部屋を出た途端、キッスはうずくまった。
「う……」
大きく広げられて、いじられ続けていたせいで足に力が入らない。更に、絶頂を強要された途中で行き場のなくなった熱が、キッスの中でぐるぐると渦を巻いている。下手に動いたらこの場で漏らしてしまいそうだ。そんな恥ずかしい真似は絶対に出来ない。油汗を流しながらキッスは耐えた。
「おい……大丈夫かよ?」
声をかけてきたのはベンチュラだ。今日、一緒に新しい遺跡に赴く約束をしていた。
その話自体は随分前にグリニデに話して了解を取っていたのだが、いざ、今日出掛けると朝参の際に報告すると、一人残されて、机の上に転がされた。ベンチュラはその間ずっと、廊下でキッスを待っていてくれたのだろう。
「うん……大丈夫。ごめん、もうちょっとだけ、待って……」
「大丈夫そうにゃ見えないぞ。連れてってやるから、自分のベッドで寝ろよ。遺跡にゃ昼くらいから出掛けりゃいいだろ。半日やそこら遅れたって、遺跡は逃げやしないんだからよ」
心配そうにベンチュラは言って、肩を貸そうとキッスに近付いた。
キッスも素直に礼を言って、ベンチュラに縋ろうとした。
その手が触れた瞬間、
「あ、ありが……!?」
ぞわ、と背筋が総毛立った。ぷつぷつと、服に隠れて見えないけれど自分が鳥肌立っているのがわかる。
反射的にベンチュラを振り払っていた。
ベンチュラは気を悪くした風もなく、不思議そうにキッスを見下ろしている。
「……どうした?」
「ご、ごめんっ。どうしたんだろ、僕……!」
もう一度、ベンチュラに手を伸ばした。ベンチュラが手を取ると、キッスはやはり自分からその手をひっこめた。自分でも無意識の行動だった。ここ最近、自分の体が、自分の意識と脳に反して勝手に行動する。キッスはぺたんと完全に廊下に腰を落として、茫然とした。
「……まあ、色々あるわな。オメーには」
それでもベンチュラは何となく理解を示し、キッスの非礼に腹を立てたりしなかった。グリニデがキッスに与える仕打ちもよく知っているし、三魔人の中で一番軽んじられているのはベンチュラで、その辺りが同情というか、共感めいた感情を持たせたのかもしれない。
「ごめん、ベンチュラ……!」
何度も謝って、だが、おかげで体の熱が四散した。足はまだ少し震えるが、キッスは自分で立つと顔を洗う時間だけ頂戴、と言って、先にベンチュラを大怪蝶の元に行かせた。今日、調査に行くのはテトラゴナ遺跡、初めて行く場所なので、ベンチュラが護衛を申し出てくれた。
今のキッスを一人にしておくのは危険だとか何だとか言って。
意味はよくわからなかったが、ベンチュラがついてきてくれるのは嬉しい。ベンチュラは今ではキッスの気の置けない友人で、だからこそ、自分の反応がショックだった。触られて鳥肌立つなど、友人に対する反応じゃない。
いや。キッスは思い返す。
グリニデに嬲られた後だから、ちょっと過敏になってただけだ。きっとそうだ。
自分に言い聞かせながらキッスは部屋まで戻り、水盤で顔を洗い、大怪蝶が準備して待っている外の広場へ向かった。ベンチュラが泊まり込みに必要な毛布や水や食料などを大怪蝶の背にくくりつけてくれていた。キッスとベンチュラは一匹ずつ大怪蝶を駆り、飛び立った。
「……あれ?」
キッスは遠くに村を見つけて声を上げた。
村、というより集落? 色とりどりのテントが一箇所に沢山集まっている。炊ぎの煙なども立ち上っていて、なかなか活気もありそうだ。キッスは、隣に並んで飛んでいるベンチュラに聞いてみた。
「ベンチュラ。あんな所に村あったっけ?」
「あー。なんか、あの辺から水が出たらしいぞ。んで、最初は旅人やら難民やらが利用していたのが噂を呼んで、少しずつ、人が集まってきたらしい。オアシスみたいなもんだな」
「ふうん……」
むくむくと興味が湧いた。
「行ってみていい? ベンチュラ」
「はあ!? テトラゴナ遺跡はどうするんだよ!?」
「遺跡は逃げないって言ったのはベンチュラじゃん。ちょっと覗いてみるだけだから、いいでしょ?」
渋るベンチュラを拝み倒して、キッスは村から少し離れた所に大怪蝶を下ろした。
幸い、テトラゴナ遺跡はここからも結構近いようだ。
ベンチュラには先に行って貰う事にした。待たせるのも申し訳ないし。
「いいか、余計な真似しないで、さっさと戻ってくるんだぞ。三十分経ってもオメーがテトラゴナ遺跡に来なかったら、あのしょぼいテント村が跡形も無くなると思えよ」
それはひどい、せめて一時間……! とキッスは交渉して、何とかOKを貰った。
ものすごーく不承不承そうだったが。
「行ってくるねー」
お気楽に手を振って、キッスは村に向かって歩き始めた。ベンチュラが不満そうに見送っている。
どうもこの所、ベンチュラが過保護になってきたような気がする。護衛を申し出てくれたのもそうだし、門限、というか時間を切ったのもそうだ。以前、クラッスラ遺跡やエケベリア遺跡に通っていた時は、もう少し自由に……、というか、ぶっちゃけほったらかされていたのだが。
ベンチュラの駆る大怪蝶がキッスを追い越していった。今度はキッスがそれを見送った。
村にはまだ『門』がなかった。魔人や魔物の侵入を防ぐ、門。
キッスには好都合だった。腹の中の再生虫が門に見破られるかどうかは賭けだったが、ここではそんな心配はいらない。ベンチュラのつけてくれたちいさな蜘蛛も、袖の中で待機している。これも魔物には違いないから、見せびらかして歩く気は毛頭ないが。
そんな事を考えていると村に着いた。
入口、と呼べる程のものはなかった。まばらなテント群が、中心に行くほど混み合っていく。テントは遊牧民が使うパオ、をもう少し簡略化したような形で、なるほどオアシスっぽい。
幕が下がっているのは普通の住居用なのだろう。商品を扱っている店は見通しよく幕を上げて、客を呼び込んでいる。年配の女性が果物を覗き込んでいた。よくよく見れば、テントではなく石と木でつくられた家も何件かあって、今は過渡期なんだろうと思う。
ざわざわとした喧騒。なんだか泣きたいほど懐かしい。こんな風にもう一度、人の間に混じって歩けるなんて思いもしなかった。甘い匂いがする。香ばしい、パンの焼ける匂い。
そういえば以前、ベンチュラが差し入れしてくれたのもパンだったな、と思いながらキッスはその匂いの元の店を探した。服の袖を肩までまくりあげた、恰幅のよいおばさんが簡素な石窯でパンを焼いている。
キッスはそちらに近付いて、すみません、パン頂けますか? と話しかけた。
「はい、いらっしゃい。幾つ?」
紙袋をがさごそ言わせながらおばさんはキッスに応対した。
低い台の上に、山盛りのパンのかごが置いてある。普通のパンから、ハーブやナッツの砕いたものが練り込まれたものもあり、意外と種類がある。キッスはプレーンとセサミを二個ずつ頼んだ。結構ハード系のようだから、日が経ってもおいしく食べられそうだ。
紙袋に詰めてもらったパンを受け取り、代金を渡す。その時、僅かに指先がおばさんの手に触れた。
咄嗟にキッスは投げ出すようにお金から手を離した。チャリンと硬貨が地面に落ちる。
「あ、ごめんなさい……! 慌ててたのかな、僕……」
「いいよいいよ。旅の途中かい? 僕」
おばさんは腰をかがめて硬貨を拾いながら聞いた。
「ええ。ある方の命を受けて、遺跡の調査をしてます。今回はこの先にある、テトラゴナ遺跡へ……」
嘘は言っていない。
驚いたようにおばさんは言った。
「一人でかい!?」
「あ、仲間は、先に……。僕が一番下っぱなので、丁度ここに村があったのを幸い、買い出し係をおおせつかって」
これはちょっと嘘だが、あながち間違いでもない。
おばさんはちょっと表情を陰らせて、
「そうかい……仲間がいるんなら、良かった。僕、悪いこた言わないから、買い出しが終わったらさっさとお仲間と合流した方がいいよ」
「え?」
「僕、小奇麗な格好してるし、遺跡調査なんて金にならなさそうな仕事をしてるなら、多分いいトコのボンボンなんだろうけど……気をつけなよ。世の中には悪い奴等が一杯いるんだから。僕みたいに若くて可愛い子は、真っ先に狙われるよ」
「………」
まあ、確かに金銭的に不自由はしていないが……今払ったばかりの硬貨が火事場泥棒のように、滅ぼした後の村々から魔物達が、キッスの為に持ち帰ってきたものだとしても。魔人と同じものではあるが食事も出るし、服は支給だし、もしかして自分って結構恵まれてるのか? と納得してしまいそうになる。
ちく、と袖の中の蜘蛛がキッスを刺した。
何かに注意を促している。顔をおばさんに向けたまま、素早く周囲に目を走らせた。
何者かが、物陰から自分を窺っている。二人……いや、三人?
そういう事か。
「ありがとう、おばさん。調査が長引いたら、また買いに来ます」
それとなく教えてくれたおばさんに礼を言ってキッスは別れた。
キッスが動くと、その何者かも動いた。やはり狙いは自分らしい。
>>>2010/12/17up