あっというまに場面は次の夜になっていた。
バルコニーからはシーツのロープがさがっていて、女性は約束を守ったようだった。
「まずい。もうロープに足をかけてやがる。アギオス・アドナイ・カドシュ・サバオト! 至高の天の力にかけて、聖なる三位一体にかけて、我に秘密の仮の肉体を与えたまえ!」
ポップの体が青年のようにうつろに透きとおった。
あちらの次元に同調したのだ。
今までは場所こそ同じものの、立っていた次元が違うので、向こうからは見えもしないし、声も聞こえないのだった。
『わっ! な、なんなんだ、君は!?』
薄暗い部屋、ベッドには下着姿の女性が横たわっている。
コトに及ぼうと服を脱いでいた青年は、いきなり現れた闖入者に驚いて声をあげた。
『ばかやろう、なんだ君は、じゃないっ。ちょっと来いッ』
青年の体が硬直したようにのけぞった。ポップの魔法だろう。
女性も事情が事情なだけに、助けを呼ぶわけにもいかず茫然としている。
『き、君は、父の目付けか何かか!?』
『そんなところだ』
青年を尻目にポップは女性に向きなおり、
『おジャマしました♪』
の声とともに消える。急速に、世界が遠ざかろうとしていた。
ポップと青年以外のあらゆるものが、時の向こうにフェードアウトしてゆく。
『……エイク!』
ポップの合図でエイクは印を結び、現世と空間と時間を同調させる呪文を唱えた。
※
「──お帰りなさいませ、ポップ様」
エイクがどうにも気合いの入ってない声で迎えた。
その理由はすぐにわかった。
「わっ! いつのまに!?」
青年はまた石像になっていた。元に戻っただけかもしれないが。
青年像を見ながらダイはおずおず切り出した。
「ねえポップ、もうひとつだけ……いい?」
「ん?」
「もしかしてあの人、ポップのせいで石像になっちゃったんじゃない」
「……………………………」
エイクでさえも白眼視する耐えがたい沈黙の中、頭をかかえて悩んだすえに、やけに晴れ晴れとした表情でポップは言った。
「時効だ。忘れろ」
確かに時効ではあるかもしれない。
「おや? まだ意識があるようですよ」
ローブの胸元から護符を取り出し、エイクは石像のひたいに当てる。
「意識体を呼び出します」
呪文を唱え、護符を切るように振ると、青年の幽体やら霊体やらというものが分離した。
『……あとちょっとだったのにいい。九十九夜通ってようやくあそこまでこぎつけたのにいい。○○捨てるまでは死んでも死にきれない……たとえこの身を石に変えても、成就するまで僕は生き続けるぞおお……』
そう言って青年の意識体はまた石像の中に吸い込まれた。
見ていた三人は唖然としている。
「けっこう苦労してたんだな、あの人……」
「生き続けると言ったところで、その意思は完全に石と同化して、もう人間としての意識など残っていないようですがね」
めいめいの感想を口にするダイとエイクの耳に、心底ほっとしたようなポップの声が聞こえてきた。
「良かった。オレが呪われなくて……」
※
「毎度ありがとうございました、ラカン伯爵!」
ポップは上機嫌でラカン伯爵邸を辞した。
両隣にダイとエイクを従えている。
「伯爵が喜んでくれて良かったな、ダイ。エイク。なのに二人とも、どーしてそんな浮かない顔をしてるんだ?」
「これでも私は、公明正大な商売をモットーとしているもので……」
苦虫を噛みつぶしたようにエイクが答えた。
「どうもその、あのような方法で解決させた品物を伯爵に売りつけるというのは……」
「エイク。おまえって意外と正直者だったんだな」
「エイクの感覚の方がフツーだと思うけど……」
小声でつぶやいたダイの言葉は、もちろん地獄耳のポップに入る。
ポップは恐い顔をして、
「なんだなんだ。いいじゃないか、ヤツは想いを遂げられるし、お相手の石像も救われるし。エイクはそれを売りつけて、オレは依頼をまっとうすることが出来た。おかげでエイクもオレも、伯爵に報酬を貰って万々歳だ。すべて丸くおさまったのに、何がそんなに不満なんだ?」
ポップが言っているのは、ポップがエイクに命じて探させた、もうひとつのいわくつきの石像のことだ。
石像には、恋人に捨てられたショックから入水自殺した女性の魂が宿っているという。
「伯爵嬉しそうだったよなー。なんたってこんな短期間に、二体も本物の物件が見つかったんだから。しかも、夜には石像同士のラブシーンまで見られるというオマケつき。これもオレとエイクの手腕があってこそ。良かった良かった」
エイクとダイは顔を見合わせた。
お互い、天敵だったはずだが、この問題についていだく感想は同じのようだ。
「問題は──……」
しみじみと、後ろめたそうにダイが言った。
「もうひとつの石像も、青年像だったってことだよね……」
魂が女性だからといって、宿る石像も女性体とは限らないのだった。
< 終 >
>>>2002/2/1up