僕がB棟に配属されて一ヶ月ばかりが過ぎた頃のこと。深夜になって、突然僕は、高槻に『精錬の間』に呼び出された。
こんな時間に何の用だ――僕は訝しみながらも『精錬の間』に向かった。
「よお、来たか」
ドアを開けた僕を出迎えたのは、やけに上機嫌そうな高槻と、そしてもう一人、まだ高校生と思しき少女が、後ろ手に拘束されて、虚ろな目で床の上にうずくまっていた。ひどく殴られでもしたのか、少女の頬にはくっきりと大きく青あざができて、切れた唇の端から血が流れている。
「どういうことだ、これは」
僕は少女を見遣って尋ねた。
「サルベージ屋だよ――」
軽い調子で高槻が答えて言う。
「サルベージ屋?」
聞き慣れない言葉に、僕は眉を顰めた。
「知らないのか? 入信した家族だの友人だのを連れ戻すために、信者を装って潜りこんでくる連中のことだ。こいつも生き別れの姉を連れ戻すために、たった一人で潜りこんできたらしい。全くけなげなこった――」
「――それで?」
そういうこともあるだろう――と思いながら、僕は先を促した。高槻はにやにや笑いながら続けた。
「間抜けな話さ――この教団施設には、強制されて連れてこられた奴なんて、一人もいやしない。どいつもこいつも自分から望んでここに来たんだ。『不可視の力』に釣られてな。ちょっと考えればすぐ解りそうなもんだろうに、自分で好きこのんでここにいる奴を、そいつの意志に反して、どうやって連れ出そうっていうんだ?
それに――なあ、おい。こいつのことを、誰が通報したと思う? 他でもない、連れ戻そうっていう当の本人の姉だぜ! これ以上笑える話が他にあるか?」
そう言って高槻は、本当に声を上げてげらげら笑った。すると、少女は初めて俯けていた顔を上げ、無言のまま火のような憎しみのこもった目で僕と高槻を睨みつけた。
僕は思わずたじろいで視線を逸らした。単に後ろめたさのせいだけではなく、少女の、まだあどけなさを残す顔立ち――気丈にこちらを睨みつけてくるその表情が、どことはなしに、もう二度と会うことのないであろう僕の妹――晴香を思い出させたからだった。
「で、どうするんだ」
できる限り動揺を押し隠した口調で、僕は言った。
「純粋な信者じゃないっていうのなら、ここから放り出せばいいだけの話じゃないのか」
「そうはいかん」
高槻はわざとらしく渋面を浮かべてみせた。
「どんな不純な動機であれ、信仰の誓いを立ててこの施設に来た以上、こいつにはここの戒律に従ってもらわなければならん。肉親との面談、脱走の勧誘と未遂、教義への疑義――どれも重大な違反行為だ。それなりの処分を受けてもらうことになる」
そこで一旦言葉を切ると、高槻は嗜虐的な笑みを広げながら少女を見下ろした。
「――この場で処刑するか、さもなきゃClass−Zの穴ぐらで、死ぬまで肉便器をやってもらうのが妥当なところだろうな」
「この人でなし!」
炸裂したように少女が叫んだ。
「あんたたちのせいでおねえちゃんは――」
高槻はにやにや笑いを頬に貼りつかせたまま少女に近づくと、いきなり力まかせに鳩尾を蹴りつけた。
「ぐぶっ!」
にぶい呻き声をあげて、少女が、くの字に躯を曲げて床に倒れ込む。
「やめろ!」
僕は思わず叫んだ。
「ほう――お前、こいつに同情でもしているのか? それともこいつにひと目惚れでもしたか」
振り返って、面白そうに、高槻が僕の顔を覗き込む。僕は高槻を睨み返した。
「子供相手にそこまでしなくていいだろうと言ってるんだ」
「だったらどうしろと言うんだ、ああ?」
高槻は唇の端を歪めた。
「 お前の言うように、こいつを放り出したとして、外の世界でこいつがFARGOに関してあることないことふれまわったら、どうなると思う。お前にその責任を取れるのか?」
「そうじゃなくて――しばらく懲罰房に入れるとか、クラス落ちさせるとか、いくらでもやりようはあるだろう」
言葉に詰まりながら、ともかくも僕は反論した。すると、高槻は呆れたような表情で大仰に肩を竦めた。
「クラス落ちって――よく見ろよ。こいつはClass−Cだぜ? その下っていえばClass−Zしかないだろうが。第一、懲罰房に入れた程度で背信者を放免していたら、他の信者に示しがつくと思うか? こいつがFARGOの教えの信奉者じゃないってことは、とっくに知れわたってるんだぜ?」
「それは――でも――今からでも――」
本当の信者になれば――と言いかけて、僕は言葉を飲み込んだ。この少女が、自分から肉親を奪ったFARGOの教えを信奉するなど、未来永劫ありえないだろう。また仮にそうなったとしても、一度戒律に背いた者が安易に赦されるほど、ここが甘い場所ではないことは、僕自身、骨身にしみて知っていた。
「――だが、こいつを救う方法が一つだけないこともない」
どうにか彼女を助けることができないか、その方法を捜してしかし何も思いつくことができず、唇を噛んで俯く僕を、高槻はしばらく眺めていた後、おもむろに口を開いて言った。
「本当か!?」
僕は思わず勢い込んで顔を上げた。その僕に向かって、高槻は言い放った。
「お前、こいつを『精錬』しろ――」
「何――だって?」
一瞬、何を言われたか解らなかった。唖然とする僕に、妙に真摯な表情で、高槻が淡々と言葉を続ける。
「こいつを犯せと言っているんだ。たとえこいつが背教者でも、お前のねんごろということになれば話はまた別だ。俺もそこまで鬼じゃないし、便宜を図ってやらないこともない。個人的に性欲処理用のペットを飼う程度のことなら、上層部も黙認しているからな。まあいわば、研究員の役得というやつだ――
だが、そのためにはこいつがお前の『所有物』だということを俺に証明してもらわなければならん。それが、こいつが助かる唯一の方法だ。だから今、この場でこいつを犯してみせろ。上の口も下の口も、それに後ろの穴にも、たっぷりとお前の精液を注ぎ込んでやれ」
「そんな…」
――『精錬』――今この場で――性欲処理用のペット――上の口も下の口も――
僕は呆然としたまま、高槻の言葉を頭の中で反芻した。
「どうした? こいつを助けるんじゃなかったのか? それとも、見られていると勃たないクチか?」
嘲弄するように高槻が言う。何も答えることができず、僕はただ視線を宙に彷徨わせ、そして床に倒れ伏す少女の姿を、見るともなしに見遣った。少女の短いスカートがしどけなく乱れ、剥き出しになった両脚が折り重なって投げ出されている。
ああそうだ――半ば麻痺した思考の中で、少女の肢体を眺めながら、ぼんやりと僕は思った。
とりあえず今だけ――そう、たった一度、彼女を犯しさえすれば――それにClass−Cだというなら、どうせ彼女は既に――そんなことを僕は思い――
「!!!」
少女は、顔を上げて真っ直ぐに僕のことを見ていた。こちらを睨みつけてくる、どこか晴香に似たその顔には、僕に対する恐怖と嫌悪だけが浮かべられていた。
「そんなこと――できるわけがないだろうがぁぁぁっ!!」
胸に湧き上がったどす黒い悔恨ごと吐き捨てるように、僕は思い切り叫んでいた。
「そうか」
溜息をついて高槻が言い、次の瞬間、耳を聾するような轟音が『精錬の間』に響きわたった。少女の躯が床の上で横たわったまま、一瞬ぴんと硬直し、爆ぜた頭から血と脳漿が撒き散らされる。そしてぐたりと全身から力が抜け、少女はそのまま二度と動かなくなった。傍らに立つ高槻の手には、硝煙の立ち昇るリボルバーが握られていた。
「――なんてことをするんだっ!!!」
僕は自分の口が耳まで裂けたように思った。高槻は煩そうにこちらを振り返った。
「言っただろう。処刑か、さもなきゃClass−Zだって。どっちにするかは、俺達の裁量に任されている。…まあ、地の底で死ぬまで肉便器をやるよりはまだましだろう。あそこは文字通りの地獄だからな」
「だからって…っ!」
「おい、勘違いをするなよ――」
激昂して詰め寄る僕を、高槻は冷たい目で見据えた。
「こいつがこんなことになったのは俺のせいじゃない。お前のせいなんだからな」
「何だと!?」
僕は自分の顔色が変わるのを感じた。
「お前が俺の言う通り、こいつを犯しさえしていれば、こいつは死なずに済んだんだ。それどころか、お前のペットになれば、研究員の特権のおこぼれに預かることだってできた。なのにお前はおかしな格好をつけてそうしなかった」
「僕はっ――!」
「確かに引鉄をひいたのは俺かもしれん。だが、そうさせたのはお前だ。こいつの命と、自分のちっぽけな道徳観念を天秤にかけて、結果、お前は道徳を選んだ。解るか? お前がこいつに処刑の宣告を下したんだ。そのお前に、俺を非難する資格があるのか?」
「僕は…」
「結局、お前はこいつを助けたかったんじゃない。自分自身を守りたかっただけだ――」
返す言葉もなく俯く僕に、最後にそう言い捨てると、高槻は踵を返して『精錬の間』を出て行った。
僕はしばらくその場に立ち尽くした後、やがて声を上げて泣き始めた。
どうして高槻が、あの少女の審判の場に僕を連れ出したのか、結局僕にはよく解らなかった。ただ単に違反者を処分するだけなら、高槻の独断でやってしまえばいいだけの話だからだ。なのに何故、わざわざ僕を『精錬の間』に呼び出し、彼女を犯すか、見殺しにするか、その選択を迫ったのか――
まさか、違反者の処罰にかこつけて、僕に女を宛がってくれようとしたわけでもないだろう。高槻は酔狂な人間ではあるが、少なくともそうした下世話なかたちで他人に貸しを作るのを好むような野卑なタイプではない。いっそ、純粋に僕を嘲弄するためだっだと考えたほうが、よほど合点がいった。
あるいは、あの夜、審判を受けたのはあの少女ではなく、僕なのかもしれなかった。だとすれば、僕は高槻の審判に合格したのか、落第したのか――
結果がどちらであるにせよ、それが僕にとって歓迎すべき類いのものではないことだけは確かだった。