セントレイ
「補充……ですか?」
私は思わず問い返していた。先日、納品した二十人程の人間はどうなったのだろう。
「そうだ。追加で、後1ダースほど頼む。どうも顔を見ていると萎えるので、うつぶせにして顔を押し付けたり枕を顔に当てがってからヤッていたら動かなくなってしまってな。泣き喚いてうるさいし、口封じに丁度いいと思ったのだが、うまくいかないものだな。そういう訳なので、頼むよ。ロズゴート君」
「はあ……」
間延びした声を出しながらも、私はわかりました、と了解して頭を下げた。
部屋を退出しながら、私は首を捻った。
結果的に、グリニデ様に他の人間で実験されることを勧めたのは私だ。その頃にはキッスの鳴き声なんぞは珍しくもなくなっていたが、ある夜、ひときわ高い悲鳴が聞こえてきた事があった。その尋常ではない悲鳴に私は驚いて、差し出がましいと思いつつ、グリニデ様の部屋に向かった。
部屋の前には同じく不審に思ったらしいベンチュラが、私より先に来て聞き耳を立てていた。フラウスキーは留守だった。私はダンゴールを探した。キッスが何をしてグリニデ様を怒らせたのか知らないが、ダンゴールならその身でグリニデ様の癇癪を鎮める事が出来ると思ったからだ。
首を振ってベンチュラは言った。
「無駄だよ、ロズゴート。ダンゴールなら、グリニデ様に言われてキッスを責めるのに加担してるよ」
私は驚いた。あのダンゴールが、どうやって……!? と思ったら、気絶したキッスの頬を叩いたり水をかけたりして正気づかせたり、グリニデ様のなさる事に僅かでも抵抗出来ぬよう、手足を押さえつけたりしているらしい。ベンチュラは、扉の隙間から入れる程のちいさな蜘蛛を忍び込ませて報告を聞いたそうだ。
ダンゴールは進んでやっている訳ではなさそうだが、グリニデ様の命令には絶対服従の執事だし、多少の残虐行為はこの城では日常茶飯事だ。粛々と従っているらしい。私も不思議には思わない。相手が、キッス以外の人間なら。
「……これは、俺から聞いたって言うなよ?」
私がいぶかしがっていると、声を潜めてベンチュラは話し始めた。
ベンチュラが言うには、キッスは水浴び(元は湯だったらしいが)の途中、意識を失ったらしい。
実はこの時、キッスに服を着せてベッドに入れたのはベンチュラだ。ベンチュラはずっと爪の先ほどの大きさの蜘蛛を通してキッスの様子を窺っていた。しばらく静観していたが、いつまでたっても目覚めないのでさすがに水の中で寝るのはまずいのではないかと思ってそうしたらしい。
大きい蜘蛛は今はキッスに拒否されているし、グリニデ様の寝所までは恐ろしくて潜り込ませる事は出来なかったらしいが、それ以外の場所ではキッスはずっとベンチュラの庇護下にあった訳だ。正直、魔人としてはベンチュラは三流もいい所だが、天撃を封じられて一般人以下の存在になった今のキッスよりは強いだろう。
朝になってダンゴールが発熱したキッスを発見して、そこからグリニデ様に話が行き、寛大にもグリニデ様はキッスを見舞われる事にしたらしいが、その時、キッスが魘されながら口走った名前が悪かった。私は聞いた。
「名前? 何だ、それは?」
「知らねーよ。友達だろ? 人間の友達の一人や二人くらいいンだろ、キッスにも。ジーサン達とだって、結構うまくやってたじゃねえか」
それは、確かに。なんだかんだでフィカスにはかなり可愛がられていた様だし、魔人のベンチュラとも、キッスは仲が良かった。グリニデ様に召し出される様になって、あれだけ泣き叫んで拒絶の言葉まで聞こえていたに関わらず、グリニデ様は上機嫌のままで、正直、かなりうまくやっているなと私などは思っていたが、無意識に口走った名前で、ついに地雷を踏んだという事か。
「……それで、これがちょっと驚きなんだけどよ……」
更に声を低めて、ベンチュラがささやいた。私は、思わず大声で聞き返していた。
「手が付いていなかった、だと……!?」
ベンチュラがシーッ、シーッと指を立てて静かに、のゼスチャーをする。
信じられない。キッスが召し出されたのも、一度や二度の事ではない。その執着の深さから、とっくにキッスの体はグリニデ様の物にされていると思っていたのだが、そうではなかったらしい。では今が、まさにその時なのだ。私とベンチュラは去るべきだと思いつつ、扉の前から動けなかった。
やがて、キッスの悲鳴がやんだ。
私とベンチュラは固唾を呑んで成り行きを見守っていた。キッスは死んでしまったのだろうか。
長い時間が経った。ついにグリニデ様がダンゴールを伴って、ドアを開けた。
私とベンチュラは姿勢を正して頭を下げた。
「……ロズゴート君」
はっ、と私は返事をした。
「中でキッス君が失神している。すまんが、手当してやってくれ」
毒の粉を武器にする私は、多少の薬の知識もある。人間に効くかどうかは不明だが、やるだけやってみるしかなかろう。私は部屋に入り、人事不省に陥っているキッスの治療をした。ベンチュラもくっついてきて、手助けを申し出た。キッスの傷の具合を見て、ベンチュラも思う所があったらしい。
治療が終わると、私は報告の為にグリニデ様の部屋に向かった。
グリニデ様は、自分専用の大きな椅子に腰かけて、妙な言い方だが……後悔しているように見えた。いや、実際に後悔されていたのだろう。でなければ、私に治療しろなどとおっしゃる筈がない。
「終わりました、グリニデ様」
再生虫、と呼ばれる虫がいる。ある種の寄生虫だが、宿主の体が壊れるとその破損した箇所を修復してくれる便利な虫だ。キッスの裂傷はひどく、そのままなら確実に命を落としていた事だろうが、貴重な白い芋虫に似たそれを磨り潰して体液を塗りつけると、ゆっくりとではあったが、再生が見られた。
やはり人間には効きが悪いようだが、これから再生虫を培養し、気長に治療する事で、元の体に戻るだろうと私は報告した。意気消沈されていたグリニデ様は、それを聞くと僅かに顔色を良くした。
「そうか。良くやってくれた、ロズゴート君……ありがとう」
私は驚いた。後にも先にも、グリニデ様からありがとうなどと礼を言われたのはこの時だけだ。
とんでもない、と私はやはり頭を下げて、私はやれる事をやっただけです、と答えた。そして、そこまで気になるなら何故、今まで手つかずで置いておいたのだろうと疑問に思った。
グリニデ様は目に見えてホッとしたようだった。
よほど安堵したのか、自分から、ぽつぽつとグリニデ様は事の顛末を話し始めた。
「……全く、この私が自ら足を運んだというのに、他の男の名前を呼ぶなどと失礼過ぎる。そうは思わんかね? ロズゴート君。だから罰を与えたのだ。あれは私がいかに寛大で、破格の扱いをしていたか、ひとつも理解していなかったのだ。あれだけの頭脳を持っていながら、嘆かわしいとは思わんかね。大体……」
グリニデ様のおっしゃる事はほぼ、ベンチュラに聞いた通りだった。
激昂したのはわかる。お前、と呼んだだけで私は私の部下と片方の目を失った。グリニデ様は、自身を軽く扱われる事が何よりもお嫌いなのだ。だから自分以外の名前を呼ばれて我を失ったのは私には容易に理解出来る。むしろ、殺されなかったのが不思議なくらいだ。
私はタイミング良く相槌を打ちながら、もしかして成長するのを待っていたのかもしれない、とも思った。キッスはまだ子供で、閨に引っ張り込むには今少し、時間がいる。時間をかけて馴らしながら、花ひらくのを楽しみにしていたのかもしれない。グリニデ様は短気だが、気の長い所もある。黒の地平の領土をじわじわと広げていったのがその証拠だ。
ただ、馴らすだけでもキッスにはきつい行為だったのだろう。
ましてや今回は最後までグリニデ様を受け入れて、死の一歩手前まで追い詰められたのだから、幾ら体が元に戻っても、その時の恐怖の記憶は消えまい。私は何の気なしに言った。
「キッスの体がお気に召したのでしたら、他の人間も試されてみては如何です? 何でしたら私が、見てくれのいいのを何人か見繕って来ましょう。もちろん、御不要でしたらいらぬ口出しをして申し訳ありませんが」
私としては、これで目先を変えて、キッスの負担が少しでも軽くなればと思ったからなのだが……。
「――ああ! そうか!!」
グリニデ様は、開眼したように手を打って、
「いい事を提案してくれたロズゴート君。あれが非力な人間なのは私も覚えていたのだが、どこまでなら大丈夫なのか、私にはさっぱりわからなかったのだ。他の人間で試せば、あれの限界もわかるようになるだろう。早速、幾人か調達して来てくれたまえ。顔はどうでもいい。適当に若ければ、雄でも雌でも構わない」
失敗した。私は思った。
稚児や愛人を増やせばいい、という問題ではなかったらしい。グリニデ様にとって重要な人間はキッスだけで、後は駆除すべき対象らしい。キッス自身も元々はその頭脳を見込まれた訳で、ただキッスには本当に人間か、という疑問がついて回っていた。
グリニデ様が検分なされたのもその為で、思いのほかその体を気に入り、のめり込まれていったようだが、他の人間も同じルートを辿るかというと、そうは思わない。恐らく使い捨てだろう。そしてその私の予感は、正しかった。
しかし、もう少し保つかと思っていたが。
およそ、グリニデ様も、人間の顔を何かで塞げば呼吸困難で死ぬ事くらいわかりそうなものだ。
まあ、わかっていてもそこまで気を遣う必要はない、という事なのだろう。
容姿は問わない、というのはありがたい条件だ。そこそこの年齢の人間をまとめてかっさらってくれば事足りる。死んだら虫達の食糧にもなるし、余すところなく活用出来て一石二鳥だ。
キッスの為に練習台や叩き台にされる人間達は不幸だが、世の中とはそうしたものだろう。
――キッスがどう思うかは知らないが。
キッスはまだ伏せっている。私はキッスの為に、この事実を隠しておきたいが、早晩知る破目になるだろう。その日が出来るだけ遅く来ればいいと、私は願った。
>>>2010/10/4up