薫紫亭別館


back 王様top



「オレが迎えに来るのがわかってたの?」
「いいえ」
 ポップの問いにメルルは短く答えた。二人は仲良く並んで湖のほとりを歩いていた。
 メルルの家にはメルルの祖母ナバラも一緒に住んでいたのだが、頭まっしろになったポップがその事を綺麗に失念していたせいで、告白後、だからぽんとナバラが手を叩いて、
「ああ、そうそう。お隣に急ぎの届けものがあったのを忘れてたよ。ちょっと行ってくるね。ポップ君、何のお構いも出来なくて悪いけど、ゆっくりしていっとくれ。少し遅くなるかもしれない。いや、もしかしたら話が弾んで泊めて貰うかもしれないから、今夜は帰らないかもね。それじゃ!」
 と、立ち上がってその辺の物を適当に包んでそそくさと、だが嬉しそうに出て行こうとしたのを慌てて引き止め、代わりに二人で散策に行く事にしたのだった。
「占い師は、自分の事はわかりませんから……」
 確かに聞いた事がある。他人の事は百発百中の占い師でも、自分に関する占いはさっぱりだと。
「じゃあ、何故? ほったらかしていたオレが言うのも何だけど、四年はちょっと……長くない?」
 メルルはまたもいいえ、と小さく首を振って、
「私は重い女です。ポップさんが他の方を好きな事を知っていても、想いを告げずにはいられない女です。私にとって、四年という時間は長くありません。私のこんな重さを知ったら、きっと貴方は引いてしまう。だから、ポップさんが自発的に来てくれるまでは、ただ、待つだけにしようと……決めていました」
 指輪が入ったままの小箱を愛おしそうに撫でながらメルルは言った。
「オレが来ないかもしれない、とは思わなかった?」
「それは、考えましたが……私だって、目算が無かった訳じゃないんですよ」
 くすくすと、メルルは鈴を振るように笑った。
 そのちょっと珍しい悪戯めいた妖精のような笑顔に、ポップは目を奪われた。
「幻視、というのでしょうか。時折、仲がいいお二人、例えば恋人同士とか……その二人の上に今よりほんの少し、未来のお二人が被って見える事があるんです。あ、ちょっとだけ背が伸びてたり、髪型が変わってたりする事から、たぶん未来だろうなって思うんですけど」
「へえ」
 予知の一種だろうか。メルルの為す数々の不思議を目の当たりにしてきたポップには、そんな事もあるのだろうとすとんと納得した。言いにくそうにメルルは続けた。
「ダイさんとレオナ姫、アバン様とフローラ様の上にも見えましたよ。でも、ポップさんとマァムさんの上には……。もちろん見ようとして見えるものじゃありませんし、頻度も多くありませんから、たまたま見えなかっただけ、かとも思ってたんですけど……」
「あー……、うん、そうだろうね」
 自分は思いっ切りマァムに振られたから、自分とマァムの未来が見えなくて当然だ。
 ポップはつくづく、自分とマァムはそういう結びつきだったんだなあと思う。恋は成就しなかったけれど、マァムのおかげで自分はここまで成長出来たし、そうして成長した自分の隣にいるのは、ずっとそれを見守ってきてくれた、この黒髪の女の子なんだろう。
 随分と遠回りして、待たせてしまったけれど、メルルは信じていてくれたし、今は自分もそれに応えたいと思う。自然にそう思える。
「メルル。心の扉を解放するから、オレを読んでくれる?」
 四年もほったらかした上に突然のプロポーズが下心なく嘘偽りもない事を証明するには、自分の心を読んで貰うのが一番いい。ポップはメルルの手を取って、メルルを驚かさないようにゆっくりと、心の扉を開けた。
 メルルが扉からひょこっと顔を覗かせて、お邪魔します、とばかりに頭を下げてから入って来る。
 ちょっと小動物っぽい。イメージとしては、小鹿とかリス。
 遠慮気味に、様子を窺いながら入って来るのと、あの大きな黒目がちの目がそう連想させるのかもしれない。メルルが入ると同時に、メルルの心もこちらに流れ込んで来る。自分がすぐに乗り換えたとか思われるのが嫌だったように、メルルの方も、振られた所につけこんだと思われたくなくて二の足を踏んでいたらしい。自分達は根幹でどこかとても似ているのかもしれない。ポップとメルルは目線を合わせて、どちらからともなく微笑した。
 そーいや仲がいいって、もしかしてオレとダイの未来も? と思っていたら、その心を呼んだメルルが映像を送ってきた。ダイが一度テランに逃げ出して、戻って来てすぐの時だ。ポップもダイを追ってテランに行って、説得というか愚痴を聞いてやって、ダイを信じて置いてきた。照れながらダイが帰ってきて揉みくちゃにしている所に見えたらしい。服装からして、魔道士の塔でわいわいやっている頃だろうか。
 濡れ場じゃなくて良かった……! と、安堵した途端、メルルが堪え切れないように吹き出した。
「ご、ごめんなさいっ。で、でも、おかしくて……っ!」
 案外笑い上戸な所もあったらしい。肩を震わせて笑いを噛み殺しているメルルを見て、ポップは憮然としながらもこーいう一面もあったのかー……、と感心していた。メルルはまだ目に涙を浮かべて笑いをこらえていたが、すっと真顔になってポップと正面から向き合うと、
「私が好きになった時には、もうポップさんはダイさんとそういう関係でした。私が好きなポップさんは、もしかしたらダイさんがつくった部分が多大にあるのかもしれません。お二人の馴れ初めも成り行きも、今の私は知っていますし……その上で、ポップさんが私を選んでくれたのだから、こんなに嬉しい事はありません。私、きっと、お二人の邪魔にならないようにしますね」
「それは違うよ、メルル。ダイだって、はっきりオレよりレオナを取ると言った。オレもそうする。オレ、自分で言うのも何だけど結構気が多いしふらふらしてたけど、こう! と決めたら動かないから。メルル、指輪の小箱出して」
 ポップはメルルに渡した小箱をもう一度受け取って指輪を取り出すと、恭しくメルルの左手を取って、薬指に嵌めた。
「オレの手づくりだから、不格好だけど……」
 その分、想いは込めたから、とポップは続けた。エイクに取り寄せさせた貴石は黒に近い紫に、星の川が流れるように内部に光彩が散っている。護符としては最高の石で、滅多に採れない貴重なものだ。
 それに大魔道士の魔法力で、様々なギミックを仕込んだ。
 使い方は、説明せずともメルルが読み取ってくれるだろう。もちろん、そんな使い方をしなくてもいい様にポップが守るつもりだが。
「ちゃんとしたのは、後で二人で宝石商に買いに行こう。何がいいか、考えておいて」
「いいえ……これで、充分」
 メルルは幸せそうに左手の指輪にくちづけた。
 占い師であるメルルには、この指輪がどれだけ価値のある物か、金銭に変えられない物であるか、金銭的にもこの石ひとつでいずれ、ポップが治める事になるだろうこの小国のひとつくらい購えそうな高価な品である事がわかった。二人は湖に張り出して建てられている、今は廃墟と化した神殿で竜の神にお互いの愛を誓い、そわそわしながら待っているだろうナバラの元に戻る事にした。


 後日、大々的にテラン王はポップを後継者に指名した。
 そのニュースは一瞬にして世界各国を駆け巡り、驚かせると同時に、ああ、やっぱり……と、納まるべき所に納まった、というような感慨を、皆に抱かせたのだった。
「やるわね、テラン王。ポップ君とメルルをくっつけて夫婦ごと養子にするなんて」
「まだ夫婦じゃないよ」
 城の外で貰ってきた号外を読みながら感心したように呟くレオナにダイはむっとして言った。
「なーにスネてんのよ? 婚約済みよ、結婚秒読みよ? 親友が幸せになろうってんだから、素直に祝福してやんなきゃダメでしょー。何だったら先に式あげちゃう?」
「そういう問題じゃないの! もー。ポップは今までオレだけの物だったのに」
「それをスネてるって言うんじゃないの?」
 号外にはポップの二十歳の誕生日をもって、王権の移譲と、メルルとの婚姻の儀が行われると書いてあった。程なくして、パプニカにも正式な使者が遣わされるだろう。エイクがお得意様に品物を納品すると言った時、それがポップを指しているのはすぐにわかった。
 納得して応援して、うまくいくよう願っていた筈だったのに、いざ、そうなるとむくむくと嫉妬の念が沸き起こって来るのを止められない。レオナはそんなダイを見て、首に腕ひしぎ十字固めをかけながら、
「君だって同じ事やってきたでしょ。ポップ君も、内心複雑だったと思うわよー。それを思えば、ちょっとくらい胸が痛んでも仕方ないわよね。で・も! そんな態度、絶対式では見せちゃダメ! 多分呼ばれると思うから、それまでには心の整理つけとくのよ?」
「うー……、わかってるよー……」
 ばんばん、と床を叩いてギブアップしながらダイは答えた。
 ダイが心のもやもやに決着を着けている間、ポップの方はフル回転していた。
 まず、ベンガーナの王に暇乞いを願った。ポップがベンガーナに居を据えていたのはベンガーナ王の要請もあったからなのでそのお詫びと説明と、ついでに隣国になるよしみで友好条約も取り付けておいた。王もあの大告白劇の事は知っていて、思いがけず祝福してくれた。少々気恥かしい。
 紹介の為、メルルを連れてランカークスの実家に戻ると既にロン・ベルクから話が回っていたらしく、ジャンクに一発ふっ飛ばされた後、歓待して貰った。……なぜ殴られなければいけないのだろうか。
 何よりの騒動は、魔道士の塔の学生達が全員大挙してテランに押しかけてきた事だ。
 ポップはこれまでベンガーナで武器屋を営むという一種の隠遁生活を送っていたのだが、マスターがテラン王として現役復帰するなら皆でそっちへ引越しちまえ、という学生達のお軽い考えのせいで、パプニカと危うく国際問題になりかけた。強行突破したようだが。
 おかげで後始末に奔走させられた。諌めるべき塔主代理のスタンがノリノリだったのが悪い。
 カールに塔から派遣されていたオスカーとエドモスまで勝手に暇を取って、他の塔の学生達と一緒にテランの岩屋に住みついた。以後、ここは魔道士の塔ならぬ魔道士の谷、と呼ばれる事になる。
「お茶が入りましたよ、ポップさん。休憩にしませんか?」
「ああ。ありがとう、メルル」
 ポップはペンを置いた。既に現テラン王に代わり、決裁等はポップが行っている。
 ここも元は王の執務室で、ポップは政務を執る傍ら、自分達の式の席次表づくりや招待客のリストアップなども並行して行っていた。招待状はメルルに書いて貰った方がいいかな。メルルの方が字がうまいし。何せ人手不足も極まれりの小国なので、何もかもが手探りだ。
 んー。でも、雑用なんかはその内、魔道士の塔(だった)学生を何人か見繕って呼んでやらせるかな。どうもあいつらは、どうしてもオレにこき使われたいようだし。
「どうです? はかどってます?」
「うん。順調だよ」
 無邪気に聞いてくるメルルは自分も王妃になる事がわかっているのかいないのか、ポップが次の王になる、という事だけに注目してさすがはポップさん、としか思っていないようだ。心の扉は閉めているものの、鍵は常時開け放しにしてある。ふむ。とりあえず期待には応えないと。
 お茶をひと口すすりながらポップは思う。
 ちなみにダイの方の扉も施錠はしてないのだが、ダイはメルルより行動的で何かあると自分の口で問い質しに来るタイプなので、余り有効活用はされていない。しかしこれから先は自分達もそれぞれ立場が出来るので、その時は便利かもしれない。表舞台から退いて隠棲生活をするには、自分もまだ若過ぎるし。
 ちらり、と招待客のリストに目を走らせる。
 マトリフ師匠はそのまま拉致して、塔、じゃない谷か……の、顧問としてお目付役になって貰おうかな。マスターの師匠なんだから文句はないだろう。奴等もちったあ苦労しやがれ。
 魔術師エイクはベンガーナに残った。妻との思い出があるこの国を離れられないと。代わりに、何か起こったら知らせると、鏡の設置を頼んだ。ポップオリジナル・スペルの鏡を使った通信魔法も、エイクなら使いこなせるだろう。
 今現在行方不明の兄弟子もいるが、噂を聞き付ければ戻ってきてくれるだろうか?
 マァムは故郷のロモスの教会に、先の大戦で親を亡くした孤児を集め、面倒を見ているそうだ。彼女の慈愛は、やはり一人の異性に注がれるものではなかったらしい。
「………」
 ポップは自分の肩越しに書類を覗き込むメルルを横目で見た。さらりと髪が流れる。
 横っ面をひっぱたく勝利の女神はいないが、これからの自分の傍らにはいつもこの予知能力を持った神秘の少女がいて、自分が間違ったり道をそれた時には、哀しげに自分を見つめるだろう。彼女の顔を曇らせない為に、自分は立ち直り、正しく努力するだろう。
 ――こんな愛もあるんだなあ。
 希代の大魔道士と高名な占い師に治められた小国テランは、パプニカをも凌ぐ魔法大国となり、これまでにない最盛期を迎える。

<  終  >

>>>2010/08/24up


back 王様top

Copyright (C) Otokawa Ruriko All Right Reserved.