小さい頃の刷り込みってコワイ。
理屈じゃない、これはこうって覚えこまされて、大きくなっても消えないもの。
例えばそれは、オレにとっての『正義の味方』。二つ年上の姉のせいで、オレは物心ついてからずっと女の子向けのアニメばかり見せられていて、世の中に『ウルトラマンティガ』や『ギンガマン』なんてのがいると知ることが出来たのは、もう幼稚園も半ばを過ぎてからだった。時すでに遅し。もうその頃には幼いオレの中に『正義の味方』イコール『セーラー服の少女たち』の図式が刷り込まれ終わっていた。
刷り込みってコワイよ、ホント。
悪に打ち勝てるのは、セーラー服を着た美少女だけなんだ、オレの中では。そう。「月にかわってお仕置きよ!」…………。
たぶん、そのせいだと思う。
体育祭での応援合戦で、オレたちのクラスは男女が制服をとっかえっこして臨むことになったんだけど。セーラー服に着替えたとたん、オレはカラダの底からワケのわからない不思議な力がみなぎって来るような、変な感覚を覚えたんだ。なんでも出来そうっていうの? 不思議な全能感がオレの中にひたひたと満ちてきた。
もう中2になるって言うのに、オレ山下直弼は、いまだに身長が150ちょっとしかなくて身体も細っこい。チビの自覚があるもんだから、クラスでもいつもはおとなしくしてる。……んだけど。
「ふざけんな! マジメにやれよ!」
瞬間、それが自分の声だとはわからなかった。応援合戦の練習を、全然マジメにやろうとせずに互いのセーラー服姿を茶化しあってふざけているグループに向かって、オレは怒鳴りつけていたんだった。
「はあ? んだよ、それ」
振り返ったヤツらの表情に、ふつーならオレは「ほ、ほら、委員長も困ってるし……」とか、ごまかし笑いしながら気弱く言うぐらいしかできないんだけど……。
「今は応援合戦の練習中だ。ふざけるな。ちゃんとマジメにやれ!」
びしっ!
オレはクラスでも暴れん坊系のヤツらが固まってるそのグループをにらみつけて言っていた。
自分でも自分が止まらないカンジ?
不思議に怖いとか、思わなかった。
今はマジメに練習するべきときで、それをしようとしないヤツらに注意するのは正義だった。そう、正義。セーラー服を着たオレは、正義の味方なんだから。
「ちぇー、いい子ぶりやがってよー」
そいつらは不平そうに言いながら、ゆらゆらとオレを取り巻こうとした。やるか。なんか負ける気がしなくてコブシを固めたら、後ろからすっと両肩を抱かれた。
「別にコイツはいい子ぶってるわけじゃないと思う」
おお。正義の味方のピンチにはちゃんと救い主が現れるんだぜ! オレはタキシードかめ……じゃない、オレの後ろにいる渡邊一哉を振り返った。一哉は幼稚園から一緒の幼馴染みなんだけど、どうにもふだんはノリが合わないヤツで、友達同士のはずなんだけどイマイチ仲がいい気がしないつーかなんつーか……。
なんだけど。
「早く練習しなきゃ、結局、放課後居残ったり休み時間がつぶれたりするわけだろう。山下は当然のことを言ってるだけだと思う」
一哉……。オレはちょっとじーんと来て、かばってくれる一哉を見上げた。コイツはまたバスケ部なんかに入ってて、順調に成長期にも突入して上背がある。その上、男子のほとんどが女子のセーラー服を借りて女装してる中、コイツだけはサイズの合うのがなかったせいで学生姿のままなもんだから、余計に普段よりも大きく見えるような気がする。
ツッパリな面々もちょっと鼻白んだみたいに互いに顔を見合わせている。
「放課後ぉ? タリくねえ?」
「しゃあねえ、ちゃっちゃとすますぞー」
そいつらはしぶしぶ、でもちゃんと練習へと戻っていく。
とりあえず正義はなされたぜ! 嬉しくなってオレは一哉に礼を言った。
「助かったぜ、ありがとな!」
「…………」
オレはにっこり笑ってきちんと礼を言ったのに。一哉の両手はオレの肩に吸い付いたまま、離れなくて……いや。手だけじゃなくて、なんだ? もしかして、じっと見つめられてる、オレ?
「……かわいいな」
はあ?
今、一哉かわいいと言ったか?
長い付き合いの中で、ついぞ一哉の口からオレに対する形容としては聞いたことのないセリフが飛び出してきてオレは呆然としてしまう。
「ナオ。かわいい」
一哉のきれいに整った顔が近づいてきて……。
はっとしたオレは慌てて一哉を突き飛ばしていた。
「れ、練習、ほら!」
な……。心臓がバクバク言っている。
も、もしかして! まさか!? 一哉……キス、しようとした……?
まさか真昼の、みんなもいる教室で、いきなりキスはないよなあ。
そう思うんだけど。
とにかく不穏な顔の寄せられ方だったのは間違いない。その後も一哉はべったりオレにくっついてきて……どういうつもりなんだろうって、オレは何度もドキドキさせられて……。
その日、校門のところで一哉と一緒になったオレは、もうどうしようかって思った。家が近所だから帰り道はどうしたって一緒になる。まさかまたキスとかされそうになったり……とか、手とかつながれそうになったり……とか、するんだろうか? ひー。でももしホントにそんなことになったら、一哉を傷つけることになるのは本意じゃないけど、絶対、きっぱりはっきり、『オレはそういうの、ダメだから』って断ろう、オレはそう心を決めた。
――なんだけど。
肩を並べて歩き出しても、一哉は全然オレのほうを見もしなければ、肩を寄せても来なかった。
……いや、別に期待はしてないんだけどもさ、うん。
一哉はふだんと全然変わらなかった。昼間、クラスでオレにキスしようとしたことなんか忘れてるみたいに。
「一部のコアなファンに迎合するために、萌えキャラにキャリアを持たせたことがあのゲームの敗因だったんだ。キャラとしてはクラリス系の健気で清楚なメガネ属性を持つヒロインとして……」
も。なんつーか。ホントにいつもの一哉通りで。
ギャルゲーおたくの一哉は、オレが相槌を打とうと打つまいと、オレが理解していようといまいと関係なく、ただただ延々と己の好きなゲームとキャラについて語り続けるという習癖を持っていた。「いや、そんなのオレ、興味ねーし」とさえぎっても、数秒、口をつぐみはするものの、すぐさま、なにもなかったかのように、「あのゲームの裏攻略は……」などと語り始める。
オレが一哉を親しい友人と呼べるのかどうか疑問なのは、一哉ときちんと意思疎通が図れている気がしないせいだった。
言い方キツイかもしれないけど、こうして一緒に帰宅していても、一哉はちゃんと「オレ」と一緒だって認識してるかなーって。疑問だったりする。
……でもさ、今日さ、かわいいって顔を寄せてきたときの一哉はさ……ちゃんと「オレ」を見ててくれたような気がするんだけど……。
「じゃあな」
手を振って別れたあとも、オレはなんかすっきりしなかった。
なのに!
次の日、また応援合戦の練習があったときだ。
一哉はセーラー服姿のオレに、また「ナオ、ナオ」ってまつわりついてきて。ついに、ほかのグループの演技を見てる時に、オレは一哉につかまってしまった。床にペッタリ座った一哉の両脚の中に座らされ、後ろから腕を回されて……。
「きゃー山下君と渡邊君、アヤシー!」
女子の叫びが耳に痛い。
「彼氏彼女みたーい、いいカンジじゃーん」
冷やかす声がイタイ。
放せよ! どけよ!ってオレは暴れるんだけど。一哉は長い手足をフルに利用してオレに絡み付いている。
「ナオ、ナオ、かわいい」
首筋に顔を埋められるようにして囁かれる。
ぞくぅっ!
全身に鳥肌が立った。
「うるっせ! 放せっ!」
オレは大暴れに暴れるとついにあいつの手足を振り切った。スカートをひるがえし、そのまま教室を飛び出す。
なんなんだよ、もう!
そして、その日はそれだけではすまなかった。
アイツは放課後、オレを下駄箱のところで待っていた。
「ぼくの家に遊びに来ないか」
妙に真剣な顔が怖くて、一度は断ろうとしたんだけど。
一哉がオレの話を聞かないのは、もうお約束。
ずるずると腕を引っ張られながら、オレは一哉の家に連れ込まれた。
二階にある一哉の部屋は、壁面にびっしりゲームソフトやらDVDが積み上げられ、机の上にはずらりとフィギアの並ぶ、完璧なオタク部屋だった。一哉の部屋にあがるなんて小学校以来だけど、なんかずいぶんと「オタク度」が進化してる感じだ。
オレが部屋の中を眺めまわしていると、
「ナオ、ちょっと笑ってみてくれないか」
一哉が妙な注文をつけてくる。
「あ?」
「笑ってみてくれ」
真顔で言われるもんだから、なんか言うこと聞かないといけない気がして、オレはにっと口元を持ち上げて見せた。
「うーん」
一哉は難しい顔で腕を組むと、
「じゃあ今度はちょっとこう、小首をかしげてくれないか」
また変なリクエストを出してくる。
「はあ? なんだよ、いったい……」
「いいから!」
強く言われて、しょうがなく小首をかしげてみせる。
「笑って」
やっぱりしょうがなく、小首をかしげたまま、にぃっと唇を持ち上げてみる。
「うーん」
あいつはまた唸り、
「どうもちがうなあ」
と呟く。
「……なにがちがうんだよ! なにがやりたいんだ、おまえは! ちゃんと説明しろよ!」
オレは怒鳴ったけれど、これまたいつもの通り。あいつはあっさりオレの言葉をスルーする。
そして、
「じゃあ、今度はこれに着替えてみてくれないか」
用意してあったらしい紙袋をオレに向かって差し出してきた。
なんだ? 中をのぞきこめば……、
「姉のものだ。大丈夫、ちゃんとクリーニングはすんでいる」
……セーラー服だった。
「あのな、一哉……」
「いいから。着替えてみてくれ。ぼくは後ろを向いてるから」
……いまさら服の着替えぐらい恥ずかしいわけないだろうが。
そう思ったけれど、律儀にオレに背を向ける一哉の後ろで、オレはもそもそとそのセーラー服に袖を通した。
「なあ、これ……」
「靴下は新品だ。遠慮せずはいてくれ」
「いや、遠慮は……」
してないけど、と口の中でもごもご言いながら、オレはぷらんと黒のハイソックスをぶら下げた。
「アンダーニーだ。ちゃんと押さえてある」
「……はあ」
あいつのセリフは難解だった。
でも、とにかく、これも履けばいいんだな。
オレはあきらめのタメ息をつきながら、夏服のセーラーを着、赤いリボンを結び、黒のハイソックスをはいた。
「これでいいのかー?」
投げやりに聞いたんだけど、振り返ったあいつの目はぱっと輝いた。
「…………」
無言で歩み寄られて両肘をつかまれる。
「……やっぱりだ。ナオ、かわいい」
感極まったように言われて、また、ぐっとあいつの顔が近づいてきて……。
キスされる!
思わずぎゅっと目を閉じて、躯を固くした瞬間だった。
「ど、どろぼうっ……!」
窓の外から必死な叫びが聞こえてきた。
「ど、どろぼう、どろぼう!! だ、誰かあっ!」
慌てて窓に駆け寄ったら、ちょうど家の前の道路で、おばさんが倒れ、そのおばさんからバックかなにかをひったくろうと、自転車に乗った男がぐいぐいとショルダーの部分を引っ張っているのが見えた。
「野郎っ!」
オレは反射的に窓を開けると、
「待てえっ!」
制止の声を上げながら、ひらりと窓枠を飛び越えた。
一階のひさしの部分でいったんショックをやわらげて、そのまま芝生の庭へと飛び降りる。ヒラリ。ひるがえる紺のプリーツスカートは正義の味方のお約束。
門を開けるのももどかしく、オレは歩道へと飛び出す。
「この悪党っ!」
「うわっ、なんだコイツ!」
アタマがプリンになってる茶髪男はオレが飛び出して行くと、驚いた顔でいきなり自転車で逃げ出した。
「待てえっ! コラアッ!」
叫んだけど。
いくらダッシュをかましても、相手が自転車じゃぐいぐい距離が離されてしまう。
そこへ、
「ナオ!」
ジャッ!
風を切ってオレの脇を擦り抜けて行く、タキシー……じゃない、一哉の影。
一哉はスケートボードに乗ってひったくり犯の自転車を追いかけていく。
アイツだけにまかせておけるか!
オレは猛然とダッシュをかけた。
一哉とオレのダブルアタックに、ひったくり(未遂。でも、後でわかったけど常習)犯は、あっさりと捕まった。
「ありがとう、ありがとう!」
ショルダーをひったくられそうになったおばさんには、すごいお礼を言われて。
駆けつけた警官にも褒められて。
だけど、オレは、
「これぐらいなんでもありません。オレたち、正義の味方ですから」
胸を張って答えたんだった。
「一哉、ありがとうな」
一哉の部屋に戻って、オレは改めて一哉に礼を言った。そう。正義の味方は礼儀もきちんとしてるんだ。
だけど、一哉は。
「こんなことぐらい、なんでもない」
ってそう言って。
オレのほっぺたに手を添えてきて。
「これぐらい、おまえのためならいつでもしてやる。ぼくにできることなら、なんでも」
なんて言ってきて。
唇に、唇を……………………!
「な、な、な、なにすんだあっ! ファーストキスだぞッ! 返せえっ! ばかやろおおおおおっ!!」
オレは雄叫びを上げた。
オレに突き飛ばされた一哉はでも、全然、悪びれたふうもなくて。
「奇遇だな、ぼくも初めてだ」
なんて! アホかっ!
もうなんて抗議したらいいかわからなくて、あわあわ言ってるオレに一哉は生真面目な顔を向けてきた。
「ナオにははっきり言っておく」
って。
「な、なんだよっ」
精一杯エラそうに胸を張って問い返せば、
「ぼくはセーラー服姿のナオが好きだ。ナオがセーラー服を着てるとドキドキする」
とんでもないことをしごくマジメな顔で言いやがった。
「ナオがセーラー服を着ている限り、ぼくはナオの家来でいいよ」
……もう、こいつがなにを言ってるのか、オレにはわからない……そんな気分でオレは脱力してしまった。
それでも、あいつだけが嬉しそうに、
「こういうの、萌え〜って言うんだよ」
なんて。
オタクレクチャーはいりませんからぁ……。
そうして。
オレのセーラー服姿に、あいつが萌え続けた数年後。
「…………あれ?」
あいつが妙な顔で首をひねるようになり。
「最近、おまえのセーラー服姿より、見たいものができたんだけど……」
なんぞと言い出して。
そうかそうか、ようやくこのヘンタイ趣味も終わりかと、オレはにこにこして、
「へえ。よかったじゃないか! 今度はなにに萌えたんだ?」
と尋ね返して。
「萌えかどうかはわかんなんだけど……」
言葉を濁すあいつをせっついて、いったいなにが見たいんだよと問い詰めて。
「おまえの裸」
そう答えられて絶句した。
オレたち、青春真っ盛り。
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