ふたりは村長の家に案内された。
旅館の一軒もないこの村では、旅人が来ると村長の家に泊める決まりらしかった。
村長の家はさすがに大きく、この村の中ではという意味ではあったが──つねに一部屋か二部屋は用意してあるようだった。しかし、後から吟遊詩人が着くかもしれないので、ダイとポップは一部屋をふたりで使うことになった。
「まったくもう、よくそこまで嘘八百を並べられるね。デリンジャーはオレの教育係、チェスタトンは王宮付きの料理長の名前じゃないか」
荷物を置いて旅装を解きながらダイが言った。
私は知らなかったが、ポップが咄嗟についた偽名は、まんざらまったくの創作でもなかったらしい。
ポップはちょっとあきれたように、
「本名言ってどーする。オレ達がここにいましたって、署名を残すよーなモンだぞ。いや、あの名前だって、調べりゃ今お前が言ったようなことがわかっちまうな……しまった。もっと別の名前にすりゃ良かったか」
「そりゃそうだけどさ。なんだか、やっぱり心苦しいよ。結局オレ達は、この村の人々を騙してることになるんだから」
「ダイ。お、お前、マジメだなー。ウソも方便って言葉知ってるか? 手段としてときには嘘も必要だってことさ。まあ、お前がそんなに気にすることはないよ。嘘ついたのオレだし。村人達にバレて吊るし上げくらっても、オレが守ってやるから」
「そ、そんなことはいいけど……」
ポップは大きく肩を落としたダイの背中をばんと叩いてカラカラ笑った。
どうも奇妙な気分だった。
私の知識では、大魔道士であるポップよりも、勇者であるダイの方が力が強いはずだった。
しかし、精神的な力関係はポップの方が上のようだ。
旅の始めからずっと見てきて、先導するのはいつもポップだったし、行く先を決めるのもポップだった。ダイははいはいと文句も言わずについてきて、この大人しい少年が本当に勇者なのかと私はいぶかった。伝説とは当てにならないものだ。
「まだ夜まで時間があるな。もえすこし村を探検してこようぜ。宿も決まったし、おそらく食事も出してくれるだろうけど、ちょっとその時間まで待てないよな。行こうぜ、ダイ。それともこの部屋で、夜が来るのをじっと待ってる方がいいか?」
「い、行くよ、ポップ。待ってよ!」
返事も待たずにポップがドアから出てゆくのを、見失わないようにダイはあわてて後を追った。
ポップが外に出たのは、どうやらおやつを食べるのだけが目的ではないようだった。
ポップはこの地歩絵の特産だというエメラルド・オレンジを買うときも、今夜の催しものの売り込みに余念がなかったし、早くも出ている舞台から、ラキ・ジュースを買って飲みながらぶらぶら歩いているだけでも、先刻の一幕を見ていた者たちが噂しあったり子供たちが嬌声をあげたりして、この上もない宣伝になっていたのだった。
しかもポップは来てくれた子供たちに配るんだ、と言っていきなりカゴいっぱいのキャンディや銀紙に包まれたクッキーを買った。持たされたのはもちろんダイだった。
こういうところは本当によく気のつく神経のこまかい男だと思う。
しかし後回しにされる連れの方は、あまりありがたくなさそうであった。
「おお、ここにおられましたか」
今夜の準備で忙しいらしい村長とふたりが広場でばったり会ったのは、偶然ではないかもしれない。
空はもうかなり紫色が濃くなっていて、そろそろ用意していたたいまつに、火を入れようかという時刻だった。
「ちょうどよかった。今夜の予定なのですが、おふたりにはあちらの壇の上で幻術をお願いできますか? まず私がこの場所で祭りの始まりを告げますから。みんな期待しておりますので、どうか楽しませてあげてください」
純朴な村長は嫌味でも皮肉でもなく彼の孫みたいな年齢のふたりに頭をさげた。
かえって若僧ふたりの方が狼狽したくらいだった。
年長者に頭を下げられて狼狽しても、しかし己れの実力には売るほどの自身があるポップは、どんと胸を叩いて請けあった。
「おまかせください。たいした魔法でもなく、ただの目眩ましの幻術ではありますが、祭りの成功のために、オレも友人も微力を尽くします」
※
広場の中央に巨大なかがり火が置かれ、提灯に火がともされると、楽の音がはじまった。
祭りのはじまりだ。
このちいさい村のどこに、と言いたくなるほど広場は大勢の人でごったがえし、麦酒の樽をあける音、その泡がしゅわしゅわはじける音、カチンとグラスを触れ合わせる音がそこここでして、ちょっとハメをはずした人々の笑い声とともに、なんとはなしに心を浮きたたせる祭り特有の雰囲気が、広場全体に広がっていった。
既に音楽にあわせて青年と少女たちは踊っていたし、焼きとうもろこしや焼肉の屋台にも人は群がっていたが、いちばん盛況で人気を博しているのは、なんといってもポップが幻術を見せている一画だった。
誰が用意したのか舞台のソデには『旅人デリンジャーの魅惑の幻術!』と書かれた、ふざけた立て看板まで置いてある。まあ邪魔にならない位置ではあったし、じっさい人々はポップの幻術に魅了されていたから、誇大広告というわけでもなかった。
そう、人々は魅了されていた。
観客のほとんどは年端もいかない、もっとも騒がしい時期であるはずの子供たちだったが、その子供たちからして、ひと声も発さずにポップのわざに見入っていた。
昼間見たときよりもいっそう、夜の闇と揺れるかがり火の下で見る方が、ポップが指先から生みだした半透明で燐光をはなっている不思議な生きものたちが、数段幻惑的に見えるのは当然だった。
しかし、それだけではないように見えた。
観客は誰も気づかなかったが、私には、私とダイには、その中にポップが呼び出した、本物の異界の生物がまじっているのがわかった。彼らはこの世では肉の体を持たないので、あのように妖しく美しく光って見えるのだ。
もちろん小手先の幻術が大部分を占めているのだが、通常の、何の魔法力も持たない人間が、本物の光の貴婦人──妖精を見る機会などあるだろうか!?
私は舞台に目を奪われながら、同時に観客席をも見て、たとえようもない悲しみに襲われた。
同じ人間だというのに、どうして一方はこれほどまでにすぐれ、片方は愚かなのか。
同じのもを見ていても、それがどんな存在かを知らなければ、その存在は人々にとって意味のないものになってしまう。価値ある宝石を、路傍の石と見還るうなものだ。
勇者がいなかったときの長い長い年月を、ポップがどのような想いで過ごしてきたか、私には察してあまりある。私も、幼い頃から人には見えないものが見え、それで神殿に預けられた。
そのおかげで大魔道士と知りあえたのだから、差し引きはゼロかもしれないが。
子供たちがわあっと声をあげた。
空からキャンディの雨が降ってきたのだ。
ぱらぱらと痛くはないが体に者があたる感覚と、それがお菓子と知って子供たちは現実に引き戻された。夢の時間は終わったのだ。おさらくポップは、このために昼間キャンディやクッキーを買っておいたのだと私は思った。
「今夜の演目はこれで終わりです。でも、まだ明日もあさってもやりますから、ついでにまだ見てない人を誘って見に来てくださると嬉しいです。明日はこれ以上に、すごい幻術を見せることを約束しますから」
舞台中央に立って無造作に手をふりながらポップは言った。その顔には疲労の影もなかった。
ふつうこれだけのグッド・ピープルを招請すると、術者は魔法力を吸い取られてへなへなになってしまうものだが、さすがは大魔道士といったところだ。
観客たち……とくに大人はまだぼうっとしていて、すぐにはポップの言った言葉の意味も、理解できなかったようだった。
子供たちはもっと簡単で、振ってきたキャンディをなめながら今の感想を言い合っていたり、もっと積極的な者たちは舞台から降りたポップの袖にまとわりついたりしていた。
もっとも、それは、まだ夢と現実の境界があいまいな年頃だからできたことなのかもしれない。
大人たちが正気に戻ったときには、ポップとダイの姿は消えていた。
まとわりつく子供たちからどうやってか逃げ切って、今は村長の家で遅い夕食をとっていた。
本当はポップはほかほかの屋台で夕飯をすませたかったのだと思うが、今夜はかなり派手なこともしてしまったし、いつまで続くかわからない長い旅のために、路銀を節約することに決めたらしかった。
村長夫人にあいさつをして、早々にふたりは部屋へひきとった。
村長はまだ色々と用事があるらしく、家へ変えるのは真夜中になりそうだった。
吟遊詩人もまだ着いていなかった。
「……あれじゃ名前を変えていても、オレ達だってわかっちゃうんじゃない? せっかく正体がバレないように、魔法も使わないようにしてここまで来たのに。あんまり心配かけさせないでよ」
ベッドシーツをはたきながらダイが言った。
「いいじゃん、バレたらバレたときで。責任はオレが取るって言ってるだろ?」
「……ポップ、なんだか楽しんでない?」
「なにを楽しんでるって? それよかダイ、こっち向いてくれよ。困っているダイって可愛いなあ♪」
「やっぱりわざとやってるんじゃないか」
ジト目でにらむダイをポップは恐れ気もなく正面から見返して、
「そうだよ。このさいオレには、お前に思いっきり心配をかけてもいい権利があると思うんだよ。どだ? 反論できるなら言ってみろ」
にやにや笑いながらポップは言った。
ダイはため息をついて降参するように両手をあげた。
「……無い。確かにオレは、今までポップに心配をかけどおしだったからね。だからって、オレを困らせて遊ぶなんて、ちょっと意地が悪いよ、ポップ」
「ちょっとじゃない、かなり、だろう。ダイ」
ポップは自分より小柄なダイに、寄りかかるように体をもたせかけた。
「お前だからだよ。オレがこんなふうにワガママを言えるのはダイだけだから、もっと困って、もっと心配してくれよ。オレは甘ったれなんだ。知ってるだろう、ダイ」
「……うん」
ダイはポップの肩に手をまわしてうなずいた。
私もうなずいた。
ポップが相当の甘えんぼうだということは、長いつきあいの中で私はうすうす感じていた。
私にはポップは甘えてくれなかったし、その素振りさえも見せてはくれなかったが。
「うん、わかってるよ。だから安心しておやすみ、ポップ。これからはオレがずっといるから」
ポップをベッドに横にならせて、寝ついたのを確認してからダイは隣にもぐりこんだ。
ダイはなかなか目を閉じずに、じっとポップの寝顔を見ていた。
私にはよくわからなくなった。
どちらが庇護者で面倒をみていて甘ったれてて手をかけさせているのか。
とても奇妙で危うい関係だと思ったが、少しうらやましくもあった。
私には、ポップにとってのダイのような、なにもかもを委ねて許しあえるような存在はいない。
私は、幼い頃の私には、ポップがそのような存在だと思っていた。
だがポップにはそうではなかったのだ。
それは歳の差であったかもしれないし、実力の差であったかもしれない。
私の魔法力は、いくら強いといっても大魔道士の足もとにも及ぶものではなかったからだ。
私はそっと目を閉じる。
そして夜があけて、彼らが目を覚ますまで、私もひとときの休息を取ることにした。
>>>2001/3/8up