次の朝、オレは店を閉めて、ひとまずパプニカに戻ることにした。ポップは今日も帰ってこないようだったし、いつまでもこっちにかかずらわっていると、レオナや教育係のデリンジャーがうるさい。
テル・テール・ハート──テルは、目が覚めてもしっかり胸の中にいた。やはり夢ではなかったのだ。オレは。心臓に手をあてて言った。
「テル。本当に答え教えてくれるんだろうな?」
すぐに返事がかえってきた。
(任せておきたまえ。……それと、人前では私に話しかけない方がいい。ヘンに思われるぞ。昨日、考えるだけでいいと言ったろう?)
それもそうだと思って、オレはひとつうなずいた。
パプニカに戻って朝食を摂っていると、早速デリンジャーがやってきた。手にいっぱい、恐らくオレがいないあいだに作成したらしい課題を持っている。
「お帰りなさいませ、ダイ様。お食事の時間に申し訳ありませんが、ダイ様がここ一週間ほどパプニカを留守にされて、勉強が滞りがちでしたので、失礼ながら参上させて頂きました。これは、先週やって頂くはずでした範囲の課題でございます。最初の授業が始まる前に、ざっとでも目を通しておいてください」
デリンジャーが置いていった課題は小テスト形式で、長い文章にところどころ、カッコで区切った空白が空いていた。
なるほど、これを埋めろというわけか。
(テル)
オレは心臓を呼んで、改めて課題を見直した。
驚くべきことが起こった。
いつもなら辞書や事典と首っぴきで調べないとわからないことが、まるで答えが最初から書いているみたいにすらすらと、空白の部分がわかるのだ。
オレはすぐにペンを取り出して、食べかけの朝食をほっぽって答えを書いた。すぐに書かないと答えが消えて、わからなくなってしまうような不安にかられたのだ。
テルが笑ったような気配があった。
(君もなかなか心配性だね。私が君の得にならないようなことをするはずがないだろう? なんといっても、君は恩人なのだからね──君は私に、全幅の信頼を寄せてくれて構わないよ)
そうテルが断言してくれて、オレは、授業が始まる前に片付けられた課題を見てデリンジャーが仰天するのを、内心ほくほくして見ていた。
その後の授業もオレはテルに教えてもらって、出された問題を次々に解いていった。それは、書き取りとかそういうものは自分でやらなきゃいけなかったけど、いきなり繰り出されるデリンジャーの質問をクリア出来るだけでも、よほどオレは気分が良かった。
「……どうなさったのですかダイ様。あまり疑いたくはありませんが、もしやカンニングなどなされてはないでしょうね」
しっかり疑ってるじゃん、とオレは思った。
カンニングがいけないのはオレだってわかっているのたけど、テルはもうオレの一部なのだ。その、オレの一部が教えてくれるなら、それはもう、オレの実力にしてしまってもいいのではないか!?
でも、オレはテルのことは秘密にしておくことにした。口にしたのは別のことだった。
「そんなことしてないよデリンジャー。オレはベンガーナでポップに留守番を頼まれて、あまりのヒマさにせっせと予習したんだよ。オレだってやるときはやるんだよ。滅多に予習しないからって、疑うなんてヒドイじゃないか」
そのときのオレは、これで面倒な勉強から逃れられると思っていて、デリンジャーが無言で申し訳なさそうに、頭を下げたときこそ良心がちくっと痛んだけれど、ふと舞いこんできた幸運に、有頂天になっていたのだった。
それが、テル……テル・テール・ハートの狙いだったとも知らずに。
※
「あっれー? まだ帰ってないのかな」
三日ほどしてまたベンガーナのポップの店を訪ねると、ジャンク屋二号店はまだ閉まっていた。
ポップがカールへ行ってから、もう十日は経っている。ずいぶん長い幼児だな、と思いながらオレはドアの嗅ぎを開けて店内に入った。
あるじのいない店内はがらんとしている。ここに並んでいるアイテム達はたいてい意思を持っていて、夜中に勝手にうろつきまわったり誰もいないときには音を出したりと、普段はがらんとしているどころじゃないのだが、今は昼日中のせいなのか、アイテム達は静かにしている。
アイテム達はどことなく寂しそうだった。
アイテム達だけでなく、それらを内包する店自身も、あるじの留守に悄然と打ちひしがれているように見える。
オレは、ポップが店を閉めずに、オレに留守番を頼んでいった理由がわかったような気がした。
「……ごめんよ、帰っちゃってて。また今日から、ポップが帰ってくるまでここにいるから」
本当は日帰りするつもりだったけど、仕方ない。
オレは店先のポーチに避難せずに、店内にとどまって、今までは不気味でさわる気になれなかったアイテム達を磨いてやった。壺とか、容器とか、磨けるものだけだったけれど。
オレが歩み寄ると、よそよそしかった店内も、次第に親密さを増してくるような気がした。オレは何を怖がっていたのだろう? こんなに気さくで、けなげで、可愛いヤツラだというのに。
「ポップ何やってんのかな。早く帰ってくりゃいいのにね」
そう、オレがつぶやいたときだった。
頭の中に、映像が浮かんできた。
(……先生……アバン先生……!!)
全裸のポップが、悩ましく腕をさしあげて、アバン先生にしがみついている映像だった。オレは不意をつかれて、思わず立ち上がって辺りを見回した。
目に映っているのは、特に変わった様子もない、入り浸るうちにすっかり見慣れたポップの店の中だった。いぶかしむように、アイテム達がオレを見ている。
しかし、脳裏に映像として浮かんでいるのは、ポップが、……その、アバン先生と、している光景なのだ。
「テル・テール・ハート! おまえか!?」
オレは叫んだ。
(そう、私だ。君がここのあるじを心配しているようだったので、彼が今、何をしているか像を結んだ。良かったではないか、彼は元気そうだ。少なくとも、ああいうことをやれる体力があるのだから)
テルの声は少し面白がっているようでもあった。
「良くない! オレは信じないぞ。だって、ポップが──アバン先生も、そんなことする人じゃないもの」
(しかし事実だ。私が君に嘘をついたりしないことは、この数日で、わかって貰えたと思うが?)
情けない話だが、オレはうろたえていた。
テルは確かに今までオレに忠実に尽くしてくれていて、テルがオレの器官となったせいもあったのか、頭で幾らそんなはずがないと打ち消しても、体がテルを信用していた。
「だ……だって……!」
オレは激しく首を振った。
(私を信じたまえ、ダイ。君には、真実を受け止める勇気も、その力もあるのだから! 君のその友人……ポップと、アバン先生とかいう者は、ずっと君をたばかっていたのだ。彼らは君と出会う前からああした関係を持っていたのだ。見たいかね?)
オレは躊躇した。
オレはもう三年も前になってしまったが、ポップと初めて会ったときの頃を思い返していた。
やわらかい緑色の服を着て、アバン先生に連れられたポップは、まだ今ほどカッコよくはなくて、いかにもお調子者の甘ったれという感じがして、またアバン先生もそれを許容してて、やけに猫っ可愛がりしてるなあ、とオレは思ったものだった。
その後アバン先生はすぐに死──んだわけじゃないけど、オレ達がそう思い込んでしまったとき、ポップは涙どころか鼻水までたらしながら、一晩中泣き明かしたのだった。それは、尊敬する師の死を悼むというよりは、夫か恋人を亡くしてしまった女性のように見えた。
そんな印象を持ってしまうと、まさかと疑いつつ、テルの方が正しいのかも、と思ってしまう。
オレは恐怖におののきながらうなずいた。
(では──……)
テルが頭の中に映像を送りこんできた。
そのあまりの情報量に、オレは頭が破裂するかと思った。
オレは過去三年間をイッキにさかのぼった。
ポップとアバン先生の出会いから、心をつないでいく様子、ついに関係を結んだ日など、つぶさに、二人しか知らないことを、オレは暴いた。
自分がいやらしい、あさましい出歯亀になったような気がした。しかしオレは、すぐにその考えに蓋をかぶせた。
オレは震えながらつぶやいた。
「ポップが……あんなことをしてたなんて。許さない。汚い、不潔だよ──ポップも、アバン先生も。もうベンガーナになんて来るものか。冗談じゃないよ、ポップが逢い引きを重ねているあいだの留守番なんて。アイテム達には悪いけど、別にオレの店ってわけじゃないし、特に世話する理由も無いよね。ごめんね。ポップがアレに飽きて、帰ってくるまでの辛抱だからね」
最後の方は、涙声になっていたかもしれない。
>>>2002/10/18up