「マァムには、会わずに行くのかね……?」
ロモスの山奥で、ブロキーナ老師はそう尋ねた。
「はい。未練がぶり返すといけませんから」
庵の外ではマァムが弟子達に稽古をつけている。
オレは窓から気づかれないように、今まででたった一人、愛した女を盗み見た。
ここに来るまで、いろいろ考えた。
行き先も決めずに旅に出て、あちこち廻りながら出た結論はもやはりひとつだった。
ダイとマァムと、どちらを選ぶかはもう、パプニカを出た時から決定していたのだと思う。ダイに抱きしめられて、死んでもいいと思った、あの時、マァムもレオナも脳裏に無かった。幸せだった。
すべての事柄がダイを示していた。今回の旅は、オレがマァムを思い切るための、いわば傷心旅行のようなものだっかもしれない。
マァムとは結局、何の約束も無かったのだから。
だからわざわざ、ロモスに来る理由も無かったのだが……。
オレは指輪を台の上に置き、老師から筆記用具を借りて短い手紙をしたためた。
文面はたったひとこと──『さよなら』。
「老師」
オレは老師に向き直り、言った。
「ああ、わかっとる。マァムには、ワシからうまく言っておこう。その指輪も、責任を持って渡すから安心なさい」
「ありがとうございます。お願いします、老師。それじゃ、お元気で」
裏口からオレは外へ出ると、飛翔呪文を使い、離れた空からマァムを見下ろした。
ずっと憧れていた少女だった。彼女に釣りあいのとれる男になろうとして、オレは大魔道士になった。諦めたくなかった。でも。
レオナはオレとマァムが婚約すれば、ダイがどちらかを殺すだろうと言った。両方かもしれない。少々大袈裟な、とは思ったが、一面の真実ではあると思う。薬の切れかれた足首が痛い。
包帯ぐるぐる巻きの足は、大きめのブーツで隠している。半月は絶対安静と言われたのを無視してしまったので、今度あの医者に会ったらきっとこってりしぼられるだろう。
オレは最後に、もう一度だけマァムを目に焼き付けると、思い切って飛び立った。
空を飛びながら、何て、このあいだ見た風景と違うんだろうと思った。真昼の光は画していたものをすべて白日のもとにさらけ出し、後ろ暗い者を拒絶している。
色々あり過ぎた数ヶ月だった。人生観が変わったような気がする。人間不信にならなかったのが不思議なくらいだ。オレって奴は知っていたが、ほんと、しぶとく出来てンなあと考える。
オレは雰囲気のいい川原を見つけ、そこに降り立ち、座り心地の良さそうな石を見つけて腰かけた。
水分をたっぷり含んだ空気を肺いっぱいに吸い込む。川原の風景は、マトリフ師匠の岩屋のある水辺によく似ていた。
師匠の岩屋を出なければ、今のようなことにはなっていなかっただろうか? いや、遅かれ早かれ、いずれオレはダイを訪ねただろうから、問題を先送りにしただけだろう。
オレはダイを選んだ。
マァムを選ぶのが普通だろうが、オレはダイの孤独を知ってしまった。ダイの孤独を分かち合えるのはオレだけだ。たった一人の竜の騎士の、少しでもそれに近い、たった一人の竜の騎士の眷属。それがオレだ。
それに、オレも好き……だと思う。ダイを。
オレを力で制し、自分のもとに縛り付け、両足の自由までうばったあのダイを。
でなければ、こんな関係は続けられない。オレにとっては何の意味もない行為だし、むしろしないでくれた方がありがたいが、だからこそダイの絶望がわかったという部分もあったワケだし。
同情でも何でも、今のオレにはマァムよりレオナよりダイの方が大事だ。最初から間違っていたのだ。大きくなったから、修業があるから、同性だからと懐かせてしまった子供を途中で放り出すなんて。
これは愛だろうか。恋だろうか。母性、ってヤツだろうか? 自己犠牲だろうか。
そのすべてであるような気もするし、どれも違うような気もする。
オレは、覚悟を決めた。
ダイの、狂気にも似た愛情を受け取める、覚悟。受け止めきれなかった、その時、オレは死ぬだろう。
ダイに殺されるだろう。
足の傷は聖痕だった。ダイへのオレの想い、この痛みがオレとダイをつなぐ証。触ると、包帯とブーツの上からにもかかわらず、熱が伝わってくるような気がした。
この傷がある限り、オレは永遠にダイのもので、ダイはオレのものなのだ。
ダイは的確にオレを探し当て、選んだ。
オレはそれに応えてやりたいと思った。
ただ、そのために支払う代償の、何と大きかったことだろう。
オレは川に小石を投げながら思った。
たくさんの未来と、可能性、やりたかった仕事、適わなかった夢、好きだった女、友人だった女。
代わりに、オレはダイを手に入れる。せめてそれくらいは手にしなければ、余りにも虚し過ぎるではないか。
臨んだ……未来ではなかったが。
オレはもうひとつの決心を固めるためにルーラを唱え、もう少し放浪することにした。
※
パプニカにオレが戻ったのは深夜のことだった。
ダイの部屋の窓に立ち、オレの気配に気づいたダイが起きるのを見つめた、
「……お帰りなさい、ポップ。思ったより長くかかった……というか、短かったと喜ぶべきなのか。こっちに来て。オレの所に」
オレはふわりとダイの寝台まで飛んだ。
「足を使わないせいか、何か体重のある、生きてる人間って感じがしないね。……ああ、ポップだ。本物の」
ダイはゆっくりとオレを抱きとめた。オレが消えないかどうか確かめているような仕草だった。
「……馬鹿。オレが幽霊にで見えたのか」
「幽霊とは思わないけど、幻覚はいっぱい見たからね。離れてた三年間にも、何度も見たよ。ポップが書庫に会いに来てくれたとき、あれも最初はそうだと思ったんだ。良かった、帰ってきてくれて。……本当は、不安だったんだ」
オレはつい苦笑してしまった。
「逃げられるだけけのことはしてるもんな。あ、そう傷ついた顔すんなよ。オレは帰ってきたろ? 約束通り」
「……うん」
それでもダイは手を離そうとはしなかった。オレも振りほどかなかった。ダイの高めの体温が気持ち良かった。
「ダイ」
オレは闇の中、まっすぐダイを見据え、言った。
これを言うために戻ってきたのだ。
「……どこか遠くへ行こう、二人で。誰もいない場所へ。オレ達は、もうここにはいられない。レオナの国で、レオナの側で暮らすことは」
この決心をつけるために放浪してきたのだ。
すべて捨てて、ダイと二人で、違う未来を模索すること。探せば、もっと他の道も見つかったかもしれないが、のんびり見つけている時間がない。今のオレにはこれしか考えつけなかった。
「オレと来い、ダイ」
そしてオレは、百パーセント、ダイの答えがわかっていた。
「……うん!」
ダイは目を輝かせながら叫んだ。
「うん! ポップと行く!! ポップと一緒ならどこでもいい、連れてって!」
オレに回した手にダイは力を込めた。
幸福感に満たされながら、オレは、後悔しない……と思った。
その晩のうちに、オレ達は支度をし、こっそり城を抜け出した。
これって駆け落ちになるのかな? とオレは思った。
いなくなった後の騒ぎは容易に想像出来るけれど、ニナとチェスタトン、庭師のスミスじいくらいは、オレ達を弁護してくれるかもしれない。レオナも、追手を出したりはしないだろう。
レオナ。君にも、いつか誰かが現れますように。
ダイはオレが連れていってしまうけれど、君ならわかってくれるはず。オレの想いが。選んだ未来が。
もしかして、マァムがこの後パプニカにやって来るかもしれない。迷惑ばかりかけて悪いけど、その時は頼むよ。マァムを。
オレ達は城を一望出来る丘に立って、とりとめなくそんなことを考えていた。
「行こう。ポップ」
ダイが既に、まるで自分から言い出したかのようにオレを促す。ダイは手を差し出している。オレが握るのを待っている。オレはいつも、いつでもこうしてダイの後ろについていったものだった。
「……ああ。行こう」
掴んだこの手を、もう二度と離さない。
誰の祝福が無くとも、二人ならオレ達は大丈夫。
オレはダイの手にオレの手を預け、特に目的地も定めずに、ルーラを唱えた。
< 終 >
>>>2003/10/16up