まだ目の奥が眩しい。
レオンはくらくらする頭を両手で抑えながら、まだ寝転がったまま聞いた。
「後悔、しているのですか」
「……してない、って言ったら嘘になるな。クロエちゃんに生きてて欲しいって願うのは、完全にオレの我儘だし。もちろんメルルの希望でもあるけど、オレが父親でなけりゃ、多分諦めてただろうし」
彼女がおなかにいた時から、大魔道士様はメルル妃に回復呪文をかけていた。
それでも彼女は死産だった。
「ダイにそりゃ親のエゴだって言ったけど、本当にエゴだったのはオレだ。でもオレはクロエちゃんの意志を無視しても、どんな犠牲を払ってでも、クロエちゃんを死なせたくなかったんだ」
それが例え命でも。
――全部、クロエちゃんに。
「何でお前が泣くんだ、レオン」
「大魔道士様が、泣かない……からです」
頭を押さえていた手を移動させて涙を隠しながらレオンは言った。
レオンはポップの心情をつぶさに見てきた。記憶の中で、自分は大魔道士様だった。
白い雲の原。そこに降り立った時、大魔道士様が経験した全ての情動がレオンにオーバーラップして流れ込んで来た。その中にはあの男の子もいた。湖で泣いていたあの子。大魔道士様に手を振って、光の柱へと元気に歩いてゆくあの子に大魔道士様は彼女を見ていた。
本来なら彼女もあれが自然な姿だった。
なのにそれを歪めてしまった事に大魔道士様は苦しんでいる。
「……竜の騎士の血と、神の涙。本当はそれくらいのチートがないと人が生き返るなんて不可能なんだ。人が人を蘇らせるなんて傲慢だ。思い上がりだ。大魔道士なんて持ち上げられていてもこんなモンだ。多分、その辺りが人間の限界で、それを超えようとした者には罰が下されるんだろう」
「罰……?」
聞き逃せない。大魔道士様は僅かにしまった、という顔をして、
「お前もう帰れ、レオン。オレと違ってお前は生身だろう。あんまり長く離れていると身体能力に支障が出るぞ」
「嫌です。どういう事か説明してくれるまで、ここにいます」
うわウゼー的な表情をされてももう誤魔化されない。
大魔道士様は台風の目みたいなもので、どれだけ周りを振り回そうと自分だけは影響を受けない。
そうはさせるか。レオンは上体を起こして畳み掛けた。
「貴方には聞きたい事が沢山あるんです、大魔道士様。罰とは何ですか。どうしてオレに指輪を捨てさせたりしたんですか。そんな事をさせずとも、恐らく貴方はいつでもここに来られるんでしょう。普段は眠っていたとしても有事には彼女の意思に関係なく起きて来られる様だし、それなら、指輪から離れる事も出来るんでしょう?」
「来られるのはここだけだよ。そこまで自由じゃない」
そっけなく大魔道士様は答えた。魂だけであちこち出歩いたりは出来ない、らしい。
「なら、それはそれでいいです。では罰と、指輪を捨てさせた理由についてお願いします」
じいいっと大魔道士様がレオンを凝視した。
何ですか、とレオンはつい聞いてしまった。
「……いや、成長したなあと思って。泥ダンゴを食わされ、重要書類に落書きしたのを自分のせいにされ、妹にありとあらゆるイタズラの罪をなすり付けられてきたちょっとかなり情けないあの兄が、このオレ様に向かって糾弾出来るくらい大きくなったのかと思うと……」
「はあ!?」
な、何故そんな事を知っている。ぺらぺらと己の黒歴史をまくし立てられてレオンは狼狽した。
更に大魔道士様は調子に乗って、
「過去が流れ込んだのが自分だけだと思うなよ、レオン。オレにもお前の記憶が見えてたんだよ。今でこそマシになったが、ちょい数年前まで王子と王女、逆だったら良かったのに……とか言われてたらしいな。ディーナ姫の性格はどうやらレオナ似っぽいし、為政者としては、あっちを選びたくなる気持ちはわからんでもない」
そういう事か。
多少恥ずかしいが、レオンもポップの過去を見たのでおあいこだろう。
「どうせオレは出来損ないの王子ですよ」
剣も使えないし、魔法の才能だって大したことないし……とレオンはいじいじと下を向いた。
「まあそう卑屈になるなよ、レオン。妹の罪を全部ひっ被ってやるなんて、いいお兄ちゃんしてるじゃないか。それにお前らが平凡に生まれついたのは、ある意味オレらのせいでもあるし」
「え?」
思わず仰向いたレオンに大魔道士様は、
「クロエちゃんだって才能ないだろ? いや頭はいいらしいけど、魔法とか予知とか占いとか、そーいう能力。それは、オレ達が普通で平凡な人々が普通に平穏に暮らせるように、と願った結果なんだ。そんな世界を招来する為に、オレ達は戦ったんだから」
レオンもディーナも力だとか素早さだとか、特に突出した所もない普通の子供みたいだとダイから聞いた時は、ああこれで平和な未来が約束されたと一緒に喜び合ったモンだ、と大魔道士様は笑った。竜の騎士は世の中が乱れた時にしか現れない。
大魔道士様はぽん、と座っているレオンの頭に手を置き、
「ダイはイレギュラーだったが、まだ不穏な世界が続くなら、お前にもその力が強く顕れていた筈なんだ、レオン。そうならなかったという事は、時代がそんな強大な力は必要ない、と判断したという事なんだろう。目に見える形で自分達の努力が報われたって感じかなー。だから、あんま気にすンなよ」
「………」
撫で撫でされた。完全に子供扱いだ。
と、危ない危ない。レオンは激しく首を振った。
「話を逸らさないでください。まだ質問に答えて貰っていません」
その舌打ちは何なんですか大魔道士様。
「結構しつこいな、レオン。そーいう、一度気になったら引かないトコロ、ダイに似てるよ」
大魔道士様は遠い目をした。
パプニカでもよく言われていた事だけど、大魔道士様に指摘されるとああ、本当にそうなんだとすとんと胸に響く。きっと父と大魔道士様が親友だからだ。それ以上の。
「んじゃ、何で指輪を捨てさせたかっつーと……他に捨ててくれそうな奴がいなかった、からかな。タイミングもあるけど。だって大抵クロエちゃんが持ってるもんなー。遺言だし命令したし、そうしないとクロエちゃんの体調が悪くなるからってのもあるんだけど」
あ! それでもクロエちゃんの体が弱いのは、ギリギリまでオレの影響を受けないように力を絞ってるからで、そっからはみ出した部分はクロエちゃん自身の治癒力に任せてるだけで、サボってる訳じゃないかんな! そこんトコ誤解すんなよ! と子供みたいに大魔道士様は主張した。
確かに、いちいち可愛い人ではある。父や魔法使い達が甘やかしたくなる気持ちもわかる。
「だからその、捨てる意味がわからないんですけど。もうこの際、何故オレに白羽の矢が立ったのかはどうでもいいです。何か大した理由じゃなさそうだし」
「いや聞けよ! お前はテランには珍しくオレの息のかかってない人間なんだよ! んでもって勇者の息子でパプニカの王子で、多少ミョーな事を仕出かしても大目に見てもらえる身分だろ。お前はオレの事をよく知らないし、だから指輪を捨てても騙されました、とか操られましたとか言っとけば、ああ、マスターがいたいけな子供を利用して、また何かやらかしたな……で済むし」
「事実じゃないですか」
レオンはわざと冷たく言った。大魔道士様は珍しく必死な様子で、
「そうだけどさ。テランには、クロエちゃんの味方がいないんだ。いや敵、ってワケでもないけど、義務で仕えてるだけで、忠誠を誓ってる訳じゃない。お嬢さんって呼ばれてる事からしてわかるだろ。クロエちゃんは頑張ってるけど、やっぱりオレの娘、というだけで、もしオレが明日からクロエちゃんの体を乗っ取って、ずーっとオレの姿のままでいても、多分止めない。どころか歓迎されちまう」
「………」
「お前はそんな中でただ一人、クロエちゃんの肩を持って、クロエちゃんの味方をしてくれる、貴重な相手だ。クロエちゃんがもう少し成長して、指輪が必要なくなるのを待つつもりだったけど、もうそう言ってもいられない。すぐに離れた方がいい。でないと、体より先にクロエちゃんの精神の方が参っちまう」
レオンは指輪を投げ捨てた彼女の姿を思い出した。
広間から出て行った彼女を追い掛けたのは母親であるメルル妃だけだった。宰相も大臣達も、どこか調子のとっ外れた事を言いながら拾った指輪をレオンに手渡した。その時は合理主義もここに極まれりと思っただけだったが、軽んじられている証拠でもあったか。
「……離れたいなら、命令すればいいでしょう。彼女もそう願ってましたし、元々はその予定だったんでしょうし、誰も反対する者はいませんよ」
レオンはため息をついて言った。
「それも考えた。が、結局クロエちゃんが体調を崩せば薬代わりに指輪を握らせるだろう、メルルは。オレはクロエちゃんの器官の一部として機能していたからな。離れる時も、本当なら少しずつ慣らす時間を増やして、リハビリ期間を設けたいんだ」
「話が矛盾してますよ。そこで何故、湖に指輪を捨てさせなきゃならないんですか。捨てたが最後、二度と浮かび上がってこれないじゃないですか。そうなったら薬代わりもリハビリも、ない……」
レオンははっとした。
――まさか、それが狙い、か?
「どうもオレは、クロエちゃんの重荷にしかなれないみたいだ。最初の選択が間違ってたんだから、その後どんなに修正したってうまく行く訳ないよなあ。クロエちゃんの気持ちも弟子達の意見も無視して突っ走って、結果がこれじゃ、何やってんだと馬鹿にされても仕方ないよな」
大魔道士様は独白するようにつぶやいた。
レオンは焦った。大魔道士様はもしや、全てを無に帰すつもりなのだろうか!?
い、いや待て。そんな事をして一体何の得になる。
ここまで永らえさせたのだ。
もうしばらくの辛抱なら、何とかそこまで保たせたいと願うのが心情だろう。
「そ、そんな事はありません。少なくともメルル妃は、大魔道士様に感謝していると思います」
慌ててレオンはフォローした。
授業をサボった時には叱るなど厳しい面もあったが、基本的にメルル妃は彼女に過保護で、真綿にくるむように大切にしていた。大魔道士様もそれだけが救いだな、とほろりと言って、良かった良かったとうなずいた。だが、表情は寂しげだった。
「大魔道士様、あなたは……」
何をしようとしているのですか。何が目的なのですか。
レオンはそう聞きたかったが、今のポップには質問を受け付けない雰囲気が漂っていた。
「もっと子供だった頃は笑ってくれたんだけどな、クロエちゃんも。もの心ついて年頃になると、男親なんて牛乳拭いた後の雑巾みたいに悪臭放つだけの存在なんだなあ。うわ落ち込む。良かれと思ってやったんだけどなあ、女の子って難しいよな」
くしゃくしゃと頭を掻き毟る、その手がぱた、と止まった。
ひたりとレオンを見据える。違う。視線はレオンを越えたもっと向こうを注視している。
レオンは振り返った。
黒いドレス。喪の色の服を着て、彼女が白い雲の上に立っていた。
「……姫! どうして、ここに……!?」
彼女はどこかうつろな顔をしていたが、レオンの問いに我に返ったらしく、不安そうに周りを見渡して、最後に大魔道士様の姿に目を止めた。無意識のように口が動く。
「……私、あなたを知っているわ」
それはもちろん、父親なのだ。
今は便宜的に彼女の母メルル妃が女王の座に就いているが、亡くなっていても大魔道士様は偉大なテランの前王であり、現在もその影響力は変わらない。テランの城にも、レオンの父ダイの部屋と同じく肖像画が飾られていて、民はいつでも詣でる事が出来るようになっている。
しかし彼女は、そういう意味で言ったのではないようだった。
「……ずっと不思議だったのよ。私はいつ、父様に会ったのかしら? 記憶の中の、優しく私を見守っている影は、あれはいつで、何処だったのかと。だって私には霊能なんて無いんだもの。子供の方がそういうものを見る力は強いらしいから、成長と共に、見えなくなったんだと思っていたけど……」
そういえば、最初にそういう話を聞いた事がある。
塔に案内する道すがらだった。半分透けて、子供心にもこの世の人じゃないとわかっていたけど怖くない、と言っていた。完全にレオンは忘れていたが、確かに矛盾した話だ。彼女自身にはそういった特殊な力や才能はなく、全ては大魔道士様からの借り物だからだ。
「――ここだったのね」
彼女は改めて辺りを一瞥して言った。
大魔道士様も静かに答えた。
「そう。ここだよ、クロエちゃん」
>>>2011/12/7up