雌型、と呼ばれるからには対になる雄型が存在する。
彼はジゼルより肌が白く、滑らかで、髪は淡く蜂蜜色に輝き、何よりジゼルよりも年若だった。ほぼ成人のジゼルに比べ、彼はまだ少年のような少女のような微妙な年齢で、しゃぼん玉が弾けた一瞬を切り取って閉じ込めたような瞬間の美しさに満ちていた。
ふい、と彼は目を逸らし、何やらグリニデに報告を始めた。
その顔にはもう、ジゼルに対する何の関心も浮かんではいなかった。
「――以上です。よろしいでしょうか、閣下」
内心を押し隠して無表情を貫く姿勢は、確かにジゼルと通ずる所がある。だがこの場合は、ジゼルの方が彼に似ているのだ。顔かたちだけでなく、態度も。グリニデは上機嫌で、ジゼルに向けるのと同じ笑顔で、彼に問い掛けた。
「ご苦労。ところで……この部屋の調度品を見て、何か思う所はないかね。キッス君」
調度品。ジゼルの事だろう。
彼の名がキッスというのも、ここでわかった。
「……悪趣味です」
キッスは首を振って答えた。
「僕だけでは御満足頂けませんでしたか。以前、僕以外の人間を相手にするのはやめてくださいと、お願い申し上げたと思うんですが」
「おおもちろん、君との約束を破ってはいない。アレはあくまで観賞用だ。君がいない間の、代替え品だ」
「たかだか三日程、泊まり込みが続いた位で、何を……ああ」
腑に落ちた、ようにキッスは妙なしたり顔で頷き、
「それ以前からなのですね。タイミングが良過ぎます。三日の内に僕に似た人間を探し出して、部屋に飾るなど不可能です。特に今回は、予定を早めて帰城しましたし」
「君は実に勘がいい。その通りだ」
今日、君に見つけられたのはイレギュラーだったと、グリニデはあっさり認めた。
キッスはくるりとグリニデに背を向け、
「閣下がこのテの顔をお気に入りなのはよくわかりました。それなら、僕はもう用済みですね。閣下も無理に雄を抱くより雌型の方がよろしいでしょう。その方が自然の摂理にも適って……」
グリニデが立ち上がり、今まさに退出しようとするキッスの腕を掴んだ。
「……離してください」
おずおずと、だがきっぱりキッスは拒絶し、グリニデはそれを許さなかった。
「誤解があるようだ。私はこの手の顔が好みなのではなく、君の顔だから、あの雌型を城に引き入れたのだ。でなければ、私が他の人間に興味を示したりするものか」
「早とちりは謝ります。閣下、手を」
「私がどれだけ君の帰城を待ち望んでいたかわかるかね? 昼も夜も、私は君を手元に置いて、愛でていたいのだ。それは身にしみて知っているだろう、キッス君」
「……夜にお伺いします。だから、手を、」
「予定を早めたのは私に抱かれたかったからだろう。素直になりたまえ。わざわざ伺わなくても良い。今ここで、私を感じて行けばいい」
「……閣下……!」
グリニデもマントを身にまとっている。人間より体格のいい魔人のマントの影に隠れて、キッスはほとんど見えなくなった。だが、何が行われているかはわかる。衣擦れ、口を吸う甘い音、息遣い、ここは嫌、という、押し殺した声。
「しっかり立ちたまえ。君は、そんなに腰がすわらない体力の持ち主ではない筈だ」
「む、無理……」
キッスがささやくように哀願している。
グリニデは仕方ないな、と言いたげなため息をつき、ずるずるとキッスを引き摺って、一番近い壁にすがらせた。キッスの下衣が、ブーツで止まってわだかまっているのが見えた。それ以上開かない足を、気にする事なくグリニデは身を進めた。キッスが叫んだ。
「あああっ!」
二人はジゼルに背を向けている。見られていると、少なくともキッスはわかっているだろうが、グリニデの頭には無いようだった。執拗に抜き差しを繰り返し、キッスに悲鳴を上げさせている。この部屋にジゼルはいなかった。完全に置物、調度品としてしか扱われていなかった。
はっきり代替え品、と言われた。
グリニデの笑みは、ジゼルではなくキッスの顔をした人形へと向けられていたのだ。
そうと理解した時、ジゼルの心は音立てて冷えた。
一戦を終え、力尽きてその場に膝をついたキッスを、グリニデは丁寧にマントにくるんで抱き上げた。
「……足りん、な。少し、私の寝室で休んで行きたまえ。直々に介抱してやろう」
「いえ、結構です……んっ」
グリニデがキッスの唇を塞いでいる。優しい、甘い、恋人が恋人に与えるキスだった。
キッスももう抵抗せずに、大人しくそれを受けている。
キッスを抱えたままグリニデは器用に扉を開け、後ろ手に閉めた。ジゼルは一人残された。
この広い城の中で、ジゼルは完全に忘れられた存在だった。
一人になった部屋でジゼルは泣いていた。
惨めだった。涙が溢れて止まらなかった。愛されていると思ったのは錯覚で、それらは全てキッスに捧げられたものだった。自分がキッスに似ているからこそグリニデはジゼルを城に招き入れ、同じ格好をさせて飾っていた。
ジゼルとて、自分が誰かの影なのはわかっていた。
ただそれは既に故人だと思っていた。亡き人を思い出すよすがとして、ジゼルを娶り、いずれグリニデの傷も癒え、ジゼル自身を見てくれるようになると思っていた。なのに相手が健在では、ジゼルは永遠に影のままではないか。絶対に、浮かび上がれないではないか。
一ヶ月もの間、キッスと顔を合わせないよう慎重に配慮されていたのを知って、ジゼルはきゅう、と唇を噛んだ。夜はキッスが独占していると思うと、腹が煮えそうになる。
このままキッスの振りを続けていれば、この魔物の城でもジゼルは普通に生きて行けるだろう。
だが、それでは嫌だ。ジゼルは代役ではない、主役になりたい。
グリニデの一番の人間になりたい。
もし先に、自分がグリニデと出会っていれば、グリニデはジゼルを見てくれた筈だ。自分とキッスは同じ顔で、自分は女……雌型で、従順で、間違ってもキッスの様に小生意気な口を利いたりしない。
それに会話が本当なら、グリニデが他の人間を相手にしないのは、キッスのせいでもあるのだ。
キッスがグリニデの愛を独り占めすべく、他人との情交を禁じているのだ。
……許せない。負けたく、ない。
グリニデには自分の方がふさわしい。キッスからグリニデを解放するのだ。
多少の対抗心と使命感と、これは確かな愛情を持って、ジゼルはグリニデに抱かれたいと思った。あの、グリニデがキッスへ向ける眼差しや笑みを自分のものにしたい。
数日悩んだ末に、ジゼルはグリニデにお情けを賜りたいと願い出た。キッスの身代わりでもいい、と。
グリニデの執務室。
座っていろ、という命令を破り、対角線上に置かれた椅子から立ち上がって懇願したジゼルをグリニデはしばらく凝視していたが、
「……よかろう。ここへ来て、私を奮い立たせてみろ」
ぎい、と椅子を引き、軽く膝を叩いてジゼルを促す。ジゼルはグリニデの前にひざまずき、申し訳程度にそこを覆っている布をずらした。ごく、と息を呑んだ。魔人のものを見るのは初めてだ。
それは体内に埋め込まれているようだった。僅かに見えている先端を頬張り、口全体で奉仕すると、それは若芽が幹になるようにどんどん押し出され、ジゼルの口に余るようになった。手で幹の下の方をしごきあげ、咽喉に届かんばかりに激しく上下させていると、グリニデがジゼルの髪を掴んでやめさせた。
机を示す。
「もういい。ここに手をついて、尻を上げろ」
黙って手をつく。慣らすとか、そういうのは念頭にないらしい。
それでも、これでグリニデと一体になれると思えば嬉しかった。キッスと同等だ。それに客に手間をかけさせないのは娼婦の嗜みだ。こんな事もあろうかと、食事についていたオリーブオイルを少々失敬しておいた。が、グリニデがあてがったのはそこではなかった。
ジゼルは悲鳴を上げて腰を引いた。
もちろん、娼婦なのだ。初めてではない。だが、使う時には別料金が必要だった。
「あれは雄だからな。ここで私を受け入れている。あれの代わりでいいと言うなら、同じ場所で私を受け入れてみせろ」
めりめりと魔人のものが侵入してくる。ジゼルは絶叫した。
痛い。痛い。痛い。
ジゼルが遮二無二もがくのを薄目で眺めながらグリニデはのんびり述懐した。
「そういえば、初めてあれを貫いた時も、死にかけさせたな……余りに良過ぎて、歯止めが効かなくなってしまってな。ロズゴート君の薬のおかげで、何とかなったが」
ロズゴート? マントの魔人?
確か、蜘蛛の魔人がそう呼んでいた。ジゼルは狂ったように頭を振りながら思い返した。
「この雌型は……やはり観賞用だな、実用には足りん。まああれと比べる事が間違いだ。あれは私が最初から手をかけ、丹念に丹精して咲かせた花だからな。あれは、私がこうしてあれ以外の人間を使い捨てにするのを怒るが……」
グリニデの寵愛を独り占めする為じゃなかったの!?
自分の思い違いにジゼルは愕然とした。
「この雌型から誘ってきたのだから仕方がないな。自業自得だ。ロズゴート君に、薬を処方させるまでもなかろう」
嫌よ。死にたくない。どうか私にも、薬を――!
そう、叫んだつもりだったが、ジゼルの口から出たのは大量の血だった。
内蔵が傷ついている。苦しい。息が出来ない。
「もう終わりか。つまらん。やはりあれに勝る者はないな。……お、だがこの死の瞬間の痙攣は悪くない。この雌型から得られる快楽は、これ位か。あれなら、もっと楽しませてくれるだろうに」
ずるりと引き抜かれる。
しかしもう、ジゼルには関係なかった。
ジゼルの意識はジゼルの体から離れ、黒の地平より尚暗い闇に落ちていこうとしていた。
「同じ顔でも中身が違うとやはり別人だな、だとさ」
「ふーん」
以前の台所、今はキッス専用の食料保存庫でもある小部屋で知らない内に減っていたピクルスの瓶を数えながら、キッスはベンチュラから雌型が死んだ、と聞かされた。
「やけに冷静だな。オメーは自分の為に人間が死ぬの、嫌がってたんじゃなかったか?」
「僕はねえ、もう自分の力の及ばない事に思い煩うのはやめたんだ」
ベンチュラの問いにキッスは肩をすくめた。かしゃん、と空き瓶をひとまとめに置く。
「いずれにせよ、あの子は死んだよ」
再生虫の畑にされなくてもね、とキッスは手を休めて前置きしてから、
「彼女、僕より年上みたいだったし、容色が衰えるのも僕より早いよ。それに僕の身代わりの人形なら、わざわざ生かしておく必要はない。そこに閣下が気付いた時、彼女は殺されたよ。剥製にされるか氷詰めにされるか、それは閣下の気分次第だけど」
内心キッスは、もう少しえげつない事を考えていた。
同じ顔をしている彼女と自分を交尾させて、同じ顔の子供をつくる。うまくいけば、キッスの天才の頭脳が遺伝するかもしれない。冗談じゃない。親子揃って食い物にされるなんてまっぴらだ。
そこまでグリニデが気付かなくて助かった。さっさと死んでくれて重畳だ。
「それより、黙って食べるのはいいんだけど……分け与えるのはいいんだけど、せめて後片付けくらいしておいてくんないかなー。全く、僕がちょっと寄り付かない内に。こうさ、空になった瓶を後ろの方に隠してあるのが姑息というか」
「オメー結構食い意地張ってるよな。そうは見えないケド」
恨みがましく無事だった瓶を数えるキッスを見て、呆れたようにベンチュラが言った。
「だって僕の貴重な保存食&栄養源だもん。ヒトは虫のみで生くるにあらず、だよ。それに自分で漬けたものを、勝手に知らない人にあげちゃうなんて、マナー違反だと思わない?」
じろ、とベンチュラを睨む。
聞いてはいないが、多分雌型の彼女を連れてきたのもベンチュラだろう。ロズゴートかもしれないが。二人で共謀した、という線も充分ある。とにかくキッスはそう決め付け、
「また、材料調達して来てくれる? ベンチュラにも責任があるんだから、当然だよね」
にっこり笑って言った。へえへえ、とベンチュラは承知した。
「………」
そういえば名前も聞かなかった。
でも、それでいい。彼女は人形だ。人形が壊されただけの事だ。
「出来るだけ早くね。お願い」
キッスは袖をまくって、空き瓶を洗う事にした。
< 終 >
>>>2012/1/7up