして、背筋が寒い。
 剛士がまたふっと笑った。
「そらな。これまでは俺の知らん泰造がおったやろ。年もちがうし、泰造には泰造の世界があったもんな。けど、これからは俺の知らん泰造はないで? 俺、泰造を離さへんから」
 ぞっとくるような寒気を押さえつけて、泰造はあえて薄ら笑いを浮かべて見せた。
「……おまえなあ。十八も年の離れたおっさん相手になにをトチ狂ったことゆうてんねん。……まあええわ。そのうちおまえも年相応の相手とちゃあんと恋愛して、ああ、あん時はアホやったなあ、なんであんなオジンに夢中になってたんやろて思うやろ」
 肩をすくめて諭す口調でそう言ったが、「絶対そんなことはない」と剛士は真顔のままだった。
「そのうち泰造にもわかるわ。俺がどんだけ本気で泰造のことが好きなんか」
 真剣な、底の深い、黒い瞳。
 しょせんガキの戯言といなしつつ、泰造は自分の足元が流れる砂にすくわれていくような感覚を覚えていた。


 剛士との関係はそのあともずるずる続いた。そして二年が過ぎた頃――。
 恒夫がドジを踏んだ。それこそその命と引き換えにしなければ埋められないような大ドジだった。逃げようとした恒夫はあっさり捕まり、逃げようとしたことでさらに怒らせた上の人間に引きずられて仁勇会本部へ連れて行かれた。
 泰造はなんとか恒夫を救おうとしたが、金バッジとは言えど幹部の中では末席である。なんとか許してやってほしいと若頭筆頭に土下座して乞うぐらいしか泰造にできることはなかった。
「せやなあ」
 とむずかしい顔で腕を組んだ若頭筆頭・平がその腹の底でなにを狙っていたのか。その時の泰造には知る由もない。
 数日後、ヤキを入れられて面相が変わるほどに顔を腫らした恒夫が家に戻ってきた。リンチを受けた恒夫は全身ボロボロだったがとりあえず命はある。内臓も全部そろっている。まずは一安心、と駆けつけた泰造がほっとしたのも束の間、恒夫は突然「頼む!」と己の息子・剛士に向かって頭を下げた。
「なんも聞かんと平の家に入ってくれ」
 と言うのだ。恒夫は自分の命と引き換えに息子を仁勇会若頭筆頭に差し出すことにしたのだった。平が若い男に目がないことは組でも有名だった。
「兄貴、いっくらなんでもそれは……」
「ほならおまえ、俺が殺されてもええゆうんか!」
 暴力の怖さ、すさまじさを身を持って教えられた恒夫は、もう父親ではなく、怯える愚かな男だった。
「……泰造は、オヤジを救ってやりたい思う? 俺が平の家に入ればええて、思う?」
 平の家に入ると言うのがなにを意味するのか、泰造も、そして剛士もわかっていた。
「なあ、泰造。俺を連れて、逃げてくれへん?」
 続けて剛士にそう言われて、しかし、泰造はすぐに「よし」とは言えなかった。剛士と逃げるということは恒夫を見捨てることになる。恒夫の命はないだろう。それに組織に属さない怖さも泰造は知っていた。仁勇会は関西に勢力を伸ばしつつある新興勢力だ。さらに仁勇会が力を持てば、関西に逃げ場はない。
「……剛士、俺はおまえを連れて逃げてやりたい。おまえがほかの男にて、思うだけで俺かて胸が焼ける。……けど、俺はおまえのとうちゃんにも恩義があんねん」
 絞り出すように、苦しげに言う泰造に、剛士は「そうかあ」と笑った。
「泰造、俺にヤキモチは焼いてくれんねや。……それ聞けたら、ちょっとうれしいわ」
「……当たり前やろ。そんなん……」
 ずるずる続いた二年。しかしそれは、離れようとしても離れられなかった二年でもある。
「……悪い、悪いな、剛士。俺にもっと力があれば、おまえのとうちゃんもおまえのことも、ちゃあんと守ってやれるのに」
 苦渋に満ちた泰造の謝罪に、剛士は「それはええねん」とまた笑った。
「……俺な。俺の躯ぐらい、誰になにされたかて、ホンマはどうでもええねん。俺が好きで欲しいんは泰造やから。……俺な、平に抱かれようと、どんだけエロいことされようとかめへんねん。けどな、俺がおらんようなって、泰造がほかの男や女とて思たら、気ぃ狂いそうになんねん」
 黒い瞳が泰造を射抜くように見る。笑顔の中で、目だけが笑っていない。
「なあ、泰造。おまえのチンコ、俺にくれへん?」
 なにを言われているのか、まるで理解できなかった。「は?」と間抜けに問い返した泰造に、剛士は揺るがぬ視線を向けてくる。
「おまえのチンコ、俺にくれ。チンコ、切り落としてくれへんか」
「……な、に……なにを……なにをゆうてんねん……チンコて……」
「おまえしか抱けへん、おまえだけやて、口ではなんとでも言える。俺はそんなん信用でけへん。泰造が、二度とほかの誰も抱けん躯になったら、やっと安心できんねん。平んとこでもどこでも行ったるわ」
 めちゃくちゃだと思った。めちゃくちゃだと思いながら、しかし、酔いにも似ためまいに泰造は襲われてもいた。巻き込まれる圧倒的な熱量――逃げなければと、頭のどこかが叫んでいた。


 その時は、すぐに剛士は声を立てて笑い出した。「冗談やん」と。「本気なわけあれへんわ」と。「なんて顔してんねん」と。
 そしてそれから間もなく、安部剛士は平剛士になった。
「今日から俺は平剛士や。……生まれた時の名前ひとつ守れんて……力がないってみじめやなあ」
 つぶやいた剛士の横顔が泰造の脳裏に焼き付いた。
 しかし――そうして平剛士になってからも、剛士と泰造の仲は続いた。続いてしまった。逃げなければと思う以上の熱と離れがたいなにかに縛られて、泰造は剛士に乞われるまま、その身を抱き続けたのだった。
 バレた時に、養父とは名ばかりの剛士の愛人・平は怒り狂った。「指を詰めるだけですむと思うな」と言われ、泰造だけではなく、恒夫も、そして剛士も命はないと言われた。
 その時の、あきらめとも、絶望ともつかぬ感情は泰造が初めて味わうものだった。「しゃあないなあ」と、言葉にすればそれだけだったが、そこに広がるのは完璧な諦念と、そして裏腹な明るさだった。
「すんません。……どんだけあやまってもすむことやない思いますけど……命に代えて……いや、命と一緒に詫び入れさせてもらいます」
 と、泰造は平と剛士が見る前で、己の性器を己で切り落としたのだった。その時、剛士の青ざめた唇にかすかな笑みがあったように見えたのは……見間違いなどではなかったと、泰造は思っている――。


   *   *   *


 ああ、似ているなあと。
 三十余年前の少年と、目の前で白絹に身を包んだ少年が。想い人がありながら、年かさの男のものにされてしまう無念さも、力がないみじめさも、そして、その境遇を嘆くばかりではない芯の強さも。似ていると、老人の域に入った城戸泰造は、己の膝を濡らして泣く二葉輝良の姿に、かつて愛した平剛士の少年時代の姿を重ねずにいられなかった。
「なんや、えらい贔屓にしとるそうやなあ。城戸がそんなに入れ込むて、珍しいやないか」
 二葉の養子に城戸泰造が肩入れしていると、どこから聞きつけたのか、仁和組総長となった剛士に聞かれた時、まさかとは思ったが。
 組への忠誠が己の中では一番と証立てるために、輝良がその身をかつての愛人・二葉と平剛士の前に投げ出した、性の狂乱の中――輝良をその剛直で貫きながら、剛士はまっすぐに泰造を見た。「見ろ、おまえが目をかけてやった男が俺になにをされているのか」と。
 少年時代とそれだけは変わらない黒い瞳に、燃え立つのは嫉妬だった。
「…………」
 熊沢寛之の二葉輝良への執着と恋。輝良の熊沢への想い。二葉から輝良への劣情と純情。そして、剛士から自分への……。すべてが絡んで燃え立つかのような和室の一隅で、泰造は自らでさえ律することのできない暗い炎に焼かれる男たちの姿に、そっと目を閉じたのだった。




                                        血まみれの純情 終    




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