ある石像のものがたり
「は──……」
その日、『ジャンク屋二号店』にやってきたダイを待っていたのは、店内中央にでんと陣取った、等身大の青年像だった。
「なんでこう、彫刻とか石像とかって、半分ヌードみたいなのばっかりなんだろう……」
肩をがっくり落としてつぶやいたダイに、この店の店主が声をかけた。
「ゲージュツだからだろ。よ、いらっしゃい、ダイ」
「ポップ」
トレードマークの黄色いバンダナ。
長袖を肘までまくりあげて、手首までの薄い手袋をしたポップは、台所に通じるドアから顔をのぞかせてにっこり笑った。
「またヘンなの仕入れたね。なんなの? これ」
ダイが親指で像を指さす。
「ざんねん。今回のは依頼品だ。この石像にかかった呪いを解いてくれってさ」
「呪い!?」
ダイは改めてしげしげと像を眺めた。
青年像は白い大理石でできていた。
腰に布ようのものをつけただけの、人間だったら女の子がきゃあっと騒ぎそうな、彫りの深いなかなかの美形だ。
「……どこに呪いがかかってるの、ポップ?」
ポップが叫んだ。
「あほかっ。その足首に巻きついてる鎖が見えねえのかっ」
「あ、この鎖。装飾品かと思ってた」
「おまえってそーいうヤツだよな……」
ポップは力なく店の中央まで歩いてきて、青年像をばんばん叩いた。
「どうやったら材質も質感もぜんぜん違う鎖を見て装飾品、と言い切れるんだっ。この鎖は、夜中この像がうろうろ動き出さないように、台座に固定してあるもんなの!」
「歩くの!? これ」
別にダイがニブイわけではない。
ダイには、この像からなんの魔法力も呪いとやらも感じられなかったのだ。
案の定、
「それがー、夜中見張っててもぴくりとも動きゃしねえの。ダイがそう言うのも無理はないやな」
苦笑いしながらポップも答える。
「それで? でもなんらかの根拠がなきゃ、呪いがかかってるなんて言わないよね?」
ポップはくしゃくしゃになった紙をダイに投げてよこした。
広げてみると、それはイタズラ書きではなく、ダイには判読不可能な文字の並んだ古文書であることがわかった。
「……降参。読めないよ、ポップ。なんて書いてあるの?」
「オレにも読めん」
思わずダイは、おっそろしく手加減しながらも、ポップの頭をはたいていた。
「い、いや、多少なら読めないこともないんだぜ。ほら、ここに書いてある文字。これは『キス』……とかいう意味じゃなかったかな? それから、ここ。これは『月』……とか、そんな意味だったと……。ンなにらむなよ。オレだって、古語すべてに精通してるってわけじゃないんだからよー」
ダイはまだ疑わしそうな顔をしていたが、はたかれた頭を両手でカバーしているポップを見て、そういうこともあるかもしれないと気をとりなおしたようだ。
「……ふうん。それってキスすると、この像が動きだすとか、そういうこと?」
「あ、それアリかも。んじゃ」
「わ───っ!!」
ダイが止める間もあらばこそ、ポップはひょいっと背伸びして、一瞬だけ像と唇をふれあわせた。
「なにしてんだよ、ポップっ」
「だから、キスだろ。キスすりゃ像が動くかもしれないってダイが言うから……」
「本気でするヤツがどこにいるよ」
「いいじゃん、どうせ石像なんだし。なに? ダイ妬いてくれてんの?」
にやにやしながらポップが言う。
ダイの言葉を本気にしたというよりは、ダイをからかうためにしたということが、その顔を見れば明白だった。
「……悪かったねえ。どうせ妬いてるよ」
言いつつ、ダイはポップを引き寄せた。
ポップがダイに思いっきり消毒されてしまったのは言うまでもない。
※
「動かないねえ……あれ」
「今夜は月夜だから、動くと思ったんだけどなー」
月のきれいな夜だった。
半月よりちょっと太った月が、建物だられの隙間の空に浮かんでいた。
「ちょっと寒いね」
毛布をかきあわせてダイが言った。
「はいはい」
ふたりは像の置いてある店内の隅で、それぞれに毛布にくるまって様子を伺っていた。
『ジャンク屋二号店』──ポップがベンガーナで開業したこの店は、当初こそ武器屋だったものの、今では半分以上シュミのマジックアイテムで埋められている。
趣味のアイテム達は夜になると陳列棚からぬけだして、ごぞごぞ床を這いまわったり、ぶきみに綺麗な鬼火をだして光っていたりするのだが、肝心の青年像のほうはさっぱりだった。
「ポップ! そういや鎖はずしてないよ!」
「忘れてた。ダイ、頼む」
ダイは馬鹿使力で鎖をひきちぎっ戻ってきた。
「人が見てると動きにくいんじゃないの?」
「んじゃ隣の部屋行くか」
台所で息をひそめて耳をそばだてていても、像が動くとか歩いているとかいう気配は伝わってこなかった。
「ポップう、本当の本当に動くんだろうね。依頼主がウソついてたんじゃないの?」
待ちくたびれて、眠いのも手伝って少々不機嫌になってきたダイがつけつけ言うのに、さすがに自信なさそうにポップが答えた。
「本当……だと思うけど。前金も払ってったし、やけに怯えてたようだし。だから、詳しい事情とか聞けなかったんだ」
「それだけ!? オレだって、あれがなんの魔法力も放ってないことくらいわかるのに、大魔道士ともあろう者が、それくらいで信用しちゃうの!? その場で断っちゃえばよかったのに」
「だって、謝礼がすごかったんだよ」
「この店が赤字なのは知ってるけどね……」
ダイは爪を噛んだ。
ベンガーナは尚武の国だから、この店にが揃えているようなマジックアイテムには需要が無い。
武器もかなり一流のものを置いてあるのだが、同じ場所にアイテムがあるというだけで、武器を扱うような戦士達は店を敬遠してしまう。
ダイにはなんとなくわかる感情だった。
鍛えあげたおのれの肉体と技術を頼みにしている者は、魔法などという怪しげなものには頼らないものだ。
(だからって、魔法をバカにしてるわけじゃないんだけどね)
ダイの隣に座っているのは、世界最高の、おそらく今までに出現したどの魔法使いよりも強い力を持つ魔道士だ。その力は師をはるかに超え、そこらのこっぱ魔道士が束になってかかっても敵わないと言われる。
それはけっして誇張ではなく、こんな田舎町で今でこそ店なぞ営んでいるが、その前はれっきとしたパプニカ王国のおかかえ魔法使いだった。
かくいうダイはそのパプニカの姫の婚約者だ。
ダイ自身も勇者であり、竜の騎士であり、三年前の大戦のときには先頭をきって戦った。
というか、ダイがいなければ大魔王には勝てなかったのだが、本人はいっこう鼻にかける様子もない。
「もう。空が明るくなってきちゃったよ。せっかくふたりきりなのに、なんでこんなとこで夜明かししなきゃいけないんだよう」
最大最強の勇者と大魔道士は、幾多の冒険と困難を共にした仲間意識からか、友情の一戦を踏み越えてしまったが、それをヘンだとは思ってないらしい。
「悪かったよ。それじゃ今度は、オレが上になってサービスしてやるから」
いや、確かに最初は思っていたようだが、長くつきあううちにいつのまにやら消えてしまったらしい。
ちなみにふたりの関係は、ダイの婚約者であるパプニカ王女レオナ公認である。
三人の仲は、なかなか余人には説明しがたいものであるのだ。
ダイはぷいっと横を向いた。
「いい。もーオレ怒っちゃったモンね。オレ帰る。帰ってパプニカで寝る」
頭をなでなでしてポップがなだめる。
「そこまですねなくてもいいだろ。一緒に二階行って寝ようぜ。添い寝してやるから」
「子供扱いするなっていつも言ってるでしょ!」
顔を真っ赤にしてダイはポップの手を払いのけた。
そのまま、外へ出ていってしまう。
ちろっとポップを睨みつけてから、ルーラを唱えた。
「……だって、コドモじゃん」
ルーラの光点が朝焼けの空に遠ざかってゆくのを眺めながら、ポップはぽつりとつぶやいた。
ダイは三歳年下である。
>>>2002/1/26up