やり直せる、と。
その時思ったのだ。ビィトが、横道に逸れた自分を連れ戻す、と言ってくれた時に。
ビィトがサイクロンガンナーを極め、フラウスキーとベンチュラを殺めたのを見た時、自分の心は確かに痛んだのだけど、同時にほっとしたのも事実だった。キッスは自分との違いを感じながらビィトを見た。
勝ったな、と無邪気に言えるビィトが羨ましい。
自分にはそんな権利はない。魔人の部下になって、ようやく生き永らえていた自分には。
「……大したものだな……、実際……!」
正面からビィトの目を見る事が出来ずにうつむいたキッスの耳に、これも聞き慣れた声が届いた。
ロズゴート。闇軍師、の異名を持つ魔人。
キッスの主治医でもある。
ロズゴートはビィトを大敵と認める発言をすると、瞑撃でビィトを吹き飛ばした。
ビィトは才牙を出せないようだった。ポアラも左腕と鉄甲銃とを氷の瞑撃で凍らされて、身動きが取れない。二人ともゴホゴホと咳き込んでいる。キッスには何となく仕掛けが読めた。
ロズゴートが上位瞑撃でビィトを葬ろうとしたのを、キッスは体を張って止めた。
「……何の真似だ。キッス」
そう言われるのも無理はない。自分はグリニデの部下で、ロズゴートの味方なのだから。
でも、ほとんど無意識に体が動いたのだ。もう二度と、ビィトを見殺しには出来ない、と。
キッスは状況を説明した。
ロズゴートは奥義、イリュージョンミストの仕組みを見破られても余裕たっぷりに、機嫌良く魔人側に戻るよう、キッスに説き勧めた。頭脳を買ってくれているのは嬉しい。フラウスキーとベンチュラがビィトに殺された今となっては、破格の申し出だとわかる。
ロズゴートはマントのフードを脱いで顔を露出させると、左目の傷について回想した。
それはグリニデに付けられた傷、らしい。力に従う生き方は、それはそれで魔人らしい理屈だと思うけれど、自分もそうやって生きてきたのだけど、……誇らしいかどうかはわからない。
幸いビィトは生きていてくれたけれど、もし、あのまま喪っていたら、キッスは永遠の後悔と罪悪感に苛まれながら残りの人生を過ごしたろう。それもキッスが選んだ結果ではあるが、今なら、別の判断が下せるような気がする。
――ビィトが、天撃の天才と言ってくれたから。
世界一の天撃使いになる男だと、ビィトが言い切ってくれたから、信じてくれたから、キッスは自分の命を捨てても、ビィトを守りたいと思ったのだ。救いたいと、願ったのだ。
フラウスキーいわく裏切り者で表返り者のコウモリ野郎の自分は、きっと死んだら地獄に落ちるだろう。
だから許して、ロズゴート。ベンチュラ、フラウスキーも。
キッスは片手でロズゴートの最終瞑撃、業火の瞑撃流を防いだ。ぽたぽたっと、腕輪をつけられた左手首から血が滴り落ちる。
「……五分……。いや、三分……かな。この毒で僕が死ぬまで……」
針で貫通された痛みは不思議なくらい感じなかった。早くも麻痺が始まっているのかもしれない。
なら、余計に早く決着を付けなければ。
キッスは天撃の気流でロズゴートの毒霧を遮断しながら通常天撃を繰り出した。
ロズゴートは、少しはキッスの事を見直してくれたようだ。同僚とは言っても、純粋な戦闘力は腕輪のおかげで封じられていたから、ロズゴートが侮るのもわかる。でも、これはチャンスだった。
ロズゴートが見くびってくれている内に、キッスは火の上位天撃を頭上に集め始めた。
全力でぶつける。
ロズゴートが防御している隙をついて、ビィトがサイクロンガンナーを撃つ。
ガンナーの弾は僅かに逸れ、ロズゴートは地の瞑撃でビィトの足下を掬った。ロズゴートがビィトに意識を向けている時間を利用して、キッスは水の天力を極限まで圧縮した。
「天青の氷結波!!」
鳥のような形をした水の天撃が真っ直ぐロズゴートを貫いた。
胸から凍傷が広がって、業火の瞑撃流さえ白く凍りつき、やがて亀裂が走り、ロズゴートは小規模な爆発を起こしたように割れ、幾つかのパーツだけが残った。キッスはかつての仲間の最後を見届けた。自分が殺したのだけれど。
「……凄げえよ……! それでこそキッスだ……!!」
ビィトが指を立てて言うのに、キッスも親指を立てて返したけれど、複雑な気分ではあった。
キッスは凍ってまだ身動きが取れないポアラを火の天撃で自由にして、少しは君達の役に立てたかな、と笑った。最後の最期に自由になれた。悔いはなかった。もう少し早くこうしていれば良かった。
膝からキッスは地面に倒れた。心臓がまともに脈打っていない。
死んじゃうんだな、と思った。
キッスにとって死はとても身近にあって、これまで忌避していたけれど、とても懐かしい友人に会うような気さえする。ビィトが才牙を構えている。ビィトを救えて、そのビィトに介錯して貰えるなら、ここまで意地汚く生き永らえたかいがあったというものだ。
安らかな気持ちでキッスはその時を待った。
だが、ビィトのエクセリオンブレードが切ったのは左手首の腕輪だった。
次にビィトはクラウンシールドを生成すると、その能力でキッスに回ったグリニデの毒を攻撃した。
「………」
茫然として、キッスは自分の手首を見た。
倒れていた場所には、人型に毒が抜けた跡が残っている。
キッスは滂沱の涙を流した。
あのまま死んでいて良かったのに。もの凄く恥ずかしい。元のキッスに戻った、なんて、ビィトは情けをかけたつもりなんて全然なくて、本心から言ってくれているのがわかるからこそいたたまれない。みじめで情けなくて、みっともなくビィトに喚き散らして、それでもビィトは受け入れてくれた。
顔中の穴という穴から水分を盛大に垂れ流しながら、キッスはビィトに掻きついて泣いた。
ビィトは頭をぐらぐらさせて、いつの間にか寝入ってしまった。
ポアラがひきつった顔をして自分達を見ていた。
多分呆れていたんだろう。
泣きながらもキッスは頭の芯で、元に戻るなんて事はない、と考えていた。
一度汚れた布は、どんなに洗っても純白には戻らないものだ。
グリニデの注ぎ込んだ毒はキッスの中に蓄積している。それは実際の毒ではなくて、魔人の考え方、感じ方、正義、そういったものがキッスには沁みついている。もう自分はまともな人間ではない。
ビィトと行動を共にするのなら、常にその事を念頭に置いておかなくてはならないだろう。
人の村を滅ぼしたのと同じ手で、これからキッスは懐いてくれた魔物を手にかける。
それから、グリニデも。
成功するかは疑問だが、ビィトと同じように自分を拾い、庇護してくれた存在を、キッスは倒そうとしている。割り切れ、考えるな。受けた仕打ちを思い出せ。半端者である自分は、人の数倍努力しないとビィトの仲間として認められない。ポアラにしても、本音は迷惑な事だろう。
元・魔人の部下が自分の戦士団に入るなんて、誰だって御免こうむりたい筈だ。
キッスがビィト戦士団に入った弊害はすぐに現れて、ビィト戦士団は鑑定小屋でのレベルアップや換金が出来なくなってしまった。赤貧を余儀なくされて、多少、ポアラが嫌味を言いたくなっても仕方がない。
ビィトが天然発言で和ませてくれるのが救いだが、それで事態が改善される訳でもない。
キッスは益々、せめて黒の地平での戦いで役に立たなければ、と決意を固めた。
自分が犯罪者である以上、いつまでビィトとポアラの側にいられるかわからないからだ。
ムスリーの街で、ミルファという女の子に出会った。
ツチギンチャクを彼女とビィト戦士団の全員で倒して、一件落着と思われたが、後からミルファがBBと知って肝を冷やした。BBとはブロード・バスターの略で、規律を乱したバスターを処罰出来る管理官の資格も持っている。
ミルファはその場でキッスを逮捕出来る立場にあった訳だ。うまくバレずに別れる事が出来て、キッスは胸を撫で下ろした。手配書には載っていると思うのだが。
せめて、グリニデ城を破壊するまで逮捕は待って貰いたい。
キッスは情報をビィトとポアラに提供し、作戦を練った。さすがのビィトもグリニデとの正面衝突は避けたいらしく、今回は城の中枢を破壊して、グリニデの弱体化を謀る予定だ。見張りの魔物がほとんどいないのが不自然だった。
扉の向こうで待ち伏せしているかもしれない、とキッスは注意して、ビィトはそんな奴ら扉ごとぶっ飛ばしてやろうぜ、と盾を生成し、地上からグリニデ城に入れる唯一の扉を破壊した。すかさず走り込む。
だが、土煙が晴れたキッス達の目に飛び込んできたのは意外な光景だった。
そこには死、があった。
引き千切られ、押し潰された魔物の群れ。
ビィト戦士団が手を下すまでもなく、城は何者かに拠って全滅させられていた。
キッスはロズゴートに聞いた、グリニデのもうひとつの異名を思い出した。『血塗られた獣』。
深緑の知将、とは、グリニデが自分で広めたものらしい。
それでは、この光景を招いたのは……。
口に出さずとも、全員が誰の事か理解していた。顔を見合わせる三人の間に、巨大な丸いものが飛んできた。ダンゴール。グリニデの忠実な執事だった。
>>>2011/4/20up