「――ご加減はどうですか? キッスどの」
ダンゴールが手桶を持って様子伺いに来た。キッスは今はベッドに横たわったまま、ほとんど寝たきり状態だ。ダンゴールが身の回りの世話をしてくれていた。ダンゴールも、半ば共犯だったが。
「ん……少しはいいよ。ありがとう」
キッスは答えた。共犯と言ってはダンゴールに悪いかもしれない。なんといってもグリニデはダンゴールに知恵と言葉を与えた絶対的な主人で、ダンゴールはグリニデの執事として存在する。一応、止めてくれようとしたのも、おぼろげながら覚えている。だからキッスは、ダンゴールに他意を持つのをやめた。
それはようございました、と手桶の湯に浸した布を絞って、ダンゴールが体を拭いてくれる。この魔物にはもう、羞恥心など今更だ。目の前で痴態と狂乱とを繰り広げて、キッスが見た事のない部位までもう、余す所なく見られてしまっているのだろう。
ダンゴールが魔物で、人間の、キッスのそういうデリケートな部分に鈍感で却って助かった。
これでダンゴールにまでそういう目で見られたりからかわれたりしたら、キッスはもう二度と立ち直れなかった所だ。それにダンゴールは、グリニデが何故ああまで憤ったのか教えてくれた。自分はどうやら、魘されて、ある人物の名前を口走ったらしいのだ。
それは、キッスには唯一と言っていい友人の名前だった。
どうも浮く事が多かったキッスに対し、彼は真っ直ぐに向き合ってくれて、友人になった。
今は離れているけれど、再会を誓い合った友人。その彼に、自分は助けを求めたのか……と、意識の無い状態だからこそ垣間見える本心を、グリニデは敏感に感じ取ったらしい。結果が、アレだ。グリニデは本当に、自分には寛大に振舞ってくれていたらしい。
「………」
だからといって、到底、受け入れられるものではないが。
頭脳を利用して体を自由にして。この上、何を望む? 心まで、などとセンチメンタルに過ぎる。大体魔人が、そこまで人間に入れ込むとも思えない。
キッスはふう、と息を吐いた。
あれからグリニデは顔を出さない。今は朝参も免除されているから、他の魔人とも顔を合わす事はない。
自分はこの城で、どういう立場に置かれているんだろう?
自分は遺跡調査に行ったり、持ち帰ってきた物を研究室で眺めているだけで幸せなのだが、グリニデの愛人、いや、稚児……? とでも思われているのだろうか。憂鬱だ。好きで寝室に侍っている訳じゃない。いちいち弁解に回る事も出来ないし、それより。
また、あんな風にされたら……!
寒気がして、キッスはシーツの中で首をすくめた。
体を探られるのは我慢する。口で慰めるのも甘受出来る。でも、アレは無理だ。殺される。今度こそ。
キッスに出来るのは今度の事で、人間は使えない、とグリニデが思ってくれるのを祈る事だけだ。
そんな希望も、やはり打ち砕かれる事になるのだが。
その日はダンゴールが入浴の用意をしてくれた。
座れるようになると、拭くだけでは気持ち悪いでしょうと何度か、これまでも風呂に入れて貰った。やはりたらいに湯を張っただけの簡易なものだが、キッスには嬉しい心配りだった。
しかし今日は様子が違っていた。
まず、たらいが大きい。花まで浮いている。大きな壺に入った湯が後から後から運ばれてくる。蟻達がなみなみと入った湯をこぼさないよう器用に運んでくるのはコミカルで楽しい光景だったが、キッスはベッドの上から問い掛けずにはいられなかった。
「ダンゴール。それ……」
「久しぶりのお渡りですからね。綺麗にしておかないと」
いそいそとダンゴールが支度しながら答えた。
主語が抜けていたが、誰の事か聞かずともわかった。魔人グリニデ。キッスは唇を噛んだ。
「ま、待って、ダンゴール。僕、まだ、完治してないし……!」
「大丈夫ですよ。座れるようになりましたし、ゆっくりとなら、立ち上がれるようにもなったじゃありませんか。実は、グリニデ様からキッスの回復はまだか、と矢の催促でして。随分と焦れていらっしゃるようでしたよ。良かったですね、羨ましい限りですよ。グリニデ様にあそこまで想われて」
「………!」
絶望、とは、こういう事を言うのだろうか。
ダンゴールは心底羨ましそうに、楽しげに言った。ダンゴールの立場ならそうだろう。でも自分は。
「待ってダンゴール。ぼ、僕、まだ、無理……! ダンゴールから閣下に上申して。僕はまだ、閣下のお相手を務められるほど治癒してませんって……!」
「それなら気になさる必要はありませんよ」
無我夢中のキッスの訴えをダンゴールは軽くいなして、
「グリニデ様も、いささか自戒なされたらしく、キッスどのが伏せってらした間は他の人間で代用してましたよ。その際、人間の強度や耐久性なども研究されたようですから、前回のような事にはならないでしょう。知ってはいたが、人間とは脆いものだな、ダンゴール、などともおっしゃってましたよ」
弾んだ声でダンゴールは言った。
反面、キッスは顔を蒼白にして、ダンゴールの言葉を反芻していた。それはつまり、他の人間を……キッス以外の者を、実験台にした――事にはならないか? 自分はまた、誰かを犠牲にしたのか? 自分の預かり知らない所で?
「う……ぁああああっ!」
頭が痛い。もう何も考えたくない。自分は他の人間を犠牲にしないと生きられないのか!?
「キッスどの!? どうなさいましたキッスどの!?」
「触るな――もう、誰も僕に触るな! みんな出て行け!!」
キッスは暴れた。が、大した力が出なかった。ベンチュラには及ばないものの、六本もの手足を持つダンゴールに簡単に取り押さえられる。ダンゴールは他の大型の魔物を呼ぶと、よってたかってキッスを湯の張ったたらいに移し、湯を浴びせ、隅々まで磨き上げ、髪まで洗って乾かせると、見張りを置いて部屋を出た。キッスはぐったりとしたまま、ベッドに戻された。
程なくして、声が聞こえてきた。
「――何やら錯乱しておられました。今は落ち着いてらっしゃいますが……」
「ふむ。なまじ知恵が回ると、いらぬ事にまで気がついて大変だな」
ダンゴールとグリニデの会話。
グリニデだけが、部屋に入ってくる。グリニデは見張りの魔物を退がらせた。ぼんやりと放心したように目を開けているキッスに近付き、ベッドに片膝を乗せる。
「これを御覧。キッス君」
グリニデはキッスの鼻先に、華奢な硝子の小瓶を突き付けた。
つん、ときつい花の香りがする。
「香木から摂った精油だ。これで、君も少しは楽になるだろう。犯す度に寝込まれては、私も後味が悪いからな。さあ、足を開きたまえ」
キッスは素直に足を開いた。もう抵抗する気力も無かった。
香の匂いがきつくなる。無防備になったそこに、魔人の指が触れる。ぬちゃ、と嫌な粘着音がした。
「……うう……」
キッスはちいさく呻いた。
グリニデは油を塗り込めながら、皮肉げに、うつろになったキッスの顔を覗き込んだ。
「……良さそうだな、キッス君? では、喋って貰おうか。ビィトとかいう人間の事を」
グリニデは嘘や虚言を許さなかった。
容赦なく責められ、キッスは洗い浚い吐かされた。
ビィトとの出会い、関係……その上で、誰が主人か今度こそその身に叩き込まれた。
何度も絶対服従を誓い、泣きながら懇願しても、グリニデの動きが止まる事はなかった。
< 終 >
>>>2010/7/6up