――その時の恐怖をどう表現すればいいのだろう。
僕とベンチュラは、ダンゴールに先導されながら廊下を歩いていた。
帰城したばかりでどうして知っているんだろうと思ったら、副葬品を運んで貰った蟻達が先に着いたかららしい。研究室に運ぶようにお願いしてたんだけど、そりゃ、あんな大荷物が来たら驚くよね。中を改めたくもなるよ。ペンバリーも、壁画の写しを先にお見せしたらしいし。
別に構わない。この城のあるじが見たいと言うなら、僕に止める権限は無い。遺跡発掘調査をお命じになる程のお方なのだから、きっとそういう事にも造詣が深くていらっしゃるのだろう。
「……何で俺まで……!」
仏頂面でベンチュラがごちた。僕はベンチュラを見て不思議そうに、
「どうしたのベンチュラ? ベンチュラが手伝ってくれたから発掘がうまくいったんだし、一緒に呼ばれるのは当然じゃないの?」
「オメーはわかってねえんだよ、キッス。いいか、グリニデ様にお会いしたら、聞かれた事だけ素直に答えて大人しくしてろよ」
「う、うん」
僕はうなずいた。褒めて下さるというのに何が不満なんだろう? などと呑気に考えながら。
ダンゴールは僕らの会話が聞こえているのかいないのか、まったく口を挟まずに、僕らをある重厚なドアの前まで案内し、先触れをし、中に入るよううながした。
「失礼しま……」
言いかけた言葉を僕は途切れさせた。部屋に一歩足を踏み入れた途端、僕は総毛立っていた。
部屋の中にはダンゴールと、全身をマントに包んだ魔人と、更にもう一人……中央の椅子に悠然と、ゆったりと肘をかけて座っている魔人がいた。その魔人が口をひらいた。――重々しく。
「ようこそ、キッス君」
僕は一瞬で理解した。
これが、グリニデ……グリニデ様。僕をここに連れてきた、魔人。
記憶の中のおぼろな影がはっきりした輪郭を持った。緑色の表皮。額には角らしきものが隆起している。穏やかな表情をしているのに、僕はその場に縫い止められて動けなくなった。ベンチュラがやっぱりな、と言いたげなため息をついて、硬直していた僕の背中を押した。よろめくように、僕はグリニデ様の前に進み出た。
「は――初めまして、閣下……!」
僕はなんとか声を振り絞った。
「閣下?」
「あ……ベンチュラから、グリニデ様は『深緑の知将』と呼ばれていると伺ったので……人間は、そういった身分の方には敬意を込めて、そう、お呼びするのです」
「ほう」
グリニデ様は面白そうに口角を上げた。
「閣下――か。それはいい。いい呼称だよ、キッス君。君はやはり見どころがある。だが初対面ではないね。遺跡にいた君を連れてきたのは私だ。忘れたのかね?」
「す……すみません」
謝る事はない、とグリニデ様は可々、と笑った。
左腕に星が光っていた。六ッ星。僕の短いバスター人生の中で、それまで六個も星のついた魔人にお目にかかった事などついぞ無かった。今では僕を見逃してくれた天空王が七ッ星だったと知っているけど、その時の僕にはグリニデ様が最高位だった。
「いや、君の知性には敬服している……EXCELLENTだよ、キッス君。君が昨日、今日で果たした成果は、我々がこれまで一年かかっても成し得なかったものだ。素晴らしい。さあ、私に如何にして、クラッスラ遺跡を墓所だと見抜き、遺体と財宝を発見するに至ったか、詳しく報告してくれたまえ」
僕は震える声で説明した。
口調は静かだったが、その響きは否と言わせないものだった。
グリニデ様とは、こんなお方だったのか?
僕は、なんとなく……もっと親しみやすい方ではないかと想像していた。グリニデ城での生活が、僕には平和で平凡で、楽しいものだったからだ。ベンチュラは随分と恐れていたけど、大げさだな、などと考えていた。大きな間違いだった。
「……それで、柱が……この様式にしては珍しい所に建っているな、と疑問に思って……平面図を見比べて……」
「オメー図面なんか持ってなかったじゃんかよ」
ベンチュラが口を挟んだ。
「あ、うん。頭の中にあったから。ここに来てから、色々勉強したからね」
ベンチュラはマントの魔人に注意されていたけど、僕は、ベンチュラが茶々を入れてくれたおかげで相当にホッとして、全身の緊張を解くことが出来た。するすると言葉が出る。あの時考えていた事を筋道立てて説明するのは難しかったけれど、グリニデ様は鷹揚に頷かれた。
「……なるほど。君は天才なのだな。とてもそうは見えなかったが……」
初対面の時の事だろう。我ながら自分でもおかしかったと思うのだから、他人……魔人が見てそう思うのも無理はない。
「まあ良い。キッス君、君には是非、この城に残って研究を続けてもらいたい。君の頭脳は私にとって必要だ。もちろん、君の身の安全は保障するし、必要とする物なら何でも与えよう。どうだね?」
「………!」
必要。
ずっと誰かに言って貰いたかった言葉だった。
僕は矢も盾もたまらず承諾しようとしたが、ふと思いついて、
「あ……それなら、僕の部屋をフィカス博士と交換して頂いてもいいですか? 失礼ながら博士もあれでお齢だから、床に寝るのはキツイと思うんです。お許しさえ頂ければ、皆であの部屋に越してこようかな、と……」
突然、ぷっとダンゴールが吹き出した。
マントの魔人も、僅かに見えている口もとを歪めて、にやにや笑っている。
「あの……?」
不安、というより不快になって、僕は彼等に問いかけた。
グリニデ様は、何かを思案するように目を閉じ、ややあって、ダンゴールに背後の緞帳を上げるよう命じた。ダンゴールはすぐに従って、僕はそちらに目を向けた。緞帳の向こうに、何だか黒いかたまりがあった。目をこらすと、それが沢山の虫が集まったものだとわかった。虫? ……いや、あれは、
「――フィカス博士!」
僕は絶叫した。
フィカス博士と助手の二人が、姿も見えないほど大勢の虫にたかられていた。
僕は走って、博士達に群がる虫を払いのけようとした。ベンチュラが、八本の手足で僕を止めた。
「ちょ、待てって、キッス!」
「離してよ! ベンチュラは、博士達がこうなってること知ってたの!?」
そうなら許せない。僕は……ベンチュラを信用していたのに。友達だと思っていたのに。
いや、俺は……とベンチュラはもごもご言った。マントの魔人が声をかぶせた。
「彼等は逃げ出そうとしたのだ、この城から」
僕は彼を睨みつけた。
「ペンバリーが知らせに来た。そこの粗忽者が、出て行くのを見たというのは本当だろう。ただそれが、調査ではなく逐電だっただけの事だ」
「………」
僕は僅かに体の力を抜いた。ベンチュラが嘘をついていないのはわかった。だが何故博士達が、この城から逃亡を謀らなければならないのだ!?
「お前のせいだ、キッス」
「……僕!?」
マントの魔人は意外なことを言った。
「石板の写しを解読したろう。あれは、元はセネシオが発掘し、読み解こうとしていたものだったのだ。それをお前はたった半日足らずで解読した。子供にもわかるものを、数か月も解読出来なかった罪でセネシオは処刑された。彼等はそれと気付いて、次は我が身だと逃げ出したのだ」
「な……っ!」
「……それでも、逃げた事に気付いて連れ戻されても、お前次第で、今しばらくは生き永らえる筈だった。お前がこんなに早く、クラッスラ遺跡の謎を解くまではな。お前がもたもたと、何ヶ月も発掘に手間取るようならフィカスも解放されて、また調査に返り咲く事が出来る予定だったのだ。それこそお前が望んだように、フィカスを筆頭として、調査チームを組む事が」
僕は混乱した。何を言っているのか理解したくなかった。
だが現実には、僕は、もの凄い勢いでパズルのピースが合わさるように全ての事象が繋がっていくのがわかった。フィカス博士の吐き捨てるような言葉、セネシオ博士の態度……あれは、僕を雑用ではなく、後から来たライバルとして見ていたのだろう。
多分、フィカス博士とセネシオ博士よりも前に、同じく拉致されてきた博士がいて……結果を出せなかった者は殺された。二人はそれを知っていた。助手達も知っていただろう。僕が知らなかったのは、聞いても覚えていなかったのか、教える必要もないと思われたか――。
僕はようやく目が覚めたような気がした。皆には僕が、今まで夢遊病患者のように見えていた事だろう。
「フィカス博士達は……まだ生きているんですね?」
僕はマントの魔人に念を押した。右手に、天撃の力を集めながら。
>>>2010/4/14up