僕は順当に育っているらしかった。
普通のドラゴンはどうだか知らないけど、半年もすると僕は中型犬ほどの大きさになり、もう肩に乗るのはやめてくれ、と
泣き言を言われるまでになった。
ポップの横顔は見えるし、髪に顔をつっこんで遊ぶこともできたし、けっこう好きだったんだけどな。肩に乗るの。
でも代わりにポップは僕を胸に抱いてくれて、川辺を散歩したり手がだるくなったらそのまま座りこんで字の勉強をしたりした。
「ディーノ、じぶんの名前書いてごらん」
馬鹿にしないでよ。生まれて二番目に覚えたスペルだよ。
もちろん一番はPOPさ。
僕は砂に爪でD・I・N・Oと書いた。
僕の字はペンを握れるようには出来ていなかったので、字の勉強はもっぱら昼間、川辺の砂の上で行われた。
ポップは僕にひととおりの物の名前を教えてしまうと、すぐに字の勉強にとりかかった。
「字が書ければほかの人間ともコミュニケーションがとれるからな。ペンが持てなくても、別に爪にインクつけて書いたっていいんだ。お前さんの爪はたいそう立派だし、少々酷使してもなくなることはないだろー」
僕はちょっとムッとする。
別にいいよ、ほかの人間なんか。
僕はポップがいればいいの。王宮にももう帰らない。
母さまなんて一度も会いにも来ないじゃないか。
……そうだね、父さまならいい。父さまは僕を気にかけてくれるもの。
父さまは忙しい政務のあいまをぬって僕に会いに来てくれた。
決まった日じゃなくてとても不規則だったけど、時間も数時間から泊まっていける日もあってバラバラだったけど、僕もポップも父さまを歓迎した。
(いらっしゃい父さま! 待ってたよ!)
僕はしっぽを振り振り父さまのところへ駆けてゆく。
「ああディーノ! また少し大きくなったんじゃないか? それになんだかきれいになった……ってこりゃ、自分の子供に言うセリフじゃないかもしれないが……」
父さまは僕を抱きあげてまじまじと僕を見た。
ちょっと恥ずかしかったけど、自分でもそう思っていたので僕は誇らしげに胸をはった。
僕はブルー・ドラゴンになっていた。
産まれたときはたしかに緑がかった灰色で、あまりきれいとは言いがたい色だった。
それがここの澄んだ水のせいなのか、もともと変化する体質だったのか、僕のうろこは少しずつその色を失い、この水の色をうつしたように鮮やかなサファイアになっていた。
「かまわんもっと言ってやれ。喜んでる喜んでる」
僕の後ろからポップもやって来た。
「こいつちょっとナルシス入ってるぞ。ほっといたら水に浮かんで何時間でも自分のすがた見てやがる。オレこの先こいつにきちんとした教育がほどこせるか不安だ」
「そうなのかディーノ? あまり自分の世界に入ってくれるなよ? そういうときはポップでも見てろ。父さまもよく見てたものだ」
へえ、父さまもそうだったの!?
僕もそうだよ! 僕だって、自分の顔見るよりはポップ見てたほうがいいよ!
ひょろりと細長い手足とか首とか、うすい胸の感触とかすみれ色の目だとか。
お気に入りは前髪なんだ。胸に抱きあげてもらうとちょうど顔に髪がかかるんだ。
僕は首をくゆらしながら、いつまでもいつまでもその感触を楽しんでいるんだ。
「つくづくよく似た親子……」
ぼそッとあきれたようにポップが言う。
父さまも笑いながらポップを引き寄せて、三人でなかよく洞窟に戻った。
かんたんな夕食をすませると僕はすぐに眠くなってしまって、まだ父さまと話があるらしいポップのひざの上にあがりこんだ。
もうすぐこうやってひざに乗ることも出来なくなってしまう。
僕はどんどん大きくなる。ポップのベッドからはみでる日だって近い。
父さまと話すときはポップは僕にどいてて欲しかったらしいけど、無視無視!
子供の特権を最大限に活用して、秘儀『聞こえない攻撃』も駆使して僕はポップのひざを死守することに成功した。
「レオナがまた妊娠したんだ」
夢うつつに父さまの声が聞こえてきた。
「年子か。やるなあ。……で、産むのか?」
「わからない。レオナに選択してもらうつもりなんだ。新しい世継ぎは欲しいんだけど、またドラゴンや魔族が産まれたらどうしようかって悩んでるみたいなんだ」
「なんなんだそりゃあ。おめえ、ダイ、こんなところに来てないでレオナについててやれよ。いちばん不安なのはレオナじゃねーか。ディーノにはオレがいるから心配いらねーよ。よしんばまたドラゴンが産まれてもオレが育ててやるよ」
またドラゴン?
僕に弟か妹ができるの? そしたらここで一緒に暮らすのかしら?
「……だけど、それじゃポップの負担が大きすぎない?」
「べつに負担じゃねえよ。ディーノ頭いいし、おしめの世話もいらなかったし好き嫌いもないし。生活費だって王宮から出てるし食料だって届けてもらってるし。ここでもう一匹ドラゴンが増えたところで何ほどもないよ」
あいかわらず飄々とした口調でポップが答える。
僕のこと頭いいって。へへ。
「でも……!」
ただならぬ父さまの言葉の響きに僕はうす目をあける。
父さまは食い入るような瞳で僕とポップを見つめている。
「……オレは、ポップもディーノも一緒に暮らしたいんだ……!」
ほんとう父さま!? 大歓迎だよ。
僕ずっとずっと思ってたんだ、父さまと僕と三人で暮らすの。
妹か弟ができるなら仲間にいれたげてもいい。
ポップ、ねえ、うんッて言ってあげてよ。そうしようって。
「いいかげんにしろ。今日はとっとと帰りな、レオナが気をまわす。ここにはいつでも来れるが、王宮は一度出たらなかなか帰れないぞ」
ポップが怒ったように言った。
どうして!? 意外な言葉に僕は眠気もふっとんで、勢いよく立ち上がった。
「でッ!?」
ごがんとでっかい音がした。
……しまった。だいぶん大きくなってた僕の身長は、立ち上がった拍子にポップのあごをノックアウトしてしまったらしい。
「でぃーの〜……!」
声がすわってるようッ! ポップ、怖いッ。
「起きるんならもうちっと前フリしやがれッ! 舌かんじまったじゃねーかッ!!」
僕は必死で部屋の中を逃げまわる。しかしさして広くない部屋のこと、あっというまに捕まってしまう。
「だいたいオメーはウロコついててほかのヤツより皮膚がカタイんだよッ、そんなのがぶつかったらオレのほうがダメージでかいに決まっとるだろーがッ!! 耳ひっぱり60秒の刑だっ、いーち、にーい、さーん……」
ポップひどいッ! その数えかた、絶対60秒より長いよッ!!
「ポ……ポップ……今日はそれくらいで……」
「ダイは黙っとれッ!!」
ひと声で父さまを黙らせた。ポップってやっぱりスゴイ。
「反省したか? 反省したな!? よし、もうふとんにもぐってよし! 罰として今日はひとりで寝ること」
ええっ、そんなあ。
僕はきっとなんとも情けない顔をしてポップを見ていたに違いない。
「……と、思ったけど、添い寝をつけてやる。ダイ、泊まってってもいいんだろ!?」
父さまに向き直りながら言う。
「あ、う、うん……」
「おっしゃ決定。ディーノ、今日は親父に添い寝してもらいな。ふだん何もしてもらってないんだから、こんなときくらい甘え倒したれ」
それだけ言うとポップは、いつもは父さまが使っているもうひとつの寝室へ姿を消した。
「ディーノにお礼言わなきゃな」
父さまは僕の頭をなでながら言った。
もしかして、もしかしなくても父さまと寝るのは初めてじゃないかしらん!?
父さまの胸はポップよりずっと固くて、厚くて、寝心地がいいとは決して言えなかったけれど僕は奇妙な安心感をおぼえた。
「父さま今日ポップとけんかしてもう少しで追い出されるところだったんだ。ディーノが起こしてくれたちょっとした騒ぎのおかげでなんとか泊まることができたけど……もしかしてそれも、ポップの思惑どおりなのかもしれないね。ディーノ、聞いてたの? 父さまとポップの会話」
父さま。
こんなに近くでじっくり父さまを見たのも初めてのような気がする。
そうだよ、父さま。僕は聞いてた。でも意味はわからなかった。
どうしてポップは怒ったの?
「母さまに赤ちゃんができたんだよ、ディーノ」
父さまは話し始めた。
「母さまはまだ悩んでいるけれどもきっと喜んでくれると思う……父さまには肉親がいないんだ。育ててくれたじいちゃんはいるけれども血のつながりはないしね。ああもちろん、血縁でなくともじいちゃんは大好きだよ」
父さまは遠い目をしていた。
過ぎ去ったなつかしい思い出に浸っているようだった。
「父さまの父さま……つまりお前のおじいさまと父さまは、ほんのしばらくのあいだしか一緒にいられなかったあげく、わかりあえたのは最後の瞬間だけだった。父さまの母さまは、まだ父さまが赤ん坊の頃に死んでしまった。兄弟も親戚ももちろんいない。だから、生まれてくる自分の子供は大事にして大事にして大切にして、ものすごく甘い父親になることが夢だったんだ」
父さまはそこで息をついて、
「母さまのおなかの中におまえがいるとわかったとき、父さまは小躍りして喜んで、無事に産まれますようにと神様にお参りむしておしめも産着も山ほど用意して、十ヶ月してお前が産まれたんだ」
……この辺のことは僕には少々つらい。僕は母さまの望んだかたちに生まれなかった。僕はドラゴンだった。
なぜ僕がドラゴンだったのかはポップに聞いて知ってる。
それは父さまのからだに流れる竜の血のせいだ。竜の血もずいぶん薄められているはずなのに、どうしてか僕はこう生まれついてしまった。
「お前がドラゴンとして生まれたのは父さまのせいだ。だからディーノ、父さまは恨んでいいけれど、母さまを恨むのはやめておくれ」
わかってる。僕は父さまも母さまも恨んではいないよ。
ただちょっと悲しいだけ。それに僕にはポップがいる。
「今度生まれる子が人間なら、レオナはお前の王位継承権をとり消す気だ……ひょっとしたら、第一王子という事実さえももみ消すつもりかもしれないんだ」
これは初耳だ。
「そしてまたドラゴンなら……お前と同じようにポップに預けることになるだろう。どちらにせよ、お前とポップにつらいようになっているんだ」
つらい……よくわからない。
僕は別にかまわないる王子だとか王位継承権だとか、そんなごたごたはどうでもいいよ。今だって不幸といえばじゅうぶん不幸だ。
異常に産まれてきたために両親(いや、片親かな?)に疎まれて、他人の手でひっそりと育てられる子供。弟か妹がドラゴンなら、ここで暮らすのが増えてにぎやかになってかえって嬉しいくらいだ。
「……よくわからないって顔してるな。それでいいんだ、これは父さまの問題だからね。でも、いつか絶対に、お前とポップを王宮に迎え入れてみせる」
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