純情ヤクザは悪辣弁護士の腕の中
  〜その後のレッスン〜

 




 

 桜庭裕(さくらばゆたか)にはすべてが信じられなかった。
人は本当に、こんないやらしいことを日々やりながら過ごしているのだろうか。――あの人も? あの人も?
 晴れて高木と恋人となってから、事務所で兄貴たちを見ても、コンビニで店員にレジを打ってもらっていても、バス停で並んでいる人を見ても、裕は探るような目を向けずにいられなくなった。みんな澄まして…あるいはちょっと疲れたような顔で、あるいは仏頂面で、社会生活を送っているけれど。
 好きな人に望まれたら、コンビニのおにいちゃんもニヤニヤ笑うその人の前で、自分でジーンズのジッパーを下ろして見せたりするのだろうか。好きな人と抱き合ったら、バス停で待っているおねえちゃんもいやらしい声をいっぱい上げて、大股広げたりするのだろうか。
 つい先月、裕は組の顧問弁護士を務める高木巌(たかぎいわお)と恋仲になった。
 これまで恋愛経験のなかった裕には、なんとなく、恋愛とは好きだと告げ、一回抱き合って愛を確かめたら「はい上がり」なイメージがあった。「それからお姫様と王子様は幸せにくらしましたとさ。めでたしめでたし」だ。
 しかし、現実はそうではない。そうではないことを、裕は初めて実感した。「めでたしめでたし」のあと、王子様はお姫様にどんどんどんどん、いやらしいことを覚えさせていくのだ。そしてキスさえ恥じらい、震えて抱き合っていたお姫様も、どんどんどんどん気持ちいいことを覚えて、あられもない姿で乱れるようになるのだ。つまり、恋愛というのは、人が人とつきあうというのは、そういうことなのだ。
「嘘だろ……?」
 裕は首を横に振りながら高木に問う。
「そんなこと、ふつーしねーだろ?」
 裕が聞くのは、たとえば恋人同士が頭と足の位置を互い違いにして互いの性器を口に含み合うことだったり、たとえば、望まれるほうが大きく脚を広げ、さらに膝裏を自分の手で支えてアルファベットのMの字になり、秘所をさらして舐めてもらう、などということだ。
「嘘じゃない」
 高木はあるいは笑いながら、あるいは真顔で、どちらにしてもきっぱりと否定する。
「みんなやっている」
 本当に?
「周りの人間に聞いてみろ」
 そう言われても、オクテで色事が苦手な裕が、そんなことを聞けるわけがない。かくして裕は、『みんな、本当にそんないやらしいことをしているんだろうか?』と周囲をうかがうようになったのだ。
 高木の要求はどれも裕にはハードルが高い。
 ふたりきりになれた時には、腰や首に手を回し、下半身をすりつけるようにしながら、どんなに会いたかったか、さらにはどれほどキスや抱擁やもっとエッチなことをしたくてたまらなかったかを甘くささやけと高木は言う。
 ただ「好きだ」と告げるだけでさえ、裕は真っ赤になって身悶えなければならないというのに。
「ホントにみんな、そんなスケベなことしてんのかな」
 裕はひとり、首をひねる。
 顧問弁護士である高木は一週間に一度は事務所に顔を出す。そんな時の高木は、仕立てのいいスーツをぴしりと着こなし、プレスのきいたシャツに品のいいネクタイを締め、一分のスキもないいでたちで現れる。事務所を突っ切って専務室へと通るその顔は知的で落ち着いていて、裕を指だけでさんざん焦らした揚げ句、
「欲しがってみろ」
 と、いやらしい笑みで命じた男とはとても思えない。
スーツを脱ぎ、ネクタイの拘束を外した男は、それだけで猛々しい雄のオーラを放ちだす。そして同時に、艶やかな男の色気をこぼす。危険で、なにを仕掛けだすかわからなくて……。
 その高木の、紳士然とした時と、裕に挑んでくる時の落差を思うと、道行く人が夜、どれほど淫らなマネをしていても、不思議ではないような気がしてくる。
 人はみんな、淫らでいやらしい獣の顔を持っているのかもしれない。そう思えるようになった時、裕はほんの少しだけ大人の世界がわかったような気がしたのだったが……。
 


 裕には日曜日も祝日もない。ミネルバ商事の休みはあるが、「ヤクザ」に休みはないからだ。外泊ができるのは、兄貴分である安井が彼女を連れ込む日に限られている。
 裕にはそれになんの不満もなかった。ヤクザというのは生きざまで、職業ではないからだ。組や兄貴に何かあった時に「本日の業務は終了いたしました」はありえない。いつでも、どこでも、飛び出していけるのがヤクザの心意気だとさえ、裕は思っている。
 だが、高木はそうではなかった。裕が高木の家に泊まらずに帰ろうとするといつも不機嫌になったが、ある日ついに、「労働基準法に反する」とまで言い出した。
「法律とか関係ねーんだよ」
 裕は言った。
「兄貴あっての俺なんだから、兄貴によそに行ってろって言われなきゃ、近くにいなきゃいけねんだよ」
 と。高木はひどく不満そうな顔をしていたが、その次の日。裕は田原に呼び出された。
「先生がな。週末にご自宅で資料整理をされるのに、助手が欲しいとおっしゃるんだ。おまえ、これからは毎週末、手伝いに行け。安井には俺から言っておく」
 聞いてすぐ、「嘘だ」と思った。仕事とプライベートを分けたいと、高木は書類一枚、自宅には持ち込まない。だが、どれほど嘘だと思っても、組の若頭である田原に命じられたら、裕には「はい」しかない。
「先生さ……そういうの、職権乱用って言うんじゃないの?」
 今夜は泊まっていけるなと嬉しそうな高木に、裕は溜息まじりに言わずにはいられなかった。
「なにを言う」
 くつろいだ部屋着姿の高木は、器用に片眉を跳ね上げた。
「男がなぜ、偉くなろうとすると思う。上の役職につこうとあくせくすると思う。乱用できる権利が増えるからに決まっているだろう」
 堂々と言いのけられる。
「……あんたがカタギっての、嘘だと思う」
 高木に言わせれば、せっかく恋仲になった相手がいるのに、我慢するほうが変だという。
「おまえもな。不平を言う以外にしたいことはないのか。さっさとシャワーを浴びてこい」
 傲慢な男が傲慢に命じる。ここで下手に抵抗すると、あとで余計に「意地悪」されるのがわかっているから、裕は黙ってバスルームに引っ込んだ。いかにも「準備」という感じの入浴はそれだけで気恥ずかしい。なるべく頭をからっぽにして、手早く躯を洗った。
 もう何度か袖を通している純白のバスローブをまとい、寝室に行くと、高木はヘッドボードに背を預け、経済雑誌を読んでいた。裕の姿を認めて、ベッドサイドのテーブルに雑誌を置く。両手を広げ、「ここにおいで」と裕を呼ぶ。
 とまどいながらベッドに上がると、高木はぽんぽんと自分の太腿を叩いた。ここに座れということらしい。
 裕のほうが目線が高くなる、珍しい体勢でキスを交わす。
 ちゅくちゅくと舌を吸われ、ねっとりと唇を舐めまわされ、いつも通り、濃厚なキスに早くも息が荒くなるのを覚えるうちに、高木の大きな手がバスローブの合わせから肌へと滑ってきた。
「あ……あ、んっ……」
 やわやわと小さな乳首を弄られる。力を込めない接触がもどかしく、かえって感覚が鋭敏にされるようだった。触れては離れ、優しく羽毛のようにくすぐられる。
「せ、んせ……」
 どうせなら、きゅっとつまんでほしい。いつものように、甘く歯を立てても欲しい――。なのに、高木の手がだらりと落ちた。
「え……」
「今夜はおまえのいいようにしろ」
 高木が笑う。
「おまえの手で、俺の手を好きなところに持っていけ」
 そんな。そんないやらしい……。
 だが、高木は本気のようだった。その手は裕の躯の両脇に落ち、動く気配がない。
「高木、さん……なんで……」
「おまえは自分からは泊りたがならい。おまえが泊まりやすいようにと口をきけば、職権乱用と言われる。……無理強いするのは申し訳ないからな。今夜はおまえの望む分だけのことしかしないと決めた」
 今までとはケタ違いの意地悪だった。動かぬ手を裕は見つめる。その指に弄られるとどれほど気持ちいいか、その指に抉られるとどれほど熱くなるか、裕はもう知っている。
「どうする? ソファで寝るか?」
 にやにやと笑っているような声が言う。――くそう!
 裕はぎゅっと目をつぶった。思い切って、本当に思い切って高木の手を取ると、一気に自分の胸へと持っていった。バスローブの中に突っ込む。
「……どうするんだ」
 顔も躯も熱い。そこから先がわからなくて固まっていると、高木に尋ねられた。
「……さ、……さわって……」
 蚊の鳴くような声で答えると、ようやく指先が肌の上をうごめきだす。
「もっと……右……ちがう、左……ちがう、上……」
 乳首、と口にできないでいると、高木が噴き出した。
「スイカ割りじゃないんだぞ?」
「…………」
 無言で高木をにらむ。たぶん、涙目になっている。
「……しょうがないな。その目に免じてやる」
 そう言った男の指が焦れていた肉芽を摘み、裕は高い声を放った。――全身に急激に広がる、甘く切なく、狂おしい痺れ。その感覚に押されるように、裕は自分から高木の首に腕を回すと唇を重ねていた。
 これでいつも通り……ほっとしたが、しかし、甘かった。
「……あ、ん、ん……あ……」
 裕の躯が十分に熱くなっているのに、高木の手は胸から下へと動かないのだ。問うように高木を見れば、にやりと笑う。
「今夜はおまえの好きなようにしろと言ったろう」
「ッ」
 もうこんなに高ぶっているのに? 意地の悪い男に腹が立つ。裕はなかばヤケで高木の手を下腹部へと引っ張った。
「さわって! 握ってこすれよ! 馬鹿野郎!」
「もう少し色っぽくねだってほしいな」
 男はぬけぬけと言って、それでもそんな憎らしい男の手に肉茎を握られて、裕の中の熱が一気に高まる。
「あん、あん、ああ……ッ! んんッ……く、ぅ……」
 すぐににちゃにちゃといやらしい水音が響いてきたが、それさえ気にならない。裕は男の肩にすがり、立て続けによがり声を上げてしまう。と、その耳元に、
「前だけでいいのか?」
 悪魔が妖しくささやいた。「ほら」
 視界の端に、堂々と屹立する男の雄根が入る。今まで、この体勢で男のモノを受け入れたことはないけれど……。
 裕は男の肩に両手を置いたまま、震える膝で立った。腰を少し、前へとずらす。
「遠慮するな。……おまえのモノだ」
 囁きに誘われる。先端を秘孔に押し付けるとその熱さに震えが走った。――もう……!
 一気に腰を落とした裕はまたひとつ、大人の階段を上っていた。





                                               




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