最後の瞬間はなかなか訪れて来なかった。
キッスは薄目を開けて、フラウスキーの様子を見た。フラウスキーは銃を持った手の甲で額の汗を拭きながら、ほーっと胸を撫で下ろしていた。
「……っぶねー。危うくノセられるとこだったぜ」
「……何が?」
皮肉のつもりはなかった。首をかしげながらキッスは何故、撃たなかったのだろうと不思議に思った。
「うるせーよ! てめえ、今、俺に殺させようとしただろ。そうは行くか。死にたいんなら自分で死ねっての。俺を使うな」
キッスはぽかんと口を開けた。
「……何でわかったの!?」
思い切り肯定してしまったが、フラウスキーはにやりと口角を上げ、答えた。
「目ェつぶるのが早過ぎたな、キッス。普通の人間なら、頭に銃口突き付けられたらもう少しおたおたして、命乞いするモンだ。諦めが良過ぎたんだよ。それで俺もおかしいと気付いて、冷静になれたんだ」
ふむ。キッスは頷いた。もうひと押し足りなかったのか。
「そうか……!」
「……てめえ、馬鹿だろう、キッス」
いつかベンチュラにも言われたセリフだった。失礼な。これでも頭脳を見出されて部下にされたのだが。
「ま、馬鹿でもいいけど。フラウスキー。そんなこと気にしなくていいから、ちょっと一発、ここ撃ち抜いてくれない?」
キッスはちょんちょん、と指でこめかみを突ついた。
「何だってそう死にたがるんだ。自殺の手伝いはしねえって言ったろ」
呆れたようにフラウスキーは言った。
「殺しに来たんじゃなかったの?」
「脅しに来ただけだ。本気で殺そうとは思ってなかった。てめえを殺すとグリニデの旦那の怒りが半端じゃないだろうし、認めたくねえが、実際てめえは優秀らしいし」
「さっき馬鹿だって言わなかった?」
「馬鹿と天才は紙一重って言葉を噛み締めてる所だ」
「………」
肩をすくめ、僅かに鼻白むとキッスは歩いて行って、自分でドアを開けた。
「殺してくれないんならもう用はないよ。出て行って、フラウスキー。これでも忙しいんだから」
フラウスキーは出て行かなかった。
席に戻ったキッスの斜め後ろ辺りに陣取って、キッスの作業を見学している。
キッスは先程片づけた遺跡の破片ではなく、山積みになっている紙の束を少し崩して、机に広げた。ペンバリーがせっせと写し取ってきたものだ。クラッスラ遺跡とエケベリア遺跡だけでなく、歴代の博士達の研究していた物や、キッスがまだ着手していない遺跡の分まで入っている。
いずれ全て目を通して報告書をつくらなければならないが、とにかく量が膨大なので後回しにしておいた物だ。キッスはペンを手に取って、やはり無造作に魔文字で訳と読み仮名を書き入れた。これだけの量を翻訳するのかと思うとうんざりする。
しかも背後からはフラウスキーがぺちゃくちゃと茶々を入れてくる。
それ、合ってンだろーなとか、適当にデタラメ書いてんじゃないだろうなとか。うるさい。自分の訳に不満があるなら、フラウスキーが勉強して翻訳すればいい。ついでにまとめてくれたらもっといい。グリニデが読むのはダイジェスト版の報告書だからいいが、ダイジェスト版をつくる為には全体を掴む労力が必要だ。
キッスは無言で辞書を突き出した。それで意図は伝わった筈だ。
「ンだよ!? 俺に訳せってのか!? これはてめえの仕事だろ。手ェ抜くんじゃねえよ」
「気が散るんだよ、フラウスキーがいると。だから出て行ってって言ったのに。これ以上いると、僕にも考えがあるよ」
怯えていたのか、フラウスキーが来てから机の下や物陰に隠れていたトリュプス達が一斉に姿を現した。
天井からモスリープが降りてきた。モスリープは順調に増えて、普段は天井の模様のように一面にびっしりとへばりついている。普通の人間が上を見たら卒倒しそうだ。
フラウスキーは白い目で辺りを睥睨した。
「こんな雑魚共で俺を殺れると思っているのか、キッス?」
「思ってないよ。でも、時間は稼げる」
キッスが立ち上がると、トリュプスとモスリープが守るようにキッスを取り巻き、それを手で制して、キッスは言った。
「これはベンチュラと、ロズゴートが僕に着けてくれたものだ。彼等を攻撃する事は、すなわちベンチュラとロズゴートを敵に回す事に他ならない。グリニデの部下の三魔人が、一人の人間の子供のせいで仲違いするのはまずいんじゃないかな。しかもその子供は、上司のグリニデのお稚児さんだし」
薄く、多少の自嘲も込めてキッスは笑った。
フラウスキーの顔に初めて動揺の色が浮かんだ。
「俺を脅す気か、キッス」
「やられた事をやり返しているだけだよ。さっさと退室してくれれば、こんな手段を取らなくて済んだのに。フラウスキーが言ったんだよ。僕は自分の力を知ってるって。その通り。僕は知っている。閣下に与える影響力も」
「てめえ……やっぱり確信犯だったんだな。グリニデの旦那をカラダでたぶらかしやがって」
「当たり前だ。ただの人間の子供が、魔人と魔物に囲まれた四面楚歌の城の中で、たった一人で生き残ろうって言うんだ。使えるものは何でも使う。それが頭でも体でも。それが、征服者の寵愛でも」
「さっき殺しておくべきだったぜ、キッス。てめえは旦那にとっちゃ、百害あって一利なしだ」
「今更だね」
ちりちりと、首の後ろが総毛立つ気がした。
フラウスキーが右腕の銃を引き抜いた。もうひと押しだ。
「せっかくチャンスをあげたのに、モノに出来なかったんだからもう駄目だよフラウスキー。君に僕は殺せない。今頃はトリュプスとモスリープが、本来の主人に報告に行っている筈だ。ベンチュラはしょっちゅう飛び回っているけど、ロズゴートは閣下の補佐としてほぼ城にいるから、もうこちらに向かっているんじゃないかな。『鮮烈の紅弾』と『闇軍師』のぶつかり合いか。ちょっと見ものだね。面白そうだ」
フラウスキーはキッスに向けて照準を合わせた。が、やはりしばらくして、腕を下ろした。
「……っ。危ねえ、まーたノセられる所だったぜ。俺にてめえを殺させて、あわよくば同士討ちを狙おうって魂胆だろうが、そうはいかねえぜ、キッス。死にたいなら自分で死ねよ。銃くらいなら貸してやるぜ?」
銃口に持ち替えて、弾倉の部分をこちらに向けて閃かせる。
「いらないよ」
キッスは断った。
自分は、自殺はしない。
その方がマシだと何度も思ったけれど、それだけはしない。
今までだって、何回も死ぬ目に合ってきた。でも、その度に命を拾った。
なら、これからも自分の持てる知識と力の全てを総動員して生き抜いてみせよう。
自分と、その後に続く博士達の為に。
「……そういえばよー」
唐突にフラウスキーが切り出した。
「腹の中の再生虫じゃおっつかなくて、たまーに成虫の再生虫を追加で処方される事あるだろ。アレ、どこから供給されるか知ってるか?」
「………?」
意味を図りかねてキッスは訝しんだ。
フラウスキーはこれ以上ないくらい楽しげに舌を振るった。
「ロズゴートの野郎だよ! ロズゴートの野郎が、てめえの為に人間をさらってきて、再生虫の畑として人間を飼ってンだよ。ロズゴートに感謝しろよー? ロズゴートと畑になった人間がいなけりゃ、てめえは生きて今ここにいないんだからよ。可哀相に、せっかく卵を孵して、育てて、成虫にしてもてめえが死にかかる度に腹かっ捌かれて、代わりに死ぬんだからよ。なあ、何か思わねえ? 色んな人間の犠牲の上に自分の命が成り立ってるというのはよ?」
「それがどうした」
キッスは言い切った。フラウスキーは驚きに目を見開いた。
「どうせ、トロワナにいる人間は殲滅するつもりなんだろう。その前にちょっとくらい、僕の為に再生虫の畑になったからって、何だというんだ。畑として選ばれた事で、寿命が延びたのなら僕とロズゴートに感謝して欲しいくらいだね。むしろ」
正直、またか、という思いの方が強い。
自分の後に連れて来られるであろう博士達と、グリニデの、人間との交接のモルモットにされた人々まではキッスも心を痛め、被害が自分一人で終わるよう行動していたが、さすがにそこまで面倒みられない。元・バスターだからといって、全人類を守る義務があるわけじゃあるまい。出来れば己の身は、己で守って欲しいものだ。
「それがてめえの本音か。キッス……!!」
唸るようにフラウスキーは声を落とした。
キッスはふん、と鼻を鳴らした。
「せっかくロズゴートが気を利かせて黙っててくれたのに……これで、見て見ぬ振りが出来なくなったじゃないか」
キッスは魔人であるフラウスキーをも凍らせるような凄身のある笑みを浮かべ、机の引き出しから、ロズゴートが処方するのと似たような薬包を取り出した。キッスは言った。
「これは、人間用に調合し直した、モスリープの粉だよ。モスリープの粉は催眠作用があるけど、多分に幻覚症状も伴うようだからね。他の生薬も混ぜて、人間の体に害がないようにした。自分用につくったけど、生薬の配合をちょっと減らして畑の人間に投薬すれば、ずっと夢心地でいられるだろう。どうせ、恐怖で正気は保っていないだろうし」
体内の再生虫で追いつかない怪我を負った時、都合よく成虫の再生虫が出てくるのは偶然ではない。
どこかに、自分の為の孵化場、 フラウスキーの言う畑があるとは予想していた。
「死ぬまでの時間、殺される瞬間の恐怖を軽減出来れば、僕もそこまで心を痛ませずに済む。礼を言うよ、フラウスキー。ありがとう。これで、畑にされた人々を救える」
「……てめえは、魔人よりも魔人らしいよ」
フラウスキーとしては、最大級の賛辞だったらしい。
数日振りにキッスの研究室を訪れたベンチュラは、キッスの机の上に、見慣れない鉢植えが置いてあるのを見つけた。
「何だこれ? 何の花だ?」
「触らない方がいいよ、爆弾だ」
「へ!?」
ベンチュラは小型のひまわりに似た花から飛びすさった。キッスは説明を続けた。
「フラウスキーがくれたんだ。バッドボムフラワーって言うんだって。咲けば普通の花だけど、つぼみの内に切り取って乾かせば爆弾になるんだとか。貰ったばかりだからまだあんまり花とかつぼみとかついてないんだけど、大事に育てて、一杯増やそうかなあ、と」
「フラウスキーがねー……、へー……」
意外そうに言って、ベンチュラは花とキッスを交互に見比べた。
モスリープをロズゴートから送られた時も思ったが、この人間の子供にはどこか、そうやって魔人の庇護を掻き立てるような何かがあるらしい。真っ先にトリュプスを着けた自分が言うのも何だが。
キッスは手元で何やら細かい作業をしていた。
ベンチュラにはさっぱりだが、何か意味のあるらしい遺跡の最後のかけらを嵌め込むと、終わったー! とキッスが叫んだ。ベンチュラは、辟易しながらキッスがこれについて嬉しげに垂れる講釈を、えんえんと聞かされる破目になった。隣でバッドボムフラワーが、笑うようにぽむ、と小さなつぼみを増やした。
< 終 >
>>>2010/11/4up