薫紫亭別館


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ネイティブダンサー

 密やかな息使いが部屋の中に充満している。
 グリニデの執務室。広い執務机の上に、キッスは下肢だけを晒して仰向けに転がされていた。
 中心からちゅぷちゅぷと水音がするが、既に二度、極めさせられた体は重く、なかなか次の絶頂まで迎えられない。燠き火で炙られているように、キッスは椅子に座ったまま、自分では挑もうとせずに手淫を続けるグリニデの愛撫を受けていた。
 赤と緑のツートンカラーのレフトカルゴがその机を囲んでいた。
 密談用に使われる、音を食べる魔物。その範囲内では音が聞こえるが、向こうにはこちらの音は漏れない。その逆もしかりだ。だからキッスはグリニデが手を止め、立ち上がるまで、ダンゴールが入ってきた事に気付かなかった。
「どうした? ダンゴール」
「シャギー館長がお見えです。何でも、グリニデ様に是非お勧めしたい一品があるとかで……」
 わかった、とグリニデはダンゴールに答え、
「君も起きて、挨拶したまえ。シャギーに会うのは初めてだろう?」
「は、い……」
 キッスはふらつきながら机を降り、脱がされた衣服とブーツを身につけると、グリニデについて応接室に入った。既にお茶まで供されて待っていたシャギーは、ソファから立ち上がって会釈した。
「シャギー館長。こちらはキッス君だ。人間だが、私の下で働いて貰っている」
「おお、それはそれは。魔賓館館長、シャギーと申します。以後、お見知り置きを」
 言いながらシャギーは三本指の手を差し出した。
 キッスもそれを握り返しながら、小声で自己紹介をし、頭を下げた。
「もう退がっていいぞ、キッス君。今日はベンチュラ君と共に、新しい遺跡に出掛けるのだったな? 良い成果を期待しているぞ」
「はい……」
 ふわふわと、まるで雲を踏んでいるかのような足取りでキッスはドアまで歩いた。
 その背中がドアの向こうに見えなくなると、シャギーは感嘆したように呟いた。
「は――……、目の覚めるような美少年ですねえ」
「……そう思うかね?」
 意外にも、グリニデはちら、とシャギーを横目で見て問うた。
「ええ、もちろん! さすがはグリニデ様、素晴らしい審美眼でいらっしゃる」
「最近だ。ああなったのは」
「ほえ?」
 シャギーは素っ頓狂な声を上げた。
「拾った時はああではなかった。いやもちろん、目鼻立ちは、前から変わっていないのだが……」
 グリニデはどう説明したものかと迷うように首を傾げ、
「印象的になった、とでもいうか。薄ぼんやりしてはっきり見えなかったのが、急に影が濃く、輪郭が露わになった、というべきか。それで聞きたいのだが、館長、……人間から魔人に変化する、などという事はあるのだろうか?」
「変化、ですか?」
 ウサギ型の耳を一本ぴょこっと立てて、シャギーは考え込みながら答えた。
「いえ、寡聞にして、聞いた事がありませんねえ。人間型、というなら、ロディーナ様がいらっしゃいますが、あの方には角も星もありますし」
「ふむ……あの『小悪魔』の事なら私も知っている。だからこそ私も、どこかに髪で隠れるくらいの角がないかと思って探してみたのだが……」
 角も星も、もしかして何処かに鱗だの棘など生えてはいないかと隅々まで見てみたが、それらしいものは見当たらなかった。バスター時代につけられたらしい古傷なら、そこ此処に見られたが。
「彼は元・バスターなんですか?」
「今は私の部下だ。私の忠実な部下の証である腕輪を嵌めてある」
 牽制するようにグリニデは言った。
「いえいえ。元・バスターでさえも部下に置いてしまうグリニデ様の度量……このシャギー、感服致します」
 慇懃無礼、スレスレの丁寧さでシャギーはお辞儀した。
 グリニデはふん、と鼻を鳴らして、
「まあいい。では、再生虫について聞きたい。私はこれまで、再生虫とは傷を治すだけの虫だと思っていた。だが、傷跡まで綺麗に消してしまうものなのか? 以前ついた古傷までも?」
「それは……あの少年の事ですか?」
「そうだ。あれは非弱で脆弱な人間だから、ロズゴート君に命じて、再生虫の卵を処方してもらった。この城にいると、いつ、何どき怪我をするか知れんからな。重体になって回復して、傷の具合を検分してみた所、この現象に気付いた、という訳だ。無論、変化はゆっくりとではあったが……」
 グリニデの言葉は、検分が、何度にも渡って繰り返し行われたものだという事を示唆していた。
 シャギーは、一部の魔人の間で流れている噂が真実だと知った。
 いわく、『深緑の知将』グリニデが、人間の子供を幕下に加えた事。表向き、その頭脳を重用した事になっているが、その実、稚児扱いらしい事。先日購入したレフトカルゴは、どうやらその稚児にねだられた物であるらしい事。
 グリニデに伴われて挨拶した少年は、如何にも途中で放り出されたらしく、目もとを赤くし、上気した頬のまま、気怠げな雰囲気を隠しきれずにいた。覚束ない足取りのキッスを見て、シャギーは邪魔をしてしまったな、と申し訳ない気持ちになったものだ。
 今回訪ねたのも、特にお勧め商品があった訳ではなく、それを口実に噂の子供を見たかったからだ。
 そのかいはあった。あれだけの美少年なら、多少心が動いても仕方がない。
 普通魔人は、人間など相手にしないのだが。
「人間に再生虫を与えた事は、これまでに前例がありませんからねえ……もしかして、人間相手なら、再生虫もそういう働きをするのかもしれませんねえ……」
 シャギーが感慨深げに言うのを、グリニデは即座に否定した。
「それはない。実は、彼の為のスペアとして、他の人間の体内でも再生虫を繁殖させている。その孵化場を取り仕切っているロズゴート君が言うには、他の人間にはそういった現象は見られないそうだ。何故、彼だけなのだ? 彼は他の人間と何処か違っているのか?」
「では……グリニデ様の仕業では?」
「私?」
 シャギーの言葉に虚を衝かれたように、グリニデは目を見開いた。
 シャギーはいつも持っているステッキをくるくると回しながら、
「見た所、グリニデ様はかなりあの少年に精を授けていらっしゃるご様子……他の人間に変化がないなら、それ以外の所で原因を探すべきでしょう。処方されたのはロズゴート様のようですが、そのロズゴート様がお仕えしているのはグリニデ様、貴方様ですし……再生虫も、主人の上の存在であるグリニデ様の意を感じて、そのようにしたのかもしれません。精を授けるなら、どうせなら綺麗な体の方が良いでしょうし」
「む……まあ、そうではないと言えば嘘になるが……」
 僅かにうろたえながら、グリニデはせわしなく顎を撫でた。
「印象がくっきりした、というのも、もしかして再生虫のせいかもしれません。古傷を消せる位なら、髪も肌も、もっと艶やかに、きめ細かくさせる位朝飯前でしょう。そうした小さな変化が重なって、そう思わせるようになったのではないでしょうか」
「………」
 グリニデは未だ納得しかねる顔をしていた。
 そうなのだろうか。シャギーには言わなかったが、キッスの変化はそれだけではないのだ。何よりの変化は、オイルがいらなくなった事だった。今では、グリニデが少しまさぐっただけで、内側から粘液が染み出してくる。まるで雌のようだ。
 時折り、急いたグリニデがオイルを忘れる事もあったから、キッスの防衛本能が、再生虫にそう体をつくり変えさせたのかもしれない。グリニデの手や唇がよく触れる部分はより敏感になり、掠めただけで可愛らしい声を立てる。
 もちろん具合は最高で、どんなに乱暴に揺さぶっても柔軟に絡みついてくるそれに、ともすれば、最近はグリニデの方が先に持っていかれそうになる。素晴らしい肉体だった。グリニデの為にあつらえたような。
「今回は、密談用の魔物をグリニデ様が買われたとの事で、それ用の魔物をお勧めに参ったのですが……」
 シャギーの声にグリニデは我に返る。
 先程までは確かに持っていなかったと言える黒いヌメ皮のブリーフケースから、シャギーはいそいそとカタログやパンフレットを取り出し、
「魔物ではないですが、こういうグッズ類は如何でしょう。さぞかし、グリニデ様のナイトライフを華やかに彩ってくれると存じますが……」
 グリニデが一瞥したところ、用途はよくわからないまでも、非常にいかがわしい目的に使われるであろう小物が勢揃いしていた。あれを悦ばせるのは手と唇とおのれのものだけで充分、という自負はあるが、……つい、興味を惹かれた。
「……見せてくれ」
 シャギーは喜々として事細かにひとつひとつ説明を始めた。
 グリニデはキッスの負担にならない程度の小物を幾つか買い、シャギーを帰らせた。
 好むと好まざるとにかかわらず、あれはもう自分の物なのだから、好きに弄って構わないだろう。あれの泣き顔はどれも美しいが、何度も昇天させて、許して……! と懇願させる時の顔は、格別に美しいのだから。
 グリニデは薄く笑った。あんな顔を見せる方が悪い。
 しばらく泊まり込みで調査を続けると言っていたからその間お預けだが、それも良し。
 自分は焦ってはいない。あれを見たキッスがどれだけ怯えた表情を見せてくれるか楽しみにしながら、グリニデはキッスを待つ事にした。

>>>2010/12/7up


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