時間はさらさらと流れてゆく。
ポップにもダイにも、忙しく立ち働いている誰の上にも。明日は、『春の門』の祭りが行われるはずだ。
ポップは今年はもう諦めて、来年に賭けようと思っていた。どこまでもポジティブシンキングな男であった。
ポップは自分の周りに妖精を集めて、
「みんな、いる? 明日でお別れだね……妖精の国に帰ったら、人間界にポップって奴がいたって話しておくれよ。そうしたら来年も、その次の年も、オレを知っている妖精達がオレを訪ねて来てくれるかもしれない。口コミで、おまえ達みたいに門の向こうに帰りたい奴等も来るかもしれない。オレは喜んで迎えるだろう。今年は駄目だったけれど、約束は守るよ。来年こそは」
ポップは諦念と、申し訳なさと、誠意を込めて話しかけた。
どこまでも優しい妖精達が、そっと寄り添ってくれているのを感じながら。
「ダイの馬鹿が、こんなマネをしやがらなきゃオレが門を開けてあげられたんだけどね。まあでも、代わりにフス長老が開けてくれるから心配はいらない。オレよりベテランだし。長老に会ったら、オレがよろしく言ってたって伝えといて」
いましめられた両手。手枷の重みも今ではすっかり慣れてしまった。
しかし本当に後一日で、ダイがこれを外してくれるのかどうかポップには自信がなかった。ここから出られるかどうかも定かでない。よしんば出して貰えたとしても、どうもそのまま他の監禁場所へ直行のような気がする。
「……ホント、何考えてンだか」
これまた馴染みになってしまったつぶやきを漏らす。ダイがいきなりこんな手段に出た理由がポップには今もってわからなかった。何かきっかけがあったのだと思うが、見当もつかない。
ポップにアリオーナという女性がいる、などとダイが誤解しているとは、ポップには知るべくもなかった。
ポップはダイの言いつけ通り、妖精を使って情報を探ろうとはしなかった。
それは、人間の問題は人間だけで片をつけた方がいいという、ポップのポリシーからのことだったが。
ポップはダイが話してくれるまで、待つつもりだった。
気の長い話だ、と自分でも思う。いつから自分はこんなに忍耐強くなったのやら。
「ん……!」
くにり、と眩暈がしてポップは石畳に倒れこんだ。冷たい石の床が、却ってほてった頭に気持ち良かった。少し、熱もあるのだろう。こんな不健康な生活が、体にいいわけがない。
「大丈夫……少し休めば治るから。そうだ、学生達が置いていってくれた薬もまだ残ってたよね。あれを服めば……」
ポップは這いずって、それらの薬が置いてある盆の所まで行こうとした。
「……ん?」
ふと、何かが……そこにいるような気が、した。
「……アリオーナ!?」
盆の向こうに気配が感じられた。余り近くにいると気取られるとでも思ったのだろう、離れた場所でアリオーナはポップを見守っていた。
「アリオーナ! 何でここにいるんだ!? 長老に連れていって貰ったはずなのに……」
勘が伝えるアリオーナの状態はかなり悪い、とポップは思った。
知らせなかった他の妖精達を締め上げるのは後だ。大体、今のポップにはその手段がない。
「アリオーナ、しっかりしろ! ばか、なんだって戻ってきたんだ。後一日で妖精の国に帰れるってのに……!」
責めている場合ではなかった。このままでは、明日を待たずしてアリオーナは死んでしまうだろう。今から神殿に連れて行っても多分、間に合わない。
「……くっそお、ダイ、恨むぞ。アリオーナが死んだら。誰か、とにかく神殿に行って長老と、それからダイを連れてきてくれ。手枷を外させる。のんびりダイの我儘を聞いてやってる場合じゃない」
自分も熱があったはずだが、それ以上の激情に流されてポップは叫んだ。
※
妖精が騒いでいる。
木々も、大気も、それらに宿る全ての妖精達が何事か憂いてて泣き騒いでいる。
ただごとではない、ダイは思った。あるいは、ポップの身に何かあったのかもしれない。
直感でそう考えてダイは走り出した。ダイはちょうど、地下室に向かう途中だった。見えてきた廃墟から妖精が湧き出してきた。いよいよ尋常ではない。妖精達はダイを取り囲み、早く早く、とせかしているようにも見えた。
「……ポップ!」
転がるように地下室へと雪崩れ込む。
ポップは待ちかねたように叫んだ。
「ダイ! 何も言わずにこの手枷を外せ! 時間が無い!!」
「どうしたっていうのさ! 理由を言ってよ!」
「見てわからねえのか、アリオーナが危ないんだよ! だから早く外せ!!」
……アリオーナ!?
ダイは動揺し、躊躇した。
「い……嫌だよ。そんなひと。どこにいるんだよ……」
「馬鹿かてめえは!? アリオーナは妖精だ! 助けてやれるのはオレだけだ。おまえの魔法力は攻撃呪文にしか使えないからな」
「よ……妖精?」
ダイは混乱していた。それでは、アリオーナはポップの恋人ではないのだろうか?
すると、自分のしたことは……。
「早くしろ! アリオーナが死んじまう!」
混乱状態のまま、ダイは言われた通りに手枷を外した。
ふしゅうっ、と音がするようにポップの全身に魔法力が戻ったのがわかった。
花が咲いたようだった。
「アリオーナ。もう大丈夫だぞ、安心しろ……」
ダイはポップが手を伸ばした先を見た。光のほとんど消えかけた妖精がそこにいた。
ポップが手のひらに魔法力を集中した。やわらかな回復系の呪文がその妖精を包みこんだ。弱まっていた光が強くなる。妖精が完全に光を取り戻すと、ポップはその場に崩折れた。
「ポップ!」
慌ててダイはポップを抱き止めた。熱い。熱があるのだ。
「しっかりして、ポップ!」
「あ……うん。心配すンなよ……ちょっと、さすがにキツかったケド……。そこの薬、服ませてくれよ。回復呪文は、熱とかにはあんまり効かな……」
それだけ言うと、ポップは安心したようにダイの腕の中で気を失った。
※
「……オレが悪かったんです。オレが勝手に誤解して、そうだと思いこんでしまって……。始めから聞けば良かったんだ。そうしたら、無理にポップを傷つけることもなかったのに……」
自分の部屋にポップを連れ帰って寝台へ寝かせ、訪ねてきたフス長老に、ダイは独白した。
「ポップはオレを許してくれるでしょうか? 長老。許してくれなくて当然だけど、そうしたら、どうやって償えばいいんだろう。オレは、アリオーナとはポップの恋人の名前だと思ったんです。そう思った瞬間、心に稲妻が走ったようで、苦しくて、辛くて……ポップを誰にも渡したくなくて、気がつけば計画を立ててました。オレはその通りに実行し、ここまでポップを苦しませてしまった……」
ダイは膝まずいて、寝台に眠るポップを見ていた。
フス長老はそのダイの背後に立って、二人の様子を凝視している。
「長老は知っていらしたんですか? アリオーナが妖精の名前だということを。その妖精をあちら側に帰してやるために、ポップが春の門を開けたがっていたということを」
振り返ってダイは問うた。
フス長老は静かに首を横に振った。
「いいえ……私も、始めは何も知りませんでした。学生達に呼ばれて、初めてそこで、ポップ殿のお考えの一部を知ることが出来たのです。しかしポップ殿はダイ様に憤ってなどおられませんよ。目覚められたら聞いてごらんなさい。ポップ殿は苦笑して、こうなる前と同じく、何でもないと断言して下さることでしょう」
そうでしょうか? と不安げなダイを励まして、長老はそっと部屋を辞した。
後は自分の出る幕ではない。きっと、二人で話しあって、わだかまりを解決することだろう。
>>>2003/2/23up