薫紫亭別館


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 ダイは十四歳だった。世界を巻き込んだ大戦から二年が経過したことになる。十五歳だったポップも十七歳になり、年月は等しく、人にも国の上にも流れている。
「おまえはいーんだよ。レオナへの貢ぎ物なんだから、おまえが行かなくてどうするよ? おまえ、レオナの婚約者だろ? 一応」
 勇者ダイとパプニカ女王レオナの婚約が発表されたのは大戦後まもなくの事だ。
「そうだけど……いいのかなー、と思ってさ」
 まだ怒っている様子のハーベイをちらりと見やる。
 ハーベイはその視線がカンに触ったのか、失礼しますと言って執務室を退出しようとした。それをポップが呼び止めた。
「待ったハーベイ。出て行くなら、せっかくだから倉庫の薬品棚からスカムボーサの粉末持ってきてくれ。わかるな? ある多肉植物を乾かして粉にしたヤツだ。今回の出先で使うから、少し多めにな」
「……わかりました」
「あ、後、スタンがリストアップした奴等を集めて、セトーサの葉っぱを煎じたもの飲ませてやってくれ。ついでに持ってくりゃいい。集めた奴等には、それを飲んで水浴びでもして身を清めて、夕方、時計塔の五点鐘の音が鳴るくらいには出発出来るように。そう伝えといてくれ」
「……っ、僕は、マスターがフーケリー海岸で、人魚に引き摺りこまれて頭を冷やしてくればいい、と思いますよ!」
 はい、とばかりにスタンが差し出すリストを執務机のこちら側から奪い取って、足音も高くハーベイは部屋から出て行った。
「可哀想ですよ、マスター。自分は同行出来ないのに、準備だけはさせられるなんて」
 スタンが言う。
「でも、連れてく訳にもいかないだろ? 何といっても早過ぎる」
「マスターと勇者様も、今のハーベイくらいの年齢だったと思いますがね」
「………?」
 よく意味がわからなくて、ダイはポップとスタンの顔を交互に見た。が、すぐにやめた。聞いても教えてくれないに決まっているのだ。魔法使い同士の会話というのは、何故こうも秘密めいているのか。
 一般人を置き去りにするのも程がある。しかし、疑問はその場で解いておくべきだ。その事を、ダイは今夜思いっきり後悔する事になる。


 時計塔の五点鐘の音が鳴っている。
 夕方を告げる音だ。この鐘の音を頼りにパプニカの人々は仕事の手を止め、家路を戻る準備をする。
 ここ魔道士の塔では、塔の前庭にダイとポップと、リストアップされた学生達が揃っていた。
「いいかよく聞け! 皆もう知っていると思うが、今回の目的は人魚のウロコ採取だ!」
 ポップがひとり前に出て檄を飛ばす。
「本来なら採取した本人だけが持つべきものだが、今回は、パプニカ王女直々の勅命だという事と、おまえら自身の実力で選ばれた訳ではないという事から、ウロコは全て回収する。むろんタダとは言わん。レオナから相応の金額が支払われるだろう。この条件に承服出来ない者は残ってくれて構わない。異存は無いか!?」
 全員無言でうなずいている。
「よし、出発するぞ。行き先はパプニカ東南、フーケリー海岸だ! ついて来れない者は遠慮なく捨てていく。それでは、続け!」
 ポップが飛翔呪文を唱えると同時に、学生達もトベルーラを唱えた。ダイとポップを先頭にして、ほぼ綺麗なVの字編成で、暗みを増してきた夕方の空を飛行してゆく。
「あ、大魔道士さま達だ」
「魔道士の塔の人達だね。きっと、何か大切なご使命があって、ああして飛んでいかれるんだよ」
 ……空を見上げた孫と老婆の会話である。世の中では色々と、間違った認識が信じられているものなのである。
 それはさておき、ダイも何となく浮き立っていた。
 久々に威厳のあるポップを見た。いやポップがえらそうなのはいつもの事なのだが、こうして指導者らしく、学生達に号令をかけている姿などは、塔のマスターとして君臨していても滅多に見られるものではないからだ。
 それに、今回のフーケリー海岸行きはレオナも承知だ。具体的にどこに行くかは言ってこなかったが、レオナの要請で行くのだから同じ事だろう。いつもはレオナの目を盗んでこそこそ出て行くものだから、どことなく後ろめたい気分がしたものだ。
 魔法力も全開で、トップスピードで飛ばすポップの後をついてゆく。呪文というのは術者のレベルに合わせて変わるものだから、大魔道士であるポップのトベルーラに並べる者などこの世にいない。
 まだまだ修行中の身である学生達や勇者であるダイがついていけるのは、あれでも速度を加減してくれているからだろう。
 ――ポップのこーいうトコが好きだなあ。
 ダイは頬が自然に緩んでくるのを止められなかった。まあ今はみんなポップについていくのに必死で、誰も自分の顔など見てないだろう。
 初めて見る人魚への興味もある。これでわくわくしなかったらそっちの方が異常だ。ポップといるとこれからどんな、思いもかけない光景が見られるだろう。知らない生き物に出会えるだろう。
 共に冒険できて幸運だと思う。これからもずっと、ポップと一緒にいられますように。


 フーケリー海岸に着いたのは完全に陽が暮れて、夜になってからだった。ポップに先導されて全員浜に降り立ちながら、ダイは辺りを見回した。
 ――なるほど、いい所だ。
 月が出ていた。
 低い波頭が月の光に白く砕けて輝いていた。決して広いとはいえない砂浜は岩山と木々との間に開けた奇跡みたいな場所だった。人魚の伝承がある為か、他には無人で、ポップとダイに同行した学生達を落ち着かなくさせた。
 ポップはというと、ダイと学生達を後方に追いやってから、ひたひたと波が押し寄せる際まで行き、懐から何かを取り出してごそごそやっている。
 ぽっと明かりが灯った。一瞬で、すぐに消えた。
 ポップが火炎呪文で火をつけたのだとわかった。
 甘い香りが漂う。
 誰かがスカムボーサ……、とつぶやくのが聞こえた。ではあれは、ハーベイに用意させていた、多肉植物の粉らしい。
 小皿に盛ったスカムボーサをポップは右手に燃やしながら掲げ持ち、聞いた事もない呪文を口から静かに吐き出した。
 ダイには初耳の呪文を、ポップは少しずつ抑揚を変えながら繰り返しているようだった。人魚召喚の呪文なのだろう、それは、規則的な波の音に乗って、人魚の棲む深い海の底まで運ばれていく。
 どれほどの時間が経ったのだろう。ジジ……、とゆっくり燃えていたスカムボーサの粉末を取り換え、時に足しながら、空気はねっとりと甘く、粘着的な物質へと変化を遂げていた。その間もポップの詠唱は続いている。
 と、波間に銀色に光るものが見えた。
 月明かりでよく見えなかったが、見間違いではない。それは紛れもなくこちらに近付いていた。学生達にどよめきが走る。ポップの正面で、ついに姿を現したそれは、長い長い暗緑色の髪に海の泡の真珠をつけた、この上なく美しい女性の肢体に魚の尾。人魚だった。
「異種族の女王に、敬礼」
 ポップの手の一振りで学生達は女王に対する最敬礼をした。ダイも慌てて真似る。幸い、そういった作法はパプニカに来た時に叩き込まれている。
「ご機嫌よう、初めまして大魔道士さま。今夜はいったい何の御用かしら?」
 浅瀬に手をつき、艶然と微笑む。人魚はそれでもポップと目線の高さが同じだった。人魚は人間より遥かに大きい種族だったのだ。しかしポップは気圧される事なく滑らかに言った。
「お目にかかれて光栄です、人魚の女王。今夜は、パプニカ王女の要請によって参りました。目的はあなた方のウロコです。そこで、取り引きをお願いしたいのですが」
 ポップは背後を振り返って、
「十五人、連れて参りました。全員、魔道士の塔の精鋭達です。条件は悪くないと思うのですが」
「そうねえ……」
 人魚は一人ひとり、学生達を検分するように眺め渡した。最後にダイの所で目を止めると、
「あら?」
 つぶやいた。しげしげとダイを見やる。
「そちらはもしかして勇者さまでは? いいのかしら? こんな所に来て」
「………?」
「王女のお墨付きですから。全く問題ありません」
 ダイが口をひらく前にポップが答えた。人魚はあらあら、とでも言いたげな、面白がっている表情になって、
「よろしいですわよ。その取り引き、お受けしましょう。少々お待ちくださいな。ああもちろん、大魔道士さまも大丈夫ですわね?」
 ポップもこっくりうなずいた。
 あいた左手がグーの形になっている。交渉成立だ。ダイは目聡くそれを見つけ、ポップに近付いた。

>>>2010/4/19up


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