鳥籠の宇宙
「淫売」
ノックもせずに入ってきて、第一声がそれだった。
「どういう意味? フラウスキー」
自分の研究室で、キッスは机の上に自分で採取してきた遺跡のかけらを広げていた。
全く、これから修復の為に細かい作業にかからなければならないのに、フラウスキーがいたら集中出来ないじゃないか。キッスは招かれざる来客に険のある視線を向けた。
「どういうって……言葉通りの意味だよ。意味知らねえんなら教えてやろうか? 淫売、売淫、売春、つまり何かと引き換えに体を差し出すこと。グリニデの旦那にケツ振って、この城での暮らしを保証して貰ってんだろ? かーっ、俺、そういうの軽蔑するわ。あ、意味わかるか? ケイベツ。侮蔑、蔑視、さげすみ」
キッスは目をすがめた。
突然入ってきて何を言い出すのか、この馬鹿は。
「……なんだ。相手して欲しいならそう言えばいいのに」
そーいう意味じゃねえよ! とフラウスキーは吠えた。そんな事はキッスにだってわかっている。
が、無断侵入の無礼者にはこの程度の対応で充分だろう。
「違うの? あ、もしかして僕に成り替わって閣下のお相手を務めたいってこと? それなら僕から閣下に上申しておいてあげるよ。閣下は僕の進言なら何だって聞いてくれるし、この所お呼びのかかる回数が多くて、フラウスキーが少しでも受け持ってくれるなら、僕も助かるし」
慢性的に寝不足だし、疲労は溜まるし……と続けた所で、机をバン! と叩かれた。
ああもう。ただでさえ小さいかけらがますます小さく。
キッスはこれ以上粉々にされないように、出来るだけフラウスキーから離れた場所に集めながら言った。
「ちょっと。何するんだよ。フラウスキーにはわかんないかもしれないけど、これは僕が苦労してエケベリア遺跡から発掘してきた物なんだからね。これを修復して復元が済めば、エケベリア遺跡発祥の年代とか王様の名前とかがわかるかもしれないんだ。エケベリア遺跡は街並みこそ残ってるけど、そういう時代を特定出来るような建物が残ってなくて、苦労させられてるんだから。修復がうまくいかなかったら、フラウスキーのせいだって閣下に言いつけるからね」
「うるせえ。発掘ったってほとんど蟻にやらせてるんだろうが。告げ口たあ、やっぱり男らしくない野郎だな。あーやだやだ、こんな奴が同僚とはな」
鼻を摘まんで上を向いて、もう片手をその前でひらひらさせる。最高にむかつく動作だ。キッスはふう、と息を吐くと、今日はもう作業を諦め、手早くかけらを片づけながらぽそり、とつぶやいた。
「……そりゃあね。僕は請われて閣下の部下になったからね。自分から平身低頭して部下にしてもらった奴と一緒にして欲しくないね」
刹那、フラウスキーの眉宇が上がった。唇をへの字に曲げ、キッスを睨みつける。
「てめえなあ……!」
一歩踏み出し、フラウスキーはキッスに向かって凄んだ。
「言葉に気をつけろよ、人間。俺はもうずっと前からグリニデの旦那の下で働いてンだ、いわば先輩なんだよ。先輩にむかってその口の利き方は何だ!? ああ!?」
「ロズゴートは、私達は同僚として対等だから呼び捨てでいいって言ってたよ」
「大体、俺は雄のクセに腰振ってあんあんよがってる奴がでーっ嫌いなんだよ。旦那の趣味にケチを付けたくはないけどよ……正直、理解出来ねえわー」
「気持ちイイのはいい事だよな、ってベンチュラが言ってたけど」
それが魔人じゃないの? とキッスは言ってやった。
意外そうにフラウスキーは目を丸くした。
「……てめえ、随分見掛けと違うな。もう少しなよっちい奴かと思ってたんだが」
「フラウスキーがいちいち突っかかってくるからでしょ。僕なんか無害で無力な人間だから、放っといてくれれば大人しく与えられた研究室に籠もって、言われた通りの研究をしているのに。そりゃ、発掘の為に遺跡に出掛けたり閣下に呼び出されたりもしてるけど、それは全て命令で、僕の意志じゃない」
キッスは扉を手で示し、
「僕に文句を言うのはお門違いだよフラウスキー。わかったらもう行って。邪魔をしないで」
フラウスキーは首を振った。
「……いいや、そういう訳には行かねえ。俺は、自分で無害とか言う奴は信用しねえんだ」
「!」
「てめえは自分の力を知ってる。だからそういう態度を取れる。確かにてめえは身体的には俺達魔人に敵わないかもしれねえ。だが、毒の腕輪をつけられて尚、のうのうと人間がこの城で暮らしていけるのは、てめえの背後に旦那の影があるからだ。旦那の部下である俺も魔物も、誰も危害を加えられない。てめえはグリニデの旦那の権力をカサに着て、好き放題出来る立場だ。そんな奴、危なくて身近に置いておけるかよ」
なるほど。キッスは腑に落ちた。
フラウスキーはどうやら、自分を傾城の美女的存在に捉えているようだ。
そこまで美形ではないと思うが……いや、整ってないとは言わないが、せいぜい並みよりちょっと上、くらいのレベルだろう。
「僕にそんな権限はないよ。こうして生き永らえているのも、閣下の胸先ひとつだし」
キッスはやるせない微笑を浮かべた。見当違いにも程がある。
「僕がちょっと閣下の機嫌を損ねれば、その時点で僕は死体になってるよ。だからそんな心配はいらないよ、フラウスキー」
「だがてめえは死んでねえ」
フラウスキーはビシッとキッスに指を突き付けて言った。
「死体寸前まで行ったかもしれないが、死んでねえ。ロズゴートに治療して貰ったらしいな。再生虫の卵を処方されたとも聞いたぜ。ならてめえは、即死レベルの致命傷を与えない限り今は不死身ってことだ。たかが人間に、そこまで入れ込むなんて旦那もロズゴートもどうかしてるぜ。俺なら、手は尽くしたけど無理だったとか何とか言って、手遅れになるまで放置するがな」
「………」
それでも良かったのに。
そうしてくれれば良かったのに。ロズゴート。
職務に忠実なロズゴートと、最初から友好的だったベンチュラ。あれで閣下は本気で自分を気に入ってくれているし、それでは自分は、魔人を憎めなくなってしまう。喧嘩を売りに来ているフラウスキーですら、心底から閣下を懸念しているのがわかるから、やはり嫌いにはなれない。
――死んでいれば良かった。
こんな、何もかも魔人に支配されてしまう前に……!
「……おい? 聞いてんのかよ!?」
フラウスキーが肩を掴んだ。その手をキッスは乱暴に振り払った。
「触らないでよ」
キッスは挑発的に声を荒げた。
「僕を殺す気? 最初に相手して欲しいのって聞いたけど、あれ、冗談だからね。そんな棘だらけの体に抱かれちゃ、いらない部分まで穴だらけになっちゃう。僕はまだ、蜂の巣状になって死にたくないからね。閣下なら、あの固い外皮も頑丈で頼もしく思えて、嫌いじゃないんだけど」
滔々とキッスはまくしたてた。
「全身これ凶器、って感じだもんね、フラウスキー。一生誰とも抱擁出来ないね。ちょっと寂しいけど、ま、そういう人生もあるよ。気を落とさないで。あ、魔人生っていうのかな? ……ああ! だからカワイイもの好きなの!? 噂は聞いてるよ、小動物好きだって。ちいさい生き物なら、抱っこしても棘に刺さらないかもしれないもんね」
それでも刺さるかもしれないけどね、とくすくすと、嫌な風にキッスは笑った。
フラウスキーは詰まったように立ち尽くした。
下を向き、わなわなと震えながら、押し殺した声でフラウスキーは問うた。
「誰に聞いた……?」
あ、やっぱり。
フラウスキーが小動物好きなのは聞いていたから、そんな事もあるんじゃないかと思っていたけど、図星だったらしい。キッスはとぼけた。
「さあ? 誰だろうね」
「それだけのたまえば上等だぜキッス。お望み通り、殺してやらあ……っ!!」
フラウスキーは右腕の銃を引き抜き、キッスの額に当てた。
キッスは真っ直ぐにフラウスキーを見返した。
これが最後の光景か、とぼんやり思い、キッスは静かに目を閉じた。
>>>2010/10/29up