「野良犬とポリバケツ」

Text by ヒンクレヰ

「アッ、またお前かッ、この意地汚い野良犬奴ッ! トットと失せなッ! お前に呉れてやるものなんか、髪の毛一本だってアリャアしないよッ!」

今日になって何度目か、門の辺りから聞こえてくる憎々しげな声に、咲夜は包丁を使う手を止めて、めずらしく氷細工のかんばせを顰めます。

ナンテ下品な怒鳴り声!――

紅魔館をとり仕切る女中頭といたしましては、アンナ品の無い声がお嬢様の耳に入ったらと思うと、実に気が気ではありません。

ソモソモ高貴な御方の住まうコノ館は、下じもの下世話な喧騒から隔てられて、常に厳粛静謐な空気に包まれていなければならないのです。それをアンナ場末の小便臭い路地裏こそよほどお似合いな声を、莫連女よろしく張り上げられては、タマッタものではありません。

やはりここはひとつ、キチンと意見をしておかないと――意を固めて咲夜は前掛けを外し、勝手口から外に出ました。裏庭を通って表に回り、急ぎ足に門に向かいます。

「エエイ、トットと行けって言うのに!」

門の手前まで来てみると、男好きのしそうな悩ましげな体つきに、支那服をあでやかに纏った娘が、何やら門の外に向かって、声を荒げておりました。門番兼庭師の、紅美鈴でございます。

「コレは一体何の騒ぎなの?」

背後から冷たく訊ねる咲夜に、美鈴、ぱっちりと大きな眼にハッと狼狽のいろをうかべて、

「アッ、咲夜様、お騒がせして申し訳ございません!」

「ソレで一体どうしたの?」

「ソレが…」

美鈴、朱唇を口ごもらせて、視線を門の外に送ります。つられて咲夜がそちらを見ると、門から数歩、離れた辺りに、十六、七かと思われる、頭にリボンを蝶々に結んだ娘が、もの欲しそうな様子でウロウロと、こちらを窺っております。

アア…ヤッパリこいつか――あらかた見当のついていたこととはいえ、咲夜、思わず面持ちをげんなりとさせました。

それを気にとめる素振りもみせず、娘は鼻をヒクヒクさせて、咲夜の服に纏わりついた、血腥い肉の匂いを嗅ぎ取ると、パッと表情を明るくして、

「ネエ、チョットだけ食べてもいい? 食べてもいい?」

と、尻尾を振らんばかりの勢いで訊ねてきます。

「駄目です」

永久凍土を吹き抜けるブリザードもかくやの、氷点下の声で言い捨てて、咲夜は女中服のふところから、銀のナイフを十四、五本、ざらりと取り出し娘に向かって構えます。

「………そーなのかー」

しばらくじいっと咲夜の顔をいやしげなうわ目遣いに見つめたあと、娘はしょんぼりと肩を落として、トボトボ去ってゆきました。

「諦めましたかね?」

娘の背中を見送りながら、美鈴が咲夜に訊ねます。

咲夜はナイフをふところに仕舞い込みながら冷淡な声音で、

「貴女、学習能力が無いの? 三十分と経たずにまた来るわよ」

「………ですよね」

はあ、と、ため息混じりに、美鈴。

先ほどの娘、名をルーミアといいまして、実は人間の肉が何より大好物の、正真正銘、歴とした妖怪でございます。

吸血鬼条約に遵って、紅魔館に食材の人間が届けられ、それを咲夜が肉切り包丁を手に孤軍奮闘、血抜きに腑分けと、前掛けを血塗れにして捌いておりますと、匂いを嗅ぎ付けでもするのでしょうか、どこからともなく現れて、館の周りをうろついては、「食べてもいい?」とやらかすのです。

これが一度や二度のことならまだ我慢もできようものですが、食材をスッカリ捌き終えて冷蔵庫に仕舞い込み、しっかり錠をかけるまで、日がな一日、ホトンド間をおかず繰り返されるのですから、鬱陶しいことコノ上ありません。

いっそ咲夜が時間を止めて、その間にサッサと仕事を終えてしまってもよいのですが、そんなクダラナイことのために時を操る手づまを使うのは、さすがに馬鹿ばかしく思われます。

となると、頼みの綱は、憐れ、門番の美鈴ということになってしまうわけでございまして――

「――兎に角、あいつがマタ来たら追っ払って頂戴。だけどなるべく静かにね」

「ハア…」

美鈴、ナントモ情けない表情で、返事ともため息ともつかぬ言葉を返し――ふとその視線が咲夜の背後を向いた刹那、目がまん丸に見開かれ、「アッ」と驚愕の声を発しました。

ナニごとなの――振り向く咲夜の視線の先に、ナントつい先ほど去っていったのとは逆のほうから、イソイソと小走りにやってくるルーミアの姿がありました。

ナンのことは無い、その場を去るとは形ばかり、単に屋敷の回りを塀に沿って、グルリと一周してきただけのことでございます。

「ネエ、食べてもいい? 食べてもいい?」

嬉しそうに寄ってくるルーミアに、咲夜と美鈴、無言ですうっと表情を冷たくし、其々必殺必中の、ナイフと拳を構えるのでございました――



そして夜。どうにかこうにかその日の内に、食材をスッカリ捌き終え、ヤレヤレと咲夜は台所で熱い紅茶など嗜んでおります。

と、そこへ、勝手口の扉が開いて、ゴミ出しに出ていた美鈴が入ってまいりました。肉を削ぎ落としたあとの骨を始末するよう、咲夜に命じられていたのでございます。

「ご苦労様。あなたも座ってお茶でもどう?」

「アア、これは有難うございます」

勧められるまま、美鈴は椅子に腰をおろし、熱い紅茶を一口啜って、「ああ美味しい」ホッと嘆息いたしました。

「それで、チャンと殺虫剤はかけておいてくれた?」

訊ねる咲夜に、美鈴は豊満な胸を張り、

「ハイ、ソレはモウ、たっぷりと。あれだけやっておけば、まえみたいに蛆が涌くことも無いでしょう」

ソンナ風に自慢タラシク胸を突き出して「たっぷり」だなんて、ひょっとしてソレは当てつけなの?――内心些か穏やかでないものを感じながら、しかし流石は「完全で瀟洒」が二つ名の女中頭、それをおくびにも出さず、「それなら結構」と鷹揚におとがいを頷かせました。

ところで殺虫剤とは何の話かといいますと、実は以前、何もせずそのまま血肉のこびりついた骨をゴミに出しましたところ、あたたかい陽気が災いしたのか、生ゴミ入れいっぱいに蛆が湧いて、あれよという間に蝿へと孵り、屋敷の中を不潔な羽虫があちこち飛び交うこととなって、お嬢様から大変なお叱りを受けたことがあるのでございます。

以来、肉を捌いたあとの骨をゴミに出す時には、用心の上に用心を重ねて、たっぷりと殺虫剤を吹きつけておくのが常となっておりました。

ソレにしても――と咲夜、ため息をつきます。

「アイツにもほとほと困ったものね。仮にも妖怪なのだから、獲物くらい自分で捕らえればいいのに」

ルーミアのことでございました。

「全くでございます。あの恥知らずの野良犬奴!」

言ってがぶりと乱暴に紅茶を呷り、「あちちちちっ!」熱さに舌を焼いて、美鈴、悶絶いたします。

それを呆れて見やりながら、咲夜、一方で鬱々と、

――けれどアイツが野良犬なら、幻想郷の連中からノウノウと餌を貰っている私達は何なのだろう。コレではまるで飼い犬だ。全くモッテ忌々しいのは吸血鬼条約。アンナものがありさえしなければ、お嬢様はモットモット自由に血を吸うことができるのに。フランドール様も、まっとうな吸血鬼らしい食事の作法をおぼえることができるのに――

…等と考えておりますと、何やら勝手口の向こうでガサゴソと、怪しい物音がいたします。

オヤ、一体なんだろう、ネズミか野良猫だろうか――咲夜と美鈴、思わず口を閉ざして顔を見合わせます。

するとだしぬけに何かがガラガラガターンと賑やかにひっくり返る音がして、そのあと、ううう…、と獣が唸るような、不気味な声が続きます。

「咲夜様、一体何でしょうか」

「兎に角、見に行きましょう」

二人は面持ちを固くして立ち上がり、勝手口から外に出ました。すると――

「………」

「………」

目の前の、あまりといえばあまりの光景に、咲夜と美鈴は唖然と言葉を失いました。

生ごみ入れのポリバケツが、横倒しになっておりまして、撒き散らされた生ごみのただ中で、齧りかけの骨を咥えたルーミアが、口の端から泡を吹き、白目を剥いて、死にかけのゴキブリのように手足をヒクヒク痙攣させていたのでございます。

憐れや、野良犬の末路でございました。



<了>