覚醒は、一週間後だった。
「あー起きた起きた。前例があるからそう心配はしてなかったけど、前より期間が長かったからどうしようかと思った」
横にポップがいた。明るい口調。
僕はぼんやりと辺りを見回して、ポップの私室から別の部屋に移されたのを知る。
「起きれるか? まあ、まだ無理はしないほうがいい。なんたってダイの一発をくらったんだからな。そのくらいですんで良かったくらいだ」
父様に倒された事と夢の内容がいっしょくたになってて判然としない。
でも……。
「……僕、また人間になったの……?」
この頼りない感じは、そう。
「ああ……、またすぐに変身がはじまってな。でも人間になってくれて助かった。運ぶのもベッドに寝かすのも楽だったしな」
「父様は……?」
「そうだ、ディーノが気づいたら真っ先に知らせてくれって言われてたんだ。殴り倒しちまったって真っ青になってたから、すぐに謝りにくるよ」
ポップはサイドに置いてあったベルを鳴らして、側使えに父様を呼んでくるよう言いつけた。
「もう少し寝てろ。まだ顔色が悪いぞ」
ひたいに手をあてて熱をみた後、そっと僕のまぶたを閉じさせる。
パラ、と紙をめくる音がした。
僕は薄目をあけてこっそりとポップの方を見た。
どうも仕事中らしい。何かの書類かしら?
たんねんに内容を読み取って、サインをしたり傍線をひいたりしてる。
よく見るとサイドのテーブルにはベルだけでなく山のように紙の束が置いてあって、処理済みと未処理に分けられている。
カップの中には冷えてしまったお茶。ときどき僕の様子を見てくれながら、安心したようにまた書類に目を落とす。
「ポップ! ディーノが目覚めたって!?」
「しーッ。また眠ったみたいだ。静かにしろ」
やって来た父様をポップは小声でさえぎる。
僕は一生懸命眠ったふりをする。
「はああ良かったあ……。ねえ、ディーノ怒ってた?」
「いんや。でも、起きたばかりでまだよくわかってないって感じだったな」
「そ、それじゃ、まだハッキリ許してくれるかどうかわからないって事じゃないか。困るよ、ちゃんと聞いててくんなきゃ」
あわてふためいた父様の声。
「知らねーよばあか。今回は全部お前が悪い。……ったく、昔から頭に血がのぼると何しでかすかわかんねーんだからなー」
「だって、ディーノにポップとられるかと思ったんだもん……。鉄は熱いうちに打っとかないと。それが最愛の息子でもね」
「やりすぎなんだよ。ひっつくな、うっとおしい」
盗み見た血はポップに後ろから抱きついているところだった。
口ではああ言ってるけどポップも嫌そうじゃない。
なんだか随分仲むつまじい。僕はちょっとうらやましい。
でも今はそんなに悲しくない。むしろ、……嬉しい。
「ディーノ、許してくれるかなあ?」
「大丈夫だよ。お前と……オレの、子供なんだから」
そうか……。
僕はたしかに母様の腹から生まれたのだけど、実質は父様とポップの子供だった。
子供にとって、両親がそろって仲がよくて、自分を愛してくれたなら、それ以上の幸せがあるだろうか?
僕は男の子らしく母親……ポップが好きで、それを苦しめているような気がした父様を許せなくて、それで嫌いだと思っていたんだ。
それに確かに僕と父様は似てる。
好きな人を手に入れるためなら、相手を害しても手に入れる。
僕だって本気で父様を殺そうとした。おあいこだね。
僕はゆっくりと、父様に気づいたふうを装って目をあける。
父様が緊張したのがわかる。
「デ、ディーノ……」
「おはよう、父様」
そして僕達は、仲直りした。
「本当にロモスへ行くのか? ディーノ」
見送りに来てくれた父様が言う。
「うん……まだ遊学途中だもの。僕ね、ヒムさんとクロコダインさんと友達になったの。すぐ帰るって言って出て来たから、帰らなくちゃ」
それにまだなんとなくつらい。
僕はマザコンだったけど、本当にポップが好きだった。
父様と一緒にいるポップを見ているのは、ちょっと……。
父様は僕を正式に王子だと発表した。
今までドラゴンだった王子が急に人間になって現れたので相当混乱したみたいだ。しばらくのあいだ噂話のタネになるのは間違いない。
「いってらっしゃい、ディーノ」
母様もいる。腕に妹を抱いている。
「私……率直に言ってお前を私の子供だと思った事はなかったわ、ディーノ。その事はもう弁解しない。ムシが良すぎますものね。……でも、確かにお前はパプニカの王子で、ここはお前の国なの。いつでも帰っていらっしゃい。それに……ここには、お前の本当の両親がいるわ」
はい母様。よくわかります。
「お前の妹よ。抱いてあげて」
レオノーラ。人間の子供とは、こんなにちいさいものなのか。
一歳なら僕は、ポップの二倍くらいになっていた。
妹はドラゴンのときに見たのとほとんど変わらないように見える。
「行って来ますレオノーラ。元気で、次に会うときはもっと大きくなっていてね」
僕は妹にほおずりしてそっと母様に戻した。
「行ってこい、ディーノ」
最後にポップが声をかけた。
僕は絶対泣かないと決めていたのだけど、いざ声を聞くと目がうるんで仕方ない。
僕はポップのすがたを目に焼きつけた。
緑色の宮廷魔道士の正装。
長めの前髪が、あるかなしかの微風にゆらめいている。
唐突に、幼いころその感触を楽しんだ思い出がよみがえった。
ちいさな僕は、どれほどその前髪が好きだったことだろう。
「……これやるよ。お守りだ」
ポップはいつも巻いていたバンダナをはずして、僕の手に握らせる。
「一回はダイにやったんだけど、返してもらったんだ。お前にやるよ。実にオレの半生の三分の二をともにしたんだぜ。これさえあればどんな障害も越えられる、保証する」
ポップの冒険を、すべて知ってる、品。
「……ありがとう、大事にするよ」
父様の目を無視して、さりげなくポップをだきしめる。
ついでに耳の下にキスもしたけど、これくらいはいいよね。
「それじゃ、行って来ます」
いやそうな父様の顔を見ながら僕はルーラを唱える。ざま見ろ。
このあとの父様の癇癪が聞けないのが残念だ。
「あら、もう着いたのか」
瞬間移動は風情が無いなあ。まあいいさ、僕はまたドラゴンになって、大空をのんびりと旅するんだ。
「結局ひとりで帰ってきたのか、情けないぞ」
ヒムさんの毒舌が気持ちいい。
「うん……でもポップはあれでいいみたいだから。クロコダインさんの言うとおりだったよ。あのふたりの間に割り込んじゃいけないんだ」
「負け惜しみかあディーノ?」
失礼な。
「お帰りディーノ。パプニカはどうだった?」
クロコダインさんも来た。
「うん、楽しかったよ。色々とつらい事もあったはずなのに、なんだか全部楽しかったような気がする。父様とも母様とも仲直りした。ポップはもちろんね。でも僕はロモスで、まだまだ勉強しなきゃならない。パプニカじゃ、つい甘えちゃうし。それに僕は、ロモス好きだよ。王様とか、ヒムさんとかクロコダインさんがいるから」
いつか、マァムさんにも会いに行こう。
「ひーディーノ、お前、口うまくなったなー」
「ホントにそう思ってんだって」
ポップの婚約者だったマァムさん。夢でしか見たことがないけど、ポップの好きな人ならきっといい人なんだろう。
マァムさんに聞いてみたい。ポップのどこが好きだったのか。
ポップと何を話したのか。
今更よりを戻させようなんてこれっぽっちも思ってないけど、同じ痛みをかかえている者としてわかりあえるかもしれない。
「ディーノ、パプニカでドラゴンに戻ったって本当か?」
「耳がはやいねークロコダインさん。パプニカなんて、僕が人間になったのも知らなかったのに。そうだよ、でもすぐ人間になっちゃったけど」
「どうしてかわかったか?」
「ぜーんぜん。なんか、感情が高ぶったときに変身するみたい。でもいつかはコントロールできるようになるよ。今はどっちも、好きでいられるし」
本当にそう思うよ。
「僕はドラゴンのとき、なぜ人間のように喋れないんだろうと思ったし、人間になるとあの硬いうろこと黒いつばさが懐かしいと思った。どちらも一長一短だ。そして僕は、そのどっちも持ってる。なんて素晴らしいんだろう。……でも、人間の身分はそのうち捨てるよ。王子だなんてガラじゃないしね。僕はいつか、ポップと過ごした水辺へ帰って、幸せな家庭を築くんだ。生まれてくる子がどうなるかわからないけど、僕はどちらも愛せるよ。ポップや父様が、僕に愛情を注いでくれたみたいに。そして僕の子供たちも、自分の子を持ったとき、同じように愛してくれると思う」
僕は心に思い描く。
水と岩と少々の緑以外なにもない水辺に、サファイア色のブルー・ドラゴンが群れている。
いつしか隠居した宮廷魔道士がたずねてくる。
ときに国王もやって来るかもしれない。
宮廷魔道士は寝たきりになって、僕にわがままを言いたい放題に言うのだ。
僕は怒った顔をして、それでも甲斐甲斐しく面倒をみている。
妻と、人間形の子供たちも困りながら手伝ってくれる。
魔道士が静かに、永遠の旅に旅立ってしまうと、子供たちはおじいちゃんと泣きながら取りすがるのだ。
そうして、彼の師であった初代大魔道士とその二代目は、なかよく並んで僕らを見守っている。
崩御した国王の灰が、その上に撒かれる。
僕はまだ見ぬ未来を美化しすぎているかもしれない。
だけど、こうならいいと思う。
そしてその理想の未来を引き寄せるために、僕は生きていこうと思う。
< 終 >
>>>2000/11/10up