次の夜もポップの幻術は大成功で、しかし初日と違ったことには、二日目にはたくさんのおひねりが投げられたことだろう。
ポップはますます上機嫌で術に気合いを入れたし、ダイは客席を駆けずりまわってチップ集めに奔走していた。ダイが進んで始めたのではなく、ある婦人がちょいちょいと手招きをするので行ってみると、いきなり手の中にチップを握らされたのだ。
そこからダイにチップを握らせる客が急増して、男の客は紙にコインを包んで舞台に投げ、腕力のない女性客はダイがまわってくるのを待って、チップをふんぱつするようになった。
それは銅貨数枚ていどのびた銭だったが、これだけ集まるとけっこうな金額になった。
素朴な村の人々はけっして豊かとはいえなかったが、楽しませてくれる者に対して礼を惜しむこともなかった。
ダイとポップは好意をありがたく受け取り、ほくほく顔で村長の家に戻った。
三日目にようやく吟遊詩人が着いて、ポップは今までよりうんと濃い内容の幻術を見せるかわりに、今までより少し早めに切り上げた。
遅刻してきた詩人の商売のジャマをしないためでもあったし、ふたりも、多少、お祭り気分を味わいたかったのだ。
三日目の夜は彼らもとっとと村長の家に戻らずに、お客に変身して心ゆくまで屋台の料理に舌鼓を打ったり、祭りのあいだだけの仮設の店をのぞいたり、村人に混じって踊ったり、詩人の歌を聴いたりした。
詩人は綺麗な声で朗々と歌いあげた。
暑さと寒さを吹きえくる北風と南風、海辺の入り江、波、雲をまつろわせ、あかつきまでの運行を続ける夏の月。木の下で発酵したリンゴの匂い、川の流れと森の静けさ、炉戸の明かりで語られる、いにしえの老いたる英雄達のサーガなどを。
水晶の戦士レギオン、青のイドゥ、王ロンズディルなど偉大な先人とともに彼らのことも歌われた。
竜の騎士ダイと大魔道士ポップの歌になると、彼らはそっと席を離れた。
歌は脚色され美化され、事実とはまるっきり異なっているのが常だった。
怒っているわけではないが、そういう歌を聞くのはふたりには面映く、いたたまれないことだった。
大戦から数年後のこのときには、もう世界中に吟遊詩人が廻って、つぶさに彼らの戦いを歌い聞かせていた。おかげで彼らはどこへ行っても歓待され、歓迎されたが、それは勇者と大魔道士という肩書きにであって、ダイとポップという故人にではなかった。
彼らが彼らでいられるのはふたりでいるときだけだった。
だから彼らは旅に出たのだ。春を待ちかねて、誰も知らない土地へ。
歌は顔までは伝えない。
特徴を歌い伝えたとしても、黒髪、黒や紫の瞳の少年など珍しくもない。
彼らは集団の中に埋没してはじめて安らぎを得た。
いずれ帰らねばならないとしても、それはできるだけ遠いほうがいい。
「……出ようか、ポップ。この村を」
村長の家へ戻る道すがらにダイが言った。
ポップも力なくうなずいた。
「そうだな……ちょっと調子に乗りすぎちまったかもな。悪い、ダイ。吟遊詩人が来るってこと、オレは知っていたのに。今すぐ正体がバレるとは思わないけど、荷物を持ったら黙っておいとまするか。村長からの謝礼はあきらめなきゃいけないな」
「いいよ、昨夜と今日とでかなりのおひねりとチップを貰ったよ。これだけあれば当分お金には困らないよ。だからそんなにしょげた顔しないで。そんなのポップらしくないよ」
「誰がしょげてるんだ。オレはいつだって元気いっぱいだっ。ヘンなこと言うんじゃねえッ」
「その意気その意気」
苦笑してダイはさからわずに足を早めて、怒るポップから逃げた。
そのままのスピードで歩いていったので思いのほか早く村長の家に着き、外で食べてきましたからと村長夫人に言うと部屋に戻り、荷物をまとめてこっそりと窓から抜けだした。
部屋は二階だったけれど、ダイは音もなく庭に着地することができたし、ポップは非常事態だということで、飛翔呪文で庭に降りた。無事に地に足をつけることさえできれば、ポップも猫のように静かに動くことができた。ふたりは家に向かって会釈すると、もう後も見ずに歩きだした。
村を出ると足音をしのばせる必要もなくなり、こんな出発ではあったが、まだ祭りの余韻がふたりの中に残っていたらしく、彼らは大声で歌いはじめた。
聞いたばかりの、うろ覚えの、歌詞も怪しい彼ら以外の昔の英雄たちの歌。
ああじゃないこうでもないと、メロディや詩の違いをさわぎながら歌うのは、それなりに楽しいことだった。これだけでも、あの村にとどまった甲斐があるというものだ。
ふたりは夜っぴいて歌い、眠りについたのは、東の空も明けようとする時刻だった。
しかし、誰も彼らを咎める者はいないのだ。
彼らは好きな時間に目覚め、好きな場所で眠った。
ある日は楡の木の木陰で、黒く湿った土と乾いた枯れ葉の上で。
雨の降る夜は農家の厩のワラの中で。
足の向くままに彼らは行き先を決め、今朝は小川の近くで野宿をした。
先に目覚めたダイは眠っているポップの隣で火をおこして湯をわかしたり、干し肉を串にさしてあぶったりして朝食の用意をした。
「……ん? 早いな、ダイ、おはよう」
あくびしてポップは起き上がった。
ダイはナベから薬草湯をついでポップに手渡した。
ポップは礼を言って受け取った。
「ダイ、そこのチーズとって。うん一切れ。あと、薬草湯のおかわり」
パプニカから追っ手がかかっていても、彼らの表情はのんびりしたものだった。
別に悪いことをしたわけでもなし、ふたりにとっては、ちょっと長いピクニックか何かのように思えたのかもしれない。
ダイはおかわりとチーズを切ってやりながら、
「はい。今日はどっち向いて行くの?」
「ちょお待て。えーと……」
ポップはがさがさと、一応は持って来ている地図を取り出して、
「こっからはドレングの村が近いな……そこ行くか。いいかげん野宿にもアキてきたし」
「わかった。ドレングの村だね?」
いつものようにふたつ返事でダイは了承した。
私が本物の勇者を知らないということは言ったと思うが、だから、いま見ているダイが本当にこんな性格だったかはわからない。ポップが自分の頭の中でつくりあげた人格かもしれない。そうだとしても、私には確かめるすべも無いわけだが。
朝食を終えたふたりは立ちあがって、地図を見ながら歩きだした。ドレングの村は山向こうにあるらしい。小川に沿って上流へさかのぼっていくと、ちいさな光の貴婦人が現れて、ふたりを手招いた。
「………?」
いぶかしみながらもダイとポップはとんぼのような羽を持つ、大きさもとんぼほどの貴婦人についていった。
ふたりは小川をそれ、奥深い山の中をどう歩いたのかわからないくらい連れ回されたが、光の貴婦人が道に迷わせてやろうとか、そういう悪意を持って近づいたとは考えなかった──彼らは、グッド・ピープル達の数少ない人間の友人だったのだ。
「なんだか……いい匂いがするよ」
鼻をひくつかせてダイが言った。
「おお? まさかこんな場所に、屋台が出てるって言うんじゃないだろうな」
「ばか。花の匂いだよ。でバラやキンモクセイみたいな甘ったるい香りじゃなくて、なんていうのかな……もっと青くさい、すがすがしいような匂いだ。近くに花畑があるんでしょ? 光の貴婦人」
貴婦人はにっこりほほえむと、進むべき方向を指さしてふっと消えた。
空気にとけてしまったようにも見えた。
「きっともうすぐそこに着くんだ。こっちだよ、ポップ。こっちから花の匂いがするよ」
ダイはポップをうながして、先に立って歩いた。
ほどなくして、貴婦人が連れてこようとしてくれた、黄色い花畑が見えてきた。
「──菜の花畑だ!」
ポップが叫んで走りだした。
山の斜面にいちめんの花畑。どこまでも続く黄色。
腰まである菜の花をかきわけかきわけ、ポップはダイをふりかえって……笑った。
「早く来いよ、ダイ! ああ、貴婦人はこの景色を見せたかったんだな。もう菜の花の咲く季節なんだ。いつのまにそんなに経ったんだろう、出てきたときには、こんな優しい風景を見られるなんて思わなかった。だってあの頃は、まだ灰色の冬と地続きだったから。もう春だ、春なんだな」
ポップはあまりに感激したのか、目にうっすらと涙まで浮かべていた。
ダイはびっくりして、あわてて寄り添って、言った。
「ど、どうしたの、ポップ……!?」
ポップは首をふった。
「なんでもない。ただ、お前ともう一度、こんな旅ができるとは思わなかったんだるあの頃は楽しかったな、ダイ。つらすことや苦しいことも多かったけど、それと同じくらい楽しいこともあったるオレはどれほど夢見たろう。お前がオレの隣にいて、レオナがいて、マァムがいて……もう誰もいない。残ったのはオレひとりだ」
「しっかりして、ポップ。オレはここにいるよ。レオナもマァムも、パプニカとロモスでオレ達の帰りを待ってるよ。どこにも行かないよ。だから泣かないでよ、ポップ……」
「そうだな、ダイ。そうだな……」
黄色の菜の花畑で、身をよせあってうずくまっているふたりの書アバン念を見ながら、私は冷ややかに考えていた。ポップの言っていることが正しい。この世界には、もう勇者も、レオナ女王もマァムとやらもいないのだ。
少年たちの周りをなぐさめるように、黒に赤や、赤に黒の星のあるてんとう虫や、モンシロチョウが横切っていった。
それさえもまぼろしだ。
ポップのつくりだした、幻影の世界なのだ。
初めて私がポップに会ったのは、私が八歳のときだ。
そのときにはもう彼は老人だったし、髪も威厳を演出するためにたくわえたひげも真っ白で、だが不思議に若々しい印象をあたえる老魔道士だった。
フス長老の代から神殿に親交のあったポップは、幼くして神殿に預けられた私に何かと目をかけてくれた。
それは私がおのれの魔法力にふりまわされていたせいなのだが、大魔道士に特別に扱ってもらっているということは、子供ながらに自尊心をおおいに満足させられたし、まだ両親に甘えたいさかりでもあった。
ポップは、そんな私を広く包みこんでくれた。
あれから二十年……私は大神官になり、ポップの眠りを守護する役目を与えられた。
ポップはとても長く生きて、レオナ女王や共に語られる勇者の仲間たちの誰よりも長く生きて、勇者の帰りを待っていた。
死ぬわけにはいかない、あいつの知っている人間はもうこの地上にオレしか残っていないから──ポップはそう言っていた。パプニカの岬の上に突き立っている、剣の宝石が光を失わないかぎり、自分は死ねないのだと笑って言った。
しかし人間は、そんなに長くは生きられない。
ある日ポップは言った。
「ノレル、オレはもう長くない。このままじゃダイが帰ってくるまで生きてられそうにないから、オレは眠ろうと思う。オレの先生が解読した呪文に『凍れる時間の魔法』ってのがあってな。それを使うと、時間を止めることができるんだ。もともとは敵を封印するための呪文なんだけど、応用してオレは自分にかける。オレは死んだみたいに硬直して動かなくなるだろうが、本当に死んだわけじゃないからどこかのバカがオレを埋めたり火葬にしたりしないように、お前、見張っててくれよ。そのへんに転がしといても腐りゃしないし、シモの世話も、流動食を流し込む必要もないからさ」
ポップを慕っている私には酷な言葉だった。
しかし私は結局はポップの言うとおりにした。
このままではいずれ遠くない未来にポップは死んでしまうだろうが、どんな姿でも、生きていてくれるなら……と承諾してしまったのだ。
ポップは今、神殿のもっとも置くまった部屋に安置されている。
この部屋に入れるのは大神官である私と、ごく少数の者だけだ。
そして、私だけに見える光景。
私の魔法力とポップの魔法力が同調したのだろうか、
それとも私の目がどうかしてしまったのだろうか?
この部屋にはポップの夢が映る。
ポップの見ている夢が、現実と変わらぬ確かさで私に訴えかけてくる。
「さ、立って、ポップ。この菜の花畑を、ずうっと無効まで駆けていってみようよ。まるでどこまで行っても果てがないみたいだ。自分の足で、どれくらいの大きさか測ってみたくない?」
ダイはポップの手をとって立ちあがらせた。
「どこまでも行けるかな」
「行けるよ! ふたりいれば、オレ達はどこへで行けるさ。春には春の、夏には夏の花を追って巡る季節をどこまでも。さあ、行こう」
部屋には菜の花の夢が咲いていた。
大魔道士はその中央で青白く横たわっている。
年老いた顔は幸せそうな笑みが浮かんでいる。
「そうして、あなたは、いつまで待っている……?」
私はその笑みを見つめてつぶやいた。
あなたにとって、勇者のいない時間は常に冬だったとでもいうのだろうか。
私は、あなたに何のなぐさめも与えられなかったのだろうか。
だんだんちいさくなってゆく少年の笑い声が聞こえる。
悲しい想いで私はそれを聞いた。
あなたの夢が叶う日がいつか来るだろうか。
あなたはいつかこの現実に戻ってくるだろうか?
私の目に映るのは、季節の花を追ってどこまでも永遠に駆けてゆく、ふたりの少年のシルエットだ。
< 終 >
>>>2001/3/12up