エンディミオン
彼女は母親似で、その偉大な父に似ている所は綺麗な紫色の瞳だけだと言う。
だが、その父も彼女の隣に立っている母親と同じく黒髪だったと聞くから、正しくは顔立ちが母親に似ている、という事なのだろう。
パプニカの王子、レオンは、自分の12歳の慶事に訪れたテランの王女に目を奪われた。
彼女の名はクロエ姫。
先代のテラン王であった大魔道士ポップの、ただ一人の忘れ形見である。
「――結婚してください」
レオンは無意識に彼女の前でひざまづいて求婚した。
紹介されてから五分と経っていなかった。12歳の少年が、自分より年下の10歳の少女のドレスを手にして行った告白劇は、端からはとても微笑ましい光景だったかもしれないが、その和やかな空気は、当事者であるクロエ姫によって破られた。
「ごめんなさい。貴方、私の趣味じゃないの」
母、パプニカ女王レオナの爆笑と共に、レオンの初恋は終わりを告げた。
「かっわいそー、お兄ちゃん」
けらけらと笑う容赦のないイキモノは、レオンの年子の妹、ディーナだ。
自分の部屋は入室禁止にしているくせに、逆にディーナは平気で兄の部屋に入ってきては、お菓子などを食い散らかして帰ってゆく。妹とは傍若無人な生物だ。
「うるさいディーナ」
長椅子の上で身を縮めて、レオンはクッションをディーナに投げつけた。当たらなかったが。
「慰めてあげてんのに。私、出席させて貰えなかったから見てないんだけど、クロエ姫は結局、お兄ちゃんの顔が好みでなかった……という事でいいのよね? だって会ってすぐの話だし、お兄ちゃんの性格とか、全然知らないでお断りされたんだものね?」
でも、お兄ちゃんもクロエ姫の外見だけでプロポーズしたんだろうから、おあいこかもねーと、ディーナは更にグサグサするセリフを繰り出す。あの母とこの妹に挟まれて、レオンはちょっと女性恐怖症気味だ。
唯一親近感を覚える父、ダイは、振り回されるのが大好きらしく、喜々として二人の尻に敷かれている。
……勇者としてそれでいいのか、父よ。息子としてレオンは心配になる。
「イイ男だと思うんだけどねーお兄ちゃん。私も金髪が良かったな。サラッサラだし」
レオンに顔を近づけて、髪をいじりながら羨ましそうにディーナは言った。
レオンは母に似ている。金髪と、茶色の目だ。
ディーナは父、ダイに似て、黒いくせのある猫っ毛と毎朝苦闘している。ただ中身はその反対で、レオンはダイ似、ディーナがレオナ似ともっぱらの評判だ。
「……黒髪も悪くないぞ」
そう思えたのは、やはり一瞬にして振られた、テランの王女のおかげだろう。
レオンはパーティーの様子を思い返した。
今日は、レオンの誕生日だった。もうずっと前から、12歳の誕生日には諸外国にレオンをお披露目すると決められていて、母である女王レオナはあちこちに招待状を出していた。
次代のパプニカ王としての面通しはもちろん、反面、お嫁さん選びの意味あいもある。
父と母の時代は大戦があって適齢期も伸びていたようだが、王族たるもの、生まれた時から婚約者がいて、11や12、遅くとも15歳くらいで結婚させられるのは珍しくない。
だが、レオンには決まった相手がいなかった。
恐ろしくリベラルなレオンの母は、まだ海のものとも山のものともつかぬ勇者の卵だった父を見出して、自由恋愛でくっついた。後から父が亡国のアルキードの王子だと知れたが、母は父が一般の出でも気にしなかったろう。だからレオンにも、選択肢を与えてくれたのかもしれない。
ちなみにディーナが出席を許されなかったのはただ単に年齢の問題で、ディーナも12歳になった暁には、同じように婿選びの祝宴が行われるだろう。ディーナより幼いクロエ姫が出席していたのは、招待客だったからなのだろう。テランの王女。水と緑しかない小国の。
彼女は特別だった。空気が違う。
これでも大国パプニカの王子、レオンの周りにはいつも沢山の女の子がいた。
が、母と妹の相手だけでおなか一杯だったレオンは、綺麗にその子達をスルーしていた。
だから今日も、本当は気が重かったのだ。ご馳走だけは部屋に同じものを運ばれたディーナが羨ましかった。まさか自分が、吸い寄せられるように目を奪われて、その場で求婚するとは思わなかった。お断りされたんだけど。うん。
「はー……」
大きく息を吐いて、長椅子のアームに顔を埋める。
彼女はおよそ宴にはふさわしくない黒いドレスを着ていて、ただ襟と袖にあしらわれたレースだけが純白だった。長い黒髪を背中に流して、飾りといえばこれも一本の白いリボンのみ。彼女の指にはまだ大きいと思われる指輪を、一番太い親指に嵌めている。
指輪には星が散っているような黒い貴石が埋められている。
とても硬質で冷たくて、彼女はその指に嵌めた宝石と同じように美しい。
彼女の隣には、彼女が成人するまでの仮の女王として即位したメルル妃がいて、メルル妃の夫で父の親友だった大魔道士について、父と母は旧交を温めている。その時紹介されたのだが、レオンは半分も聞いていなかった。
「でもその子、一人娘なんでしょ?」
ディーナの声が回想をさえぎった。
「だったらお兄ちゃんがお嫁にくださいって言ったって、くれる訳ないじゃない。テランの女王様になるんだから。お母さんも変なの。今回のパーティーがお兄ちゃんのお嫁さん選びって事くらい、自分で主催したんだからわかりきってる筈なのに」
「いやそれが、呼んだのは父さんの方らしいんだ」
レオンは顔を上げた。ディーナがレオンの隣に座った。
「知り合いだったらしいものね、メルル妃とは。……でも、大魔道士様が亡くなってから、ほとんど交流が無くなったって聞いたわ。それは、国交レベルでは付き合ってるらしいけど」
「父さんは、それまで通り付き合っていきたかったみたいだけど……向こうが拒否したって。今回はオレのお披露目って事で、丁度いい節目だから、どうしても……という事で来て貰ったみたい。父さん、もしかして、メルル妃のこと好きだったのかな……オレがクロエ姫に求婚した時、断られたけど、さすがはオレの息子、見る目があるって喜んでたもの」
「まさか!」
ディーナが即座に否定した。
「お父さんに限って、絶対にそんな事ないわよ。未だにらぶらぶなんだから」
その通りだ。レオンも頷いた。
父はほとんど政務には口を出さず、色々とプレッシャーやストレスのかかる事が多い母、女王レオナを、精神的に支える事だけに専念している。スケールの大きいヒモのようだと陰口を叩かれる事もあるが、面と向かって唱える者は誰もいない。
というのも、母の八つ当たりっぷりが半端ないからで……母の相手が出来るのは、この世広しといえども勇者で竜の騎士である父しかいない。笑っていなせるあの器の大きさこそ、女王の夫してふさわしい。
だけど。
「大人しくて、優しそうな方だったよ、メルル妃は。……母さんとは正反対のタイプ、かな。父さんは確かに母さんを好きなんだろうけど、やっぱりさ、疲れる事もあるんじゃないかと思うんだ。そんな時、ああいう控えめな方が側にいたら、惹かれる事もあるんじゃないかな……」
「冗談言わないでよ、レオン!」
頬に熱が走った。ディーナにひっぱたかれたのだと理解するまでに、ちょっと時間がかかった。
「そんなの、それじゃ、お母さんが可哀相過ぎるじゃない。結婚して何年経ってると思ってるのよ!? 婚約してからなら、もっとよ!? その間、ずーっとお父さんはお母さんを裏切り続けてたってワケ!? そんなのひど過ぎる。私、絶対お父さんを許さないわ」
「待て待て、飛躍し過ぎ! 少し落ちつけ」
確証もないのに決めつけて、ディーナはだあだあ涙を流している。
ちょっと先走り過ぎたかな……、と反省しながらレオンは妹をなだめ続けた。頭に手を置いてよしよしと撫でる。彼女と同じ黒い髪。でもディーナの髪はところどころ明るい箇所もあって、彼女の髪はまさに漆黒だ。夜を切り取って人の形にしたら、きっと彼女のようになるだろう。
クロエ姫。とても落ち着いて見えた。自分より年下とは思えないくらいに。
「……何か別のこと考えているわね、レオン」
今度は頬を引っ張ってつねられた。妹といえど女、そういう機微には敏感だ。
「うん……彼女のこと」
すぐに認めた。へたに言い訳するより話が早い。
ディーナが持っていたハンカチで顔を拭いて、身なりを整えてからレオンは話し始めた。
「趣味じゃないって断られたんだけど、彼女の理想って、やっぱり父親……だろうなあ」
レオンは長椅子の上で足を組んだ。
「父さん……勇者の親友で、大魔道士で、テランの王。父さんはアルキードの王子だったけど、彼は本当に庶民の出で、才能だけでそこまで上り詰めたんだって。元々は他国の出身で、時の王様がテラン出身のメルル妃と見合わせて、後継者に指名したんだって言われてる。テランが小国だから出来た事なんだろうけど、普通、そこまでされないよね」
偉大な父ならレオンにもいる。それはもう、コンプレックスになるくらい。
「大戦の時、禁止されていた威力の強い呪文を使い過ぎたせいで、寿命が縮んで早く亡くなったんだって。テランの王様だったのは、実質五年くらい……かな? それでも大勢の弟子と一緒に、魔法で国力を持ち直し、過疎化一方だった人口もプラスに転化した。テランに根を下ろす人が増えたんだろうね」
「聞いた事あるわ。そのお弟子さん達って、パプニカにあった魔道士の塔の人達でしょ。大魔道士様がテランの王に決まった時、塔を放棄してついてっちゃったのよね」
「塔を開いたのも彼らしいから、恨むには当たらないよ。……しかし、聞けば聞くほど凄過ぎる。成した偉業の数が多過ぎて、どうやっても敵う気がしない。オレなんか父さんの息子だっていうのに、剣の才能とかからっきしだし、かといって母さんの賢者の方の才能も、あんまり……」
「王子、って事しかとりえがないものね。可哀相ね、レオン」
哀れみを込めた目でディーナは言った。全くフォローになっていない。
改めてレオンは溜め息をついた。
「そうなんだよなあ……こんな男、王子でもなきゃ相手して貰えないよなあ。あちらだって、小なりとはいえ一国の姫、立場は対等だし、それに……」
亡くなった父親が相手だなんて、心の中で美化されまくって、太刀打ち出来ないに決まってる。
大魔道士様がご存命なら、まだ彼を超えようと、努力する事も出来ただろうに。
余りの落ち込みっぷりに、ディーナがどんとレオンの背を叩いて励ました。
おかげでちょっと前向きになれた。
「一回振られたくらいで、何よ! 女は押しに弱いのよ。私なら、断っても断っても、何度でも求婚してくれる人にほだされる事もあるかもしれないわ。……益々キライになるかもしれないけど。クロエ姫がどっちのタイプかわからないけど、まだレオンのいい所もわかって貰えてないんだし、本気なら努力しなさいよ。レオンは私の、自慢のお兄ちゃんなんだから」
>>>2011/5/20up