薫紫亭別館


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ダイヤモンド

 グリニデ城にはキッスの悲鳴が響き渡っている。
 先日、キッスが勝手な行動をして、グリニデ様の不興を買った為だ。いるべき時にいなかった。それだけで、グリニデ様が怒り狂う理由としては充分なのだった。
「……なんとかならないのかよ、ロズゴート」
 ベンチュラがさすがに不安そうに言った。
 悲鳴が聞こえ始めてからまだ三日と経っていないが、人間であるキッスが、グリニデ様のお相手を務めるのはそろそろ限界だろう。
 キッスは特に体力があるという訳ではない、いわば、普通の人間の子供だからだ。
 それが色々な条件が重なってグリニデ様のそば近く仕えるようになったのだが、グリニデ様がキッスの体をも所望するようになったのは、完全なイレギュラーだった。
 グリニデ様はそれまでは紳士的に、寛大に、人間であるキッスの心情までも思いやって、人間を虐殺する場面などには立ち会わせずに、もっぱらグリニデ様のもう一方の目的である『世紀の大事業』の計画に携わらせていた。といって、キッスはどんな事業かも知らずに、遺跡発掘調査に乗り出していただけだが。
 元来研究者タイプなのか、キッスは実に意欲的に任務をこなした。もともと魔文字にも古代文字にも精通していたようで、キッスが関わってからの研究の成果には、驚くべきものがあった。
 たかが人間、と侮れないほどに。
 だから我々、ロズゴート……や、ベンチュラ、ここにはいないがフラウスキーなども、キッスを仲間として認めたのだ。
 キッスが大人しく、無害な性格をしていた事もプラスに働いたかもしれない。
 まあ、少々扱いにくくとも、それこそたかが人間、始末するのに造作もない。ましてやキッスには、グリニデ様の毒の腕輪が嵌められていた。抵抗は最初から封じられている。
 我々にも同じものが嵌められているが、キッスの場合は条件が違う。我々が瞑撃を使ってもどうもしないが、人間であるキッスが天撃を使えばその瞬間、腕輪に仕込まれた針が皮膚に突き刺さり、毒が流しこまれるのだ。
 人間というのは不便なものだ。魔人に生まれれば、キッスも余計な苦労を背負い込まなくて済んだものを。
 私はキッスの為に不憫に思う。
「なあ……なんとかしてやれないのかよ、ロズゴート。あのままじゃキッス死んじまうぜ」
 再度ベンチュラが言った。
 キッスの悲鳴は間断なく続いている。
「そうだな……」
 私は、ベンチュラと人間の村に赴いた。


 青年はジョシュア、と言った。
 町を殲滅がてら、物色してきた人間の青年だ。
 肩にかかる程の長さの黒い巻き毛と、黒い目を持っている。齢もキッスよりは上だろう。
 人間年齢で、十七、八歳といったところか。
「なんつーか、キッスとは正反対なタイプだな。髪の色とか。よくよく見渡してみると、キッスみたいな金髪って少ねーのな。みんな焦げ茶色か黒髪で」
 ジョシュアと辺りに転がっている人間の死体とを見比べながらベンチュラが言う。
「それもお気に召した一因かもしれんな。まあ良い。ちと育ち過ぎの感はあるが、この町ではこいつが一番マシな顔をしているようだし」
「そうだな。さっさと連れ帰って、グリニデ様に差し出そうぜ。好みでなけりゃ、グリニデ様がきっと自分で始末なさるだろうし」
 始末、が何を意味しているのかわかったのだろう。ジョシュアが不安そうに目を見開いた。
「あ、あの……僕はこれからどうなるんですか?」
 青い顔をして、震えながら聞く。
 ふむ、これなら、と私は思う。町の者全員が死に絶えた状態で、明らかにレベルが上の魔人に向けて問い掛けが出来るとは。気丈なものだ。図々しいだけかもしれないが。
 私の代わりにベンチュラが答えた。
「ヒヒ、てめえはこれから『深緑の知将』グリニデ様の、玩具奴隷になるのさ。せいぜい頑張れよ? グリニデ様に気に入られれば、てめえもキッスみたいに毎晩でも可愛がって貰えるぜ?」
「余計なことを言うな、行くぞ」
 ベンチュラをたしなめ、うつむいて色を無くした青年を引っ立てるようにして大怪蝶の背に乗せ、私はグリニデ城に戻った。
 戻ると私はダンゴールに言って、グリニデ様に謁見を願い出た。房中にもかかわらず、グリニデ様のご勘気に触れずに目通りして仲介出来るのは、執事であるダンゴールだけだ。
 キッスの部屋の外で私は待った。
 キッスの悲鳴はやんでいた。やがて出て来たグリニデ様に、私はベンチュラと共に頭を下げ、
「人間の町をひとつ、滅ぼして参りましたグリニデ様」
 グリニデ様は鷹揚にうなずき、
「おお、ご苦労だったなロズゴート君。ベンチュラ君。……その人間は?」
「お土産です。なかなか器量が良いので、一夜の慰めくらいは務まるかと。手で引き裂こうと、魔物に食わせようとグリニデ様のお好きなように」
「ふむ……」
 グリニデ様はしげしげとジョシュアの顔を検分し、満足されたのか、にやりと唇の端を上げて笑った。
「悪くはないな。良かろう。名前は?」
「ジョ……ジョシュア、と申します」
 ジョシュアがやはり震えながらも、尋常に答えた。
「来たまえ、ジョシュア君」
 グリニデ様がジョシュアを連れて立ち去ると同時に、ベンチュラはキッスの部屋に飛び込んでいた。
 私もすぐ後に続いた。
「おい、大丈夫か!? しっかりしろ、キッス!」
 キッスは黒壇のベッドの上に、蝋人形のように横たわっていた。ベンチュラが呼びかけると、僅かに目の焦点を合わせた。それだけが、キッスの生きている証のようだった。
「ベン、チュラ……ロズゴート……」
「喋るな。すぐ手当てしてやる。って、どーすりゃいいんだ……ダンゴールに……」
「私がやろう」
 私は催眠効果のある霧でこの部屋を満たした。
 キッスにまず必要なのは、充分な睡眠と休養だと思ったからだ。私は瞑力で様々な効力を持つ霧を作り出すことが出来る。これもそのひとつだ。
 キッスが完全に寝入ったのを確かめてから、私はベンチュラに湯を持ってくるよう指示した。なるべくならダンゴールは使いたくない。ダンゴールはグリニデ様の子飼いの魔物であるからだ。
 忠実な部下であるのは我々も同じだが、大勢の魔物の中から選ばれて、名前と言葉を与えられたダンゴールは、グリニデ様に特別な恩義を感じている。
 我々がキッスを手当てしている事など、グリニデ様に筒抜けになってしまうだろう。手伝わせずとも、バレているだろうが。
 そのダンゴールは、グリニデ様とジョシュアの先触れとして、新たな寝室を用意している事だろう。
 ダンゴールにとってはグリニデ様の意向こそが絶対で、他の事はどうでもいいのだ。キッスが死のうとジョシュアが責め殺されようと、知ったことではないのだろう。
「湯、沸かしてきたぜ、ロズゴート!」
 あちあち、と沸騰した湯の入った水盤をさげてベンチュラが戻ってきた。沸騰するまで沸かさずとも良かったのだが……その辺りは、水差しの水で埋めることで解決することにした。
 私は更にベンチュラに火をおこすよう言った。人間のキッスには、この城は寒すぎるのだ。キッスの部屋には、キッスが暖を取れるように、わざわざ暖炉までしつらえられている。
 なんと脆弱に出来ているのだろう、人間の体は。
 私はキッスの体を、湯でかたく絞った布で拭いてやりながら思った。
 キッスの皮膚は薄く、魔人ならば誰でも柑橘系の果物の皮をむくように、爪で裂いて剥ぐことが出来るだろう。
 実際に、キッスの体にはグリニデ様の付けた擦過傷や鬱血が色濃く残っている。それでも骨に異常がない辺り、グリニデ様も、一応はご配慮なされたということか。
「お……始まったみたいだな」
 ベンチュラが頭を巡らせて簡単にコメントした。
 城のどこかから、ジョシュアの意味をなさない叫び声が聞こえる。ダンゴールの事は言えないな、と、内心で苦笑しながら私は思った。
 私はベンチュラに聞いてみた。
「ベンチュラ。貴様、キッスの事は私になんとかしろと言ったくせに、ジョシュアの方はどうでもいいのか?」
「へ? だって、キッスは仲間だろ。人間だけど」
 ベンチュラの答えは明快だった。
「ただの人間と、仲間じゃ待遇に差があって当然だろ。なんつーか、ほっとけないっつーか……こいつってば、見てると危なっかしいしさ」
 改めてベンチュラはキッスを見下ろすと、
「こーんな細っこい体で、グリニデ様を受け止めてるんだもんな。マジで尊敬しちまうよ。俺には絶対無理だけどな」
「貴様ならお呼びがかかる事もあるまい。安心しろ」
 そうだけどよ、と言ってベンチュラは笑った。指先でキッスの頬をぷにぷにと突付きながら、早く起きろ、などと言っている。
 私はキッスの足を大きく開かせた。
 赤黒くただれたそこを見て、ベンチュラの方がうわ、と叫んだ。もっと惨いことを、自分もやってきている筈なのだが……私は布を替えながらそこを拭いた。湯が、みるみるうちに赤く染まった。
「……なあ。今度、人間の医者もさらってこようぜ。俺達じゃ、人間の体の事はよくわかんねーし」
 気の毒そうにベンチュラは言った。
 私も同意した。
「コックも必要かもしれんな。人間の食生活は、我々魔人とは違うだろうし。まあキッスは、出された食事に文句をつけた事はないが……」
「虫とか平気で食ってるもんな。変なヤツ。人間って、確か動物の肉とか魚とか食べるんだよな。やだやだ、野蛮だぜ、全く」
 私は思わず声を上げて笑ってしまった。
「雑食だからな。草なども食べるらしい。しかし、栄養や味を考えると、やはりコックと医者は必要だろうな。これ以上痩せられると、色々と支障が出るだろうし」
「グリニデ様のお相手を務めるのに?」
「遺跡発掘調査にだ、馬鹿者」
 ベンチュラはげらげら笑っていたが、治療がひと段落したのを見て取ると、またも人間の町を襲いに他出していった。すぐに目的の医者とコックを連れ帰ってくるだろう。勤勉なことだ。あの怠け者が。
「……不思議な奴だな……」
 眠るキッスの、青白く、血の気の引いた顔を見ながら私はつぶやいた。

>>>2010/5/7up


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