早くこの場を離れよう。足早にキッスは歩いた。
が、少し遅かったらしい。
幾らも歩かない内に、キッスは三人の男達に取り囲まれた。
まだ若い。以前所属していた戦士団の皆と同じ年頃だろうか。黒髪二人と茶髪一人。
この茶髪の男の頬には大きな傷があって、どうやらこれががリーダーらしい。
「こんちー、一人?」
ナンパみたいだなあ、とは思ったが、口には出さなかった。
「どこ行くの? 俺達がついてってあげよーか?」
ますますナンパっぽい。チャラけた風を装ってはいても、目が笑っていない。ふと思い付いて周りを見渡すと、誰もキッスと視線を合わせようとはせずに下を向いた。どうも、これは日常的……とはいかないまでも、珍しくない光景らしい。おばさんが忠告してくれた所からしても。
「仲間を待たせていますので、これで……」
軽く頭を下げ、通り過ぎようとしたが、すっと足が伸びてきて通せんぼされた。
仲間がいる、そして自分が帰らなければ不審に思って探しに来るぞ、という事を強調したつもりだったが通じなかったらしい。キッスは困った。
まずい。一時間以内に戻らなければ、この村が襲撃されてしまう。
ベンチュラは冗談めかして言ったが、あれは本気だ。魔人にとって、この程度の村など遊びで滅ぼして何とも思わない。むしろ口実が出来て好都合というものだ。まだ食べてはいないがパンを売ってくれた親切なおばさんに迷惑がかかるのは避けたい。といって、どうこの場を切り抜けよう?
キッスが逡巡していると、馴れ馴れしく肩に手をかけられた。
キッスは硬直した。気持ちが悪い。じゅくじゅくと、触られた箇所から自分が腐っていくようだ。
「は……離して、ください……」
それだけ言うのがやっとだった。失敗した。男達はますます調子に乗って、
「そんな冷たいこと言わないでさー。旅の人だろ? こんなド田舎の出来たての村だけど、結構イイ場所もあるんだぜー。案内してやるから、一緒に行こうぜ」
「そうそう。誰か探しに来て怒られたら、俺達が謝ってやるからさ」
「ところでその金髪、本物? いや、ここらじゃ余り見ないからさ。珍しくてさ」
口ぐちに言って、べたべたとキッスに触れてくる。どこか値踏みするような手つき。駄目だ。
キッスはずるっと倒れるようにしゃがみ込んだ。
「どったの、気分悪い? あ、それなら俺んちで良ければ、休んでく?」
むしろ嬉しそうな口調で茶髪は言う。そうだそうだ、と同調する黒髪二人にも、もはや嫌悪感しか感じない。はたから見れば、今のキッスはいい所のボンボンがチンピラに囲まれて、恐怖で腰を抜かしたようにしか見えないだろう。
「いえ、結構です……少し放っといてくれれば、治りますから……」
多分。
朝、ベンチュラに縋ろうとした時もそうだった。だが、原因はいったい何だ!?
膝に顔を埋めてキッスは考えようとした。が、男達が親切ごかしに話し掛けてわざとらしく触れてくるせいで、まとまるものもまとまらない。
「ほら、連れてってやるからさ」
左手を取られて、持ち上げられた。普段は隠れている銀色の腕輪があらわになった。
グリニデの忠実な部下の証。
「何コレ、すっげー腕輪……え? 鎖? ――痛っ!!」
左袖に隠れていた蜘蛛が、茶髪の手の甲を思いっきり噛んでいた。
逃げろ。今しかない。
「な、なんだ、この蜘蛛……!? ちくしょう、虫のくせにっ!」
茶髪が蜘蛛を振り払って、地面に叩きつけた。蜘蛛を踏みにじろうと足を上げたタイミングを見計らって、キッスは立ち上がって走り出した。
「あ!? おい、待てっ!」
茶髪は蜘蛛に気を取られていたせいでダッシュが遅れた。走りながら、キッスは今買ったばかりのパンを比較的早く反応した黒髪二人に投げつけた。もちろん大して効かない。油断させた所で、懐に忍び込ませておいた護身用のバッドボムフラワーを投げる。信管代わりの茎とがくを引き抜いた上で。
「うわあっ!?」
命中。まだ、コントロールは衰えていないようだ。
天撃の雹弾を投げるのも爆弾を投げるのも似たようなものだろう。キッスは今度は卵の殻で自作した、モスリープの粉を詰めたもので黒髪二人の足もとを狙った。殻が割れて、中身がもうもうと散じる。舞い上がったモスリープの粉を吸って、二人はその場に崩折れた。
それでもキッスは油断せずに、一直線に村を抜けて大怪蝶のもとへ走ると、背中に飛び乗って羽ばたかせた。すぐに村がちいさくなる。キッスは空から村を眺めながら、美味しそうなパンだったのに、もう二度と食べられないのか。もったいない事をしたな、などと考えた。
「セーフ。もうちょっとで総攻撃を仕掛ける所だったぞ」
ベンチュラが、あくびしながらテトラゴナ遺跡で出迎えた。キッスは暗い顔をして、
「ごめん、ベンチュラ……僕のせいで……」
キッスは自分を逃がす為に、犠牲になってくれたちいさな蜘蛛の事を説明し、詫びた。
あー……、とベンチュラは間延びした声を出すと、
「あれも、一応オメーの護衛だったからな……任務を全うしたなら本望だろう」
そう言って、最後にひと泡吹かせたか? と聞いた。
キッスは頷いた。踏み潰される前にあの蜘蛛は、茶髪のリーダーに噛みついていた。
「うん」
「なら、いい」
ベンチュラはそれで話を打ち切って、キッスに発掘を始めようぜ、と促した。
「あ。ちょっと待って」
キッスはベンチュラの手を取った。
心の準備が出来ていたせいか朝ほどではないが、軽くやはり悪寒がした。うずくまって考える。
「何なんだよオメー。失礼だろうが」
ベンチュラがぶつくさ言っているが、更に触れてこようとはしない。魔人の方がよっぽど紳士的だった。
しかし、この、変化は……。自分の体が少しずつ、変わってきたのは知っていた。
グリニデに合わせて、グリニデの好みに沿うように変化した体。
もう、香油はいらない。いちいち塗りつける手間が省けて、すぐに突っ込めて便利な事だろう。
過敏になったのも、体質的な事は再生虫の仕業だと理解出来る。
では、グリニデ以外の者は?
「ごめんごめん。悪かった」
顔を上げて、口先だけでキッスは謝った。
……もしかして自分の体は、グリニデ以外の者を受け付けなくなったのだろうか。
グリニデ専用の抱き人形。おもちゃ。稚児。
考えるだに情けなくなるが、自分はもう一生、そうして生きてゆくしかないらしい。
「それじゃ、測量から始めようか。ベンチュラ」
キッスは頭を振って情けない気分を払拭すると、ベンチュラとメジャーを持って、何やらふしぎな形をした石が積み上げてある、テトラゴナ遺跡の調査にかかった。
パチパチと音を立てる焚き火を囲んで、キッスはベンチュラと夕食を摂っていた。
ベンチュラチョイスの夕食は、セミ(成虫)のフリッターやらヘビトンボの黒焼きやら、火が通してあるだけマシ、というシロモノだ。味覚が違うのだから仕方ないが、あんな事さえなければ、久し振りに自分チョイスの人間用の食事が食べられたのに。
時間が許せばパンだけでなく果物や、干し肉やソーセージなんかも買ってくるつもりだった。
改めて腹が立ってきてキッスは愚痴った。食い物の恨みは恐ろしいのだ。
聞かされている当のベンチュラは、自分の使い魔の蜘蛛から何やら報告を受けている。
「キッス。その三人組の内の二人が、こっちに向かってるらしいぞ」
「へえ?」
わざわざ追い掛けてきたのか。おばさんに聞いて?
身代金目的かどこに売り飛ばす気か知らないが、獲物一匹にマメな事だ。近いといっても、徒歩ならそれなりの時間がかかる筈。陽が暮れてから歩き回るなんてチャレンジャーだな、と感心する。
キッスはふらりと立ち上がると、奇妙な石にもたれかかって彼等がやって来るであろう方向を眺めた。
夜目に慣れたキッスの目に、黒髪の二人だけが見えてきた。
向こうもしばらくしてからキッスに気付いたらしい。
「さ、探したぞ、てめえ……!」
「て、てめえだろ、あの蜘蛛を持ち込んだのは。てめえの袖の中から出たの、俺、見てたんだぜ」
なかなか目がいい。キッスは黒髪の片方を凝視した。
「あいつ、蜘蛛に噛まれた手の甲から、真っ赤に腫れ上がって……、今じゃ肩の所まで膨れ上がってる。あれ、蜘蛛の毒のせいなんだろ。あの蜘蛛を持ち込んだてめえなら、毒消しも持っているんだろ? でないと危なくて飼えないもんな」
「なあ、売ってくれよ、毒消し。ちょっかい出したのは悪かったよ。謝るからさ」
ふむ。陽が落ちてここまで来たのはそのせいか。友情って美しい。
「大丈夫。あの蜘蛛に、そんな毒はないよ」
キッスは安心させるように言った。
「そ……そうなのか? でも、あいつは……」
「毒じゃなくて、卵だよ。あの子が産みつけたのは」
くすくすとキッスはおかしそうに笑って、
「あの子は力の弱い魔物だから、死ぬ時、全力で敵の体に卵を産む。あの子の卵は血管に乗って心臓に集まり、そこで孵化する。敵の栄養を存分に吸い取って、胸を食い破って出て来る頃には、親のあの子と同じ大きさにまで成長してる。子供達はまたベンチュラの部下になって、僕を助けてくれるだろう」
ひょい、とキッスがもたれている石の影から、ベンチュラが姿を現した。
ひと目で蜘蛛の魔人とわかる、八本もの手足と二本の触覚。
黒髪の二人は驚愕して叫んだ。
「ま……魔人!?」
「な……ん、だよ、なんなんだよ、お前! 人間じゃなかったのかよ!?」
人間なのか、と問われるとキッスは返答に詰まる。といって、魔人でもない。
きっと今は、過渡期なんだろう。人間から魔人へと変化する。
そんな事が本当に有り得るかどうかはともかく、夜毎、魔人の精を受け、魔人と同じものを食べ、寝起きを共にしている自分は、もう半分くらい魔人かもしれない。
「人間だよ、まだ」
そっけなく答えて、次に、良かったね、と言った。
「な……何が?」
「巻き込まれずに済んで。あの子は体がちいさいから、孵化も早いんだ。産みつけた敵の個体によって差はあるけど、彼はまだ若くて健康そうだったから、そうだな、孵化まで……」
二人はごくりと唾を呑んだ。
キッスは首を巡らせて、少し考えてから呟いた。
「……十二時間くらいかな」
「もっと早いぜ、多分。八時間〜十時間、ってトコだな。こいつらと同じ位の年頃の人間なんだろ? 栄養が良かったんだな。そろそろ最初の一匹が、食い破って出てきてんじゃねーか?」
うわっと叫んで二人は走って村に戻ろうとした。
その背中にキッスは声をかけた。
「やめといた方がいいよ。もう遅い。食い破って出て来たあの子の子供達は、あの村の人間全員に取りついて、今頃はあの子の孫をつくろうとしてる。君達のせいで村は全滅だ。全く、不用意に魔物を殺したりなんかするから……」
ふう、と大きくため息をつく。
パン屋のおばさんは助けてあげたいが、一人、生き残った所で辛いだけだろう。自分のように。
「お、お前! 人間なんだろ!? 人間がなんで、魔物に味方するんだよ!?」
悲鳴のように片方が聞いた。目のいい方だ。
「人間が人間を売り飛ばすのはいいの?」
キッスは聞き返した。あー、そういえば僕って前の戦士団からも捨てられたんだっけ、と思う。
「そ、それは……っ」
相手がどもる。もういいや。キッスは冷めた気分で命令した。
「ジャガーム、処分しといて」
土中から巨大なムカデの魔物が現れて、二人を喰らった。バリボリと咀嚼音がして、ジャガームがまた土中に戻っていった時には、二人の痕跡は血の一滴すら残らなかった。ま、村へ戻ってもあの子の子供達のエサになるだけだし、それならどの魔物のエサでも同じだろう。
「変わったな、キッス。昔は自分を犯そうとした奴さえ命乞いして逃がしたってのに」
ベンチュラが言う。
「そうだね。今なら生かしてはおかないだろうね」
心のどこかが麻痺している。
小なりとはいえ村ひとつ滅ぼしたというのに、驚くほど良心が咎めない。
「いや。いい変化だと思うぜ? オメーもようやく俺達のやり方に馴染んできたな」
カラカラと笑って、ベンチュラは焚き火の側に毛布を敷いてくれた。
横になって眠ろう。
目が覚めたら自分はまた一歩、魔人に近付いている事だろう。
< 終 >
>>>2010/12/22up