薫紫亭別館


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縫い目のない服の歌

 さて軍資金は出来た。
 キッスは雑踏の中に走っていって、通りに面して雑貨を並べている小間物屋を見つけると、立ち止まって手を振った。
「ビィト、ポアラ、ブラシあったよー」
 ビィト戦士団に新しく加わった仲間・キッスは、つい先日まで某大物魔人の部下として働いていたという、かなり暗い過去があるのだが、しゃがみこんでブラシを選んでいる姿からはとても想像できない。のは、仲間であるポアラも同じ感想だったようだ。
「……元気ねえ、キッスってば」
 呆れたようにポアラが言った。
 何せここ数日、虫と草の根しか食べていない。
 困窮の原因の一端は確かにキッスにあるが、そうでなくともこのビィト戦士団では、マトモな食事をして宿屋に泊れる事など皆無に等しい。
 リーダーのビィトが金に頓着しない上に、野宿でも気にしない、という性格だからだ。しかし後の二人はそうではない。たまには普通の人間らしい生活(?)がしたいと思うのも、無理はないだろう。
 よってキッスの指示でビィト戦士団の面々は、せっせとカネック相手にブラッシングのバイトに励み、その報酬として、一万マギー硬貨を得る事に成功したのだった。
 これだけあれば、三人程度なら贅沢しなければ半月は保たせる事が出来る。宿屋に連泊などしては一発で無くなってしまうだろうが、一日位なら許されるだろう。
 そういう訳で宿を決める前に三人は、ポアラのブラシをカネック相手に使ってしまった為に、代わりのブラシを買いに物色に来ているのだった。
「いや、あんなもんだろ。二年前、俺と旅をしてた頃は、いつもあんな感じだったぞ」
 ほてほてと、ポアラと並んで歩きながらビィトが答える。と、ビィトの身が緊張した。
 無言でポアラを制して立ち止まる。
 目線の先には、キッスに近付く人影があった。
「んーと、どれにしよっかな……ポアラは青が好きみたいだから青かなあ。でも、元気な黄色も捨てがたいし……」
 キッスは呑気にブラシを選んでいる。だからぽん、と肩を叩いた手に、無邪気に振り返ったのだ。
「あ、ビィト。ポアラにはやっぱり黄色……」
「キッス! やっぱりキッスじゃないか!?」
 男は懐かしそうに笑顔でキッスに語りかけた。反面、キッスは蒼白になって、男の手を振り払った。
「あ! おい、キッス!?」
 次の瞬間、キッスは駆け出していた。
 追い掛けようとする男を、いつのまにか背後についていたビィトが止めた。
「ポアラ」
 ポアラは納得したようにうなずいて、キッスを追った。二人の間には、明確な言葉がなくても通ずるものがあるのだった。ビィトは男と対峙した。
「キッスに何の用だ? あいつに話があるなのなら俺が聞く」
 ビィトは上から下まで男の姿を眺めやった。
 年齢は三十歳前後だろうか。バスターである証に黒いアンダーの上に、濃い灰色のバスターズ・ジャケットを重ねている。髪も目も黒で、目元には笑い皺があった。不覚にもライオを思い出す。
 ライオが順当に齢を取っていったらこうなるだろうか……という、雰囲気があるのだ。この男には。
 しかし見掛けに騙されてはいけない。現に、キッスは逃げ出したではないか。
 キッスは確かに元犯罪者で色々と後ろ暗い所のある身だが、それ以前は少々気は弱いものの、世界一の天撃使いを目指していた、ごく平凡な真っ当なバスターだった。
 その頃の知り合いだというなら、キッスが逃げたくなる何かがこの男との間にあったという事だ。
 ビィトは畳みかけた。
「言えないような事なのか? それなら、今後キッスに近付くのはやめてくれ。キッスはあれで、もう充分過ぎるほど傷ついているからな」
 男もまじまじとビィトを見返して、
「君が……今のキッスの恋人なのか?」
 やっぱり!
 ビィトは激昂して男に掴みかかった。男はひらり、とそれを避けた。
「ち、ちょっと待てって。何か誤解……」
「誤解で恋人、なんて単語が出てくるかよ!」
 キッスは甘い蜂蜜色の髪をした、遠目で見なくとも女の子に間違われる容姿をしているが、れっきとした少年だ。これも同年代の少年であるビィトに対して言う言葉ではない。
「なんだなんだ、仲間割れか?」
 ギャラリーが集まってきた。ビィトもバスターズ・ジャケットを着ているからか、仲間だと思われているらしい。男もまずい、と判断したのか、
「じゃあな。また会おう、少年」
 野次馬の群れを掻き分けて、男は消えた。最後に声をかけた、男のさわやかな表情が印象的だった。
 とても悪人には見えない。ビィトはしばらくその場に立ち尽くしていた。喧嘩が不発に終わってあからさまに興味をなくした観客が引き始めた頃、ポアラが戻ってきた。
「ポアラ。キッスは?」
「先に宿をとって、押し込めてきたわ。一緒に連れて戻って、またあの男と鉢合わせしちゃ大変だもの」
 ポアラの機転に、ビィトはへにゃっと相好を崩し、
「さっすがあ! やっぱ、俺の嫁さんになる女は違うぜっ!」
「誰が誰の嫁さんなのよ、誰がっ!」
 既にお約束の域に達しているいつものやり取りにポアラは抗議した。
 嬉しげにポアラの肩をばんばん叩くビィトを、それでもポアラはなだめるように、
「さ、宿に行きましょ。案内するわ。キッスに話も聞かないと……私達もう、仲間なんだもの。事情を聞く権利くらいあるわよね?」
 途端にビィトは浮かない顔になって、
「あー……それなんだけど。話は俺が聞くから、ポアラは見守っててくんねーかなあ」
「何よそれ? 私は蚊帳の外ってワケ!? 嫌よ、そうでなくともキッスには色々迷惑かけられてるんだから、これ以上の厄介ごとの種は、芽が出る前に摘んどかないと」
「ポアラ、キッスが嫌いなのか?」
 ビィトの物言いは常にストレートだ。さすがのポアラも言いよどんだ。
「き、嫌いって訳じゃ……そりゃお調子者だし、口は回るし、胡散臭いトコはあるけれど、だからって信用してない訳じゃないわよ。あんたの昔の仲間だもの。あんたが滅多な人間と組む筈ないし、まだ短いけど一緒に行動して、なんとなくキッスの人となりも掴めてきたし……」
「うん。さんきゅ、ポアラ。それだけわかってくれてれば安心だ」
 にかっ、と歯を見せてビィトは笑った。
「どーもキッスって誤解されやすいタイプみたいでさ、さっきの男も……きっと、何か勘違いしてると思うんだ。キッスもきちんと弁明すりゃいいのに、その前に逃げちゃう所あるしな。問い詰めたら、却って黙り込むと思う。だから、俺が一人でそれとなく聞いてみるから」
 手のひらを合わせて可愛く頼むビィトに、ポアラも渋々ながら承知した。
「でも、聞いたら私にも教えてよ。私だって一応、キッスのこと心配してるんだから」
「わかった」
 と、答えたものの、多分正直には話せないだろうとビィトは思った。
 何故ならビィトには薄々ながら、キッスが逃げた理由の見当が付いていたからだった。


 その夜はポアラの取った宿に泊った。
 ポアラはツインとシングルと、二部屋取っていた。自分の分は勘定に入れなくていい、といつも言っているのだが、今日に限ってはありがたい。ポアラはビィトが寝る必要のない日でも、自分達がベッドに寝ているのにビィト一人だけ外に放り出す訳にはいかない、と考えているらしい。
 必然的に少年二人組、つまりビィトとキッス、そしてポアラとに分かれる事になる。この宿は一階が食堂になっているのだが、キッスは食堂に降りなかった。ビィトが適当に夕食を注文して、部屋までテイクアウトした。
 ポアラは甘過ぎると言うが、実はビィトも自覚していないでもないが、今夜の事を思うと、今はキッスに優しくしてやりたかった。今夜はまず間違いなく、キッスは悪夢にうなされる筈だ。
 そしてその通りになった。
 ビィトは朝まで、うなされるキッスの寝顔を自分も苦しげに見守りながら夜を過ごした。

>>>2010/5/29up


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