薫紫亭別館


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── ダイ 4 ──

 ポップは間違っていた。
 いかにポップでもすべての事柄が目論んだとおりにゆくとは限らない。
 それは、ポップが消えてから一年後──……。

 パプニカにまた春がやって来ていた。
 ダイは近習を連れずに庭園を歩いていた。
 この一年、ダイは平穏に暮らしていた。レオナとも正式に婚約し、政務もとどこおりなく、三賢者やマァムやメルルとも協力して国を治めていた。
 しかし何かがちがうような気もしていた。
 ちがう、というか足りない、というか、あとひとつで完成するジグソーパズルの一片のように、何かもうひとつしっくりこない感じがするのだ。
 そんなことがあるはずなかった。
 ダイがそう言うと、レオナはいつもその杞憂をはねとばした。
 マァムやメルルにしても同じことだった。
 ダイが個人的な話をするのはこの三人に限られていた。
 王者はそうそう他人に弱みを見せてはならないのだ。
 どうしても納得できないこともある……ダイは、肌身はなさずある袋を身につけていた。
 中にはひとふさの髪の毛とひとかけらの骨。
 なぜこんなものを持っているのかダイにはわからなかった。
 不気味だったが、捨てる気にはなれずずっと持っていた。
 このことは三人にも話していなかった。
 捨てる気どころか、ダイは宝物のようにそれを大切に扱った。
 つねに首にさげ、なにか揉めごとが起こったりすると答えを求めるかのように胸の中のそれをさぐった。そうすると嘘のように名案が湧いて出て、ダイは名君としての階段を一歩一歩あがっていった。
 パプニカもほかの国々も平和だった。
 つい数年前までは大魔王バーンの脅威が世界をおおっていたのだ。
 このさき大魔王のことを知らない者たちが小競り合いを始めるとしても、それはまだまだ遠く世界は平和にたゆたっていた。
 ダイはちくちくする芝生に座りこんだ。手入れのゆきとどいた庭園。
 ふと、誰かの気配を感じたような気がしてダイはふりかえった。
 春一番のつむじ風だった。風が笑っているような気がした。
 そして──その一瞬、あまりにも明瞭に見えたもの。

「……ポップ」

 無意識に口をついて出た言葉。それは人の名前だ。
 ダイにとってもっとも大切な、もっとも大事な人の名前。この骨のもとのあるじ。
 かつてポップだったもの。
 風はすぐにダイを吹きすぎていった。ちょっとつれないような速さで。
 しかしダイには充分だった。
 ダイにはその風がポップだということがわかった。
 見回すと、木々にも草にもポップが宿っていることが感じとれた。
 彼は、ここに、いるのだ。
 ダイが忘れたあとも、ずっと見守っていてくれたのだ。
 ダイの目から涙があふれた。
 ポップ。どうして忘れていたのか。忘れることが出来たのか。
 きっと、それもポップが小細工したにちがいない。
 オレが忘れるわけがない。でないと。
 ……君を忘れたりしない。
 それはダイにとっての宣誓だった。
 永遠に。
 ダイは立ち上がって歩きだした。
 庭園をぬけ、城門をとおり、パプニカの城下町へ出た。
 ダイは立ち止まらずに歩き続けた。
 兵士や町の人々が慕わしくいぶかしく声をかけるのにも構わなかった。
 ダイはえんえんと歩き続けた。
 にぎやかな町をぬけ、少しずつ道が狭くなり田舎に入った。
 ダイは歩いた。
 陽が暮れてゆく、うすやみに染まった世界を。
 手の先さえ見えない夜の中を。
 その日を境にダイは王宮に戻ってこなかった。
 マァムとメルルは心配して捜索隊をだそうとしたが、レオナがそれを押しとどめた。
 もの忘れ草の効力は一年が過ぎてついに切れたのかもしれない。レオナは何も言わなかったが。
 レオナはダイとの婚約を解消した。
 そして、新たにパプニカの貴族の中から優秀な若者を選んで婚約した。
 マァムとメルルはもう一度薬湯を飲ませるべきか話し合ったが、結局そうはしなかった。
 レオナが何故こうも落ち着いていられるのか、その原因がわからなかったからだ。
 レオナはレオナにしかわからないだろう理由があるのだろうと思った。
 問いただそうとは思わなかった。
 マァムにはなんとなく見当がついていたが。
 あれは本当のことだったのかもしれない。レオナが我を忘れて口走った言葉。
 そう思い始めたのはつい最近のことだったが。
 もう、いいのだ……。それが真実だったとしても、レオナは十二分に苦しんだ。
 自分たちも、ダイも。
 いちばん苦しんでいただろうポップは誰も恨んでなどいなかった。
 ポップがこれを知っても、レオナを恨んだりしないことはマァムにはわかっていた。
 ポップはいない。この世のどこにも。メルルはそう言った。
 マァムはダイを哀れに思った。
 記憶を取り戻したダイはポップを探しに行ったのだろう。
 火葬後にそうしようとしたように。
 今度の旅にはポップはいない。それでもダイは出ていった。
 どこへ行ったのか、知るよしもない。二度と会うこともないだろう。
 ダイは幸せなのかもしれない、ともマァムは思った。
 さっきと相反することではあったが、この地上のどこかにポップはいると信じ続けて、永遠に旅を続ける。永遠に、永遠に。
 ダイも死んでしまったのだ。ポップは間違っていた。
 どんなにつらくとも現実を突きつけて更正させるべきだったのだ。
 それは良かれと思ってやったのだろうが、結果として、ダイの心を殺してしまったのだ。
 レオナ。レオナは……なんとかこの世でやってゆけるだろう。
 彼女のトラウマが彼女を死ぬことを許さない。
 恐ろしい罰だ。ポップはここまでわかっていたかどうか。
 それを思えば、自分たちはまだ幸せなほうなのだ。
 ポップの遺言を実行したときは悲しみで胸が張り裂けそうだったが、心をわかちあえる親友ができ、今もこうして生きている。ダイとレオナは生きているとは言えない。生きている死者。
 死んでいた生者のことを思った。たった数時間しか会えなかった。
 最後のキス。忘れない。
 マァムはひとつ首をふった。
 彼女にはパプニカの重鎮としてやらなければならないことがたくさんあった。
 マァムは書類をかかえあげ、これからのことを話しあうために三賢者のもとに向かった。

                    ※

 ダイは追いかけて旅をしていた。
 おとずれる春の、萌えいづる碧の、終わらない恋を。

 たけ高い緑の草原が波うつ。風が髪をなぶってゆく。
 若草色のポップが手をふってオレを呼んでる。
 evergreen。
 ───永遠のみどり永遠の。
 ポップ。

 ここに、いるね?

 そばに、いるね?


<  終  >

>>>2000/12/14up


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