壁より上の位置まで来ても、元の身長には戻らない。
ポップの言うとおり、ドアを抜けなきゃ駄目らしい。
「ま、待てって、ダイ!」
ポップも文字どおり飛びあがって、オレと相対した。
ブッチャーは風変わりなハエを目で追っている。
「止めないでよ、ポップ。大体、坊主が先にケンカ売ったんじゃないの。いまさら正義ぶって仲良くしようなんて言ったって聞かないからね」
「悪かった。謝るから落ち着けよ、ダイ。どうしたっていうんだ? いきなり豹変して」
「さっき言ったでしょ、聞いてなかったの? 同じだよ、ポップと。オレはオレの林のためにだけど」
オレはゆっくりブッチャーの周りを旋回した。
ポップはなんとなく腑に落ちたという顔をして、オレにぴったり付き添うように回っている。今のところブッチャーは、こちらに手をだしては来ないようだ。
「……ダイ。林なら、箱庭のアイテムを買ってくればまたつくれる。だけど、ブッチャーは壊したら元に戻せないんだ。だから……」
「ハエやゴキブリならいいわけ!? まあ日頃ホウサンダンゴつくったり、薬草をいぶしたりして退治に血道はあげてるけどね」
「確かにそうなんだが、今回は本気でやってたわけじゃない。それくらい、わかってただろう」
「……まあね」
オレは不承不承うなずいた。
ポップが本気でやれば、ハエやゴキブリがいかにすばしこかろうと、一発でやられてしまっただろう。
そうならなかったのはポップが手加減したからであり、ハエ達には迷惑きわまりない模擬戦闘を、ポップが一方的にしかけて遊んでいたという証拠でもある。
ふだんから本気か冗談かの区別がつきにくい男だが、本当に怒っていたらあんなふうにぺらぺらしゃべりはしない。
口数は多いけど、なぶるようなことは言わないヤツだ。
「わかってるなら抑えろ。そしたらとっととドアに戻るぞ。大きくなれば、魔法を使ってブッチャーを傷つけることなく箱庭から追い出せるんだからな。いいな、ダイ」
「……嫌だ」
オレはぽつりと言った。
「そーか、イヤか。んじゃ戻ろう……ってダイ、今、嫌って言ったのか!?」
目をむいてポップがオレを見返した。
ポップにすれば、これまた青天の霹靂だったかもしれない。
オレはポップの言うことなら、よほどのことでないかぎり、うんうんと容認してきたからだ。
「嫌だよ。だって、オレあの林好きだったのに。つくってから一日と経ってないけど、とっても安心できて、これからもずっと大切に育ててゆこうと思ってたのに。それをブッチャーは台無しにしたんだよ、オレが怒るのもわかるでしょ」
オレだってブッチャーを丸焼きにしたいわけじゃない。
このサイズなら、本気でやったところでブッチャーに、致命的なダメージを与えられないことくらいわかっている。
だからこそ、今、このもやもやしたやるせない気持ち吐き出したいのだ。
オレは集中して手のひらに魔法力を集めた。
その殺気が伝わったのか、おとなしくしていたブッチャーも後ろ脚で立ち上がった。ぶんぶんと片方の前脚を振り回して、ハエ──オレ達を追い始めた。
「……メラ!」
さっきよりは威力のあるメラをオレは繰り出した。
ひるまずブッチャーは向かってくる。
今度は毛先がコゲたくらいではないだろうが、さすがは野良猫だ。
根性が座っている。
うにゃあおお。
ブッチャーのときの声が響き渡った。
そうこなくては。オレはぺろりと唇を舐めて、ブッチャーの前脚をよけながら新しく攻撃呪文を投げた。
剣を持ってこなかったのが悔やまれる。
オレは魔法より、剣の方が好きなのだ。
「お、おい。いいかげんにしろよ、ダイもブッチャーもっ」
見かねたポップが割って入った。
「どいて、ポップ! どかないと容赦しないよ」
うにゃあ。同じくブッチャーも呼応する。
オレ達はさらにケンカを続けた。
はためにはどうしようもなく低レベルな争いだったとは思うが、オレにはちゃんと理由がある、崇高な聖戦だった。
ブッチャーも、勝ち、勝ち続けて生き抜いてきた野良猫のプライドがある。
野良猫の誇りと愛する林のために、オレ達は戦った。
「これで終わりだ、ブッチャー!!」
「うにゃあああッ!!」
オレとブッチャーがお互いの秘儀をつくして最後の攻撃を放とうとしたとき、
「だーっ! もーガマンできんっ!!」
ポップが、オレとブッチャーのあいだにバリアを張った。
防御光幕呪文、フバーハだ。
本来なら自分の身を守るために使われる呪文だけど、ポップはオレ達をひきはがすために使った。
オレとブッチャーはフバーハの幕に弾き返されて、一瞬目を回した。
するっとポップがオレの横に来てオレの手をとらえ、ルーラを唱えた。
問答無用でオレは箱庭の入り口まで連れてこられ、そのままずるずるとドアからひっぱり出された。
むにゃむにゃポップが呪文を唱えた。
ぽん、とイッキに風船がふくらんだような感じがあって、オレは箱を置いてあった棚から床まで転げ落ちていた。
「……いったあ……」
したたか腰を打ったらしく、床の上でオレは呻いた。
隣でポップがその様子を、冷ややかに見つめ下ろしている。
「……ホイミ!」
この回復はオレではなく、ブッチャーに向けられたものだ。
けんか相手がいきなり消えた野良猫は、代わりに元の大きさに戻ったポップにつかまえられ、回復呪文をかけられていた。
オレがつけたあちこちの焼け焦げもスリ傷も、きれいさっぱり無くなって前より毛づやまで良くなって、開け放しの窓から外に逃がされた。
オレは見なかったのでどうだかわからないけれど、ブッチャーは狐につままれたような顔をして歩いていったらしい。
これに懲りずに次もまた、エサをねだりに来てくれるだろうか?
「………」
ポップは無言で箱庭を片付けている。この沈黙が恐ろしい。
ヤツが黙るのは、相当トサカに来ているときだけなのだ。
オレはこっそりポップの顔色を窺った。
と、ポップがこっちを向いた。
オレのひたいに手をあてて、呪文を唱える。
「のわあ、冷てッ!」
ポップが唱えたのはホイミではなく、ヒャドだった。
前髪がかちんこちんに凍って、あわてて冷気をはらった。
「頭、冷えたか? ダイ」
ポップの声はこの氷系呪文よりも冷たかった。
「……うん。ごめん」
オレは素直にうなずいた。
あらためて考えてみると、何故あんなにむかっ腹が立ったのか不思議な気がする。ポップがハエとけんかしていたときは、大げさなとか恥ずかしいとか、そう思っていたはずなんだけど。
ふわっと、ようやくポップが回復をかけてくれた。
腰の痛みが薄れるとともに、なんとなく……だけど、理由がわかったような気がした。
オレは、やっぱり怒っていたんだと思う。
ブッチャーに対してだけじゃなくて、ハエやゴキブリに対しても。
いや、お菓子の家にも怒っていたかもしれない。
ゼリーの池はともかく、オレはあの林で、ポップとめったにないような時間を過ごした。できればあのまま、陽が暮れるまで、あそこにいたいと思った。それを邪魔するやつは、みんなオレの敵だった。
だからオレはお菓子の家が壊されようと何とも思わなかったし、ハエやゴキブリにも実は何の興味もなかった。
かばったのは成り行きだ。
それも、ポップの名誉が傷つくかもしれない、という理由でだ。
そうしたもろもろのことが、最後に現れたブッチャーに全部向かってしまったのだろう。なんだかんだ言いつつポップがブッチャーをかばったことも、要因のひとつだったかもしれない。
オレは立ち上がって、ポップが片付けるのを手伝った。
もっとも、もうあらかた片付け終わってはいたが。
「……ごめんね、ポップ」
オレはもういちど誤った。
「もういいよ。お菓子の家ならまたつくればいいし、トドメを刺したのはブッチャーだけど、オレが半分ぶっ壊したようなモンだしな。今度は窓を閉めて、覆いもかけて、誰にも邪魔されないようにしよう。そうしたら、ダイもついてきてくれるよな?」
※
ポップはお菓子の家をつくらなかった。
新しい箱庭も買ってこなかった。
買ってきたのは、別のものだった。
「ほれ、ダイ。植木鉢だ。こっちの袋は黒土。植物を栽培するのにいいんだ。まず植木鉢にちょっと小石を敷いて、それからこの土を入れて、真ん中にくぼみをつけてくれ。……って、おい、なにボサッと見てんだ、手伝えよ!」
わけがわからないままに、オレはポップに言われたとおりにした。
ポップがその作業をオレに任せてどこかへ行ってしまって、戻ってきたときには、あの林の木々の残骸をかかえていた。
「ポップ、それ……」
「大丈夫だ。仮にも魔法のかかってる木々だからな。ちょっと手をくわえて、こうして植えてやれば、ちゃんと根付くはずなんだ。時間はかかるだろうし、もうちいさくなって木々のあいだでくつろぐことも出来ないが、それくらいガマンしろ。いいな?」
オレはちょっと感動してポップを見た。
ポップはその視線に気づかぬふりをして、いらない枝を落としたり、添え木をして紐でくくったりしている。
ああ、やっぱり好きだなあ。ポップ。
「ありがとう、大事に育てるよ、ポップ。この木がすっかり元気になって、ふつうの苗木くらいの大きさになったら、どこかの山に植えにゆこう。オレ達は無理でも、オレ達の子や、孫の代になれば、あれに負けないくらい立派な林になってるよ。それを楽しみに、オレは世話をすることにするよ」
< 終 >
>>>2001/8/9up