薫紫亭別館


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海のアリア

「人魚のしずく?」
 ポップは気が抜けたように問い返した。
 ポップの目の前には異様に燃え上がっているパプニカ王女レオナと、ごめんとばかりに両手を顔の前で合わせてへこへこしている勇者ダイとがいる。
 ここはレオナの私室だった。ポップは、いつものように三時にお茶を呼ばれに来ていたのだが、どうも今日は雰囲気が違う。どことなく怒っているようにも見える。ダイが委縮しているのがその証拠だ。レオナは勢いこんで聞いた。
「そうよ。本当にあるのねっ!?」
「あるっちゃあるが、どーしたんだイキナリ!?」
 レオナとの話はこうだった。
 昨夜、平和になったパプニカでは国内の有力貴族を招いて夕食会が行われた。らしい。本来なら大魔道士たるポップも招かれて然るべきであるが、ポップがそんなもんに出席するはずがないのを知り抜いているレオナはあえて知らせなかったようだ。
 そこで、さる婦人が身につけていたネックレスが目に止まった。宝石とも何とも判断がつかないような不思議な光を放つ涙型のそれは、細い銀鎖に繋がれただけのシンプルなデザインで、しかし、どの華やかな宝飾品より目を引いた。
 王女とはいえ、お年頃の綺麗な女の子であるレオナが興味を持ったのも当然といえよう。
「もー、腹立たしいったら。人魚のウロコだなんて、そんなこと言われても俄かに信じられるわけないじゃない。それを、私がすっごい物知らずみたいな言い方しちゃって。ちょっといいなー、って思っただけなのよ。寄越せだなんて言ってないのに。……で、本当にあるのね!?」
「ま、まあな。一般に、その形状から『人魚のしずく』として知られているわな。持ってると海で溺れないとか風が凪ぐとか、ま、船乗りのお守りみたいなもんだ。あまり装飾品として加工されて出回ることはないんだが……珍しいモン持ってたんだな、その人」
 ポップはレオナの剣幕に押されながら答えた。
 何やらイヤな予感がする。
 すぐに的中した。
「獲ってきて。ポップ君」
 実に無邪気にレオナは言った。
 ポップはいやあな顔をした。
「獲ってきてって……カンタンに言うなよ。あンた姫さんだろ。金と権力を行使してどっかから買えよ。仮にそのご婦人から買えなかったとしても、探せばひとつくらいあるだろ。宝石屋の隅に」
「さっき、余り出回る物じゃないって言ってたのはあなたでしょ、ポップ君」
 そういやそうだった。ポップは下唇を噛んだ。
「それに、私はひとつだけじゃなくてもっと欲しいの。人魚のウロコを集めて、一国の王女にふさわしい豪華なの作ってやるんだから。だから協力してよね、ポップ君!」
 どうもよほど自慢されたのが悔しかった、かつ羨ましかったらしい。ちらりとダイを見ると、ダイも微苦笑を浮かべてお願いポーズをしている。
 さぞかし昨夜からこの事についてうるさく言われたことと推測する。コイツも苦労するよな、と自分を棚に上げてポップは思う。
「……わかった。ダイを借りるぞ、姫さん。沢山欲しいってご所望だからな。人手は多い方がいい。魔道士の塔を総動員してウロコを集めてやるよ。けど、後から文句は言うなよな」
 レオナが頷くのを確認してから、ポップはダイを連れて部屋を出た。


 魔道士の塔は城の敷地の端っこにある。
 使われなくなった物見の塔を改築したもので、今はポップとポップの押しかけ弟子達が居座って『魔道士の塔』と称している。
 半分不法占拠みたいなものだったが、認可は後からついてきた。高名な大魔道士が、自ら優秀な人材を育ててくれるというのに反対する者などいない。その実態を知る者は更に少ない。
「おまえ、尻に敷かれ過ぎじゃねーか? 今からあんなにワガママ言われてどーするよ。男として、たまにはビッとした態度見せねーと、ナメられる一方だぞ」
 ダイは曖昧に苦笑した。我儘というならこの隣に並んで一緒に塔まで歩いている男が筆頭で、レオナなどまだ可愛いものなのだ。あれでも。
 ダイは話題を変えがてら質問した。
「まあまあ。それより、どーやって人魚のウロコ集めるの? 人魚ってシーマンのこと?」
「ありゃ魚人だ。つまり、上半身がサカナで下半身が人間。人魚ってのはその逆。上半身が美しい人間の女性で、下半身が魚……と、着いたぞ」
 魔道士の塔だ。
 石づくりの塔の表面には苔やツタが繁茂していて、遠目にはなかなかイイ感じに見える。その分、虫なんかも大繁殖しているワケだが、この塔の住人達は気にもしない。
「お帰りなさい、マスター」
「勇者様も。いらっしゃいませ」
 入口にたむろしていた学生達が出迎える。ここではポップはマスター、と呼ばれている。
 大魔道士……グレイト・ルーンマスターの略であり、塔の主人としてのマスターであり、教えを乞う師という意味でのマスターでもある。
 ポップは学生達を適当にあしらいながら、まっすぐに二階にある執務室に向かった。ダイもすぐその後に続く。
「スタン! いるか!?」
 怒鳴りながらドアを開ける。
 平静で穏やかな声が部屋の奥から返ってきた。
「僕は大抵はここにいます。留守にしているのはマスターでしょう?」
 声の主は大きな執務机の向こうに、ゆったりと椅子にかけてこちらに向き直っていた。
 白っぽい金髪の、線目のせいでいつも笑っているように見える男は、塔、最年長の二十代半ばでスタンという。ポップの一番弟子のひとりで、魔道士の塔の実質的な運営を任されている。
「そうだったな。すまん。まあそれは置いといて、出掛けるぞ。人魚のウロコ採取だ。同行させる学生達をリストアップしてくれ。年齢が上から順に、十五人ほど」
「はい。……人魚、ですか?」
 スタンは名簿を取り出しながら聞いた。
 ポップは僅かに唇の端をにやりと上げて、
「悪いがおまえは外す。おまえはこの塔に必要な人間だからな。おまえに万一の事があったら困る」
「それは構いませんが……十五人とは、多いですね」
「そういうリクエストだからな。多ければ多いほどいいって……」
 言い終える前にどたばたした足音が執務室の前で止まった。先程のポップに負けないくらいの勢いでドアが開かれる。
「マスター! どこに行ってたんですかっ!?」
 息を切らせながら入ってきたのはちょっと目を奪われるくらいの黒髪の美少年だった。激しく肩を震わせて、ポップに食ってかかる。
「今日は霧吹きと炎で、金属塩の炎色反応を見る実験をする筈だったでしょう! 火を使う実験で危ないからって、自分から講師役を買って出たくせに! いつまで経っても来ないから、僕が代わりにやったんですからね。僕自身の勉強時間はどうしてくれるんですかっ!」
「でも、代役務めてくれたんだろ? ハーベイ」
 悪びれずポップは答えた。この美少年の名はハーベイといって、弱冠十三歳にしてスタンと同じく、ポップの一番弟子となった天才児だ。
 スタンが塔の運営役を任されているのに対し、ハーベイは塔の指南役、教師役といった立場に置かれている。ポップの、マスターとしてのふたつの側面を、二人でカバーしている訳だ。
「ちゃんと代役こなしてくれたんだろ? オレがやるよりよくわかったと思うよ。どーもオレは噛み砕いて説明するってのが苦手でさ。その点、ハーベイなら教えるのうまいし、他の奴等も満足したと思うんだが」
「それは、当然ですが」
 ハーベイも満更でもない様子だった。
 そこでそう答えてしまうのがハーベイの限界だよなあ、と、それまで黙って見ていたダイは思った。ポップに丸めこまれているのに気づいてない。プライドの高い少年だから、その辺を突付くと良い様に利用出来てしまうのだ。
 といって、忠告する気も仲裁する気もないダイだった。魔法使い同士の会話なんて、理解しようとするだけ時間のムダだ。ま、ハーベイが成長すれば利用されることも無くなるだろう。
 更にダイが成り行きを見守っていると、
「人魚の産地ってどこが有名だったっけ、スタン?」
 ポップが執務室の書架に近付いて地図を取り出しながら言った。
「産地とは何ですか。せめて生息地と言ってください。そうですね、近い所ではパプニカ東南の内海、フーケリー海岸じゃないですか。あそこは外海と接してませんから波も穏やかですし、人魚伝承も確か、伝えられていたと思います」
「フーケリー海岸ねえ……行ったことないな」
 地図を繰りながらポップはごちた。
「ここから行くとなるとかなり遠いですよ。リストにトベルーラが使える者、という条件を追加しましょうか?」
「そうしてくれ。……と、なんだ? ハーベイ」
 ハーベイが胡散臭そうな目つきでポップとスタンを見比べている。
「人魚って……どういう意味ですか? マスター」
「ああ」
 一気にポップは顔をほころばせた。
「悪いがおまえも留守番だ。スタンと二人で塔を守っててくれ。十三歳じゃなー、ちょっとまだ早いな」
「だっ、誰も、連れてってくれなんて頼んでませんっ!」
 真っ赤になって怒るハーベイを、ポップはあからさまに子供扱いして頭を撫でたりしている。そういえば年齢順というのは何なんだろう。人魚に会うのに、年齢制限があるんだろうか?
「ポップ」
 こそっとダイはポップに耳打ちした。
「十三歳じゃダメなの? オレ、十四歳だけど……大丈夫?」

>>>2010/4/17up


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