evergreen
── パプニカ ──
ポップが死んだ。
遺体は死後二日経ってから発見された。
彼の部屋は魔道士の塔の最上階にあり、扉がなく、飛翔呪文の使える者しか出入りできなかったのが遅れた原因だった。
ダイはうつろな顔をして葬儀を乗り切った。
ベホマでも癒しきれなかった傷が、手首にうっすらと浮かび上がっている。
ポップの死を最初に発見したのはダイだった。
毎朝の日課であるポップを起こしに行き、彼の死を見つけた。
一方、レオナ達もいつまでたっても二人が降りてこないので下から声をかけてはいた。ダイはそれにもぐもぐと、よくわからない返事をかえした。
「大丈夫だから来ないで! すぐ降りるから」
と、強くダイが言い張るので仕方なく、そのままにしていた。
三日目、しびれを切らせたレオナは不審に思ってすぐ階下の窓からポップの部屋にロープをかけさせ、アポロと共に乗り込んだ。
「………!」
二人は部屋のあまりの惨状に目をそむけた。
ポップは、死んでいた。
あれは生きている者の顔色ではない。かすかに、死斑が浮き出てきている。
ダイはみずからの手首を切って、ポップの口に当てていた。
おそらく彼の父親がそうしたように、竜の血を飲ませ、ポップを蘇生させようとしたのだろう。
ポップは目覚めなかった。いくら血を与えても。
シーツにも床にも、ダイの流した血がどす黒く染みこみ、今まさに流れたばかりの血が、ポップの顔から胸、肩のあたりを深紅に濡らしている。
「ダイ君!」
レオナは呼んだ。
「ダイ君やめて! そんなことをしたら、ダイ君まで死んじゃうわ!!」
……のぞむところだったかもしれない。
「……レオナ、邪魔しないでよ。まだ、血が足りないんだ……ポップを生き返らせなくちゃ」
ダイは乾きかけた傷口をえぐって、新たな血を噴出させた。
なまなましいダイの血のにおいにまじって、大戦中、そこここに満ちていた匂いがした。
死臭。
「………!!」
レオナは手近にあった、くみおき用の水がめを引っ掴むと、中身がこぼれるのもかまわずダイの頭を殴りつけた。
ダイは一撃で昏倒した。
やはり、貧血のせいで弱っていたらしい。
レオナは荒い息を吐きながら、呆然と突っ立っていたアポロに命じた。
「……誰か、力の強い者をニ、三人よこさせなさい。ダイ君を運び出さないと。……それに、ポップ君も」
アポロは慌てて出ていった。
レオナは一人になって、死んでいるポップと、折り重なるように倒れているダイを見つめた。
「ポップ君……眠ってるんじゃないの?」
……綺麗な死に顔だった。
ダイの血で汚れてはいるものの、表情には少しの苦しんだあとも見られなかった。
その青白すぎる顔色さえのぞけば、今にも起き上がっておはよう、とでも言いそうだ。
「どうして……? そんなに苦しかったの? こんなに、突然逝ってしまうほど。言ってくれれば、私だって、あなたを魔道士の長に任命したりしなかった。どうして……?どうして、こんなことになってしまったの……?」
レオナは泣いた。涙を流した。
そして、葬儀の一切をとりしきり、国中の非難がレオナに集まっても、二度と涙を流すことはなかった。
※
ポップの遺体は清められ、防腐措置をほどこされ神殿の地下に一週間安置される。
上では夜昼なくポップのために読経が読まれている。
その声を聞きながら、ロモスから賭けつけたマァムは地下への階段をゆっくりと歩いた。
「……ポップ」
百合の花に埋もれるようにしてポップは大理石の台の上に安置されていた。
マァムはその台に腰かけ、ポップの顔をのぞきこむようにして話した。
「……馬鹿ね。私を置いていくなんて。私、待ってたのよ。ずうっと、待ってたの。……そりゃ私は素直じゃなかったからあまり思わせぶりな素振りは見せなかったけど、それくらいわかってくれたっていいでしょ? いつか来るあなたのために、私、母さんからたくさん料理習ったんだから。ポップの好きだと言っていた肉だんごのトマトソース煮や、とうもろこし入りの牛乳のスープ。もう、お店をひらいたっておかしくない腕前なんだからね。どうしてくれるの、せっかく作っても、食べる人がいなくちゃどうしようもないじゃない。わかったらさっさと生き返っていらっしゃい。……一度経験あるんだから、もう一度くらいどうってことないでしょ?」
無理を承知でもマァムは言わずにいられなかった。
きつい香のにおいが鼻につく。人々のすすり泣く声が、ここまで聞こえてくるようだ。
やがて一週間の後、ポップの体は荼毘にふされ、骨となって両親とともにランカークスに帰るだろう。
ポップの両親もすぐに迎えがやられ、気球でパプニカまでやって来ていた。
一人息子の変わり果てたすがたに、それでもポップの両親は声を荒げることなく、謙虚に対応した。
「……どうもご迷惑をおかけしました。この馬鹿息子が、もう皆さんのお役にたてなくなっちまってすみません。……こいつは連れて帰ります。故郷の土にかえしてやりたいんです」
悲嘆にくれている母親にかわって父親が言った。
レオナはくちびるをかみしめ、顔を青ざめさせてそれを聞いていた。
マァムは幕の影からその光景を見ていた。
ダイは、葬儀には出席したもののそれが終わるとまだポップが死んだときのままの、片付けていないポップの部屋にこもって出て来ようとはしなかった。
「……マァム」
不意に、ひそめた声がマァムを呼んだ。
「レオナ」
喪服を着た女ふたりは向かい合って話した。
「……どうしたの? あなたも疲れているんでしょ? 部屋に帰って休んだほうがいいわ。私もそろそろ戻るから。ポップに面会したい人はほかにもいっぱいいるんだしね。いっしょに戻りましょう、なんだかひどく顔色が悪いわ」
「マァム……、私を、責めないの?」
レオナは泣きだしそうな声で言った。
「……どうして? あなたはよくやったわ。ひとりでこの事態に対処していたもの。……誰がやるより、うまく出来たと思うわ。だから、そんなに自分を苦しめなくていいのよ」
「ちがうわ。私さえしっかり見ていたなら、ポップ君は今でも元気で実家なりあなたの所なりで暮らしていたはずなのよ。……それを、私が無理に引き止めて、パプニカの重鎮としての役目を押しつけたの。ポップ君も何も言わなかったから、私もこれでいいんだと思ってしまって。いつも平気な顔をして、ヘラヘラ笑っていたのに」
ヘラヘラ笑っていたポップ。
レオナの言うとおりだとマァムは思った。
マァムの記憶の中の彼も、いつもおどけて明るく笑っている。
だから、……彼が禁呪や大呪文の使いすぎで心臓を病んでいただなんて知らなかった。
医師の診断は、心臓麻痺だった。
もともと弱っているところへ過労が拍車をかけたのだろうと言っていた。
健常な人間ならなんでもない仕事が、ポップには負担だったのだ。
「……気づかなかったのはあなただけじゃないわ、レオナ。私も、ダイも、そのほかのみんなも、誰一人としてポップの異常に気づかなかった。……おあいこよ。あなたを責める資格のある人間なんて誰もいないわ」
「ほかの人はそれでいいかもしれないけど、私は……!」
レオナは下を向いて肩をふるわせた。
レオナは、ポップを任命した自分に一番責任があると思っているに違いない。
「大丈夫よ。これからは私がいてあげる。ポップがこなしていたほどの働きは出来ないかもしれないけど、少しでもあなたの負担が軽くなるように。私の好きだったあの人がやっていたように。……これからは私に相談してね、レオナ」
マァムの申し出にレオナは驚いて顔をあげた。
「どうして……?」
「うふふ、そんなに不思議がることないじゃない。私はポップに近づきたいだけなの。ずーっとバカにしてて、いつのまにか追い越されてしまったあの人に。……もう、ポップと共に生きるには、その方法しか残されていないのよ。だから、感謝してくれなくてもいいのよ、私はしたいことをするだけなの」
安心させるようにマァムは笑った。
「……ありがとう、マァム」
レオナはそっと右手をさしだした。
どちらかというと、あまり気の合う二人というわけではなかった。
しかし、一方は愛する者をうしなった悲しみがあり、一方にはそれを防げなかった後悔があった。結果的に、二人で痛みを乗り越えていこうという、一種盟友的な友情が生まれた。
「こちらこそ。……よろしく、レオナ」
二人はかたい握手を交わした。
※
ダイは明かりもつけず、ポップの部屋に座りこんでいた。
いつまで待っても、ポップは帰ってこない。
ポップの葬儀に出席しても、ダイはポップが死んだとは信じられないようだった。
ついこのあいだまで、生きて動いていたものが、今日死んでいるなんてありえない。
(……ポップ、遅いなあ。なんで今日はこんなに遅いんだろう? ああそうか、どこかの国に派遣されてるんだね! オレにまで内緒にしていたなんて、きっとすごく重要な任務なんだ。……でも、水くさいよね。オレにくらいひと声かけていけばいいのに。まったく、心配ばっかかけるんだから)
くすくす笑いながらダイは自分の血が乾いてごわごわするシーツにくるまった。
(……あれ? ずいぶん汚れたシーツだな。まあいいや、もう夜も遅いし、明日とりかえさせようっと。ポップがどこに行ったのかも聞きださなくちゃ。レオナは知ってるよね、もちろん)
奇妙に安心したような表情になってダイはその場に横になった。
石づくりの床の上には落ち着いた色のじゅうたんが敷いてあり、さらにその上にはぶ厚い魔法書やポップが持ち帰った書類なども紙くず同然に散乱している。
細かいことには結構おおざっぱだったポップの性格をよく表している部屋だった。
しかし、見慣れたポップの部屋には少しの違和感があった。
(あぶないなあ。水がめ割れてるよ。いつのまに割れたんだろう? ひっくりこかした覚えはないけどなー。ま、これも明日片付けよう。暗くて手元がよくわからないからね)
ここにいれば、ポップはきっと帰ってくる。
ダイはそう思った。早く帰ってきてね、ポップ。待ってるから。
ダイは目を閉じ、安らかな寝息をたてはじめた。
「おはよう、レオナ。ポップはどこへ行ったの?」
ダイは塔を出て朝食の席につきながら言った。
「え……?」
レオナは何を言われたのかよくわからない、というように首をかしげた。
まだ喪はあけていない。ポップの遺体は今も神殿に安置されているはずだ。
「ポップだよ。レオナが命令出したんでしょ? どこの国へ派遣したの? そりゃオレにも言えないほどの極秘任務なのはわかるけど、だいじょうぶ、オレ誰にも言わないから」
ダイは手をふって給仕係を退出させた。
「きのうポップのベッドにもぐりに行ってね、ずーっと待ってたんだけど帰って来なかったの。だから、これはレオナの命令でどこか、ほかの国に行ってるなって思ったの。そうなんでしょ?」
レオナは息がとまりそうな顔をしてダイを見た。
同じく席についていたマァムも愕然としてダイの方を向いた。
「ち、ちょっとダイ! なに言ってるの!? あなたが発見したんでしょ、ポップが逝ってしまっているのを」
マァムが自分でも認めたくなさそうな口調で言った。
だがダイは、マァムの声が聞こえなかったかのように続けた。
「それにしても随分あわただしく出てったんだね。あいさつするヒマもないくらいに」
「ダイ君……」
レオナは立っていって、ダイを背後から抱きしめた。
ダイは不思議そうに、そんなレオナを見ていた。
「あんまり悲しかったから、ポップは死んだんじゃなくてどこかに行っていることにしたんだわ、ダイは」
ひくく、しぼりだすようにマァムはつぶやいた。
そしてこの自分も、ダイには見えていないのだとマァムはさとった。
ここは本来ポップが占めていた席。
ポップのほかに、この席に座る者はいないのだ。
いないのだから、もちろん声も聞こえない。
ましてや、おそらくダイが一番聞きたくないであろうことなど、聞こえるはずがないのだ。
「ダイ……」
マァムは、うらやましい、と思った。
自分も、ポップは死んだのではなくただ留守にしていて、いつか自分を迎えに来てくれるのだと信じられたらどんなにいいだろう。
「ダイ、しっかりして。ポップは死んでしまったのよ。もう、帰ってくることは出来ないの。こんなときだからこそ、あなたがしっかりしてレオナを支えてあげないと。……今、世界中からパプニカに非難が集まってきてるのよ。むざむざ大魔道士を死なせたって。あなたはレオナの夫になる者でしょ、それを自覚しなさい」
レオナは首をふってマァムの言葉を押しとどめた。
「……いいの。ダイ君だって、きっとしばらくすれば落ち着くわ。それまでは、かりそめの夢でもポップ君が生きているって思っていてほしい……なにより、私自身がそう信じたいの、マァム」
レオナは顔をふせて、言った。
ダイを抱く手がわなわなとふるえているのを、マァムは見た。
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