薫紫亭別館


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「うあちっ!」
「ごめん、ベンチュラ!」
 僕は雷の天撃をベンチュラにぶつけて、ベンチュラがひるんだ隙に拘束を解いて抜け出した。フィカス博士の下に走りながら、同じく雷の天撃を博士達に群がっている虫達にぶつける。多少の痺れは許してください、博士。近寄って、感電した虫をぽろぽろと払いのける。
 皆はひとまとめに縛られ、口にはテープが貼られていた。僕はそれを剥がしながら、またも這い登ってきた虫達に、思わずどけ! と叫んでいた。
「大丈夫ですか、博士!?」
「キ、キッス君……」
 博士がつぶやいた。マントの魔人が氷の瞑撃を投げるのが見えた。僕はすかさず炎の天撃で相殺した。
 しゅうしゅうと、水蒸気が立ち込める。
「お前がバスターだったとはな……」
 マントの魔人がどこか感心したように言った。
「言われてみれば、それはバスターズ・ジャケットか……薄汚れているからわからなかったが。まあ良い。お前が何故今まで天撃を使わなかったのか知らんが、今は、そこの人間を始末するのが先だ」
 僕は皆をかばって、マントの魔人の前に立ちはだかった。
 マントの魔人を通り越し、僕はグリニデ様に目を据えて、言った。
「……閣下」
 なんだね、とグリニデ様は言われた。
「僕の推量は……フィカス博士達の先鞭があってこそのものです。だから……」
「だから助けてくれ、と言うのかね? それは出来ない。キッス君、君は聡明な少年だが……基本的な事を忘れている」
 グリニデ様は椅子から立ち上がった。
「それは、我々魔人が人間の敵、だという事だ。この前提は覆せない。我々魔人の役に立たない人間を生かしておく道理はない。セネシオは死んだ。その助手も。……フィカスとそこの助手二人だけ助けては、不公平というものだろう」
 ――セネシオ博士。
 そうだった。僕が……僕のせいで、死んだ。僕が、殺した。
「なら……!」
 目を瞑り、歯の間から押し出すように、僕は慟哭した。
「それなら僕も殺してください! 僕だって人間です!! 僕は貴方達の敵――でしょう!?」
 今は良くとも僕だって、無能と看做された時点で殺されるのだろう。遅いか早いかの違いだけだ。そして今、三人もの魔人に囲まれて、僕のような駆け出しのバスター一人では、皆を守って逃げる事も出来やしない。どうせ一度死んだ身だ。どうせなら、皆と一緒に、人間として死にたい。
「人間?」
 グリニデ様が鼻で笑った。
「君は本当に人間なのか? その魔物や虫との相性、親和性……虫にどけと命令して、言う事を聞かせられる人間なぞ、私は初めて見たぞ」
「―――!」
 僕は振り返った。虫達は、確かに弧を描くように微妙な距離を持って博士達を遠巻きにしている。言われて初めて気づいたようで、博士達も驚愕して僕を見上げた。一番驚いたのは、僕自身だったが。
 マントの魔人が補足するように後を続けた。
「お前は気づいていなかったようだが、研究室に入り浸っていた虫達は、元はお前の監視役だった……一匹が二匹になり、二匹が三匹になり、大勢になるのに時間はかからなかった。私達は、その現象を興味深く見守っていた……お前は虫達を排斥しようともせず、普通にしていた。バスターと気づかなかったのは、お前の今までの態度のせいもあるだろうな」
「………」
 それは、あの頃の僕は、半分死んでいたようなものだったから……虫達は、僕が珍しかったのだろう。虫達には、僕が幽霊か何かのように見えていたに違いない。
「ベンチュラがついていたとはいえ、蟻達に発掘作業を手伝わせる事も、並みの人間には出来まい。副葬品を運ばせる事もな。フィカスから聞いたが、トリュプスをメッセンジャー代わりにしようとしたそうだな? よくまあ素手で触れたものだ。あれは確かにベンチュラの眷属だが、ベンチュラがいない時にも攻撃されなかったのは、僥倖としか言いようがない」
 僕はへなへなと、その場にへたり込んだ。自分がどれほど無謀で幸運だったのか、まさか魔人から教えられるとは思わなかった。虫達の、あれが全部監視役だった? 蜘蛛も? 僕はベンチュラの飼っているペットを横から撫でさせて貰っているくらいの気分でいたのだけど、全てまやかしだったのか?
 黙って下を向いた僕を見て、だが、グリニデ様は言われた。
「いや、そうだな……君次第で、フィカス等の命を助けてやっても良い」
 反射的に僕は顔を上げた。
 マントの魔人も、どこか非難がましそうにグリニデ様を見た。
 グリニデ様は、何事かダンゴールに小声で命じ、ダンゴールはすぐにトレイに銀色の何かを載せて戻ってきた。腕輪だった。グリニデ様はその腕輪を摘まみ上げて、言った。
「この腕輪を嵌めたまえ、キッス君。これは私に対する絶対の忠誠の証……この腕輪を嵌めることで、君には人間でありながらこの城の魔物を使役し、命令する特権が与えられる。そしてその頭脳を私の為に活用し、私に服従を誓いたまえ。そうすれば、彼等は自由にしてやろう」
 僕は覚束なげに視線を皆にさまよわせた。
 フィカス博士は複雑そうに目を伏せていたが、助手の二人は、すがるように僕を見上げていた。そうだ。迷う事なんかない。三人と、僕一人の命なら、どちらが重いか比べるまでもない。僕は既にセネシオ博士とその助手を喪っている。これ以上、僕のせいで誰かを犠牲にしてはならないのだ。
「……先に、博士達を解放してください」
「キッス君!」
 フィカス博士が叫んだ。ありがとう、博士。こんな迷惑な、厄介者の僕を少しでも心配してくれて。
「良かろう。ベンチュラ君、縄を解いてやれ」
 すっかり影を薄くしていたベンチュラが、グリニデ様の命令に従って博士達の縄を解いた。ベンチュラの左腕にも、その腕輪があった。なるほど、これはグリニデ様直属の配下の証か……と、ぼんやり僕は思った。マントの魔人の左腕にも、恐らく同じものが嵌められているのだろう。
「キッス君、よく聞いてくれ」
 虫達に追い立てられるようにして、部屋を出てゆくフィカス博士の声が聞こえた。
「すまなかった。君が悪い訳ではないのに。私達も、先人の博士達を見殺しにして生き延びたのに……だから君も生きてくれ。生きて、研究を続けてくれ。誰の出資であろうと、偉業は貴いものだ……そして君なら、数多の真実に辿り着いてくれると信じている。それが出来るのは君だけだ。自分を責めるな。君は、その頭脳を魔人に利用されているだけだ……!」
 博士の声は遠ざかっていくにつれ、小さくなっていった。
 僕はもう、人形のようにグリニデ様が僕の手をとり、腕輪を嵌めるのを、ただ見ていた。
 ガチン! と硬い音がした。
 左腕が凍傷を起こしたように冷たくなった。一気に血の気が引いて、僕は左腕をグリニデ様にとられたまま膝をついた。
「おめでとう。これで君もグリニデ城の一員だ。……ああ、そうそう、言い忘れていたが、この腕輪は瞑力で作動しているから、君が一度でも天撃を放ったら、そこで毒の針が刺さる仕掛けになっているから、そのつもりで」
「え……っ!?」
 鳩尾に衝撃を感じた。グリニデ様が、掌底を僕に当てたのだ。
 僕は意識を失いながら、グリニデ様が最後にダンゴールと交わした会話を聞いた。
「ダンゴール。彼に湯を使わせて、後ほど私の部屋に連れてきたまえ。本当に人間か改めたい」
「はい、グリニデ様」
 ――そこで、僕の意識は闇に沈んだ。


 目を覚ますと、時計とともに枕元に、新しい服が置いてあった。
 魔人はケチだなどと思っていたが、身内と認定すると気前がいいらしい。当たり前だがバスターズ・ジャケットではない。まあいい。どうせ僕は、二度とバスターとして活躍する事はないのだから……と、その水色の上下に手を伸ばす。
 グリニデ様に検分された体が悲鳴を上げたが、無視して、袖を通した。
 ブーツを履き、最後に白いマントをつけて、僕は初めての朝参に出仕する。
 部屋を出ると、待っていたらしいベンチュラとぶつかった。
「オメー……体、大丈夫かよ? だって昨日、その……!」
 僕に雷の天撃をぶつけられたというのに、ベンチュラは心配そうな素振りを隠しもせずに聞いてくる。やっぱり魔人にしては気のいい方だ、ベンチュラは。だけど今の僕には、そう言ってベンチュラを安心させてやれる程の余裕はなかった。僕は僅かに首を振って、ありがとう、でも放っておいて、と言うのが精一杯だった。
 ベンチュラは数歩下がって、僕の後ろを歩いていた。倒れるとでも思ったのだろうか。
 僕は僕のちっぽけな意地をかけてなんとか朝参が行われる部屋に辿り着き、ドアを開けた。そこにはもう、グリニデ様とマントの魔人、ダンゴールとが揃っていた。僕は遅くなってすみません、と頭を下げて、ベンチュラと、グリニデ様を囲む輪に加わった。
「おはよう、キッス君……よく眠れたかね?」
「はい。お気遣いありがとうございます、閣下」
 心にもなく僕は答えた。
 グリニデ様は、僕に改めて配下の魔人を紹介してくれた。それによると、マントの魔人はロズゴート、というらしい。今はいないが、フラウスキー、という魔人がいる事も。
 グリニデ様は、これからの調査計画について問われた。
「午前中は、クラッスラ遺跡から新たに出た絵文字の解読や副葬品を調べ、午後からは一旦遺跡に戻り、運べるものなら御神体である王の遺体もこちらに運んでもらおうと思っています。今までは地下で密閉されていましたが、空気に触れては劣化が激しくなりますから。蟻をお借りしてもよろしいですか?」
「もちろんだ。君にはその権限がある」
 満足そうにグリニデ様は言われた。
 更にグリニデ様は付け加えた。
「君が、魔物と親しんでくれるのは嬉しいのだが……どうやら君は、本当に本物の人間の様だから、君の言うことを聞く、無聊を慰める人間を幾人か調達しようと思うのだが、どうだね?」
「いえ、結構です。人間より、魔物の方が役に立ちます。他の者は足手纏いです」
 僕は心の一部を意図的に麻痺させて、魔人の心ない言葉のひとつひとつに、傷つかないようにした。それは僕の防衛本能のようなものだったかもしれない。少なくとも、昨日までの僕は、そうやって日々を過ごしてきたから。
「そうか」
「では、閣下……他に御用がなければ、これで。一刻も早く、研究に着手したいと思いますので」
 僕はするりときびすを返した。これで不興を買うならそれもいい、と思った。
 僕は、自殺するつもりはなかったから……僕が死ねば、魔人達は部品を交換するように新しい人間を連れてくるだけだ、と知っていたから。こんな態度を取っても利用価値のある内は生かしておいてくれるだろうし、何より、僕は第二、第三のセネシオ博士を出す気はなかったのだ。
 セネシオ博士……いずれ、クラッスラ遺跡の調査にケリがついたら、エケベリア遺跡に行こう。セネシオ博士が調べていた遺跡だ。そして博士と、確かルーサー……とかいった助手の為に黙祷しよう。
 フィカス博士達は無事、脱出できたろうか? 魔人の良心に期待するしかない。
「………」
 誰かがいつかやって来て、僕の罪を暴き、弾劾するだろう。
 僕は黙って従うだろう。
 僕は待っている。
 どうかその誰かが一日でも早く訪れて、僕に、安らかな眠りをもたらしてくれる事を。

<  終  >

>>>2010/4/16up


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