助祭マーリー
「なんだ……?」
カウンターでポップは顔をあげた。
「結界が……破られた……? いや、違うな……」
ジャンク屋二号店のまわりに張り巡らせてある、ポップの魔法結界は、自分に悪意を持つものや、よくない報せを持ってくるもの──例えば大魔道士を召しかかえたいと言ってくる大国の使者などを、自動的に排除するシステムになっている。
それは殺すという直截的な意味ではなく、多少の腹痛を起こしてもらったり、なんとなく気持ちが悪いとか、こっちの方へ入ったら嫌な予感がするなどのあいまいなものだ。
正常に作動している場合はポップもほとんど結界を張っていることなど忘れているが、異常があったときにはまさに皮膚感覚として実感できる。
その者の受けるはずだった痛みが、ポップにフィードバックされるのだ。
「でもこれは、痛みっていうほど痛くない……でも、オレの感覚でもない。オレって健康だし、別にヘンなもん食った覚えもないしな。誰だか知らんがこのオレの結界を抜けるとはいい度胸だ。見つけだして、目にもの見せてくれるわ」
おだやかそうに見えてけっこう好戦的なポップは、立ち上がると二階への怪談をのぼった。
※
そのころ、ダイは。
いつものようにパプニカから遊びに来て、ポップの店に寄る前におみやげとしてくだものでも買っていこうかと、アッピアシティの商店街をうろうろしていた。
あちこちから鼻腔をくすぐるいいにおいがする。
くだものじゃなくて、パイとか甘い焼き菓子でもいいなあとふくみ笑いをもらしたとき、後ろから声がかけられた。
「勇者……さま?」
「はい?」
この町でそう呼びかけられるのは久しぶりだ、と思いながらダイはふりかえった。そこで、
……女の子かと思った。
淡い緑の目。さらさらの金髪。短く切りそろえた髪が、冬の日射しを受けてきらめいた。
「ああ! 本当に勇者……ダイ様なんですね! はじめまして。僕はマーリーといいます。新しく赴任してきた助祭です。今後は、どうぞよろしくお願いします!」
黒い僧服を着て、胸に十字架をさげた助祭は、そう言うと無邪気に握手を求めてきた。ダイはあっけにとられながらも手をさしだした。
「助祭って、どんなお役目なんですか?」
なんとなく気になってダイは尋ねた。聞き慣れない名称だったからだ。
「はい。助祭というのは、司祭さまのひとつ下の役職です。おもに、司祭さまの補助をおおせつかっております……と、言うと聞こえはいいですが、走り使いと似たようなものです。もっとも、この町には司祭さまがいらっしゃらないので、しばらくは私が司祭さまを代行することになります」
助祭マーリーはにっこり笑った。
まるで聖像の天使だ。いったいいくつくらいなんだろう。
十三、四歳に見える……でも司祭、いや助祭かになるには、それなりの神学校を出なければならないはずだ。すると、ポップと同じか、それ以上……でも背はわずかにだけど、こっちのほうが低いみたいだ。
「勇者さま?」
見とれていたことに気づいてダイは首をふった。
顔が赤くなっていないか不安になる。
「あ、ご、ごめん。助祭というと、それじゃ、どこの……」
「アルシア教です。ベンガーナじゃあまり普及していませんが、それでもいくつかの教会はあります。アッピアシティにもあるんですよ。ほら、ほとんど隣町に近いはずれに、古いレンガづくりの建物があるでしょう? あそこです」
「え!? でもあそこって……」
ダイの記憶では、ほとんど廃墟だったはずだ。
マーリーにもダイの言いたいことはわかったらしく、苦笑しながら、
「はい。ここ十数年ほど使われていなかったのですが、今回ひょんなことで、また着任することになりまして。ですから、この町においでの勇者さまと大魔道士さまには、ぜひともごあいさつを……と」
マーリーはまた微笑した。魂を抜かれそうな笑みだ。
いかにも聖職者にふさわしい。同じ魅力的な笑いでも、どこか裏がありそうなポップの笑顔とはちがう。
ダイは魅入られそうになるのを必死に押さえ、
「ああ、それなら一緒にどうですか? ポップの店なら、今から行くところですから」
かろうじて答えた。
マーリーはしかしすまなさそうに頭をさげて、
「いえ、お申し出は嬉しいのですが、まだ片付けが残っておりまして……落ち着いてから、改めて伺わせていただきます」
ちょっとほっとした気分でダイは言った。
「そうですか。では、お待ちしています。あ、オレはいないかもしれませんが。オレは、ずっとこの町にいるわけじゃないので」
「ここで過ごされるのは一週間から十日くらいで、あとはパプニカでお暮らしだそうですね。失礼とは思いましたが、町の人に聞きました。申しわけありません。でも、こちらの後片付けもまだまだ時間がかかりそうなので……うまくいけば、おふたりがお揃いのときにお伺いできると思います。そのときは、また」
マーリーはぺこりとお辞儀した。ダイはふと嫌な予感がした。
なぜ最初から気づかなかったのか疑わしくなるほどだ。
「あの、その後片付けって……もしかして」
「アッピアシティ共同墓地で、大勢のゾンビーとスケルトンがよみがえった事件です。鎮めるのには、ベンガーナ中から僧侶が呼ばれました。私もその一人です。といっても、オマケのようなものですが。それで、この町のアルシア教会がさびれているのが再浮上しまして、私が残ることになったのです」
やっぱり! ダイは逃げだしたくなった。
あの事件だ。ついこないだの。フランシス夫人とエドガー伯爵のSM夫妻。
亡くなったエドガー伯爵を復活させたのはポップだが、けしかけたのはダイだった。
甘かった。ポップの魔法力を軽く見ていた。
エドガー伯爵だけを蘇らせるはずが、その魔法力は墓地全体に作用して、結局、すべての死者が生き返った。
ダイ自身は風邪をひいたポップの看病をしていてよくは知らないのだが、アッピア共同墓地は吹雪の中ときならぬダンス・マカブルで沸き立ったそうだ。
「どうかされましたか? 勇者さま」
心の底から心配そうなマーリーの声がする。
きっと、原因がダイとポップにあるとは思ってもいないんだろう。
いや思ったとしても、聖職者たるもの人をむやみに疑うことは許されない。
ダイにはそれがありがたかった。
「い、え、ちょっと、用を思い出しまして」
「それは、お引き止めしてすみませんでした。それでは、勇者さま。またお目にかかれる日を楽しみにしています」
とってつけたようないいわけにも助祭マーリーは疑問を呈さず、一礼して別れを告げた。すぐにダイは、駆け足でジャンク屋二号店に向かった。
>>>2000/11/12up