薫紫亭別館


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空中散歩

『春の海 ひねもすのたり のたりかな』
 と、一句ひねったような空気があるじ不在の店内にのほほんと流れている。
 昼を回った時刻からして、あるじは鍵もかけずにお昼に出ていったものらしい。
 無用心にも程がある。
 俺ははあっとため息をつくと、くるりと一回転して、ここからそう遠くない大衆食堂『なめとこ亭』に行くことにした。
 アッピアシティはちいさな町だ。
 ベンガーナの首都から離れているせいか、都会でもなく田舎でもなく、アットホームだがあつかましくない地方都市独特の雰囲気を持っている。
 店の立ちならぶ一帯を歩きながら、オレは自分の環境と比べ、少しだけうらやましくなって、もう一度息をついた。
 しのぎを削る大都市と違い、少々不熱心でも商売の成り立つアッピアシティでは、昼どきになると皆一斉に店をしめる。
 開いているのはごはん物を食べさせる茶店や食堂くらいだが、あちらの小間物屋にもこちらの乾物屋にも、『Closed』の札が下がっている。
 もちろん彼もその例にならったに違いないが、鍵もかけず札も下げずでは、空き巣さんどうぞお入りください、と言わんばかりだ。
 知らず、歩調がどんどん早くなっていった。
 すぐそこに『なめとこ亭』が見える。
 開け放しの店内にはオレの目指す人物も見える。
 大きく息を吸って、オレは外から呼びかけた。
「……ポップ!」
「よ、ダイ、おまえもメシ食ってくか? チキンライスくらいならおごってやろう」
 店の中央のテーブルに陣取って、右手でスプーンを振りながらポップが答える。
 オレの剣幕にはまるで気づいていないかのようだ。
「いいよ。それより、店ほっぽりだして何やってんのさ!? いや、お昼なのはわかるよ。よくわかる。でもそれなら、鍵くらいかけてってよ。危なすぎるよ」
「そんなことしたら、おまえが来たとき中に入れないだろう。今日ふたり来ると思ったから、ワザワザ開けといてやったんだ。ありがたく思え」
「合鍵があるよ」
 オレは冷たく言い放って、ポップの真向かいに座った。
 ポップは気にしたふうもなく切り出してきた。
「ふーん、合鍵ねえ……で、鍵はかけてきてくれたのか?」
「………」
 しまった。すっかり忘れていた。
 オレが絶句したのを見て察したらしく、ポップはくすくす笑っている。
 今日こそはポップのペースにのらないようにと意気込んで来たのに、ああ、オレの馬鹿。
 食堂のおかみさんのハンナおばさんが、注文を取りに来てくれた。
 オレはミルクを注文した。
「ミルクだけでいいのか? メシ食ってきたのか?」
 チェシャ猫笑いを浮かべたままポップが聞く。
「そんなこと言って、ミルクぐらいにしとかないと、ポップがおごってくれたためしなんて無いじゃないか。で、結局、オレが全額払うんだるなぜかポップのぶんまでも。不条理だ、理不尽だ」
 これは事実だ。
「そうだったか?」
「そうだよ! この半年、ここに来るたび毎回毎回」
「嘘つけ。一回だけ払ってやったことがあるぞ」
「自慢になるかっ」
 つい大声になった。
「半年のうちで一回ばかり払ったからって、どれだけ払ったっていうんだよ。不公平だ。ポップ働いてるくせに。オレなんか働いてなくて、レオナがくれるお小遣いだけなのに」
「ダイ」
 ポップがオレの目をのぞきこんだ。
「な、なに?」
「ミックスジュース頼んでもいいか?」
 真剣そのものな表情でポップは聞いた。
「ポップ! オレの話ちゃんと聞いてたッ!?」
「聞いてたよ。働いてない自分が払うのはおかしいって話だろ?」
 テーブルの下でポップは足を組み替えて、
「しかしだなあ、ダイ、よーく考えてみろ。おまえが小遣いもらったからって、パプニカのどこで使うっていんんだ? おまえは王宮からほとんど出ないし、外出先はほとんどここだろ。それに対し、オレは働いているとはいえ、店は万年赤字の状態だ。それなのに、家賃の取り立ては毎月しっかりやって来る。あと、町内会費だとか、公共井戸の使用料とか、のら猫のエサ代とか赤い羽根共同募金とか、けっこう出費がかさんでるんだ。おまえが来ない日はここの食事代だって自分で出してるんだし、それを思うと、ダイが来てくれたときくらい、払ってくれたっていいだろう」
「………」
 あまりにすらすら言われたので聞き逃しそうだったが、よく聞くとヘンなものまで入っている。
 のら猫のエサ代って何だ。それにあの店は買い取りで、家賃を払う必要なんて無いはずだ。
「服だっておまえは支給だろ。食事は毎日フルコースだし、いいよなあ。本当に金が無くなったらチェスタトンのとこ行こうかな」
 チェスタトンというのは、パプニカの王宮づきの料理長だ。
 小太りの中年のおじさんで、ポップとは気があっていた。
 ポップが半年前に宮廷魔道士をやめたとき、いちばん名残惜しく思っていた一人だ。
 まだ何かぺらぺら喋くっているポップとオレの前に、おばさんがミルクを運んできた。
「あんた達はほんとに仲がいいねえ。なんだっけ、兄弟だったっけ?」
「イトコです」
 すかさずポップがフォローする。
 ここではオレとポップはイトコ同士で通している。
 兄弟でも良かったのだけど、それなら一緒に商売してないと不自然じゃないか、ということでイトコにした。
 ポップは実家の武器屋拡張のために、ここに来たことになっている。
 だから屋号も『ジャンク屋二号店』で、親の名前に数字をつけたものだ。
 本当はポップは『ポップの店』とか、もっと違う名前にしたかったらしい。
 世をしのぶ仮の姿とはいえ、それらしい言い訳づくりも大変だ。
「オレの両親に頼まれて、こうして様子を見にきてくれるんです。いいヤツなんですが、とにかく口うるさくて。ちょっと閉口してたとこなんです。おばさんがちょうどいいタイミングでミルク持ってきてくれて、助かりました」
 ほっとしたようにポップが言う。とてもアドリブには見えない。
 ものすごい演技力である。
 それはそうと、オレは目の前のミルクを一気に飲みほした。
 オレの出身は一応、隣の隣町のオッタルシティにしてあるが、あそこはいい所だねえ、とか、そこに知人がいるんだけど知らない? と言われても困るのだ。
 勘定を(やはりオレが)テーブルに置いて、急いでオレ達は外へ出た。

>>>2001/4/26up


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