「大丈夫か? レオン」
「大魔道士様……」
心配そうに大魔道士様が覗き込んでいる。
頭の中がぐらぐらする。どうも雲の上に寝かされているようだが、船酔いのような症状は治まらない。
レオンが何とか身を起こそうとすると、
「いいから寝てろ。……しっかしお前も無茶するなー。指輪なんかうっちゃっとけば良かったのに。てゆーか、むしろそれを狙ってお前に託したのに、見つけられたら世話がないよな。うん、いや、でも、よく見つけた。すまん、お前の事ちょっとナメてた」
大魔道士様はけらけら笑う。
多分、こっちが大魔道士の素なんだろう。陽気で明るくて悪戯好きで、歩く傍迷惑だけど人好きのする、憎めない性格。大魔道士様の説明では、自分は溺れて仮死状態、にあるらしい。
「あの、これ……」
レオンは原因となった指輪を大魔道士様に差し出した。鷹揚に大魔道士様は首を振って、
「まだ持ってろ。それのおかげで仮死、で済んでるんだからな」
何やらとても恐ろしげな事を言われた。
「ここは死後の世界の入り口、一歩手前って所だ。これ以上進むと戻れなくなるぞ。その指輪が今のオレの本体で、中身のオレがここにいるから引き合ってここでストップした、ってトコロだな。オレがここにいて良かったな」
はあ、とレオンは生返事をした。
そもそも大魔道士様が指輪を湖に捨てさせなければ溺れる事もなかったような、とは思うのだが、一応礼は言っておいた。目眩がするのは、頭の中に一気に流れ込んできた情報のせいだ。これも、その指輪のせいなのだろうか。
「んー、まあ……そうかもな。レオンお前、溺れる前に何かしなかったか?」
疑問を口に出す前に、大魔道士様が質問した。
レオンはそこまで気付かずに、
「えっと、ひいおばあちゃん……聖母竜マザードラゴンに、力を貸してくださいってお願いを……」
「ああそれでか。何でお前にオレの声が聞こえたのか実は不思議でしょうがなかったんだが、そういえばお前も竜の騎士、の血筋だもんな。すっかり忘れてた」
血筋がどう関係あるのか、とレオンがいぶかしんでいると、
「実は、オレにも竜の騎士の血が流れてるんだよ。数滴だけどな」
「えっ」
お前がまだ生まれる前の話だから知らないかもなー、と言いつつ大魔道士様は、
「オレ、一回死んで、『神の涙』のゴメちゃんと、ダイの親父さんの血で生き返ったんだよ。心も繋がってない、大して魔法力も高くないお前に何故オレの声が聞こえるのかと思ったら、そうかあ、竜の騎士の血のせいだったんだ」
うんうん、と大魔道士様は一人で頷いている。
「その薄い血を通してオレとお前はかろうじて繋がってた訳だが、お前がマザードラゴンに願ったから、繋がりが深くなったんだろう。細い清流が濁流になるみたいなモンだ。こっちはそれを知らないから、情報の取捨選択が出来ずに駄々漏れになっちまったんだな。……どこまで見たんだ、レオン?」
「あ……大魔道士様がクロエ姫に命を譲って、谷の魔法使い達に命令して、亡くなった所までです」
レオンは素直に白状した。
大魔道士様の最もデリケートでプライベートな部分を覗き見してしまった事による、後ろめたい気分が消えない。だけど、どうしてもその先を知りたい。レオンは思い切って聞いた。
「……それで、どうなったんですか」
「そううまくいってたら、こうしてお前と今ここで顔を合わせる事もなかったんだがな」
わかっている。大魔道士様は失敗したのだ。
それはテランの城の裏庭で、彼女の相手として及第点を貰った時から示唆されていた事だった。
「指輪に封印まではうまく行ったんだよ。オレと師匠と谷の魔法使い達まで巻き込んで、うまく行かない方がおかしい。ただ、その後が予想外だった」
目ェ閉じとけ、と大魔道士様は言った。イメージを送るから、と。
その通り、脳内にすっと映像が浮かんだ。
「あーあ。こんな姿になっちまいやがって」
マトリフ様が、指輪をつまみ上げてぼやいている。
すぐ前のベッドに、眠っている彼女と眠っているように見える大魔道士様が横たわっている。
魔道士の谷の面々が、さすがに沈痛な面持ちでその周りを取り巻いていた。
「何でえ何でえ、ンな辛気臭い顔するんじゃねえよ。ホレ、手に取ってみろ。うまくいけば奴の声が聞こえるぞ。まー、聞こえない奴の方が多いだろうが」
ひょい、とマトリフ様が投げた指輪を魔法使いの一人が慌てて受け止めた。
そういえばある程度強力な魔法使いなら、声が届くとか何とか言っていたような……受け止めた魔法使いはその力のある魔法使いだったらしく、マスターの声が聞こえた! と大騒ぎしている。それでオレにも貸せとかちょっと回せとか、順繰りに指輪が渡っていって、はしゃいだり落ち込んでたり、明暗くっきり分かれた感じで面白かった。まるで先生がつくった見本を皆で見回す、どこかの教室の授業風景の様だった。
でも、周りがそんなにざわざわしてたら、如何に眠りの深い二歳児でも起きようものだ。
彼女が目を覚ました。
きょと、と不思議そうに辺りを見回して、突然シーツに顔を突っ伏し、
――吐いた。
彼女は火がついたように泣き出した。
ちょっと尋常じゃない泣き方だった。転んだはずみにどこか折ったのか!? と焦るくらいの。
彼女はでも転んだ訳じゃない。ずっとベッドの上にいて、さっきまでぐっすり眠っていた。
「どうした、嬢ちゃん!? おいちょっと指輪寄越せ!」
マトリフ様は大魔道士様の魂が封印された指輪を取り返して、大魔道士様と話したらしい。
大魔道士様も混乱していたようで、
(クロエちゃんっ!? 何で、術は成功してるハズ……っ!)
「成功はしてる。してるが、……扱いかねてるのか? てめえの命を」
(だって、さっきまで、普通に……)
「寝てたからだ。意識がなかったから、自分の身に起こっている事がわからなかったんだ。こう言っちゃ何だがクロエの嬢ちゃんは、お前がいなきゃ半病人どころか半死人、だったからな。人より無駄に活力のあるお前の命をどうコントロールすればいいかわからないんだろう。ロバにしか乗った事のない奴に、いきなり暴れ馬の手綱をとれったって無理ってモンだ」
(ど、どうしよう。どうしたらいい、師匠?)
「オタオタすんな、てめえの娘だろうが! てめえが何とかしろ!」
マトリフ様は一喝し、彼女に指輪を握らせた。
大魔道士様は、――何とか、したらしい。次の瞬間、
「でっ!?」
今の今まで彼女がいた所に、大魔道士様が現れた。
大魔道士様の死体もその場にある。もの凄くシュールな光景だ。
「マスターが二人!?」
レオンにはもう見慣れた光景だった。大魔道士様は彼女の体を借りて顕現したのだ。
が、谷の魔法使い達は初めて見たらしく、恐らく大魔道士様も、変身したのは初めてだったのだろう。
自分と自分を見比べながら、途方に暮れている。すると。
「あちっ!」
大魔道士様が頭を抑えた。今度は何だ、と周囲が身構えた。
「いや大丈夫。ダイが心のドアをぶち破って、怒鳴りこんで来ただけだから。うあー怒ってる怒ってる、オレの異常に気づいてこっち来ようとルーラ使ったのはいいが、結界に弾かれて海へドボン、だそうだ。説明しろったって、オレもちょっとこの状況は」
「結界張ってるのは知ってたが、そんな小細工してたのか……」
マトリフ様が呆れている。魔法使い達も、心なしか白い目をしている。
「後から弁解しようと思ってたんだよ! 今回だけは、お前に反対されてもやめる訳には行かなかったし」
先手打たせて貰っただけだ、と珍しく焦った様子の大魔道士様は、どうやら父、勇者ダイと話をしているらしい。レオンには今ひとつわからないのだが、大魔道士様は父と、それからメルル妃とは元から話が通ずるらしく、さっきの幻視でもそれらしき事を言っていたような気がする。
だが、傍から見ているぶんにはただの派手な独り言である。
「えーと、落ち着いたら改めて話すから、今は大人しく黙って聞いてろ。何だって一体、こんな事になったんだ!?」
ようやく本題に戻った。大魔道士様は薄気味悪そうに自分の死体を突っついている。
「それは……クロエより、ポップさんの意識の方が強いからです」
ここにいない筈の人の声がした。
メルル妃だった。メルル妃は皆が目の前の現象に囚われている内に、この部屋までやって来たらしい。
呪文で眠らされていた筈だけど、きちんと身なりを整えている。
すい、と左右に割れた人波の中をゆっくり歩いてメルル妃は大魔道士様のいるベッドに近づいた。
「メルル」
「ごめんなさい、ポップさん。……私、気付かなくて」
しばらく大魔道士様とメルル妃は見つめ合っていた。多分、心の中で会話しているのだろう。
魔法使い達もそれは知っているらしく、皆、下手に口出しせずに無言で見守っている。
「メルル。みんなに理由を教えてあげて」
先に原因を知らされたらしい大魔道士様が促した。はい、とあくまで従順に返事をし、
「……人の体は案外と流動的なものなのです」
静かにメルル妃は話し始めた。
「魔法にも、モシャスとかアストロンとかドラゴラムとか、体を変化させるものがあるでしょう。魔法を使わずとも、人は暗示で火傷も出来るし、薬と偽って飲ませれば、小麦粉だって効く事があるのです。クロエとポップさんの場合は、その規模をもっと大きくしたようなものだと思います」
魔法使い達が顔を見合わせている。
メルル妃は構わず続けた。
「今のクロエの体には、元々ポップさんのものだった命が流れている。その影響もあるでしょう。元の持ち主がコントロールすれば、体の方がこちらの姿が正解だとして、ポップさんの姿形に整形してしまう……恐らく、これが真相だと」
「つまり乗っ取っちまった、てェ訳か。嬢ちゃんの意識の方はどうなってるんだ?」
マトリフ様が指摘した。さすが、的確だ。
メルル妃はベッドの上に座っている大魔道士様の手を取り、
「無事です。感じます。でも、とても……はかない。大きな渦に飲み込まれている枯れ葉のようです。自我は保っていると思いますが、ポップさんがコントロールを手放して、クロエの体に戻っても、きっとその間の事は覚えていないでしょう。枯れ葉は翻弄されるだけで、自分がどう渦に巻き込まれているのか、俯瞰する能力はありません」
沈黙が落ちた。その場にいた誰もが、メルル妃の言葉を考えていた。
大魔道士様も考えたのだろう。顔を上げて、メルル妃に問う。
「オレがクロエちゃんから離れたらどうなる? メルル」
「はっきりとは視えませんが……ポップさんのおかげで死の恐怖は去りました。ですが慣れる、というか、ポップさんの命がクロエの体に馴染むまで相当の苦労と苦痛があります。その時期をすぎれば、クロエは安泰と思います」
時期はわかる? と大魔道士様は聞いたが、そこまでは……、とメルル妃は首を振った。
大魔道士様はしばらく考えこんでいたが、やがてポン、と両手を打ち鳴らして、
「寝る」
と言った。
……は? と周りの魔法使い達は目を点にした。
「寝る。オレの姿になるのがオレの意識があるからなら、体をコントロールする部分だけ遺して、後は全て眠らせる。オレの影響が少なければ、クロエちゃんはクロエちゃんの姿のまま成長出来るだろう」
理想からはちょっとズレちまったけど仕方ないな、と大魔道士様は嘆息した。
すんなり大魔道士様の命を彼女が乗りこなして、指輪の中に大魔道士様の魂、というのが理想だったらしい。ま、修正が効くからいいか、と、大魔道士様は結構簡単に気を取り直したらしく、メルル妃にこれからはずっと彼女に指輪を持たせておくように、と言いつけている。指輪じゃ失くすかもしれないから、小さい内は鎖にでも通してペンダントにして、とか。
「出来……ますか? そんな事が」
魔法使いの一人が聞いた。
「出来る。寝てたって心臓は動いてるだろう? そういう事だ」
言い切って大魔道士様は次は魔法使い達、全員に向かい、
「後の事はお前らに任せる。出来るだけ、メルルとクロエちゃんを盛り立ててやってくれ。オレの事は禁呪の使い過ぎで死んだ、とでも言っとけ。くれぐれも、クロエちゃんに負い目を感じさせるような事は言うなよ。クロエちゃんが大きくなればオレはお役御免になって、普通の指輪に戻るから。そうすればお前らとも話が出来る。ちょっと回り道するだけだ」
指輪な時点で普通ではないが、もう大魔道士様なら何でも有りだ。
大魔道士様は表情を引き締め、
「だが、その日が来るまではクロエちゃんに敬意を表して、クロエちゃんの呼びかけにのみ、応える事にする。何かあったらクロエちゃんを通じて伝達してくれ。でも、出来るだけ起こすなよ。お前らなら、オレの助言なんかなくてもテランを治められるだろ?」
皆がはい、と声を揃えて了承するのを見届けて、大魔道士様は目を閉じた。
そのまま視界が暗転したのは、大魔道士様が眠りについたからなのだろう。
レオンは逆に、大魔道士様の記憶に引き摺られずに、自分を取り戻した時の光景を思い出していた。
どこまでも続く雲の平原。
宰相が見た、言っていた、ここがその場所だという事はすぐにわかった。
大魔道士様は一人、そこに立っていた。
そして泣いていた。
大魔道士様の視線の向こうに、幾筋もの光の柱が建っている。
多分クロエちゃんは、オレの所に生まれるよりもあそこにいた方が幸せになれる。
――呼び止めてごめん。引き戻してごめん。だけど、父様は……!!
胸の痛みに耐えられずに、レオンはポップから分離した。
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