竜物語
僕はディーノ。
パプニカ王国の第一王子だ。
だけど王宮には住んでいない。僕は、生まれてすぐにここの宮廷魔道士だったポップに預けられた。
ううん、自分から出ていったのだ。
僕は生まれたときから目が見えた。言葉もわかった。
でもしゃべることはできなかった。
僕の口は言葉を話せるようには出来ていなかったからだ。
僕は、ドラゴンだった。
もっとはっきり言ってしまうと、僕はかあさまのおなかにいるときからかあさまが僕に語りかけるのを理解していた。
私とダイ君の赤ちゃん、はやく出ておいで。
おかあさまが待ってますからね。かあさまもとおさまもあなたが生まれてくるのを待ってますからね。
その優しい声を聞きながら、僕も僕のおかあさまとはどんなに素敵な人だろう、とおさまとはどんな方だろう、と期待に胸ふくらませていたものだ。
月が満ちて、暗い道をとおって産みおとされたとき、だれかがきゃあ、と悲鳴をあげたのがわかった。
うるさいな。静かにしてよ。
ああこれがかあさま。僕の、かあさま。
僕はとても嬉しくてかあさまのほうへ行こうとするのだけど、産まれたばかりのせいか足がよく動かない。
僕を抱いて、かあさま。
自分ではまだ歩けないの。
「だれか! ダイ君を呼んで! おねがい、その子を近づけないで!」
とびらが勢いよくひらいて背の高い人物が入ってきた。
この方がとおさまかしら? さっきかあさまが呼んでたもの。
とおさま! 僕うまれたよ!
とおさまとかあさまの子なの! こっちへ来て、僕を抱きあげてよ。
「なんてことだ……ありうる話だったのに。ああ、大丈夫だよレオナ。しっかりして」
とおさまはかあさまの肩を抱いてる。どうしたの? 僕は?
気がつくと、まわりにいる人間の目がつめたい。
僕はようやくさとった。
僕は、まわりの人とかたちが違うのだ。
そのときはそこまで言葉にしたわけじゃなかったけど、僕のからだはまわりの人みたいな肌色じゃなく、緑がかったはがね色をしていて、硬いうろこが生えていた。
僕がこんなかたちだから、かあさまはあんなに取り乱して、僕を抱きしめてくれないのだ。
とても悲しくて、泣いてしまいたいのに、声が出ない。
ただ、声ともなんともつかぬ遠吠えのようなものがかすれるばかりだ。
「いやあ! あんなものが……あんなものが私のおなかにいたなんて!」
かあさまは狂ったように叫び続けている。
とおさまも、まわりのみんなもかあさまのほうばかり夢中で僕を一瞥もしてくれない。
「おいで」
優しい手が、僕を抱きあげた。
「産湯をつかわせてやんなきゃな。おなかもすいてるかもしれないけど、レオナがあの調子じゃミルクなんか飲ませてくれそうにないな。牛乳うすめてあっためてやるよ。それから今日はオレの部屋で寝ような。おとっつぁんもおっかさんも今は混乱してるようだけど、きっとすぐに落ち着くから」
それが、ポップとの出会いだった。
※
「これが木。これが花。蝶」
半月が経っていた。
ポップの言ったとおりかあさまも一両日中には落ち着きを取り戻して、ポップのベッドで眠る僕を見舞いに来たらしい。
でもいつ来たのかなんて覚えてない。僕はあったかいポップの腕につつまれて気持ちよく眠っていたからだ。そのあとも自分達の寝室へひきとるなんて言わなかった。
王族である以上、子供が生まれたら乳母などをあてがって専用の王子宮などで育てるものかもしれないが、そんなこともなかった。
きっと、僕の世話をしたがる者がいなかったのだ。
だから僕は今でもポップの部屋で暮らしている。
「草。ここが葉っぱ。ここが茎。根っこ」
昼にはポップは僕を連れだして色々なことを教える。
自分で言うのもなんだが僕の理解能力は図抜けていたので、おなかにいたときのかあさまの会話などから多少の知識はあったのだ。
でも……やはり、見ると聞くとはちがう。
今まで単語でしか知らなかったものを、じぶんの目で見て、たしかめて、僕はずんずんかしこくなっていった。
「ポップ。ディーノ!」
とおさまだ。とおさまはかあさまと違い、きちんと一日一回は顔を出す。
「ディーノ、いい子にしてたかい? とおさまだよ」
ポップの肩に座っている僕の頭をなでる。
ポップの肩はまだちいさい僕の指定席だ。
「ごめんな、かあさまは来てないんだ。かあさまはこの国の女王様だから、お仕事がいっぱいあるんだよ」
それを言うならとおさまだって王様じゃないか。
あんまりもったいつけた言い訳はしないでほしいよね。かあさまは僕に会いたくないだけだ。
「わざとらしい言い訳はしないほうがいいぞ。ディーノにはこっちの言ってること全部つつぬけなんだから」
苦笑しながらポップが言う。すごい。どうして僕の思ってることわかるんだろう。
「うーん、それもヤバイな。ディーノの前では言いにくい話もあるんだけどな……」
ポップが肩をゆする。僕は、ちいさい体に不釣合いな大きな黒いつばさを広げて舞いあがる。
どうせ後でポップがおしえてくれるもんね。それに、僕の耳は特別製だ。
耳をすませば人間には聞こえるはずもないちいさな音まで聞きとることができる。
どうせろくな話じゃないのはわかっていたけれど、『僕の前では言いにくい話』が聞きたくて僕は耳をそばだてた。
「……レオナがディーノをほかにやりたがってるんだ」
とおさまの絞りだすような声が聞こえてきた。
「第一王子が言葉もしゃべれないドラゴンだなんて国家の体面が保てないって。なぜディーノがドラゴンなのかは頭ではわかってるんだけど、感情がついていかないらしい。……ひどいよね。どうして夫のオレはよくて子供は駄目なんだろう。オレだって人間じゃないのに。竜の騎士なのに」
とおさまはひどく傷ついたような顔をしてなおも語り続ける。
「……ディーノがドラゴンに生まれてしまったのは、オレのせいなんだ。竜の騎士は竜の力と魔族の魔力と人間の心を持つんだから、理屈でいけばそのどれが生まれても不思議はなかったんだ。ただオレも人間として生まれたし、レオナも人間だったから、ほかの種族が生まれるとは考えてなかったんだ」
ポップはただ黙って聞いている。
「それにオレは怪物島と呼ばれるデルムリン島で育ったし……オレは、ディーノがドラゴンでもほかのモンスターでもかまわないよ。オレの子なんだ! でもレオナ……レオナは……!」
とおさまが、泣いてる。
僕よりずっとおおきな、大人のとおさまが肩をふるわせて、泣いてる。
ポップがそっとよりそって、無言でなぐさめている。
ごめんなさい。
僕が悪かったんだね。僕がドラゴンだったからいけなかったんだね。
僕はとおさまもかあさまも嫌いじゃないの。だから、泣かないでほしい。
僕、出ていくから。この国を出ていくから。
そうしたら、とおさまもかあさまも苦しまなくて済むね。
僕は最後に大きく旋回して、飛び立っていこうとした。
その、とき!
「ちょっと待てディーノ! 降りてこい、こら!」
ポップがいきなり立ち上がって僕を呼んだ。え!? もしかして、いま考えてたこともわかったの!?
「ポ……ポップ? どうしたの!?」
とおさまもびっくりして立ち上がった。目をまるくして、僕とポップを交互に見つめている。
「こおらディーノ。盗み聞きしてたんだろう! わかってんだからな、おまえの考えてることなんて! だいたい生後半月で自立しようなんざ片腹痛い。世の中ナメきっとる。子供は大人に守られてればよろしい」
ポップは僕が降りると同時に僕の耳をつかんで思いきりひっぱった。
これは、この半月僕が悪いことをするたびにやられたポップ流の罰だ。
「いったい何がどうしたの、ポップ!?」
「あー気にするな。こいつが大ボケとっただけだ」
理由にもなんにもなっていない。
「それよかダイ! ディーノをよそにやるんだろ!? オレが預かってやるよ、今までどおり。そのほうがおまえらだって安心だろう」
「ポ……ポップ! ディーノの前で……!」
「さっきの聞いてなかったのか!? こいつはもう知ってるよ。だから飛んでいこうとしたんじゃないか。父親ならそれくらいわかれよ」
キツいセリフだ。父親ならったって、僕が生まれて一番近くにいたのはポップじゃないか。
ときたまポップは実もフタもない言い方をする。
「う……」
ほおら見ろ。とおさまが黙りこくっちゃった。
「黙りこくってないで考えろ。いつ里子にだすんだ? 場所とかはオレが決めていいな。こんなこともあろうかと、候補地をしぼっておいたんだ」
ときどきポップは、こちらの予想をはるかに超えたことを言う。
※
ポップが選んだのは、ポップの師が住んでいたというパプニカのはずれの川辺だった。
そこは水と岩と少々の緑以外なにもないところだったけど、僕はとても気にいった。
「ここがオレの師匠の墓だよ」
お城の送別会もそこそこに、僕といっしょに飛翔呪文で空を飛んでやってきて、荷物もほどかずに最初にポップがしたのはお墓参りだった。
ポップはひざをついて熱心に祈っている。
僕はマトリフという人を知らないけれど、ポップのお師匠さまならきっといい人だと思う。
「まったくとんでもねえジジイだった。入院しろっつーのも聞かず医者にも見せず、寝たきり老人になったあげくその世話をぜんぶオレに押しつけていた。さいわい半年ほどでぽっくり死んでくれたから良かったものの、アレ以上生きられたらこの手でブチ殺していたかもしれない」
……おっそろしく不敬な言葉だが、口調は明るかった。
ポップはきっと親身になってその人の世話をしたのだろう。今、自分にしてくれているように。
(ポップがここを選んだのは、その人とここで暮らした思い出があるからかもしれないな)
もちろんここはパプニカ領内で、いざとなればすぐにお城に駆けつけることもその逆もしかりだ。そしてなにより、ここには人目が無い。お城の中でも外……といってもここへ来るまでの道中しかないが、無遠慮にじろじろ見られるのはけっして快くはなかった。
(ポップ、今日から僕たちここで暮らすんだね、ふたりきりなんだね)
「ああ、そうだよ。ディーノはここが気に入ったみたいだな」
僕はぶんぶんと、肯定のしるしに首を縦にふった。
打てば響くようにかえってくる返事、ポップって心を読む術でも心得てるのじゃないかしら?
「そんなモンない。見ればなに言いたいかぐらいわかる。嬉しそうにオレを見上げたし、うなずいた後ちょっと目が丸くなった。目は口ほどにものを言うのだ。ディーノももう少し人生経験積んだらわかる」
そんなもんかしら? よくわからないけどポップがそう言うならそうなんだろうな。
ドラゴンでも人生経験っていうのかなあ。
切り立った崖の洞窟に、手をいれて住めるようにした部屋でポップは語った。
「おまえに魔法を教えてやるよ、ディーノ」
ほこりっぽい毛布にふたりしてくるまって、はじめての川辺の夜。
「ドラゴンってのはとんでもない魔法の使い手でもあるんだぜ。親父のダイのほうはさっぱりだったけど、その点おまえはおおいに見込みありだ。安心していいぞ。ああでも子供は遊ぶことも勉強だからなあ。一日の時間割りはこりゃホネが折れそうだなあ」
僕はほとんど聞いてなかった。
ちいさなランプの火がゆれるたびにポップの顔の影がゆらめいて、それがとても夢幻的で、ぼうっとしあわせな気分で見ていた。
いまの僕にそれは最高の子守唄だった。
場所は変われどいつものようにポップのとなりで、もうすでに父よりも母よりも近しくなってしまったにおいを嗅ぎながら、いつのまにか僕は寝入ってしまった。
>>>2000/10/28up