レースと薔薇とお化粧と


 〜このお話はシャレード文庫「アゲハ蝶に騙されて」の番外となります

 




 そして――。
 俊樹は同性で年下の、同じ職場の後輩を恋人に持つことになった。
 女装癖があることをのぞけば、なかなかできた恋人を。





 そう。女装癖があることをのぞけば……。





 季節が変わった。
 秋葉は季節をブティックやデパートのディスプレイで知る。今年の流行色は? スカートの丈は? はやりのラインは?
 実際の季節に先駆けてマネキンたちが纏う最先端のモードで、次の季節の狙い目を読むのが秋葉の楽しみだ。
 学生時代は店に出るときの派手なドレスとは別に、毎シーズン、一セットか二セット、街中で着られるような服を買っていた。「仕事」に使うわけではないから、それは本当に贅沢だったが、女装は唯一の趣味みたいなものだからと自分に言い訳していた。
 秋葉は女装が好きだ。
 綺麗に化粧して気に入りの服に身を包み、街を歩く。
 いつもと同じ風景がまるでちがった生き生きしたものに見えてきて、足取りが軽くなる。
 時折、「お茶でもどうですか」と男たちに声を掛けられるのを適当にかわしながら、男姿の時にはゆっくりできないコスメコーナーやアクセサリー売り場を回る。女性の持ち物はどれも可愛く綺麗で華奢に作られていて、見ているだけで嬉しくなる。
 ニューハーブバーでの仕事は大好きだった。
 美しく装い、「綺麗だ」と褒められる。時々本気で口説いてくる客がいてわずらわしかったが、それさえ流せば夢のような職場だった。
 長い人生を考えたら堅い仕事を持っておくべきだとわかっていたから大学卒業と同時に一部上場の企業に勤めたし、将来のことを考えたら仕事には熱心に取り組むべきだと思っていたからニューハーフバーでのバイトと両立することは無理だともわかっていた。
 それでも「アナザーヘヴン」を辞めるのは残念でならなかった。
「……綺麗なお洋服が着たいな……」
 裏声で、「麗美」になって呟いてみる。
「え!」
 隣を歩いていた恋人が驚いたように振り返り、秋葉の中の麗美が、ほんの少し、傷ついた。



 恋人である小川俊樹とは、出会いはニューハーフバーだったが、現在は社内恋愛だ。同性同士の恋愛関係がバレるわけにはいかないから、社内ではただの先輩後輩社員として過ごしている。
 それはいいのだが……「アナザーヘヴン」を辞め、小川と付き合いだした秋葉には女装する機会がまったくと言っていいほど、なくなってしまった。
 終業後、小川と二人で飲みに出る時は仕事帰りだから当然スーツ姿。週末、小川の家を訪ねる時もいつも男姿だ。さりげなく女装して遊びに行きたいと言ったことはあったが、小川の息子である公大がいつ遊びにくるかわからないからと却下されてしまった。
 秋葉にはつらい状況だった。
「好きな人と好きな格好で過ごしたいって言うのは、わがままですか?」
 小川にそう言ってみたこともある。
 小川はやはり少し驚いて、そして、
「その服も似合ってるよ」
 と、その時、秋葉が着ていた紺色のポロシャツとオフホワイトのチノパンを慌てて褒めた。――そんなことじゃないのに。
 わかっている。小川は秋葉に女装してほしくないのだ。
 男同士で、その上、会社の先輩後輩で。二重にも三重にも恋愛関係になど陥りたくない相手を受け入れるのにいっぱいいっぱいなのだろう。その上、女装癖なんてややこしい……。そう思ってしまう小川の気持ちはわからないでもない。
 ――でも……。
 短く切りそろえられただけの爪は味気ない。眼に入る自分の服が落ち着いた色目ばかりではつまらない。
 キラキラデコレーションで飾った爪、襟元からふわふわと流れ落ちるシフォン、裾で揺れるレース。自分の姿を見下ろしたときに、視界にそういった華やかなものが一切はいってこない生活はわびしい。
 もちろん、会社勤めの身で平日にそんな格好をすることはできない。女装するとしたら休日になる。
 でも、休日は小川と過ごしたい。
 想いが通じるまではずいぶんと冷たい言葉を浴びせられたけれど、心根はあったかくて優しい人なのを知っている。会社ではきっちり一線も二線も引いて、見つめたくても視線をそらし、触れたい肌にも拳を握るが、許されるならいつまでもその笑顔を見つめていたい、腕の中に閉じ込めて、優しいキスであやしたい。
 ところが、その当の小川に女装を拒否される。
 秋葉には究極の二者択一だった。女装を取るか、小川を取るか。
 付き合いだして三ヶ月、小川を選び続けている秋葉だったが、好きな相手に好きなコトを拒否されるのはつらかった。
『わたしのこと、綺麗だって褒めてくれた。好きだって言ってくれた。あれはウソなの!』
 泣いて小川をなじりたくなることもあったが、地味な色合いの服が視界に入ると、すーっと自制の木枠が降りてくる。
 男姿でいても、ずいぶんと感情表現は豊かにできるようになったと思うが、それでも麗美でいる時ほど自由奔放に感情の赴くままに走ることはできない。
 女装して小川と遊びに行きたい。せめて、家の中で一緒に過ごしたい。
 そうはっきり小川に要求できないのは、無理を言って小川に嫌われたくないからだ。
 同僚で男同士というハードルを越えて恋仲になってくれている相手に、これ以上、嫌われる要素を増やしたくない。
 そんな思いでじっと我慢していた秋葉に、ある日、出張命令が出た。



「アメリカ出張?」



 正式に配属されて半年、新人が海外出張を命じられるのは異例のことだった。
 俊樹は上げかけていたビールのジョッキを止めて、驚きの声を上げた。
「……再来週から二週間だそうです。急いでパスポートを取るようにと」
 居酒屋のテーブルを挟んだ秋葉はかすかに困惑の色を浮かべている。
「ああ……デトロイトでモーターショーがあるんだっけ。すごいな、一年目でショーに行かせてもらえるなんて」
 もうきっぱりと自分の中でキリをつけたつもりでいた秋葉への劣等感が、またぞろゾロリと嫌な蠢きを見せるのを笑顔で押さえつけ、俊樹は言った。
「しっかり勉強しておいで。あとできっと役立つから」
 秋葉は浮かない顔だ。
 本人は出世にほとんど興味がないからだ。
「……二週間、あなたに会えない」
 ぽつりと漏らされた言葉。……そう。この男にとっては会社内での自分の立場より、きっと自分との関係のほうが大切。
 俊樹は今度は心から笑みがこぼれるのを感じる。
 こういう男だから。自身の出世より俊樹と過ごす時間のほうが大切なのだと、まだ三ヶ月にしかならない付き合いの中で、はっきりとそう感じさせてくれる一途さを持った男だから。自分のつまらないプライドを、俊樹も笑って手放すことができる。
「なに言ってるんだよ、立派な社会人が」
 テーブル越しに手を伸ばして軽く肩を小突く。
「……今夜、あなたの家に行きたい」
 まだ水曜だ。明日も会社がある。
 が、先週末の休みは金曜から公大が泊まりに来ていて、恋人としての時間を持てなかった。
「ダメですか?」
 耳の垂れた犬みたいに上目遣いで尋ねられる。
 いやと言えるわけがなかった。



 何度キスしても慣れない。
 薄明かりの下でも秀麗な秋葉の顔が近づいてくると、胸がどきどきしてくる。
 毎回、明かりを消そうと提案するのは見られるのが恥ずかしいというより、秋葉の顔がはっきり見え過ぎると平静ではいられなくなってしまうからだ。
 日常生活ではありえない近距離。
 眼を伏せれば長い睫毛が目元にほんのり翳りを落とす。愛の言葉を囁く唇は均整の取れたふくらみを持ち、摺り寄せられる鼻は細く高い。
 芸能人にも綺麗な男はたくさんいるが、彼らを「同じ男なのに綺麗だよなあ」と平気な顔で評せるのは、それがテレビ越しだからだ。眼の前に造形美の極地のような美貌があれば、普通は見蕩れてしまうし、そんな自分に気づけば気恥ずかしくもなってしまう。
 しかも、そんな整った顔で、秋葉は瞳に欲情の色を浮かべるのだ。
 凄絶に色っぽい。
 そんな顔で仕掛けられて、平静でいられるわけがない。
 ドキドキと羞恥のダブルに、秋葉に伸し掛かられるとすぐ、俊樹の躯は熱を帯びてしまう。

 秋葉、秋葉……やめろよ、そんなとこ……吸うなって。

 秋葉、あ……っ、そこは、だ、め、だ……って……。

 あ……あき……。

 恋人同士の時間に、あまやかな秋葉の腕の中で蕩かされる。
 そんな時、秋葉の顔も、わずかに苦しげに歪められ、眇めた眼で見つめられる。
「俊樹……俊樹」
 乱れた前髪が白い額に垂れかかる。形よい眉をかすかにひそめ、秋葉は俊樹の太股に手をかけた。
 ぐいっと大きく両側に脚を割り広げられる。
 浮いた腰の中心に秋葉の雄が押し付けられて……。
「ああ……!」
 声がどうしようもなく甘く響くのは仕方ない。この男が好きなのだ。綺麗で、優秀で、でも、時にどうしようもなく感情的になる、この男が。
 躯の深くまで秋葉を受け入れながら、俊樹は男の背中に腕を回した。愛しい男をしっかりと抱き返すために――。



 最初聞いた時には『まさか』と思い、次の瞬間に眩暈を覚え、さらに数秒後、驚きと眩暈を凌駕して怒りが湧いた。
 秋葉がアメリカに発って十日ほどの日のことだった。PC端末で入力業務をしている手配担当のOLのデスクに、俊樹は注文書を持って行った。その島で、手配担当の女性社員たちと、小川と同じ課の丹羽という男性社員が話していた。
「いや〜ありえな〜い」
「いやいや、マジマジ!」
 丹羽が真顔で強弁しているところに、俊樹の注意が向いた。
「斉藤が見たんだって! 秋葉がすごい美人、ホテルの部屋に連れ込んでるって!」
 かくして、俊樹は驚き、眩暈、怒りに襲われたのだ。
 最初は秋葉が本当に浮気をしているのかと思ったのだ。が、次の瞬間、『すごい美人』が秋葉の女装姿だと思い至り、『なにやってるんだ、馬鹿!』となった。
 旅先の地で少し羽を伸ばしたくなったのだろう。しかし、会社の人間と同じホテルに宿泊しながら、なにをやっているんだと怒鳴りつけてやりたくなったのだ。
 メールで怒ってやろうかと思ったが、旅先にまで監視の目を光らせるうるさい恋人と思われたくなくて、ぐっとこらえた。
 それでも、なるべく早くに一言いってやりたいのと……やはり少しでも早く顔も見たくて……秋葉が帰国する日がちょうど土曜日でもあったので、俊樹はセントレア(中部国際空港)まで迎えに行くことにした。秋葉は課の先輩である斉藤と一緒に出発したが、斉藤は現地でまだ仕事があり、秋葉一人の帰国の予定だった。
 迎えに行くとは知らせずに、帰国の便も本人ではなく庶務係に確かめて、土曜日、俊樹はセントレアへと向かったのだ。



「あー! 小川さん?」
 到着者ロビーで小川は思わぬ人物から声を掛けられた。
「え……金子さん!」
 振り返れば、俊樹と同じアジア担当のOL、金子が会社ではついぞ見せない可愛いキャミ姿で立っている。
「いやあん、小川さんも誰かのお迎え?」
「う、うん。秋葉が帰って来るって言うから、ヒマだし出迎えてやろうかなって……」
 ヘタなウソはかえってまずい。
 俊樹は咄嗟に判断して、本当のことを告げた。
「えー! 秋葉さんもこの便なんですかあ? わたし、カレシがこの便だから迎えに来たんですよお!」
「へ、へえ。偶然だねえ」
「あーじゃあ、ついでだから、秋葉さんの顔も見てから帰ろっかな。あ。ついでって言ったの、秋葉さんには内緒ね」
 はは、と笑顔で応じたその時には、後で困ることになるなど、思いもしなかった俊樹だ。
 ゲートが開いてすぐ、金子が「マサハル〜」と手を振った。金子の彼氏は、なかなかしぶい、あごひげの似合う芸術家タイプの男だった。
 その時。ふっと俊樹の視線は、その男の数人あとから出てきた『女性』に吸い寄せられた。サングラスを掛けていてもわかる、艶やかな美貌。長身を、品のいいジャケットとシンプルながらラインの優美なロングドレスに包んでいる。
 ――まさか。
「うわ。あの人、綺麗。モデルさんかな。サングラスはずしてくれないかな」
 金子が隣で無邪気に言う。
 冗談じゃない。絶対ここで外すなよ、と俊樹は念を飛ばす。……飛んだかどうかはわからないが。
 『女性』のほうも、俊樹と金子を認めたらしい、一瞬、その顔が強張り、次になにも見なかったようにその『女性』はロビー奥のベンチに向かうと横を向いて優雅に腰を下ろした。
「……あー」
 なんとかしなければと、俊樹は嫌な汗が背中を伝うのを覚える。
「か、金子さん、秋葉はもういいよ。ぼくが待っておくから……彼氏さんにも悪いから、もう行ってよ」
 しどろもどろで俊樹が言うのに、
「えーでもせっかくだし。もうすぐですよ。だって同じ便なんだから」
 と金子は粘る。金子の彼氏も、
「せっかくですから。ぼくなら大丈夫ですよ」
 と、イヤな顔ひとつ見せず、そう言ってくれる。
 が――
 待てど暮らせど、秋葉は出て来ない。そう、「秋葉」は。
「も、もう先に帰ったら? 彼氏さんにも悪いし……」
 何度か俊樹がそう言うたび、『いいですよ〜』を繰り返していた金子は、
「おっかしいなあ。確かにこの便ですよね? 乗り遅れたのかな……」
 最後の乗客らしき人物が扉から出てきて、ようやくそう言った。
「う、うん。きっとそうだよ。ああ見えて、そそっかしいヤツだから」
「でもぉ……」
「ぼくが待っておくから。金子さんはもう行きなよ。マサハルさんも、すみませんでした」
 俊樹が彼氏に向かって頭を下げると、金子は仕方なさそうに溜息をついた。
「残念。久しぶりに秋葉さんの綺麗な顔を見たかったのに」
「こら」
 彼氏が金子に向かって軽く拳を見せ、恋人同士はとたんに甘い空気をまとった。
「じゃあ。月曜にまた会社で」
「はあい。じゃあお先に失礼しまーす」
 社内で先に帰るときと同じ挨拶を残して金子は彼氏とロビーを出て行く。
 その笑顔を引きつりそうな笑顔で見送り、もう大丈夫と確かめたあとで……。
「……どういうつもりだ」
 ベンチに座るサングラス姿の『女性』のそばに、俊樹はつかつかと歩み寄った。
「……怒らないで」
 サングラスを取ると、その瞳には早くも涙が浮いている。
 俊樹は溜息をこらえながら、数ヶ月ぶりの「麗美」と対面していた。



「二週間ぶりだっていうのに」



 怒らなくてもいいじゃないですかと言えば、怒りたくなどないのだと、小川も言う。
 横を向いて少し怒った顔で。
 だから秋葉は言ってみた。怒ってないならこっちを見て、と。
 当然、おのれの花をも欺く美貌は意識して。
 小川がちらりとこちらを見る。かすかにその頬に血が上るのを認めて、秋葉は半ばは無意識に小首をかしげた。
「本当に? 怒ってない?」
「……怒ってはいないけど……向こうでも女装してたろ。こっちでなんて言われてるか、知ってるか? 秋葉がすごい美人を連れ込んだって……」
「すごい美人なんて、褒めすぎ」
「……反応するのはそこじゃない」
 ツッコまれて、しょげてみせる。これもまた、半ばは本気だ。
「ごめんなさい……」
 ごほっと小川が咳払いをする。
「だいたい……どうしてまた……」
「だって。向こうに行ったら、レミでも入るサイズのお洋服がいっぱいなんですもの。日本だと大きいサイズはデザインもごついのが多いの。ニューハーフ向けのお洋服屋さんはそれっぽくて街中じゃ浮いちゃうようなのばっかだし。でも、向こうに行ったら、いっぱいいろんなデザインや可愛い色のものがあって……つい嬉しくて」
「だからって、帰りの飛行機まで女装することは……」
「まさかあなたが迎えに来てくれるなんて思わなかったから。金子さんまで一緒にいるなんて」
「金子さんは彼氏の迎えで偶然一緒になったんだよ。さっきぼくがどれだけ焦ったか……」
「ごめんなさい」
 今度はかなり意識して俯く。その時、立っている小川から首のラインが綺麗に見えるような角度に合わせるのは、ニューハーフバー仕込みだ。
「……怒ってる?」
「……怒ってないよ」
 そこで秋葉は特上の笑みを小川に向けた。
「よかった」
 と呟いて。
「迎えに来てくださるなんて思わなかった。レミ、すごく嬉しい」
 つい眼を合わせてしまったらしい小川の耳がぽっと赤くなった。
「すごく嬉しいから……」
 秋葉は小川の腕を引いて、その耳元に唇を寄せた。
「今すぐ、あなたにキスしたい」
 最後の一言だけ男の声で低く言えば、今度は首筋まで朱が散った。



 へえ、と思う。
 小川が秋葉の大きなトランクを、ごろごろと引いて歩き出したからだ。
「レミ、自分でトランク持てます。力はあるもの」
 横から小川の顔を覗き込むようにして言うと、小川はハッとしたようだった。
「え……あ、そうか。あ……いいよ。ス、スカートじゃ、歩きにくいだろうし……」
 秋葉はにっこり笑顔で、
「じゃあ甘えちゃお」
 小さく肩をすくめて、横目で小川の表情を追った。やはり少し怒ったような顔に見えるが、上気した頬が照れを隠し切れていないようにも見える。
 ふうん、と思う。
 男姿でいる時に小川が秋葉の荷物を持ってくれたことは一度もない。逆ならあったが。
 女装しているだけで中身は秋葉だと小川はしっかりわかっているはずだが、どうも「麗美」を前にすると勝手が狂ってしまうらしい。
 これはもしかしたら、すごく美味しいことかもしれない。「麗美」の姿で、秋葉は雄として冷静に考える。
「……まっすぐ帰りたくないな」
 小川の車で空港をあとにしてから、秋葉はぽつりと呟いてみた。
「え!」
 小川が驚いたようにこちらを見て、慌ててまた眼を前に戻す。
「まっすぐ帰りたくない。あなたと……ふたりでゆっくりしたい」
「き、君のアパートまで送って行くよ! そこでゆっくり……」
 君。
 秋葉の耳は鋭く小川の声を捉えた。「秋葉」に対しては「おまえ」を使う小川だ。
 すねたように横を向き、秋葉は溜息をついてみせた。
「前にも言ったのに。……レミのアパート、壁が薄いって」
 信号待ちで止まるはずが、急ブレーキになった。
「頼むから、その……」
 振り向いた小川の顔が真っ赤だ。
「あまり刺激的なセリフは口にしないでくれ。事故を起こす」
 唇が勝手に小さく尖ってしまう。
「だって……小川さんが意地悪言うからでしょう? まっすぐ帰りたくないって、レミ、言ってるのに」
 手をハンドルを握る小川の手に重ねる。耳元に口を寄せ、低く囁く。
「まだ、キスもさせてもらっていません」
 ぴくっと肩を揺らした小川が、諦めたように息をついた。
「……わかった。途中で……どこか寄るから。だから頼むからその顔で、それ以上、刺激的なことは言わないでくれ」
「はあい」
 大人しく両膝の上で手をそろえれば、小川が隣で大きな溜息をついた。



 ラブホテルの一室に入るなり、秋葉は小川を抱き締めた。
 後ろから抱きすくめ、指で顎を斜め後ろに上向かせる。首を差し伸べて唇を合わせた。
「ん……」
 上がりかけた抗議の声は唇の間で消える。
 二週間ぶりの愛しい人の唇。秋葉は小川の膝がかくりと折れるまで、夢中でその唇と舌を吸い、小川の口中を嘗め回した。
「……あ、きば……ちょっと待てって……」
 小川が身じろぎするのが許せなくて、今度は正面から抱きすくめる。
「会いたかった」
 至近距離で告げて、再び唇を合わせる。
 数ヶ月のつきあいで、小川の弱点は承知している。貪欲に舌を啜ったあと、差し入れた舌先で口蓋をちろちろと舐めると、
「あ、ふ……」
 たまりかねたような甘い吐息がこぼれた。
 一抹の不安と、ほとんどの確信を持って、秋葉は太股を小川の股間に擦り付けた。
「あ……! そこ、は……」
 慌てる小川はやはり、すでに股間を硬くしていた。
「……よかった」
 今度は手で小川の股間を撫でさすりながら、秋葉は喉に絡んだ声で囁いた。
「この姿ではあなたに受け入れていただけないかと心配していました」
 ぞくっと小川が背を震わせる。
「そ、んなわけ、ない、だろっ」
 乱れる息の間に小川が反論する。
「じゃあ、どうしてわたしの女装に反対ばかり?」
「…………」
「答えてくださらないなら……一回目はこのままイッていただくことになりますが?」
 言って秋葉は、スラックス越しに、すでに十分な堅さに育っている肉茎を根元から先端へ、ぎゅっとしごいた。
「はあ、う!」
 反射的に小川が秋葉の腕をつかんでくる。
「や、やめろ! そんなことしたら、着替えが……!」
「じゃあ教えてください。わたしの女装をなぜ嫌がるか」
「……ひ、人に見られたら……」
「公大君に見られるのをあなたが嫌がるのはわかります。……理由はそれだけ?」
「…………」
「パンツにシミをつけて帰りたい?」
 もう一度、男の弱点をこすりあげた。ひっと小川の喉が鳴る。
「待て! 言う、言うから! ……ド、ドキドキしすぎるんだよ! おまえの素顔でももういっぱいいっぱいなのに……化粧までされたら……! 綺麗すぎなんだよ、おまえ!」
「……嬉しいことを」
 本当に心から嬉しかった。
 だから秋葉は小川を抱き締めていた腕をほどくと、そのままその場に膝をついた。スカートを丸く広がらせて。
「秋葉……!?」
「……させて?」
 ベルトを外し、スラックスの前を広げ、ずり下ろした下着の中から、秋葉は小川の屹立を引っ張り出した。ためらいなく、口に含む。
「や……い、いいから、そんな……」
 慌てたような小川の声を聞きながら、赤く紅を引いた唇で、秋葉は小川のモノを深く深く、咥え込んだ。



 目元を赤く潤ませて吐精に息を乱している小川をあやすようにベッドへといざないながら、シャツを頭から引き抜き、スラックスも脚から抜くようにうながす。
 自分はジャケットを脱いだだけ、淡いシャンパンゴールドの色合いのロングドレスは着たままでベッドに上がった。
 気のせいか、いや、確かにいつもより小川は素直だ。秋葉の口中で達したはずのモノは、横たわった小川の上に着衣のままの「麗美」で屈み込んで微笑んだだけでヒクリと脈打ち、硬度を取り戻す。
「ずっと、あなたに会いたかった」
「ぼく、も」
「ほんとう?」
 唇に今度は触れるだけのキスをする。
「わたしに、会いたかった? それとも……コレがしたかった?」
 微笑を浮かべて尋ねながら、小川の胸の突起を柔らかく指でつまみ上げる。
「ひぁ…ッ」
「わたしは……あなたに会いたかったし、コレもしたかった……」
 囁いて、口を濃い桜色した乳首に寄せる。ゆっくりと唇の合間に挟み込めば、小川の口からまた甘い声が上がった。
「ねえ……あなたはどっち?」
 答えをねだって、唾液に濡れていないほうの尖りの先端を長い付け爪の先で軽く掻く。
「ア!」
 ぴくんと小川の背が反った。
「ね……どっち? 会いたかった? したかった? 本当のこと、教えて」
 かああっと小川の顔が赤くなるのが可愛い。
「りょ、両方……ぼくも、両方……!」
 ヤケのように叫ぶ小川に満足の吐息を漏らす。
「……嬉しい」
 スカートの中でパンティとストッキングをずり下げて、剥き出しになった、やはりもう臨戦態勢に育っているモノを小川の太股に擦り付けた。
「あ……」
「ねえ」
 顔に、極上の美女の笑顔。
 ぼーっと眼を奪われているような小川に、赤い唇で囁いた。
「今日は、ナマで……お願い」
 「麗美」のお願いに小川が弱いのはもう承知で、秋葉はいつもは断られる願いを口にした。





 俊樹には恋人がいる。
 女装癖さえなければ、それさえなければ、なかなかできた恋人が。



 しかし、その一点が大きいのだった。
 素顔でも人目を惹かずにはおかない美男である俊樹の恋人は、女装すると絶世の美女になる。
 男なら、誰でもそのワガママを聞いてやりたくなるような甘い微笑を持つ、美女に。
 ――それが問題なのだった。



 ワガママを聞いたツケで、何度かトイレに駆け込む羽目になりながら、俊樹はとんでもない相手を恋人にしたと、改めて噛み締めていた。





                                               




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