薫紫亭別館


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「……あなたは一体どういうつもりなのですかぁぁっ!!」
 ダンゴールの指摘が余りにも正論で、正鵠を射ていただけに、キッスは何も言えなかった。
 代わりにポアラが言い返してくれたけれど、それもちょっと的外れな気がする。
 八つ当たりではないし、自業自得でもない。魔人や人間に限らず、親切にしていたのに手のひら返して裏切られたら、それは恨みごとのひとつも言いたくなるだろう。相手がそれを受け取って、ありがたく享受しているように見えたのなら、尚更。
 地団駄を踏むダンゴールをひとまず横にして、キッスは撤退を進言した。
 目的であるグリニデ城の破壊が既に行われている以上、余り長くとどまるのは危険だ。
 ビィトとポアラについて歩こうとしたキッスの足が、シュル、と渦巻いた地面にめり込んだ。
「うあっ!」
 まずった。ルートトラップに引っかかった。
 これを操れるのはただ一人、グリニデだけだ。キッスはぽかりと開いた空間に出た。
 周りを見上げながらここはもしかして『あの部屋』なのかと呟く。城の最深部にあると言う。
「……その通りだよ……キッス君……」
 グリニデはこれまで誰も、キッスはもちろん、執事のダンゴールでさえも入室させた事のないグリニデのプライベートルームに入って、座るよう勧めた。キッスは躊躇したが、再度促されて足を向けた。心の準備はしていなかったが、仕方ない。
 目を伏せてドアを開け、椅子を引く。
 その間にもグリニデは何やらごちゃごちゃ言っていたが、ほとんど耳に入っていなかった。
 かろうじて冷静、という単語だけは聞き取れた。グリニデからもっとも遠い言葉だ。
 キッスは恐る恐る顔を上げた。
「……そう……、私は冷静だ……!!」
 全然冷静じゃない。怒りのゲージを表す額の角が、完全に露わになっている。
 酒を満たした杯を渡され、その表面が盛り上がっているのを見て、キッスは今は刺激しないよう注意しないと、と心に決めた。表面張力。グリニデと同じだ。ちょっとしたきっかけで爆発する。
 グリニデはさあ、話し合おう、と言った。
 キッスの言い分を聞いてくれるらしい。寛大な事だ。いや、実際に寛大なのだ。
 キッス達が三魔人を葬った事を知っていて、あれだけ暴れた上で、それでもかつての部下の話を聞いてくれようとする。これが寛大さでなくて何だろう。純粋に尊敬する。そして、勇気を貰った気がする。
 本音を言ってはただでは済まないだろうが、ここで逃げてどうする。
 せっかくグリニデが向かい合ってくれようとしているのだ。こちらも真摯な態度で臨むのが礼儀だろう。
 キッスはこれまでの経緯を話した。その上で、ビィトの元に戻りたい、と告げた。
 グリニデは黙って聞いていたが、やがて頷いて、君の言いたい事はよくわかった、と呟いた。
「正直……、今すぐ君の首をねじ切って、胴体を二つに裂きたい衝動に駆られるよ……!」
 ずい、と顔を近づけて、グリニデは脅すように言った。
 キッスは押し黙った。
 これは死んだな、と頭のどこかで他人事のように思い、目を瞑った時、予想外な言葉が聞こえてきた。
「だが……あえて許そうじゃないか……」
「え……っ?」
 グリニデは如何に、キッスの知性が自分に必要か説いた。キッスは謙遜したが、グリニデがパチンと指を鳴らすと、壁の本棚が左右に開き、その向こうにもうひとつ、部屋があるのがわかった。木の根に似た沢山の管に繋がれたガラス容器の中に、様々な魔物が浮いている。
 造っているのだ。グリニデは、魔物を。キッスは腑に落ちたように言った。
「僕は……これに協力していたのですね」
 遺跡の発掘も、魔文字の解読も、全て過去の技術を現在に甦らせる為。古代、魔人は自らの瞑力で魔物を生み出して配下にしていたという。グリニデが樹の章の魔物だけを集中して買い続けたのも、まずはひとつの章の魔物の特性を把握する為に。
 納得すると同時に、グリニデの目指すものもわかった。世紀の大事業、特別褒章、領土拡大、そして、
「また……、星をひとつ……」
 そうしたら。
「そう……八輝星だよ。ゴールが見えてきた……!!」
 愛おしげにグリニデは魔物の入ったガラス容器を撫でた。城を壊滅させておきながら、傷ひとつないこの部屋の状況が、グリニデにとって、ここがどんなに大切な場所か教えてくれる。
 グリニデはキッスも、失いたくないと言ってくれた。
 それはありがたいが、あれだけ不義理をして未だ殺されていないのも、自分の頭脳を高く評価してくれているからだとわかっているが……。
「………」
 別に、魔人側に立っても良かった。
 忠誠を誓い部下になって、グリニデが八輝星になるのを見届けても良かった。
「猛省して、再び戻ってきたまえ……」
 嘘でもYESと言っておいた方がいい。この場は。だけど。
 グリニデがビィトを始末して戻ってこい、と言うのに、キッスははっきりNO、を突き付けた。
 ビィトとの約束は二度と破らない、というのがキッスの出した答えだ。
 ビィトは見返りを求めなかった。
 どころか罠に嵌めた自分を許し、グリニデの毒からも救ってくれた。
 丸ごと自分を受け入れてくれたビィトを、キッスは今度こそ裏切れない。それ位なら、この場で死んだ方がマシだ。グリニデの役に立たずにも済んで丁度いい。恩はあるが、キッスはグリニデから、それ以上の絶望を受け取った。心の奥底から、許すな、という声がする。
 体を震わせ、グリニデは喚いた。沸点が近い。
 キッスが思わず後ずさった時、ビィトがドアを蹴り倒して助けに来てくれた。ダンゴールに場所を聞いたのだろう、後ろにポアラの姿も見える。部屋の場所くらいは、ダンゴールも知っていたらしい。
 キッスを弁護してくれながら、だが、ビィトは禁句を言ってしまった。
 ロズゴートが片目を失う元凶になった言葉。
 ギリ、と歯を喰いしばり、憤怒し、グリニデが大きくその言葉を怒鳴ると、額の角の辺りから、ビシッと亀裂が入って額が割れた。亀裂はグリニデの全身へと広がり、中から角と同じ、赤紫色の皮膚が現れた。
「な……っ、何だ!? 何だあいつ……!?」
 叫ぶビィトに、とりあえず逃げようと促し、キッスはマントを翻して走り始めた。
 ポアラと、ダンゴールまで一緒になって、大切にしていた部屋に破壊を加えるグリニデから距離を取るべく外を目指す。グリニデが咆哮した。それだけで衝撃が走って吹き飛ばされる。幸い、ビィトのクラウンシールドと、施設の虫の巣のような材質がクッションになってくれたおかげで事なきを得たが。
 ダンゴールいわく、あれが、本来のグリニデの姿らしい。
 トラキラ、という秘草から抽出した液体に身を浸して精神の安定を保っていたらしいが、あれで安定していた、というのだから恐ろしい。完全に本性を出したら、一体どうなってしまうのだろうか。
 撤退したい所だが、死ぬ気で戦わないと逃げ切る事すら出来そうにない。
 そう、ビィトが言った。覚悟を決めろ、と。
 グリニデは益々暴走している。離れて攻めろ、というビィトの助言に従って回避しながら攻撃しているが、あれが以前のグリニデと同一人物とは思えない。確かに癇性で怒りっぽくはあったが、常に自制し、冷静さを保つよう努力していたのが、キッスの知っているグリニデだったのに。
「……頼むわよ! 遠距離型っ!!」
 ポアラの言葉にキッスははっと我に返った。
 そうだ、いつまでも狼狽している訳にもいかない。閣下……いや、魔人グリニデは、自分が止めなくてはならない相手なのだ。キッスは元は何かの巣だったのだろう、丸い岩の上に立ち、天力を凝縮し始めた。そうしながらキッスは自分の頭の芯が妙に冴えて、熱く、夢中で戦っている自分を妙に冷めた目で見ている、もう一人の自分がいる事に気付いた。
「天青の氷結波!!」
 タイミングを合わせて、今のキッスの最大限の必殺技を繰り出す。ビィトが盾を鉄球状態にしてぶつけようとしたが、グリニデは氷結波を筋肉の隆起だけで受け止めたようだ。あれでは完全に凍結しない。氷結波が割れ、ビィトの鉄球が蹴り返されるのを、これもキッスは冷静に見ていた。
 立ち尽くすビィトとグリニデを、ダンゴールが物陰から見ている。
 グリニデがそちらを見た。気付いてくれたと嬉しげに走り寄ろうとしたダンゴールをグリニデは冷たく遠ざけた。ダンゴールに見切りをつけさせる為に、あえて怒剛裂波を放つ。ダンゴールは涙を湛えながら逃げ出した。グリニデは寂しげに見送った。胸が痛む。グリニデの感情が流れ込んでくる。
 これは何だろう。キッス自身はさっきの怒剛裂波から身を守る為に、ポアラごと風の天撃でくるんで瓦礫の下敷きになったので、視界はほぼゼロに等しかったのだが。
 ポアラに助けられながら瓦礫から這い出す。天撃を連発したせいで、天力が下がって力が出ない。
 情けなく思いながらもビィトを探す。
「!!」
 ビィトがグリニデと相対している。ビィトは地面に座り込んだまま、立てないようだ。まずい。
 もう一度あの技を喰らったら、幾らビィトでも……!
 キッスが危惧していると、号哭してグリニデが膝をついた。人間をゴミ扱いして、呪いの言葉を述べたてている。キッスは驚かなかった。うん……まあ、そんな所だろうな。正直に言っちゃう所がグリニデらしいと、何だか笑いがこみあげてくる。
 ビィトは笑い飛ばさなかった。ビィトにはまだ荷が重くて殆ど使っていなかった、かつてのブルーザムの才牙、ボルティックアックスを具現させる。ポアラは何を思ったのか、キッスを肩に担いで逃げ出した。
 途中、アックスの風圧でまっぷたつにされそうになったが、幸い髪が多少短くなっただけで回避出来た。
 ビィトは斧を振り回しているが、キッスの目からは斧に振り回されている、ように見える。
 が、当たれば大きい事から、いい勝負……か? とも思う。
 ポアラがそれを否定した。確かにビィトとグリニデでは身体能力に差があり過ぎる。このまま戦闘が長引けば、先にビィトの方が体力的にへばるのは目に見えている。キッスはこぶしを握り締めた。ここまでか。
「ここまでか、ですって……!?」
 ポアラに睨みつけられて、首をすくめる。失言だった。でもこれ以上、どうすればいいんだろう。
 苦戦しているビィトを見て、ポアラは作戦を提示してきた。
 期待には応えたいけれど、自分はもうまともに立つ事すら出来ないし、天力もほぼカラだ。でもポアラはキッスになら出来ると、変に確信している。でも作戦ったって、ビィトの足止めをする、その為の時間を稼ぐ、だけで、具体的な案はこちらに丸投げなんだから、簡単でいいよなー、と捻くれたくもなる。
 まあでも、至近距離で天撃をぶつけるポアラの方が、胆力は必要だろう。
 その前に、キッスが失敗すれば、三人で仲良く最期を迎えるかもしれないが。
「……ポアラ! 僕の後ろへ!!」
 思いついちゃったものは仕方ない。後は実行するのみだ。
 キッスは風の天撃を身にまとい、グリニデの怒剛裂波の衝撃を中和するように気流を張り巡らせて、一旦受けてから、左右に裂いた。そうして出来た隙間から、ポアラを前に行かせる。ここまで来れば、キッスに出来る事はもう本当にない。倒れて地に伏せながら、キッスは成り行きを見守った。
 ビィトが生成した槍を伸ばして空中に距離を稼ぎ、怒剛裂波を飛び越え、同時に斧の生成を始める。ポアラが生成に必要な時間、足りない2秒か1秒を、グリニデに炎の天撃をぶつけて作る。グリニデの瞑力に抑え込まれて、失敗かと気落ちしたが、偶然にも抑えこまれた事によって、ただの天撃がバーストエンドに進化した。炎の天撃の奥義だ。
 バーストエンドがグリニデの左腕を失わせ、ボルティックアックスがグリニデの角を折った。
 決まった……か? いや、まだだ。
 グリニデは起き上がるとビィトの腕を掴んで宙づりにした。ビィトは炎の天撃で反撃した。
 自分の手まで燃えているが、ビィトはそれに構わずに、空いた手の拳をグリニデの顔面に殴りつけた。
 グリニデがビィトの身を離した。後ろ向きに倒れかかりながら側頭部が爆発する。
 今度こそビィトは勝った。
 後一歩の所でグリニデは倒れなかったが、素直に負けを認めた。
 穏やかな声だった。キッスは元の人格、深緑の知将と呼ばれていた頃の……に戻ったのか? とグリニデを見上げた。頭部が半分欠けた状態のグリニデは見るからに痛ましく、思わずキッスは目を伏せた。
 きっともうすぐ、世界が終わる。
 グリニデがつくりあげた、グリニデの支配する世界で、グリニデと共に過ごす事に拠って生まれた魔人としての自分。生身の、人間としてのキッスの目を通して、この自分は大勢を見ていた。
 地鳴りがしていた。グリニデは、強大な瞑力を持つ魔人の角を折った場合の話をしていた。
 そうすると制御を失った瞑力が体内で圧縮され、その死と同時に大爆発を引き起こすのだそうだ。
 自分はグリニデに殉じてもいいが、人間としての自分はそうもいかないらしく、奥歯を噛みしめて駄目かと感じている。いつのまにやらいつかの女の子、BB・ミルファが来ていた。
 ミルファはBBにふさわしい、強力で巨大な己の才牙でグリニデを遥かに遠くまで押しやった。
 グリニデの体が爆発するのを、ここから自分は見届けた。
 色々な事があった。
 拾われてからこちら、愛憎半ばする気持ちでグリニデに接していたが、愛、の部分は無視していた。
 毒の腕輪の分だけ、体をおもちゃにされた分だけ、愛より憎しみが凌駕する。
 ひとことでは言えない、割り切れない想い。
 初めは苦痛でしかなかった夜伽も、あれだけ求められれば情も湧くし、ほだされもする。
 キッスの想いを全て置き去りにして、強引にグリニデが最後に自分を開いた時、自分とグリニデを繋ぐ糸は切れていたのだ……と思う。今、思い返してみれば、だが。
 グリニデの消えた世界に想いを馳せる。
 貴方が死んで自由を得て、初めて自分は認める事が出来る。
 ――してますよ。
 人間としての自分は助かった事に大きく安堵して、完全に地面にへたってしまっている。
 ビィトの呼びかけに応え、ビィトの手とポアラの手と、自分の手とをキッスは重ね合わせた。
「……ミラクルチーム……だよ……」
 つぶやきながら目を閉じる。
 同じように、自分も眠ろう。魔人としての自分は、もう必要ない。
 キッスが魔人として目覚めるのは、これからそう遠くない未来の話になる。

<  終  >

>>>2011/5/12up


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