噂には聞いていたが……。
ビィトは辺りを見回しながら思った。一面に、見渡す限り畑が広がっている。随分手広くやっているようで、麦やとうもろこし位ならビィトにも見当が付くが、後の野菜はさっぱりだ。
以前、ビィトが訪れた頃にはここは『黒の地平』と呼ばれていた。
それが今はどうだ。空は青く、地面は緑に覆われている。
他の国との何よりの違いは、本来なら牛や馬が土を耕している所を、大型の虫が行っている事だった。
人間はのんびりと腰を下ろして、それを見守っている。
平和だった。ここには『門』すら無いと聞いた。必要がないからだ。魔物や虫が入り込むのを阻止する、門。人と魔物が共存する今の黒の地平、トロワナでは、門は無用の長物だ。
(お前がそうしたのか、キッス?)
ビィトはかつての親友、今は黒の王と呼ばれる存在となった魔人に心の中で問い掛けた。
しかし……どうも居心地が悪い、ような。
何故だろう、と違和感の元を探していると、どうも魔物に比べ、村人達の自分を見つめる視線に険がある。よそ者が珍しいのかもしれない。黒の地平はそれなりに広いけれど、世界の中では端っこもいい所で、余り人の流入の激しくない土地だし。
ビィトがそう分析していると、突然、誰かが前に立ちはだかった。
十代半ばほどの、濃い焦げ茶色の巻き毛ときつい目をした、驚くほど印象的な美少女だ。
「あんたバスターね? 何をしに来たの!?」
両腕を腰に当てて、恐ろしく高圧的な態度で彼女は言った。
「ここでレベル上げをしようってのならお門違いよ。ここには、人間に危害を加えようなんていう魔物なんかいませんからね。ウチの子達に手を出したら、ただじゃ置かないわ」
彼女の後ろに、彼女に賛同しているらしき村人が集まって来た。手に手に鍬や武器になりそうな物を持っている。それで、ビィトは彼女が何者かわかった。
「……ユズ?」
当たったらしい。ユズは一瞬目を見開いて、だがすぐにビィトを睨み返して、
「誰よあんた!? 何故私の名前を知っているの!?」
「あ、ごめん。俺はビィト。グランシスタのバスター協会から派遣されてきた。君は協会の中では有名だ。黒の王とのパイプ役を務めることの出来る、唯一人の女の子。黒の王と面談したいんだ。どうか、彼にビィトが来たと伝えて欲しい」
「嫌よ。どうせキッスを倒しに来たんでしょ。さっさと帰って。二度と、私達とキッスの前に現れないで」
ユズは取り付く島もない。そうだそうだ、と村人達も同意する。ビィトは焦った。
「ち、ちょっと、話を……!」
「ビィト?」
また違う所から声が掛けられた。肩越しに振り向いて、ビィトは動きを止めた。
(……ダンゴール……!?)
ビィトは目を疑った。赤い蝶ネクタイを胸もとに絞めた巨大なプロテク虫。ポアラの話だと、ダンゴールはキッス自ら葬った筈だった。ぺこんとプロテク虫は頭を下げ、
「それはそれは、ようこそおいで下さいました。お話はかねがね、我が主から伺っております」
「もう、ダンゴール! 余計なことは言わないでいいの!」
ユズが怒鳴った。ダンゴールと呼ばれた魔物は否定しなかった。涙目でユズどの、だ、だって……などと呟いている。すると、やはりこのプロテク虫はダンゴール……? いや待て。自分に虫の顔の見分けなんか付かない。このダンゴールが、以前のダンゴールと同じ個体とは限らない。ビィトは自問自答した。
「だって、主が人間時代、お世話になった方ですし……」
「人間じゃなくした元凶、の間違いでしょ! よってたかってキッスを人間じゃなくした奴等の言う事なんて聞く事ないわよダンゴール。あっ、こら!」
ダンゴールは背中を向けてすたこらさっさと逃げ出した。
「で、でも、これが私の仕事ですから……っっっ!」
「ああ、もう! 融通が利かないんだからー!」
ユズはぷりぷり頬を膨らませてダンゴールを見送ると、ちろりと冷たい目でビィトを一瞥した。
「……仕方ないわね。ダンゴールが知らせに行かなくても、どうせ他の虫達が注進に行くと思うしね」
ついてらっしゃい、と肩より少し長く伸ばした巻き毛を揺らして、ユズは先に立って歩き出した。
ビィトは大人しくユズについて歩いた。道すがら、ビィトはユズに質問した。
「俺の事を知っているのか、ユズ?」
「あんたも私の名前を知ってたじゃない。……おじいちゃんに聞いたのよ。フィカスおじいちゃん。血は繋がってないけれど」
まっすぐ前を向いたままユズは答えた。フィカス。それはあの、一時期キッスと一緒に働いていた博士の名前だ。キッスの弁護に来た事もある。
「キッスも別に、隠してないみたいだし。……まあ、私が質問責めにしたから、しぶしぶ教えてくれたのかもしれないけど。といっても、生まれた時は人間だったけど今は魔人だとか、人間だった時はバスターとして働いていたとか、それ位だけど。フィカスおじいちゃんがこの村に立ち寄って色々教えてくれたから、少しずつ誤解が解けて、皆に受け入れられるようになったの。私の力だけじゃ、この村をこんな風に出来ないわ」
ビィトは魔物と虫が自然に溶け込んでいる村の風景を眺めた。
確かに、こうなるまでには並々ならぬ苦労があったに違いない。先鞭を付けたのは、このまだ子供と言っていい少女なのだろうか。
「そうよ。私がキッスに魔物を労働力として提供したら? って提案したの。今よりもっと子供だったから、純粋にこんなに大きい虫達が畑を手伝ってくれたら楽だろうなあ、とか呟いただけだけど。でも、その言葉にキッスは心を動かされたようで、本腰入れて考えてみたみたい。最初はずっと、壁の向こうで、たった一人で魔物と虫達に囲まれて暮らすつもりだったらしいから」
ユズは歯噛みしたようだった。
「私なら我慢出来ないわ。そんなの寂し過ぎるもの。魔物が役に立つとわかれば、そうしたらキッスも壁の向こうから出て、村で暮らせるかもしれないでしょ。……実際にはまだそこまで実現出来てないけれど、絶対にそうさせてみせるわ。キッスは魔人だけど、私達の仲間だって」
「………」
言い切ったユズをビィトは眩しく見た。
自分もそう思っていた筈だった。だが、守り切れなかった。苦い後悔がいつも胸に渦巻いている。
「だから、あんたは邪魔なの」
ユズはくるりとビィトに向き直って、吐き捨てるように言った。
「十年かけて、ようやくここまで来たのよ。年配の大人達にはまだ魔人グリニデ時代の事がひっかかってて、キッスは違うと言っても納得してくれないの。あんたはその過去を思い出させる。そうでしょう、ビィト戦士団のビィト?」
ユズは知っているのだ。ビィトは思った。フィカス博士が説明したなら当然だが、キッスがビィト戦士団の一員だった事も、ビィト戦士団が魔人グリニデを倒した事も、なのにキッスが罪に問われて処刑寸前に魔物と共に脱出した事も、恐らくは、村人全員が知っているに違いない。
「キッスは俺を……恨んでいるのか?」
「知らない。キッスは愚痴とか恨みごととか言わないもの」
ぷい、とユズはあちらを向いた。
「でも私は怒っているわ。あんなにヘタレで優しい人を、人でいられなくした全てのバスター達を憎むわ。キッスが魔人になったからこそ魔物達はキッスに従っているのかもしれないけれど、人間のままでも魔物達はキッスの味方だったかもしれない。最初から、魔物には好かれていたっておじいちゃんは言ってたもの。それなら、キッスは何の為に魔人になったの? 迫害される為じゃないでしょう!?」
ユズはまたもビィトを無視して大股で歩き出しながら独白した。
その言葉には確固たる意志が感じられた。
「迫害なんかさせない。私が守るわ、キッスを。だからあんたには、このまま帰って欲しいんだけど……」
ユズは空を振り仰いだ。
「どうも無理みたい。迎えが来たみたいよ……って、え!?」
壁の方角から大怪蝶がこちらに向けて飛んで来るのが見える。一瞬、大怪蝶の背がキラッと光った。陽の光を弾く金髪。あれは……! 大怪蝶は何度かユズとビィトの頭上を旋回し、音もなく二人の前に降下した。
その背からキッスは降り立った。昔と変わらない、少年のままの姿。
「ビィト。久し振りだね」
「キ……!」
「キッス! 会いたかった!!」
ユズはビィトをどんと押しのけて、一直線に駆け寄るとキッスに思いっきり抱きついた。
「ユズ」
「久し振り、って言うなら私にも言ってよ。最近ダンゴールばかり寄越して、全然会いに来てくれないじゃない。壁の穴は塞がれちゃったし、ダンゴールは言うこと聞いてくれないし、それじゃ、私はどうやってキッスに会えばいいの!? ちゃんとした答えを聞くまで私、離れないからね」
キッスにぺたっと貼り付いて、困り顔のキッスを更に困惑させるような事を言う。
ちょっとあっけにとられながらビィトは成り行きを見守っていたが、ユズは首だけ傾げてじろっとビィトを睨み付けると、
「何ジロジロ見てんのよ。空気呼んで消える位しなさいよ、気が利かないわね」
「………」
ビィトは唸った。ユズは凄い女の子のようだ。
>>>2010/9/13up