WILDER THAN HEAVEN
日々は穏やかに過ぎていった――ように、思う。
人間、どんな環境にも慣れるもので、グリニデ城でただ一人の人間、キッスは、それなりに平穏な日々を過ごしていた。魔人達はキッスには親切だったし、懐いてくる魔物は可愛い。
厳密には、キッスの為に再生虫の畑になった人間もいるのだが、それはロズゴートの管轄なので、キッスから会おうとしなければ顔も見ない。そしてキッスは、とっくの昔に畑にされた人間達の事を考えるのをやめていた。一応、正気を失わせる薬は作って手渡しているが、はて、これは何の為の薬だったっけ? と、時折疑問になる位だ。
その薬の量も、最近はかなり減っている。
グリニデを怒らせて、キッスが怪我をする事が少なくなったからだ。体が慣れたせいもある。
少しずつ、グリニデとの関係も、好転してきたような気もする。
強姦、いやそれ以下の検分から始まった関係ではあるが、グリニデは、今では自分を大事にしてくれている。魔人の表現方法は、キッスには戸惑うばかりでわからない事も多かったが、多分、気に入ってくれているのだろう、事は見当がついた。それは、キッスが思うよりもう少し濃い感情かもしれない。
流されてるなあ……、とは思う。
だけど、今の居心地は悪くないのだ。人間から見捨てられて、魔人に助けられて……また違う魔人、グリニデに拾われて、部下になって……たかだかこの一年や二年の間に、随分と色んな事があったものだ。感覚的には、もう十数年も経ったようだ。
何かとても大切な事を忘れている気もするけれど、キッスがやっと掴んだ平和な日常だ。
失いたくない。平和とは程遠い、小康を保っているだけの状態と心の底ではわかっているが、この為に色々な犠牲を払っているのも承知だが、このままずっとこうして暮らして行きたかった。
波風を立てるのは本意ではなかった。
キッスが自分の中の欺瞞から目を背けていれば、その日々は保証されていた筈だった。
ある日、グリニデは『狩り』に出掛けた。将来有望なバスターを、まだレベルの低い内に殺してしまう事だ。いつもの事なのでキッスも放っておいた。相手が六ッ星のグリニデなのは不運だが、いずれ魔人とバスターは対決するものだし、気に入られれば殺されずに済むかもしれない。自分のように。
キッスが魔人と暮らすようになって、一番変わったのが死生観だ。
それまでは自分は人間だ、という自負があったから、バスターとして魔物を倒す事に何の躊躇もなかった。だが、バスターとしての力、天撃を封じられて、一個の人間として魔物の中に放り出されて、キッスは途方に暮れる。
魔人はキッスには友好的で、下手をすれば人間より人間臭く、キッスは好感を持った。
半分正気を失っていた時に、人間としての意識や気負いが一旦リセットされていたのも良かったのかもしれない。真っ白な状態で、キッスは魔人と向き合えた。人間と敵対している魔人の事を積極的に肯定はしないが、口出しはやめた。
人間だって魔物や魔人を殺している。どっちもどっちではないか、と思う。
この境地に至るまでは、キッスも一緒に働いていた博士達や、畑にされた人間達を助けようと画策したり庇ったりしていたが、自分の手で助けられる人間の数には限界がある。正直どうでも良くなった、というのが正しい。
きっと人間としての自分は、戦士団に捨て駒にされた時に死んだのだろう。
だから、ひとつの村が滅ぼされようと自分の為に何人の人間が犠牲になろうと、心は痛まない。痛めない。自分の身は自分で守るべきだ。キッス自身も、無力で非力な人間として魔人の中で生き延びてきた。他の人間にだって、やってやれない事はない筈だ。
そんな事を考えながらキッスは、以前から溜めていた翻訳作業に専念していた。
「………?」
表が騒がしい。グリニデが帰城したのだろう。
に、しては、いつもと様子が違うような……? キッスは立ち上がって、窓から外を眺めた。
ちょうど、戻ってきたグリニデが顔を上げるのが見えた。目が合った。
ぞく、と悪寒がキッスの背筋を駆け抜けた。
まずい。あの目は、何かよからぬ事を考えている目だ。狩りがうまくいかなかったのだろうか。
ダンゴールとは違う意味で、キッスもグリニデの不機嫌解消に使われていたので、対処の仕方はわかる。とにかく、この場を離れよう。ほとぼりが冷めた頃に戻ってくればいい。
そう思ってキッスは、普段から用意している脱出セットを手にして研究室を出た。
廊下を幾らか走った所で、大型の魔物に足止めされた。
通せんぼをするように立ちはだかり、キッスが頼んでもどいてくれない。どころか、直立歩行の三葉虫に似た魔物はキッスに手を伸ばしてきた。そのまま拘束される。
「ちょ、ちょっと……!」
これはただごとではない。異常事態だ。
キッスに向かって魔物が手荒な扱いをする事はない。なら、これにはグリニデの意思が働いている、と見ていいだろう。キッスは逃げるのを諦め、ぽとりと足もとに脱出セットを落とした。逃げるのに失敗したのだから、これ以上グリニデを激昂させる材料は、減らした方がいい。
監視役を兼ねてはいても、キッスに忠実なトリュプス達が、これを片づけてくれればいいが。
キッスはやはり、グリニデの寝室に連れて行かれた。
わかってはいても、足が震える。
これまでの経験上、こうして呼び出された時は、仕置きがきつくなると知っている。
屠殺場に連れて行かれる獣になった気分で、キッスは三葉虫に似た魔物がグリニデの寝室の扉を開けるのを見た。
「……あれ?」
寝室にダンゴールも待機していた。珍しい。忠実な執事のダンゴールは、一度の例外を除いて主人の夜の生活には関与せず、もっぱら後始末やキッスの体のケアなど、フォローに回っていた。そのただ一度の例外がどんなものだったかを思い出せば、これから行われる事も察しがついた筈だが、完全にキッスは油断していた。それだけ心を許していた、とも言えるだろう。
「え!?」
失礼します、とぺこんと頭を下げて、ダンゴールがキッスの手を後ろ手に縛った。
服を上着ごと全てはだけて、肘の辺りでわだからせたまま、胸にも縄をかける。三葉虫が、抵抗出来ないようキッスの動きを封じていた。グリニデはベッドで足を組んで、鋭い目でその様子を注視していた。
「出来上がりました、グリニデ様」
ダンゴールが言う。三葉虫が、キッスの背中を押すようにして歩かせた。
足はまだ自由だが、これではベッドに乗った瞬間、こちらも緊縛されそうだ。縛られた事も何度かあるが、ここまで念入りに準備されたのは初めてで、余程、グリニデは気に入らない事があったらしい。
グリニデの隣に寝転がされた時点で、三葉虫は退出していった。
未だ残っていたダンゴールが、キッスのブーツを脱がせ、下衣を剥いだ。
キッスは顔を背けた。何度見られていても、恥ずかしいものは恥ずかしい。だからキッスは、ダンゴールがサイドテーブルに置いてあった、盆の上のかけ布を取り、グリニデに差し出したものに気付かなかった。チャリン、と固い音がして、キッスは目を向けた。
グリニデの手の中に、鈍く光る金属製の輪。――コックリング。
キッスは叫んだ。
「嫌……!!」
「押さえていろ、ダンゴール」
はい、とやはり忠実に返事をして、ダンゴールは左の足を四本の手で抱きかかえるようにして、大きく広げさせた。上半身は元々縛られているのだから大した抵抗は出来ない。グリニデ自身はキッスの右足に自分の膝を乗せ、うずくまった。キッスの中心に、冷たい金属の輪が触れる。三連の。
「嫌……っ! そ、それは、それだけは嫌っ。許して、閣下……!!」
聞き届けられる筈がなかった。
グリニデはまだ柔らかいそれにリングを通すと、残る二本もそれぞれすぐ下のちいさな丸いふくらみに嵌めてしまった。今はまだひやりと冷たいだけのそのリングが、いずれ痛いほど圧迫し、自分が苦しさにむせび泣くようになる事をキッスは知っている。
以前、使われた事がある。一度だけだったが、キッスの尋常でない乱れ様に、グリニデも慌てて外そうとしたが萎えるまで外せず、地獄の時間を過ごした。あの時は一連だった。それなのに、今回は。
「許して。許して、閣下……」
もう既に泣いていた。
グリニデは斟酌せず、乱暴にキッスのそれを擦り上げた。
「うあ……!!」
流れ込む筈の熱が、リングの所で堰き止められる。放出されない熱はキッスの体を駆け巡って、全身を過敏に、鋭敏に変える。せめてもと容赦のないグリニデの手から逃げたくとも、拘束された体は首くらいしか自由に動かせない。
ダンゴールが、また違う小物をグリニデに差し出した。張型だが、前回とはサイズが違う。大きい。
それも、グリニデはまだ充分に潤んでいないキッスの後ろに突き立てた。
内側のそこを突かれれば、いつもすぐキッスはイッてしまう程の衝激だったが、今回はリングのせいで出来ない。先端から恥ずかしい汁をたらたらと垂れ流しながら、キッスは絶え間なく震え、呻いた。そんなキッスをグリニデは、さげすむような目で見ていた。
「………っ」
何があったのだろうか。自分をここまで責めねばならない程、不快な事があったのだろうか。
それとも自分は、知らない間にグリニデの不興を買うような真似をしたのか……?
キッスの心を読んだように、グリニデが口をひらいた。
「ビィトというのは、君の友人だったな……?」
>>>2011/2/5up