たのしい、せいかつ

Text by ヒンクレヰ

「高槻、入りたくないが入るぞ。実は…」

実験機材のことでどうしても確認しなければならないことがあって、本当は心底嫌だが仕方なく高槻の個室を訪ねたおれは、ドアを開けたところでそのまま体を凍りつかせた。

「ノックくらいしたらどうだ、巳間」

高槻が、床にしゃがんだまま、めんどうくさそうに顔だけをこちらに向ける。

おれはたっぷり一分間近く無言でいた後、ようやく口を開いた。

「…お前は一体何をやってるんだ?」

「何のことだ?」

不思議そうに、高槻が尋ね返す。

高槻は、白衣姿だった。

おれ達研究員は、シャワーを浴びる時と眠る時以外は、一年三百六十五日、黒い制服の上に白衣をつっかけているのが常だったから、そのこと自体はおかしくなかった。

それと、高槻の首からは聴診器がぶら下げられていて、額にはヘッドランプがつけられており、研究員というよりまるで昔の町医者みたいな格好だったが、それもまあ、百歩、いや、五百歩譲って無理やり好意に解釈すれば、ありえなくもなかった。

だが、高槻のすぐ目の前の床に堂々と――六畳ほどもない部屋のど真ん中に、それはもう堂々ととしか表現のしようがない佇まいで鎮座している、婦人科用の診察台は、どう考えてもありえなかった。研究員とはいえ、一個人が寝起きするための部屋には、どうしてもありえなかった。さらに言えば、その上に仰向けに拘束されて、高だかと脚を広げている若い女――実験体B−58は、もっとありえなかった。だめ押しに付け加えるなら、とっくの昔に二十歳を越えて数年を経ているはずのB−58が、セーラー服を着ていることは、完全におれの理解の範疇の外だった。

「もう一度尋ねるが――」

おれは、下着をずらして露わになったB−58の股間をのぞきこんでいる高槻と、いつもどおりの無表情のまま、どういうわけだか頬を上気させて目をとろんと潤ませているB−58を、しん、とした目で見つめて言った。

「お前らは一体何をしているんだ?」

「見て解らないか」

「解らないから尋ねているんだ」

「やれやれ――」

高槻は大仰に肩をすくめてみせた。 

「目の前に提示された事象を自分の頭で理解しようとせずに、他人に説明を求めるようじゃ研究者失格だぞ、巳間」

「このいかれた状況をどう理解しろと言うんだっ!!」

耐え切れずおれは声を荒げた。高槻はきょとんとしておれを見つめ返した。

「この状況って、これが検査以外の何だというんだ?」

「あのな…」

おれはこめかみのあたりに猛烈な偏頭痛を覚えながら言った。

「なんでわざわざ診察台を持ち込んでまでお前の部屋で検査しているんだっ! というかその変態行為の一体どこが検査だっ!」

「検査は被験者がリラックスできる環境で行うほうが望ましいからな」

悪びれる様子など欠片もなく高槻が答えて、

「………」

診察台の上のB−58が、無言のまま、こくこくと頷いて同意する。

「お前らなあ…」

うめくように言うおれに、高槻が憐れむような視線を向けてくる。

「そんなことより、検査を変態行為とは、お前、神聖な研究をそんなよこしまな目で見ていたのか? 俺は悲しいぞ」

「二十歳過ぎた女にセーラー服着せて神聖もくそもあるかっ!」

おれはB−58に指を突きつけて喚いた。だが高槻は平然と、

「何の不都合があるんだ? 別に被験者が何を着ていたって検査結果に影響しないだろうが」

「………」 B−58が、またこくこくと頷く。

「…もういい」

底知れない疲労感に打ちのめされながら、おれは肩を落として踵を返した。その背中に、高槻が声をかけてくる。

「ちょっと待て。何か用があったんじゃないのか」

「後でかまわん。とりこみ中のようだからな。せいぜい神聖な研究とやらに励んでくれ」

背中越しにひらひらと手を振りながら、投げやりにおれは返した。

すると、

「そうか、ではそうするとしよう」

高槻の言葉のあと、俺の背後で、何やら動物が水を飲む時のような、ぴちゃぴちゃと湿り気のある音と、それに重なって、切なそうな女の吐息が聞こえ始めた。

「するなぁぁぁっ!!!」

たまらず体ごと振り返って、おれは絶叫した。

「しろと言ったり、するなと言ったり、一体どっちなんだ」

B−58の股間から、口のまわりがべとべとになった顔を上げて、うんざりと高槻が言い、

「………」

行為を中断されたB−58が、不満そうな抗議の視線を向けてくる。

おれは高槻達に向かって、ともかくも渾身の力をこめた罵声を浴びせようとして口を開きかけたが、しかしこいつらに通じる言葉など存在しないことに思い至り、ただ深ぶかとため息をついた。



「で――」

それから二十分後――何故二十分後になったのかは思い出したくもないが――

「一体何のトラブルなんだ?」

おれの後ろについて通路を歩きながら、高槻が尋ねてきた。

「その前に、なんでそいつまでついてきてるんだ?」

おれは頭痛をこらえながら言った。

高槻のさらに背後からは、やけにスカートの短いセーラー服姿のB−58が、

「………♥」

無表情のまま、しかし微妙に満足した様子でついてきていた。その首には、大型犬の散歩にでもつかうようなごつい皮製の首輪が巻かれていて、繋いだ鎖の端を高槻が握っている。

通路の向こうから歩いてきた警備の男が、おれ達を見て一瞬ぎょっとした様子で目をむいたが、しかしすぐに視線を逸らすと、足早に傍らを通り過ぎていった。自分も高槻達の同類に見られているのかもしれないと思うと、おれは死にたくなった。

「うん? 機材のことなら、こいつに見られても別に支障はないだろう」

そんなおれの気も知らず、悠長な口調で、高槻。

「だとしても、いい加減そいつのいかれた格好をなんとかしろ! というか、その鎖は何なんだ!?」

「ああ、これか」

高槻は何故か誇らしげに、手に持った鎖を掲げてじゃらりと鳴らしてみせた。

「やはり研究者と実験体との間には信頼という名の絆が必要だからな」

「………」

やっぱり無言で、B−58が、こくこくとうなずく。

「それのどこが信頼でどこが絆だっ!」

たまりかねておれは怒鳴った。

高槻はきょとんとした表情を浮かべて、しげしげと手に持った鎖を眺めた後、心底不思議そうにおれを見つめ返すと、

「これが絆以外の何だというんだ?」

「………」 こくこくと、B−58。

「あのなあ…」

これ以上高槻としゃべっていると本当に気が狂いそうになるので、おれは前を向いて口を閉ざし、後ろからついてきている奴などいないのだと自分に言い聞かせながら、ともかくも目的地に向かうこと、ただそれだけに集中することにした。

そして程なく、おれ達はB棟のMINMESに到着した。

ちなみに、MINMESというのは、大雑把に言えば一種の催眠誘導装置で、人工的な幻覚の中で無理やり過去のトラウマに直面させることによって、被験者の精神の強化を図ることがその目的だった。

「何だ? MINMESなら、ついこの前調整したばかりだろうが?」

魔法陣にも似た干渉フィールドの中を見回しながら高槻が眉をひそめる。おれは説明した。

「だが、実際に不調なんだからしかたがないだろう。動作させると被験者が頭痛や吐き気を訴えてまともにセッションに入れない」

「原因は何だ?」

「判っていれば誰がお前なんかに相談するものか」

吐き捨てるようにおれは言った。すると高槻は得意そうに、

「そうかそうか。やはりこういう場合は主任研究員の俺でなくてはな。お前じゃとても無理だろう」

実のところ、別に高槻の手を借りるまでもなく、おれ一人で主回路の基板を丸ごと交換してもよかったのだが、一応こいつはMINMESの整備に関する責任者だったし、何より一刻も早くことを終わらせてさっさと高槻から開放されたかったので、おれは「ああ、そうだな」とだけ言っておいた。

「では少し見てみるか」

高槻は鉄の扉を開いて制御室に入った。手に鎖を持ったままなので、当然、B−58もその後についていく。

こいつら、制御室でさかりはじめるんじゃないか――制御室のドアを横目で見ながらおれがそう思っていると、唐突にブン、と低い唸りを上げてMINMESが予備動作を始めた。たちまち激しい頭痛がおれを襲う。

「やめろ馬鹿野郎! おれがこっちにいるんだぞ!」

おれは頭を抱えて床にうずくまりながら怒鳴った。

「そうは言っても実際に動作させて見ないことにはどこが悪いのか見当もつかん」

スピーカー越しに、高槻の声がへらへらと言う。

「だからっておれを実験台にするやつがあるか!」

「安心しろ、巳間」 と、気楽な口調で、高槻。

「何をどう安心しろというんだっ!」 俺は吐き捨てた。

「どうやら本来の有効範囲外にまで誘導波の影響が及んでいるようだ。俺も何だか頭がくらくらしてきた」

「………は?」

おれは自分の耳を疑った。

「お前は一人なんかじゃない」

目を点にするおれに向かって、勘違いTVドラマの熱血教師か、もしくは新興宗教の勧誘員のような――まあ一応、FARGOも新興宗教だが――鬱陶しいまでの親密さをこめた熱っぽい口調で高槻は言った。

「俺達は親友だ。地獄の底までだって、地の果てまでだってどこまでも一緒だ」

「ふざけるなさっさと止めろぉぉぉっ!!」

おれは蒼くなって叫んだ。ただでさえ繊細な制御を要し、下手をすれば被験者の精神に回復不能な障害を残す危険性のあるMINMESに、動作不良の状態で、しかも複数の人間が同時にかかるなど正気の沙汰ではない。第一、高槻までMINMESの影響下におかれたら、誰が装置を停止させるのだ。

だが高槻はそんなことにはまるで考えも及んでいない様子で――というよりむしろうれしそうに――

「はいはい、緊張せずリラックスしてぇ〜 先生と一緒にいこうねぇ〜」

「何がいこうねだ変態糞馬鹿がっ!!」

罵声を吐きながら、おれは這うようにして制御室のドアに向かった。ともかくもおれの頭がまともなうちに、何とか装置を停止させなければならない。

そしておれの手がドアのノブに手が届こうとした時、天井と床の電飾がまばゆいばかりの光を放ち、視界がぐにゃりとゆがんだ。MINMESが本格的におれの脳に干渉し始めたのだ。

もしおれが正気に戻ることができたとしたら、顔面の穴という穴から血が出るまで高槻を殴りつけてやる――急速に遠のいていく意識の中で、おれはそう固く誓った。



そして気づくとおれは、どことも知れない、というよりまったくわけの分からない場所に、一人呆然と立ち尽くしていた。

土でもコンクリートでもない、むらのある褐色をしたなだらかな地面が見渡す限りに続いていて、そして一面にぽつぽつと開いた、脂っぽくて汚らしい穴から、ひょろひょろとした植物の蔓のような――ただし、真っ黒い色をした――ものが生えている。

呆然と空を見上げると、そこには太陽も月もなく、ただ一面に乳白色をした空間が、茫洋と広がっているだけだった。

何が何だかわからない、あえて表現するなら異次元の風景だった。

よし、ともかくも落ち着こう――おれは自分に言い聞かせた。

たとえどれほど突拍子もなく不条理に思えたとしても、全ての事象にはそれをもたらした原因とそうなるに至った経緯というものが存在する。これでもおれは研究員だ。科学者の端くれだ。そこいらの素人のようにパニックに陥ったりせず、冷静に状況を分析できなければならないのだ。

とりあえず、いつまでもここにとどまりつづけていても仕方がない。おれはあたりを見回して、遥か彼方に何やら歪な形をした塔のようなものがそびえ立っているのを見つけると、それを目標に歩き始めた。

しかし――

つとめて冷静さを保とうとしてきたものの、妙にになま温かくてぶよぶよした感触の地面を歩き続けて、塔のようなものの姿がはっきりと見えてくるにつれ、おれはだんだん自分の正気を疑うようになっていた。

そのそびえ立つ赤黒い棒状の物体は、全体はずんぐりとしたソーセージに似た形をしていて、帽子をかぶったように膨らんだ先端部が、こちらは秋に出回る高価なキノコを思い起こさせた。根元には、地面から生えているのと同じ、しかしそれよりもずっと太くて長くてちぢれたものが密集して伸び放題に伸び、猛々しく絡まりあって巨大な茂みを作り上げている。

何よりそれはおれが毎日とても見慣れているものに酷似していて、しかしおれの理性が、それを認めることを拒否していた。

だが、高さにして十数メートルはあろうかというその塔の根元のすぐ近くにたどり着く頃、おれは嫌でも認めざるを得なくなっていた。それは、どこからどう見ても、青筋をうかべて勃起した巨大な男根以外の何物でもなかった。

うん、これはつくりものだ――唖然として巨大な男根を見上げながら、半ばやけくそ気味に、おれはそう断じた。悪趣味な作り物に決まっている。さもなければ高さ十数メートルのちんぽこなんて、この世に存在するはずがない。

だが、作り物だとしても、一体どこの阿呆が何をすき好んでこんなものを造ったのだろう――いや、おれの知ったことか。こんないかれたしろものを造って喜んでいる変態野郎のことなど、断じておれの知ったことか。おれが自分にそう言い聞かせていると――

突然、地面がぐらりと揺れて大きく斜めに傾いた。辺りにつかまるものもなく、俺の体はなすすべもなくぶよぶよした地面を転がって、塔の根元の茂みの中に突っ込んだ。作り物の――断じて作り物だ――陰毛の茂みに手足を絡めとられながら、おれはどうにか抜け出そうともがいた。だが、そうしている間にも、さらに傾きは大きくなっていき、意に反しておれの体は茂みの中に沈みこんでいく。そして、

「み゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ま゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛」

耳を聾するような、すさまじい雷鳴にも似た轟音が、辺り一面の空間に響き渡った。それは、人間の声のように――おれの名を呼ぶ声のようにも聞こえた。

おそるおそるおれは上空に視線を向け――

「―――――――――!!!!!!!」

今度こそほんとうに発狂しそうになった。

空一面を覆い隠して、巨大な人間の顔の形をしたものが、ぎろぎろと血走った目でおれを見下ろしていた。

その顔は、高槻の顔だった。

「ななななななな」

おれはたっぷり三十秒ばかり「な」の字を繰り返したあと、声を限りに絶叫した。

「なんなんだお前はぁぁぁぁぁっ!!!」

「親友に向かって『なんなんだ』はないだろう」

差し渡し五メートルはあろうかという血色の悪い唇が、地響きのような声で――しかし嘲弄するような口調はいつもどおりに――言った。高槻がしゃべるたび、言葉と一緒に、生暖かくて生臭い息が、こちらにむかってごうごうと吹き付けてくる。

「誰が親友だっ!!」

高槻の口臭に吐き気をもよおしながら、おれは怒鳴りかえした。

「というか、何お前でかくなってる!」

「それはこっちのせりふだ」

高槻の唇の端が、皮肉な形に歪められた。

「お前、なに小さくなって俺の体の上で遊んでるんだ?」

「げ!」

高槻の言葉に、おれの全身に悪寒が走った。「俺の体の上」――つまりおれは、高槻の体の表面を、こともあろうにでち棒目指してえっちらおっちら散歩して、そして今や、ハエとり紙にかかったハエよろしく、陰毛の茂みに手足を絡め取られて身動きできないでいるのだ。

「しかしそうしているとお前、まるきり毛じらみみたいだな」

高槻はげたげたと声を上げて笑った。

「だまれぇぇぇぇぇっ!!!」

おれはあらん限りの声で叫んだ。

「そもそも何でこんなことになってる!!」

「何でもなにも、ここはMINMESの仮想空間の中だからなあ」

気楽な調子で、高槻は言った。

そういうことか――ある種の諦念にも似た苦にがしさと共に、おれはようやく自分の置かれた状況を完全に理解した。三人一緒にMINMESにかかるなどという、暴挙を通り越して自殺行為にも等しい無茶をやらかしたせいで、おれ達の自我やら何やらが融合して、このいかれた空間を作り上げてしまったのだ。つまりは例によって、全部高槻のせいだった。

「なら、なんでお前だけそんなでかくなってるんだ!?」

尋ねても意味がないと思いつつ、一応尋ねてみると、高槻は自信満々に、

「それはお前、人間の器の大きさの違いという奴だろう」

「大きさの意味が違うだろうがぁぁぁぁぁっ!!」

おれは頭をかきむしった。

あくまで推測ではあるが、おそらく、高槻のいびつに肥大した自意識が、単純にサイズの違いとなってイメージ化されているのだろう。

「で、これからどうするつもりだ」

上空を覆う高槻の顔を、おれは精一杯睨みつけた。

「誰かがMINMESのスイッチを切らないと、おれ達はずっとこのままだぞ」

「それで何の不都合があるんだ?」 しかし高槻は不思議そうに言った。

「あらいでかっ!」 おれは怒鳴った。

「この状況が不都合以外の何ものだというんだっ!」

「どこも不都合はないだろう。偉大な俺は大きいまま、姑息な小市民根性のお前は小さいまま。実にしっくり来るじゃないか」

嘲弄する様子さえなく、完全に真顔で、高槻は言った。

「…もういい」

こいつにまともな理屈が通じないことをあらためて思い出し、俺はがっくりと肩を落とした。こいつにとって重要なのは、自分にとって面白いかどうか、ただそれだけであって、後の始末をどうするかだの、ましてや他人の迷惑などといったことは、はなからまったく考慮に入れていないのだ。

おれはため息をつき、そしてふと、もう一人おれ達と一緒にMINMESの影響範囲内にいたはずの人間の存在を思い出していた。

「ところで、B−58はどうしたんだ?」

おれは辺りを――つまり高槻の体の上を見回しながら尋ねた。

「目が悪いのか? あいつなら、そら、すぐそこにいるだろうが」

高槻がおれの背後の空間をあごで指す。

「…なんだと?」

激しく嫌な予感に襲われながら、おれは視線を後ろに向けて、思わず「げっ!」とうめき声を漏らした。

上空約二十メートルのあたり――つまり高槻のいち物のすぐ目と鼻の先に、高槻に負けず劣らずの大きさの、B−58の顔が、頬を上気させて、アドバルーンみたいな双眸をとろんと潤ませていた。

「…なんでこいつまで大きくなってるんだ」

呆然とするおれに、高槻はこともなげに、

「仮にも不可視の力のコントロール体だからな。凡人のお前とは精神の器が違う」

「………」

無言のまま、B−58の巨大な顔が、数メートルのストロークでこくこく頷く。

「理由になるかぁぁぁっ!!」

おれは両手わななかせて喚いた。

だが、それを完全に無視するように、B−58はなぜか目を薄く閉じ、うっとりと唇を半開きにした淫蕩な表情を浮かべると、こちらに向かって顔を近づけてきた。

「な、何をするつもりだっ!?」

上空から差し渡し二十メートルはあろうかという顔面が降下してくる恐怖に、おれは震え上がった。

「ああ、どうもさっき程度の検査では完全に満足できなかったらしい」

へらへらと、高槻が言う。

「検査に満足も糞もあるかぁぁぁっ!! というかこの状況下で発情するなぁぁぁっ!」

絶叫するおれをよそに、濁ったピンク色をした肉の土手みたいなB−58の唇は、そびえ立つ高槻のいち物をかっぽりとくわえ込んだ。そのまま、泥沼に大型真空ポンプを突っ込んだみたいな轟音を立てて、顔ごと上下させながらじゅぽじゅぽ吸引しはじめる。バケツですくったような量の唾液の滴がどばどば飛び散り、B−58の鼻息が荒々しく吹き付けてくる。

「よおし…いいぞぉ…もっと舌でこそげるみたいに舐めるんだ」

高槻が陶然と声を上ずらせて言う。

「『いいぞ』じゃあるか、とっととやめさせろぉぉぉぉっ!!」

おれは両腕で頭を抱えながら叫んだ。このまま高槻が射精でもした日には、一体どんな大惨事になることか。

だが、おれを待っていた現実は、おれの予想を越えて、さらに過酷なものだった。

「よし…そろそろいいぞ」

しばらくしたあと、満足そうに高槻が言って、B−58の唇は、じゅぼりと音を立てて高槻のいち物から離れていった。

やっと終わったか――そう思っておれがほっとしたのも束の間、

「さあ、上に乗れ」

高槻が言い、そして突然、上空を巨大な物体の影が横切った。おれは反射的に顔を上げ、そして恐怖に凍りついた。

B−58が、便所で用を足す時のような格好で、高槻の体をまたいでしゃがみこんでいたのだ。未知の巨大軟体生物が、歯のない顎をぱっくりと開いたような秘裂から、ちょっとしたクレーターほどもある肛門まで、黒ずんだ色をしたB−58の股間がおれの視界を覆い尽くす。まさに悪夢としかいいようのない光景だった。

B−58はそのまま腰を落としてゆき、粘液をしたたらせた赤黒くぶ厚い肉の壁に、屹立したいち物の先端がずぶりと突き立った。

「AGAHHHHHHHHHHHHH!!!!」

遥か彼方の上空で、B−58の、怪獣の咆哮としか表現のしようがない声が上がり、そして粘膜の怪物のようなバギナが、灯台サイズのペニスを一気にずぶずぶと根元まで飲み込んで、ばけものじみたピストン運動がはじまった。何十トンあるかもわからない肉の塊が、高槻の腰の上で激しく弾んで上下する。

おれは何度もB−58の土手に押し潰されそうになりながら、陰毛に絡めとられた体を必死によじって、かろうじて圧死だけは免れていた。

「やめろ殺す気かぁぁぁぁぁっ!!」

結合部から溢れ出すB−58のバルトリン氏腺液をざばざばと頭から浴びせかけられながら、おれは声を限りに叫んだ。だが、すでに行為に没頭している高槻達に、蚤並みのサイズのおれの声が届くはずもなかった。というか、高槻のことだから聞こえていてもまったく意に介していないのだろう。

どうしてだ――恐怖と恐慌で、半ば正気を失いながらおれは思った。どうしておれがこんな目に遭わなければならないのだ。巨大化した高槻とB−58の性器が結合するまさにそのさまを、至近距離で見せつけられなければならないような、一体どんな罪をおれが犯したというのだ――ああ、そうだ、おれではない。全部高槻のせいだ。おれに降りかかるすべての不幸は、全部この疫病神のせいなのだ。殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる絶対必ずぶち殺してやる。おれは固く歯を食いしばって、ただ心の中で念仏のように「殺してやる」と唱えつづけた。

やがて、

「お゛…お゛…」

地鳴りのように、高槻がうめき声を漏らした。

「AGAHHHHHHHHHHHHH!!!!」

B−58が上体をのけぞらせて、また、凄まじい咆哮を上げる。

結合した二匹の巨大宇宙生物のような性器がびくんびくんと痙攣し、そして、高槻のペニスが、ずぼっと引き抜かれたかと思うと、一瞬の間をおいて、先端から信じられない量の白濁した液体が、虚空の彼方に向かって高々と噴きあがり――

「げっ!」

おれは逃げようとしたが無駄だった。

数十メートルの高みにまで飛翔した高槻の精液は、そのまままっすぐに落下し、おれのいる茂みを直撃した。優にドラム缶十本分はあろうかというその粘っこい液体は、おれの体を叩き潰すのに十分な速度と重さを持っていた。

薄れていく意識の中でおれが最後に聞いたのは、「ふぅ…よかったぞ」という満足そうな高槻の声だった。



おれ達は、MINMESの中でぶっ倒れているところを、巡回員の男によって発見された。その時には、回路に過負荷がかかったせいで安全装置が働いて、MINMESはようやく動作を停止していた。

どうせなら、三人同時にMINMESの干渉下におかれた最初の時点で停止してくれ、とおれは思ったが、ほかでもない高槻が整備を担当している装置であることを考えると、奇跡的なまでに最悪のタイミングで最悪の動作をしても、全く不思議ではなかった。

干渉フィールド内にいたおれは、当然一人で発見されたが、むかつくことに高槻とB−58は、制御室の床の上で二人仲良く手を繋いで幸せそうに気絶していたそうだった。あいつらにしてみれば、変わったシチュエーションでセックスを楽しめてよかった程度にしか思っていないのだろう。

さらに腹立たしいことに、今回のことについて高槻は、MINMESの誤動作による事故とだけ報告し、上層部は簡単にそれを受け入れていた。おれがいくら高槻の所業について訴えても無駄だった。高槻の神がかり的な責任回避能力のせい、というより、おそらくは、一応主任研究員である高槻を降格するなり配置を移転するなり、何らかの処分を下した場合に生じる、後がまに誰をすえるかといった人事面でのごたごたを、上層部が面倒がったためだった。

そんなわけで、誰が責任を取るでもなく、全てがうやむやのうちに処理されてしまったので、その後もおれと高槻はあいかわらず同僚のままだった。この世に――少なくともこのFARGO教団施設に神も仏もいないことを、おれはあらためて思い知った。

そして、それから何日か過ぎた後――

定例のミーティングの時間になっても高槻が姿を現さないので、おれは高槻の個室を訪ねた。本当は、心底行きたくなかったのだが、他の研究員の連中が誰も呼びに行こうとせず、無言のまま期待を込めた視線でじっとりとおれを見つめるので、仕方なくおれが行くことにしたのだ。

高槻の個室の前まで行くと、ドアの向こうから、切なそうな女の息づかいが聞こえてきた。またか、とうんざり思いながらおれはドアを開いた。

「高槻、入りたくないが入――」

そしてそのまま、おれは体を凍りつかせていた。

「ノックくらいしたらどうだ、巳間」

差し渡し百メートルはあろうかという顔を、こちらに振り向かせて、高槻が言う。

ドアの内側は、研究員用の狭くるしい個室ではなく、一面に乳白色をした空間が、ただ茫漠と広がっていて、そこで、ちょっとした山ほどもある体躯を持つ高槻とB−58が、全裸でくんずほぐれつ絡み合っていた。

「どうやら俺達はまだMINMESの影響下にあるみたいだぞ、巳間」

あまりのことに声もなく立ちすくむおれに、高槻はへらへら笑いながら言った。

「つまりはまだ夢の中ということだ――まあ、めったにできる経験じゃないから、お前もせいぜい楽しむことだなぁ」

「………」

巨大な顔を上気させて喘ぎながら、こくこくと、B−58が頷く。

全ての思考と感情が麻痺していく中で、おれは腰のホルスターから拳銃を抜き出して自分の頭に向けながら、ぼんやりと、『夢の中にも地獄や天国があるのだろうか』と思った。



<了>