薫紫亭別館


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エナジー・フロー

「……う……?」
 キッスは重い眠りから意識が覚醒してくるのを感じた。
 そしてはっと思い当る。いけない。ここは閣下のベッドじゃないか。キッスは反射的に目を開けると、隣で肘枕をついて、自分を注視しているグリニデに気付いた。
「も……申し訳ありません、閣下! 今すぐ……っ!」
 不覚だ。いつもならどんなに体が辛くても、なんとか身繕いして廊下まで出れば、待機していたダンゴールや魔物に自室まで連れ帰って貰う事が出来たのに。
 焦りながら上体を起こし、足をベッドから下ろした途端、あらぬ所に激痛が走った。
「痛う……っ!!」
 思わずベッドに顔を伏せて体を丸める。動けずにそのまま衝撃をやり過ごしていると、グリニデの手が伸びてきた。やはり邪魔だったか。侍るようになって随分立つが、グリニデは行為が終わった後、キッスがベッドに残る事を許さなかった。最初の最初から、朝参に出ろとだけ言われて摘まみ出されたのだ。
 別に同衾したい訳じゃないから、それは願ってもなかった。キッスとて、一人で広々と寝る方がいい。むしろ、その方がありがたい。誰が自分を力づくで犯した魔人と一緒に寝たいと思うものか。
「………え?」
 グリニデはひょいとキッスの脇に手を入れると、持ち上げてそのままベッドに転がした。
 一瞬、また……! と、身を竦ませたが、グリニデの手や舌はキッスの局部には伸びてこず、ぽんぽんと、軽く頭をはたいて去っていった。
「閣下……?」
「今朝は朝参はいい。ゆっくり休みたまえ」
 ベッドから降り、見事な体躯をマントに包みながらグリニデは言い捨てると、もうキッスに一瞥もくれずに部屋を出て行った。キッスはこの城で一番豪奢なベッドに取り残された。混乱しながらも、ダンゴール……はグリニデの共について行ったので他の魔物を呼んで、自分の部屋まで運んで貰った。ここで寝る訳にはいかないだろう、さすがに。
 自室のベッドに横になると、ようやく息を吐く事ができた。
 久々にキツい。もうかなり慣れた筈なのに、昨晩はそんなに激しかったのだろうか。と、思った所で、昨夜の記憶がない事に気付いた。確か、晩酌に付き合わされた所までは覚えている……最近、ここ何回か、今まではグリニデとダンゴールだけだった晩酌に、キッスも加わっていた。
 正直呼んでくれずともいいのだが、グリニデが杯を傾けるのはそう煩雑な事ではないし、元よりキッスには欠席する権利もないので黙って従っていた。ダンゴールが肴を用意し、とぽぽぽ、と軽やかな音を立てて杯を満たし、グリニデの話を拝聴するのがキッスの役目だ。
 話といえばどこそこの村を滅ぼしただの、目障りなバスターを返り討ちにしただの、人間、しかも元バスターのキッスが喜んで聞くとでも思っているのか、と首を捻りたくなるような話題ばかりだが、魔人であるグリニデに、人間の心情がわからなくても仕方がない。キッスも聞き流す事にしていた。
 それに、たまにはキッスの知らない魔人の話をしてくれたり、解読した古代文字について、意見を交換する事もあった。さすが、グリニデも専門的な知識の持ち主だけあって、思いがけず話が弾んだ事も無い訳ではない。だから酒の席自体は、好きでも嫌いではなかった。
 ただ、昨日は……昨夜は、珍しい銘柄の酒が手に入ったとかで、殊更に機嫌が良かったような……気がする。グリニデは自分にも惜しみなくそれを注いでくれて、飲みたまえ、と言った。
 恐ろしく強そうな蒸留酒だった。ワインやシードル、麦酒くらいならキッスも舐めてみた事があるが、これは初めて見る種類だ。鼻先を近付けると、それだけで酔いそうな程きついアルコール臭がした。グリニデはそれをまるで水のように飲んでいた。意外と飲みやすいのか? などと思ってしまったのがいけない。
 キッスは意を決して、くいっと中身を飲み干した。
 その瞬間ブラックアウトして、――その後の事は何も覚えていない。


 魔人と人間を一緒にするなよ自分……とキッスは自己嫌悪に陥りながらも、どうせグリニデの酌は断れないのだから、と自分を慰めた。
 自分の意思は、この城では何ひとつ反映されない。グリニデが右を向けと言えば右を向き、グリニデが黒と言ったら白でも黒だ。着ている服さえ与えられた物で、注がれた酒は、例えそれが毒だとわかっていても飲まなければならないのだ。
 ふと思いついて、キッスはシーツの中から手を出して、夜着を二の腕までまくってみた。
 自分の中の再生虫は優秀だ。以前は、グリニデに掴まれた指の形がくっきりとアザになって残っていたものだ。歯型や吸い痕を後から後から付けられて、一時はほぼ紫色だった肌も、今は白さを保っている。
「………」
 残る疲労も軽減されたのは良いのだが、おかげでグリニデが調子づいてしまって、一時はここまでと決めたらしき加減を時々越えてしまう。キッスにとってグリニデとの交合は苦痛でしかない。もちろん、キッスとて握られて嬲られれば勃ちもするし、出しもする。が、それは男の生理というもので、好きでそうなっているのではない……と、キッスは思う。
 キッスが放出すると、義理は果たしたとばかりにその後は、グリニデが満足するまで串刺しの責め苦が続く。時折り、捻りを加えられたり思い出したように他を愛撫されたりもするが、刺激が強過ぎて正直痛いとしか感じられない。キッスは自分が、水を絞られる雑巾になった気さえした。
 もう少し、力をセーブしてくれれば楽なのに……、と思わないでもないが、言ってもムダとはこれまで散々訴えた事でわかっていた。どんなに懇願しても、哀願しても、グリニデの手が止む事はなかった。恐らくグリニデは、自分が怯えたり痛みに泣き叫ぶ顔を見るのが好きなのだろう。人間の敵である魔人にはありそうな事だ。
 ましてや今は、他の人間を犠牲にしない為に、キッスは全ての想いを呑み込んでいる。加えられる暴力に似た愛撫を、キッスは黙って受け入れた。それが、自分と他の人間を守る術だと信じて。


「――自室に戻ったのかね。ここで休んでも良い、と許可を出したつもりだったのだが……」
 その日の夜もキッスはグリニデに呼ばれた。グリニデがキッスを召し出すのには波があって、呼ばれる時は一週間以上立て続けだが、呼ばれない時はその逆だ。どうやら昨夜から、呼ばれる日のサイクルに入ったらしい。キッスは神妙に頭を下げ、申し訳ありません、閣下の寝台を占領する事に気が引けまして……と答えた。
「ふむ。まあ、その奥ゆかしさが君のいい所だ。……来たまえ」
 キッスはベッドに座って手招くグリニデに近付いた。
 ベッドに倒されて、服を剥ぎ取られる。のしかかってくる魔人の重みを、キッスは目を閉じて待った。
 が、しばらく待ってもグリニデは体重をかけてこなかった。
「………?」
 目を開けると、自分を無言で見据えるグリニデと視線が合った。
 様子がいつもと違う。キッスは思わず顔を背けた。
 ややあって、ようやくグリニデの指と舌が降りてきた。いつもの噛み付くような愛撫ではない。優しい、こちらの体を気遣った愛撫。
「……あ……っ」
 声が出た。キッスは手でぱっと口を押さえた。何だ、今の声は!?
 してやったり、とでも言いたげな表情でグリニデが自分を見下ろしていた。キッスはかぶりを振って、今、感じたばかりの感覚を振り払った。グリニデがちいさく舌打ちして、口を覆った手首を掴んだ。
 空いた片手と唇で、キッスへの行為を再開する。
「……ん、んうっ!」
 掴まれた腕はそのまま、キッスはもう一方の手でシーツに爪を立て、声が漏れないよう枕の端に噛みついた。自分達は、断じてそんな甘ったるい声を出すような関係ではない。加減して欲しいとは思っていたが、こんな感覚は願わなかった。
 だから、自分の思うような反応を見せないキッスに業を煮やしたグリニデがついに挑みかかってきた時、キッスは却って安心したのだ。なのに、グリニデはいつものように激しく腰を使おうとはしなかった。キッスの中に収まったまま、ゆるく動いて、キッスの中の疼きを呼び覚まそうとした。
 キッスは自分が狂ったように頭を振っている事に気付いた。
 駄目だ。駄目だ、それだけは……っ!
 キッスは血が出るほど唇を強く噛み締めた。実際に血を流し、枕が赤く染まった時、グリニデが苛立ったように枕を跳ねのけた。そして言った。
「――出て行け!」
 ずるり、と乱暴に引き出される。衝撃に一瞬固まった体を、命令を遂行すべくなんとか操ってベッドから降り、脱がされた服を拾い集めながらマントだけを羽織って一礼した。
「……失礼します」
 キッスは逃げるように退出した。
 何故、こんなにいたたまれないような気持ちになるのだろうと、自分でも疑問に思いながら。

>>>2010/10/12up


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