薫紫亭別館


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草迷宮

 封印を解いてしまったのは、ポップがいなくて、多少むしゃくしゃしていたからに違いない。
「ちょっくらカールに行ってくる」
 なんて、ポップが店をオレに任せて出ていってしまったのは、もう一週間も前のことだ。なんでもアバン先生がポップに力を借りたいとかで、ポップはいそいそとカールへ行ってしまった。
 オレは『ジャンク屋二号店』の留守を守っている。
 ダイ、頼まあだなんて、それだけで勇者であるオレを、こんなことに使っていいと思ってんのか全くもう。
 ベンガーナにあるこの店は、武器屋として開店したのだけど、今はあるじの趣味を反映して、完全にマジック・アイテム・ショップになっている。オレは実は、この様変わりしてしまった店があまり好きではない。
 なぜなら狭い店内には、こうもりの粉末だの古びた壺だの、なんだかよくわからない怪しげな仮面だの黄色いロウ人形だのという、魔法の術具がいっぱいに並べられていて、はっきり言って、そっち方面にはあまりお近付きになりたくないオレにとっては、とても居心地がいいとはいえないのだ。
 それにベンガーナには魔法使いがほとんどいないから、店はいつも開店休業状態で、閑古鳥の世話をするしか仕事がない、その日もオレは店内を避けて、玄関前のポーチで水を巻きながら、ポップの帰りを待っていた。
「……失礼」
 陰気な声がかかった。
 声だけでオレには誰だかわかった。ベンガーナには珍しい、この近くに住む魔術士エイクだ。
「エイク。せっかく来てくれて悪いけど、今日はポップは出掛けてて留守だよ」
「そんなことは承知しています。ポップ様ご注文の品が手に入りましたので、とりあえず届けに来ただけです」
 そっけなくオレは言い、エイクもそっけなく言い返した。エイクは両手で持っていた箱をつっけんどんに差し出して、しょうがなくオレは受け取った。
「では。確実にポップ様にお渡しください。くれぐれも勝手に中を覗いたり、封印を解いたりアホな事はしないように」
 なんつー物言いだ。オレはかちんときた。
 エイクはポップは崇拝しているくせに、オレの事はことさら見下しているようなところがあって、どうしてもオレはエイクに好意を持てないのだ。
 エイクがさっさと帰ってしまうと、オレは店内のカウンターにそれを置いて、ポップが帰ってくるまでそのまま放置しておこうと思ったのだけど、どうもああ言われると好奇心がもたげてくる。
 それは何の変哲もない、ちいさな帽子入れほどの大きさのボール箱だった。色が黒、というのが不吉っぽく見えなくもなかったけど、そう重い物でもなさそうだったし、なにより、オレは退屈していた。
 なにせ一週間もこの店に、一人で閉じ込められているのだ。少々危険でも、それなりに腕っぷしに自信もあるし、なんとかなるだろうとタカをくくって蓋を開けたのが悪かった!
 箱の中には、どこか動物の心臓にも似た、心臓だけを切り取って趣味の悪い金色に塗ったくったような、得体の知れないものがあった。
「なに……コレ?」
 今思うと、きっと、そのときから、呪縛が始まっていたんだろうと思う。オレはそれを指先でつまんで、目の高さまで持ち上げた。
 それには呪文を書きつけた、おふだのようなものが貼ってあった。オレは無意識に紙をはがした。
 頭の中に声が響いた。
(ありがとう、少年よ。私はテル・テール・ハート、自由にしてくれた礼として、なんでも君の望む事を教えよう)
 テル・テール・ハートと名乗ったアイテムは、声もなく話しかけると、オレに自分の心臓の上に押し当てるように言った。オレはすぐにその通りにした。おかしいとか、怪しいとかいう思考は何故か湧いてこなかった。
「……え!? ウソだろ!?」
 驚いてオレは叫んだ。テル・テール・ハートはオレの胸にめり込んで、どんどん体の中に入ってゆく。痛みはなかった。しかし、生理的な嫌悪感はどうしようもなかった。
「ち、ちょっと、どうやって──」
 テル・テール・ハートと肌の間には、服もあったはずなのに、服には不思議なことに、穴などひとつも空いていなかった。もちろん血も出なかった。
 オレは、テル・テール・ハートが、自分の心臓と完全に融け合ったのを知った。
「水、水! うわあ、気持ち悪い」
 オレは台所へ走りだそうとした。またも、例の声が聞こえた。
(心配することはない。私は人類の叡智、すべてを見通す浄玻璃の鏡である。私は君に融け、君と一体となった。今日より私は君の一部である)
「そ、そんなこと言われたって! 自分の体の中にしゃべる心臓がいるなんて、あんまり気色いいもんじゃないよ! ねえ、せっかくだけど出てってくれない? 気持ちだけありがたく貰っとくから」
 必死でオレは心臓に言った。
(それは不可能だ。私はもう君と融合してしまっているのだ。分離は不可能だ。もし分離できるとすれば、君が死んだときくらいだ)
「そんなあ……」
 思わずオレは情けない声を出して、その場に膝をついた。テル・テール・ハートが言っていることは真実だとわかった。言われるまでもなく、体が、分離不可能だと告げていたのだ。
「どうすんだよー、こんなの体の中に飼っちゃって」
 オレがごちると心臓は心外そうに、
(私をペット扱いするのはやめてもらえまいか。私はエサをやる必要もないし、散歩や、トイレの世話をする手間もいらない。エサというなら、君が毎日食べている食事がそうかもしれないが、それだって、余分に栄養をとる必要もない。私はただここにいて、君の為に便宜を図ってあげたいだけだ。特別なことは何もない)
「……便宜って?」
(……君の役に立ちたいだけだ)
 心臓は言い直した。少し呆れたようなニュアンスがあった。
(君は、今はここで留守番しているようだが、普段はパプニカで勉強を強制されているね。その答えも私は教えてあげることができる──もちろん、私の声は君にしか聞こえないから、誰かに気づかれる心配もないよ)
 オレは初めて、それならこの関係も悪くはないかも、などと思ってしまった。
(決まりだね。君も、無理に声に出す必要はない。君の考えていることは、私には筒抜けなのだからね。それでは、……ダイ、私のことは『テル』とでも呼んでくれたまえ)

>>>2002/10/10up


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