薫紫亭別館


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「師匠を連れてきてくれよ。『春の門』の日には、連れ出して見物させてやるって言っといたんだ」
 当日、すっかり熱の下がったポップはピンピンしてダイにそうねだった。
「どうせあのアイテム返しに行くんだろ? ついでにさあ。な、いいだろ?」
 アイテムとは例の手枷のことである。ダイは思いきり渋面になった。
「うう……その事は言わないでよ」
「当分は言いまくってやるもんね。それだけ、オレの受けた肉体的打撃は大きい。精神的打撃も。あ、困ってる困ってる。やーいやーい」
 囃したてながら、しかしポップはフォローを入れた。
「ほらほら、もう大丈夫だから……な? こっち向けって」
 あやすようにキスひとつ。ポップからダイへ。驚いて、ダイがポップを見た。
 ポップはするりと身を翻して、言った。
「ぶっつけ本番だってコトは、皆にはナイショだぜ? これでも緊張してるしさ、だからダイくらいは笑っててくれよ。ダイが笑ってくれてると、安心すンだよ、オレ」
 それは自分こそが言いたい言葉だ、とダイは思う。
 昨夜遅く目を覚ましたポップは、ダイの気持ちを肯定も否定もしなかった。
 ポップは淡々と話した。
(別に怒ってねーよ。ダイ、オレのことが好きだって言ってくれたしな。だから、ま、いいかと思って……)
 ダイはほっとしながらも、言わずにはいられなかった。
(それでいいの、ポップ? オレ、ポップにひどい事したよ。今にして思うと、何であんなことまで出来たんだろうと思うくらい)
(大したことないって、本当……あーいうのは慣れだな、慣れ。そりゃ、もう少し手加減してくれりゃな、とは思ったけど。……ええと、んでもって、もしまだダイがやりたいって言うなら、やってもいいぞ)
(──ほんとに!?)
(あー、えー……うん。まあ、男同士だし、間違っているという気はしないでもないが、オレもダイ好きだし。いや、やりたくないってーんならやらなくてもいいんだけど)
 ダイは唖然とした。なんなのだ。
 結局ポップの気持ちはよくわからなかった。ダイが好きだから、ダイがやりたいならさせてやるか、といった態度だ。それはそれで嬉しいのだが、どうも……恋とは違う気がする。
 どっちかというと母親か兄のような感情に近いと思う。
 さっきのキスだってそうだ。
 でも、ポップのそんな所が好きなのかもしれないな、とダイは思い直した。ダイに母親はいない。赤ん坊のときに死別してしまった。レオナは好きだし可愛いと思うけれど、とても甘やかしてくれるタイプではない。
 オレはポップに母親を求めているのだろうか?
 男に母親、という考えもアレだけど、それならこの恋は、いつか消えてしまうのだろうか?
「先に行けよ、ダイ。オレはフス長老と打ち合わせだから。……ふふふ、師匠が来たら言ってやりたい事が山盛りあるぜ。ダイに妙な事を吹き込んだツケを払わせてやる」
 不敵に笑うポップを見て、早々に退散した方が良さそうだ、という判断をダイは下した。
 窓からすかさず、ダイはルーラを唱えた。

                       ※

「アリオーナ」
 ダイが出ていったのを見届けると、ポップは妖精を呼び出した。
 すぐにアリオーナだけでなく、他の妖精達も姿を見せる。
「……どうしようか迷ってたけど、オレは残るよ、やっぱり。妖精の国はとても魅力的だったけど、あのバカを一人にしておくと思うと、もう心配で心配で」
 どうもポップは、本気で門の向こうに行くべきかどうか考えていたらしい。
「ダイにはまだオレが必要みたいだ。それに、今度の事で心が定まったよ。オレは、ダイに一生ついててやろうってね。ダイがもう、いらないって言ったとしても。オレ達は親友で、恋人同士で、親子で兄弟だ。王とその側近、っていう関係もあるな……人間関係のありとあらゆる関係がオレと、ダイなんだ。どこまで行けるか、やってみる価値はあるだろう? ダイにはまだまだ自覚が足りないみたいだけどな。オレの気持ちすらわかっちゃいないようだし」
 くすくすと笑う。楽しげに。
「さあ行こう。長老が待ってる」
 沢山の妖精を引き連れて、ポップは長老の待つ控え室へと向かった。

                       ※

「お……おい、ポップ様だ! どうしたんだ、司祭役はフス長老に戻ったんじゃなかったのか!?」
 誰かが叫ぶ。
 魔道士の塔の学生も神殿の神官達も、邪魔にならない場所から見物するのを許されていた。
 赤々と燃えるかがり火の中を、ポップはゆっくりと、祭壇に向かって歩いて行った。
「ふむ。あっち側から戻ってきてやがる」
 マトリフは席をしつらえられて、悠然とそこに座って構えていた。
「やっぱり実力行使させて良かったじゃねえか」
 ポップがマトリフに気づき、目だけでにやりと笑ってみせた。
 マトリフは大人げなくもわざとあっかんべをして舌を出した。
 恐らく、この師だけは弟子が本当に旅立とうとしているのに気づいていたのだろう。そうして、この弟子をこの地に繋ぎとめられるのは、ダイだけだと知っていたのだろう。
 ポップは祭壇の前に立ち、長老から借りた巻き物を広げている。
「……今年今月今日今時、王宮内に、春の門の祝いまつり敬いまつる。天地の諸妖精たち平けくおたひにいまさふへしと申す。式のまにまに、門のとびら造り設けて今し静けく奉る御前に慎み敬い申す。事別れて語りたまはく、千里の外四方の堺五色の宝物海山のくさくさの、ためつものを給ひて……」
 広場に朗々とポップの声が響く。
 例によって神官が言葉もなく打ち震えている。
 ……不意に、視界が開けた。


 それは、ポップだけでなく……神官や塔の学生達や、多少なりと、魔法力のある者全員に見えた。
 暗い空に一瞬、切れたように閃光が走ったと思うと、そこから沢山の光が溢れ出した。
 七色の光の渦。ポップはその渦に呑み込まれ、ダイ達からは何も見えなくなった。


(祝福を! 大魔道士さま)
(感謝の抱擁を、妖精の国より)
(ありがとう)
(ありがとう)
(貴方のおかげで、妖精がひとり救われました)
(妖精の国はそのことを忘れません)
(感謝と祝福を! 魔道士の塔の長へ)


 光の渦の中で妖精がポップに語りかける。
 直接頭に響く声で。


「アリオーナ」
 ポップは自分の肩にそっと寄り添っている妖精を呼んだ。
「お帰り、おまえの国へ。おまえがここにいたい、と言ってくれる気持ちは嬉しいけれど、自分でも言ってただろう? 死がなければ再生もないって。待ってて、あげるから……アリオーナが生まれ変わって、またこの世界に来るのを。どのくらいの時間が必要なのかはわからないけど、オレも後五十年は生きてる予定だし。マトリフ師匠だって百歳超えてる。その間に、この世界に戻って来れないかな?」
 冗談めかして、出来るだけ何でもないように。
「ええと、オレが生きてるうちに戻って来れなかったら、オレの方から訪ねて好く。妖精の国って行ってみたかったし、嫌な言い方だけど、オレ、死なないと自由に行動出来ないから」
 ダイがいるから、とポップは言外に言っていた。
 ポップは、ダイがいる限り、ダイの望みを叶えるために、一生を捧げて悔いはないだろう。
 それがこの人の選んだ生き方なのだ……と、アリオーナは少し悲しくなった。
 アリオーナは促されるままに門に入った。
「おまえ達も、お行き」
 他の、ポップにくっついていた妖精達にもポップは言った。
 妖精達も逡巡していたようだが、やがて、やはりアリオーナの後を追って門をくぐった。
 あちらでお待ちしています。そんな感じだった。
 最後に妖精達はメッセージを残した。
 そして伝えます、貴方のことを。
 いつまでも、妖精の国と種の続く限り。貴方がいついらっしゃっても良いように。私達は歓迎するでしょう。
 すべての妖精の祝福を貴方に。
「……ありがとう」
 急速に光は薄れていった。
 人間界に溢れ出た妖精達が、おのおのの欲するところに向かって飛び立っていった。
 門が閉じる。その向こうに、美しい緑の、妖精の国が確かに見えたと思った。
 アリオーナも消えてゆく。
 アリオーナの話を聞きながら、あれほど焦がれた、夢の国に。


「……ポップ!」
 ダイがポップの腕を捉えて立っていた。
「ダイ? どした? 儀式の最中にこっち来るなよ」
「こっち来るなじゃないよ! いきなり光が射して、ポップが見えなくなって……心配したんだから!」
 言いながら、ダイはポップを抱きしめた。
「……ほんと、に……あっち行っちゃうかと、思っ……!」
 しゃくりあげるダイを、ポップはしっかり受け止めた。
 自分の選択は間違っていなかった。その意味を、噛みしめながら。
「いや、わかったから……泣くなって、恥ずかしい。いいかげんに離せって」
「ヤだ。ポップがずっとオレのそばにいてくれるって、約束してくんなきゃ、嫌だ」
「約束する約束する。ずっと前からそうしてるだろうが」
 ……気がつくと、見物していた塔の学生と神殿の神官達が、一同ひざまずいてこちらを注視している。
 その中の一人、ルースが進み出て、こう告げた。
「──われら魔道士の塔一同は、大魔道士様、永遠の忠誠と尊敬をあなたに誓います」
「へ!?」
 ものすごく理解不能なことを言われた、ような。
「私どもは神にこの身を捧げていますので、その誓いはなりませぬが、心情的には同じ気持ちでございます。ポップ殿はそれにふさわしいお方かと思われます。どうぞお受け取りなさいませ」
 神殿を代表して、フス長老が言った。後ろの神官達も全員うなずいている。
「あ、あのなあ。そーいうコトはレオナなり、このダイなりに言えよ。オレは所詮、ただの雇われ魔道士に過ぎないんだから」
「いいわよ、ポップ君」
 レオナも鷹揚に同意した。
「もともと魔道士の塔はポップ君がつくったものだし。……実は、私も感動したのよね。同じ人間で、一緒に冒険をした人がここまで……ってカンジなの。それが、あのヘタレだったポップ君だと思ったら、尚更ね」
 ポップがますます情けない顔をしたのに、ダイが駄目押しをした。
「良かったね、ポップ。レオナ公認だよ。もっと嬉しそうな顔をしたら?」
 ……うわあ、単純!
 さっきまで泣いていたように見えたのは、目の錯覚に違いない。
 ポップは、これからの未来にダイがかけてくれるだろう苦労を思いやって、はやまったかもしれない……と、めでたい席で、気づかれないように息をついた。

                    ※

「……師匠のせいだよ。師匠がダイをけしかけたから、オレはあっちに行けなくなっちまったんだから」
 マトリフを岩屋に戻して、ポップはマトリフ相手にぶつくさ言った。
 マトリフは苦笑しながら、
「人のせいにするんじゃねえ。必然だ。当然だ。オレが言わなくてもいつかはこうなったさ」
「ダイは自覚してなかったってのに」
 今日も部屋へ戻ると、ダイが待っていることだろう。
「それでよく人間界のあらゆる関係がオレとダイだ、なんて言えたな。聞いてて噴き出したぞ。そこまで言ったんだから、ちゃんと恋人役もしてやれよ。ダイのは、ダイのも、というべきだろうが……まだ完全な恋とは言えないぞ」
「あ……あーっ!! 何で知ってる!?」
「妖精が見えるのはおまえだけじゃないさ。話が出来るのもな」
 こっこの狸ジジイ。
 ポップはマトリフを睨みつけた。
「……言っとくけど、夜だけは観察すンなよ。そんなマネしたら、寿命が来る前にオレが送ってやるからな」
「老い先みじけえ齢寄りに、なんて脅し方しやがる」
「殺したって死なねえクセに。それじゃ、な。師匠。また来るわ」
 まったく可愛げのある弟子だ、とマトリフは笑った。
 だからこそ、自分ではうまくいかなかった宮廷でも楽しくやっていけるのだろうな。
 マトリフは出てゆく弟子の姿を見送った。
 その弟子のことを思うとき、このむっつりといつも不機嫌な老人の口もとには、いつしか微笑が浮かびあがってくるのだった。

<  終  >

>>>2003/3/8up


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