(あの男に仕えると決めたのは半分嫌がらせ気分だったが、結果的には良かったと思っている。実際にあの男は王だったし、テランにはメルル、あなたがいた。私は私を必要としてくれる主に仕えたい。私の話を聞き、参考にし、私もまた主の悩みを解決して自身の成長としたい)
レイフは丸い目を細めた。
(私の正式な主はあの男、という事になるが、あの男は自分の面倒は自分で見られる、だから王妃を守ってくれ、と言った。実質的にはあなたが私の主だ、メルル。私はここ数日、あの男を観察していたようにあなたの行動も見てきた。あなたは王妃と祭り上げられている割には、余り……)
重んじられてないように見える、とレイフは口を濁した。
確かにメルルは日頃使っている三部屋だけに引きこもって、ポップや大臣達がたむろっている表には出ない。王妃の顔が必要なイベントやパーティーなども殆どない。意見や助言を求められる事もない。
メルル自身はポップの世話と日々の家事に邁進していて、それで結構幸せなのだが、数多の王や領主に仕えたレイフから見れば、それらは下女や小間使いがやるべき仕事なのだろう。
「私はこれでいいの。私には政治の事はよくわからないし、口を出す気もないわ。ポップさんも私の性格をよく知ってて、私が返答に困るような話をしないだけなの。私は平凡な普通の女だから、これくらいが丁度いいのよ」
本心だったが、レイフは即座に否定した。
(あなたが平凡な筈がない。平凡で普通な女性は心話が使えたり、占いを的中させたりしない)
「いいえ、私は普通よ。普通がいいの。私は寝起きの悪いあの人を起こし、あの人の好き嫌いをなくす為に料理を工夫し、二人で使うエリアを掃除して磨き上げ、時には花を飾り、空いた時間にこうして趣味の刺繍をする……そんな生活に、占いも予知能力も必要ないわ。……ああでも、私がのんびり趣味に没頭出来るのは、王妃という身分があってこそ、かもしれないけど」
音を立てずにメルルは笑って、ちいさな幸福を噛み締めた。
レイフは妙に人間くさい仕草で頷いた。
(あなたは聡明な女性だ、メルル。その優れた能力を埋もらせるのは私にはもったいない気もするが……それがあなたの意思なら、尊重しよう)
「ありがとう、わかってくれて。普段はこんなだけど華やかな場所に出る事もたまにはあるから、その時はあなたも連れて行くから、楽しみにしててね。レイフ」
メルルはせっかく王妃の鳥となったのに、注目を浴びる事の少ない知恵の番人に礼を言いつつフォローを入れた。さりげなくレイフは話題を変え、その後は穏やかに時間が過ぎていった。
そろそろお昼にしようか、でもまだ刺繍の区切りがついてないし……とメルルが迷っていた時だった。
メルルは誰かの叫びを聞いた。助けを求めている。
(庭だ、メルル!)
レイフが先に窓から飛び立っていった。メルルも針と布を放り出して追いかけた。
国務大臣が手を入れて、少しずつ形が整ってきた庭園の、ごく外れに声の主が茂みに隠れて倒れていた。
猫だった。青みを帯びた黒猫。
(サフィーヤだ!)
レイフはその猫の事を知っていたらしい。追いついてきたメルルに詳細を話す。
(蒼猫サフィーヤ。その美しい蒼い毛並みに魅せられた有力者達が、何人もの狩人を雇い彼女を生け捕りにしようとしたが、彼女は決して捕まらなかった。彼女を狙った矢はことごとく逸れ、罠は発動しなかった。たまに裕福な商人や豪族の家で彼女を見掛ける事もあったが、それは彼女から選んで、望んで世話をされていたのだった。彼女は常に賓客として遇されていた……私が封印されている間に、一体何が……)
メルルは膝をつき、浅く早い呼吸を繰り返す蒼猫の体に手を当て、回復呪文を唱えた。
しかし猫の様子は変わらなかった。
(回復呪文では駄目だ、メルル。あの男を呼べ)
レイフが指示する。
(不足しているのは体力ではなく魔法力だ。私達魔法の生き物は、体の中に血が流れているのと同じように魔法力が流れているのだ。あの男も常に魔法力を帯びている。だから私達があの男に触れると、感電したかのように魔法力が流れ込んでくるのだ。私はそれで助かった。サフィーヤを助けたいと思ってくれるなら、あの男を呼んでくれ)
レイフの言葉にメルルは手の指を組み、ポップを呼んだ。
ポップさん……!
ポップはすぐに現れた。必死な表情のメルルにどうした? と聞く。
「お願い、ポップさん。この子の手を握ってあげて。それだけでいいの」
ポップは言う通りにした。手、ならぬ前脚を握る。
反応は顕著だった。
ぼさぼさの毛並みが艶やかに青光りし、濡れているかに見えるほど滑らかになった。呼吸は正常な速さを取り戻した。蒼猫はこれも美しい淡いブルーの目をぱちりと開け、自分に何が起こったのか、まだ理解していないように見える。
「……? よくわかんないけど、これでいいのか? メルル」
ポップも猫の変化には驚いたようだが、まず先にメルルの了解を得た。
メルルは何も言えずにポップの首に抱きついた。夫が誇らしくてたまらなかった。
「うわっ、どーしたんだメルル。嬉しいけど」
にへらっと顔を崩したポップにレイフが聞いた。
(王よ。彼女をこの城に置いて貰って良いか?)
「何だよ、レイフの友達? ああいいよ。お前の友達ならその猫も何かの能力を持ってるんだろうし、協力してメルルを守ってやってくれ。名前は?」
これは蒼猫に向かって問い掛けた。
蒼猫は茫然としたまま答えた。
(……サフィーヤ)
「OK、サフィーヤ。よろしく頼む。ちょ、メルル、くっついてくれるのは嬉しいんだけど、ダイを山頂付近のガレ場にほっぽって来ちゃったから、ダイが怒ってる。早く戻って来いって。話は戻ってから聞くから一旦離れて」
ぽんぽんとポップがメルルの背中を叩き、メルルは仕方なくポップから離れた。
ポップは機嫌を取るようにメルルの額に口づけ、
「ほんっとゴメン! 帰ったら絶対埋め合わせするから!」
戻って来た時と同じように、ポップはすぐにルーラでメルル達の前から消えた。
(……アレあんたの旦那?)
意外とはすっぱな物言いでサフィーヤはメルルに話し掛けた。
「ええ」
メルルはやはり声に出して答えた。
(助けて貰っといて何だけど、ちょっと気が利かないんじゃない? あんたの旦那。こんなに若くて美人の奥さんに抱きつかれて、何か他の用があるからって放っていくなんて、信じられない。聞いてた感じダイっていうのはあの男の友人らしいわね。うわー嫌だわー。いるのよね、奥さんより男の友情を取る奴って)
「サフィーヤったら」
少し残念に思ったのは事実だが。
「私はいいのよ。ポップさんの冒険についていっても足手纏いになるだけだし。私は自由なあの人が好きなの。家の中に閉じ込めておいたら魅力が半減するだけだわ」
(それにしたって。……て、いうかあんた達、何者!?)
今更ながら、サフィーヤはメルルとポップの正体が気になったようだ。レイフが二人はこの国の王と王妃で、強力な大魔道士と占い師だと告げ、ついでにダイの素性の説明もした。サフィーヤはふうん、と今度はレイフに青い視線を向け、
(久しぶりね、レイフ。こんな所で旧い知り合いに会えるなんて思わなかったわ)
(こちらこそだ、サフィーヤ。見たところ随分と衰弱していたようだが、どうしたのかね)
レイフはメルルの肩の上から懐かしい顔に事情を尋ねた。
サフィーヤは僅かに身震いして、
(ああ、ひどい目にあったわ。あんたも知ってるでしょ、レイフ? 人間達は大魔王バーンとの大戦の後、モンスター達をあるひとつの島へ押し込めてしまったの。それまでもバーンのせいで世界のバランスは狂っていたけど、あれで決定的になってしまったわ。世界から魔法が消えてゆくのよ)
「………っ」
メルルは思いがけない事を言われて息を呑んだ。
(人間よりもっと魔法に近いモンスター達がいなくなって、私達、半化生の生き物にも生きにくい世の中になったわ。自分を半化生たらしめているだけの魔法力が確保出来なくて、私はもうほとんど普通の猫に戻ってしまったわ。自慢の毛並みはボロボロだし、情けないったらありゃしない)
その場でサフィーヤは一回転して、元の艶を取り戻した体を確かめた。
(それでも私は魔法の気配を求めて、何とかここに辿り着いたのよ。あんたも、だからここに仕えてるんじゃないの? レイフ。どうもこの国は、あの王様のおかげで他の国より遥かに魔法が濃いみたいだし)
「あの……ごめんなさい。私達、その……」
メルルは我が事のように詫びた。
デルムリン島をモンスター達の島にするのは、ポップもメルルも賛成した事だった。
(知ってるわよ。大魔道士ポップ。大魔王を倒した英雄の一人よ)
サフィーヤは大きめの耳をピン、と立てて、
(テランの王様になってたのは知らなかったけど。勇者も大魔道士も恨んじゃいないわよ、私は。どちらにせよ大魔王を倒さないと地上は壊滅してたんだし、そうなってたら魔法の気配どころの話じゃないわ。感謝してるのよ、これでも。後の処理がちょっと問題だっただけで)
そう言ってくれてもメルルの気持ちは晴れなかった。
自分にはサフィーヤを助けられなかった。ポップがいないと、間に合わなかった。
レイフはそんなメルルの心情を汲み取って寄り添った。
サフィーヤは落ち込むメルルを見上げ、
(この国には多分、これから私やレイフみたいな魔法の生き物達が沢山やってくるわ。私は息も絶え絶えだったけど、何とか自力で辿り着けた。でも中には、そう出来ない者も多いと思うの。だから、メルル)
ちょい、と前脚でメルルの爪先をつついた。
(どうか彼等の声を聞いてあげて。耳を傾けていて。あなたにはその為の耳が備わっている。あの王様も耳は持っているようだけど……あんなに騒がしい性格してちゃ、声が届きそうにないわね。彼等の声は小さいから……だからメルル、あなたが聞いていて。そして助けて)
「約束するわ」
誓約して、メルルはサフィーヤを抱き上げた。
< 終 >
>>>2011/11/25up