怒り心頭、といった面持ちで、ポップがダイに詰め寄る。
「どーしてくれんだ、せっかくの人魚姫との一夜のメモリーをっ! 姫、というにはちと齢がイッてたけど、大人の魅力って感じでフェロモンぷんぷんで美味しそうだったのにいい。ぜひあの女王に遊んで貰いたかった……もったいない。実にもったいない」
「いつもオレが遊んであげてるでしょ」
ダイが眇めた顔で言う。
「オレだって女性と遊びたいんだっ! いつもいつもお前とじゃ、オレの男としてのアイデンティティが喪われてしまう。お前だって男だろー、ダイ。あのふかふかの胸見て、何とも思わなかったのか?」
「………」
正直、柔らかさで劣ろうと、ポップの薄ぺったい胸の方がはるかに魅力的だと思う。
「うわあ、最低。お前がそう思うのは勝手だが、オレをそれに巻き込むなよな。ああせっかくのチャンスを……」
「そーいうんじゃなくてね。オレは、ああいう事は好きな人としかしたくないだけけ」
ポップの手を取って、軽く足を払うと、ポップは簡単にバランスを崩し、倒れた所をダイは砂の上に敷き込んでいた。
「だだだダイっ!? ちょっと待てっ!!」
「黙って……」
今夜二回目のキスをする。
ポップが静かになって体から余計な力が抜けるまで。ダイが唇を離すと、ポップは潤んだ目でつぶやいた。
「……キス、うまくなったな、おまえ」
「ポップの好きなキスなら、日夜研究してるからね」
得意そうに答える。
上着に手をかけようとするのを止められた。
「ポップ?」
「駄目だ。ここじゃ……」
と、言われても、周りはお仲間だらけだし、ここでダイとポップが参入した所で誰も咎める者はいないだろう。よって、先を続ける事にする。
「駄目だって。お前にセトーサ飲ませなかったのは、何の為だと思ってるんだ」
セトーサ。
そういえばスカムボーサと共に、ポップがハーベイに言い付けていたっけ。で、それが?
「ありゃ一種の強壮剤なんだ。今夜の為に飲ませといたんだ。お前に飲ませなかったのは……」
「オレを信じてくれてたわけ?」
「ちっがああう! 監視の為だ。学生達がマジで海に引き摺り込まれたら大変だからな。どうせレオナに操立てして、お前は応じないと思ったから」
「やっぱり信じてくれてるんじゃん、オレの事」
「だー。そっから離れろ。予定では、オレと学生達がよろしくやってる間に、お前は不穏な事が起きないか、見張ってる役目だったんだよ!」
「………」
相変わらず素晴らしく手前勝手な理屈を述べてくれる。しかしここで脱力してポップを逃がしてやる程、ダイももう未熟ではない。
にっこり笑って、言ってやる。
「……で、ポップは飲んだの? セトーサ」
「あ? ああ、まあ、一応……」
返事を聞いた瞬間に、ダイはポップを本格的に押さえ込みにかかっていた。
「こら、ダイ! 離せって言ってンだろ!?」
「セトーサ飲んだんでしょ? なら、今日はいつもより保つよね。安心してよ。オレはそれ飲んでないけど、ポップくらい何度でも昇天させてあげられるから。期待してよね、ポップ」
「ひ……人の話を聞けええっ!」
ポップのわめく声は段々とか細くなって、フーケリー海岸一帯に満ちるざわめきと同化していった。
翌朝。
「どうもお世話になりました、人魚の女王」
「いいえ、こちらこそ。今シーズンの子供達には期待出来そうですわ。肝心の、勇者さまと大魔道士さまとの子供がつくれなかったのは残念ですけど」
フーケリー海岸では波打ち際で、ポップと人魚の女王が別れの握手を交わしていた。
「優れた方の子供が欲しいと思うのは、人魚の本能ですもの。恋愛面は別としてね。大魔道士さまも、その気になられたらいつでもお呼びくださいね」
「その時はよろしくお願いします!」
元のサイズに戻って、人魚達は群れをなして帰っていった。ポップは勢いよく手を振った。いささか激し過ぎるくらいだった。
「……マスター」
夜が明けて正気に戻った学生達が、背後から遠慮がちに呼びかけた。
「ああ、お前らもお疲れさん。ご苦労だったな。皆ウロコ貰ったな? んじゃ一人ずつ出せ。ん? まだ何か言いたい事があるのか?」
手を出してウロコを回収しながらポップが言う。
「いえ、その……あの、アレが……」
「ああ、アレか。気にするな。忘れろ」
「は、はあ……」
尊敬する(一応)マスターにこう言われては、学生達も目の端に転がるオブジェの存在を無視するしかない。全員のウロコを集め終わると、ポップは、
「よし! それじゃ解散! 各自パプニカまで好きに帰路を取れ。ここからは自由行動だ。滅多に塔から出る事もないし、たまには他の町や村を見るのもいいだろう。ただし、明日のカリキュラムに支障がない程度にしろよ」
「はいっ!」
ポップの言葉に学生達はトベルーラでそれぞれに散っていった。後には、ポップとオブジェと化したダイだけが残された。
「……ポップうう」
呼吸の為に、顔だけ避けて氷漬けにされたダイだった。惜しい、とダイは思った。もう少しだったのに。間の抜けた学生が一人、人魚に海に沈められそうになったばかりに……!
服まではだけさせていたのに、がぼがぼと誰かが溺れる音が聞こえた途端、ポップは我に返って、そのまま続行しようとするダイにヒャダルコをかまして救出に向かったのだった。
なんという美しい師弟愛。日頃マスターらしい事など何ひとつしてないクセに、こんな時だけ責任感に目覚めなくとも。
「頭、冷えたかー? ダイ」
小袋にウロコを集めて、ポップはダイのそばにしゃがみこむ。
「冷えたよ、充分に。……ねえ、オレが悪かったから、謝るから、この氷、溶かしてよ」
「自力で脱出できるだろ。無精すんじゃねえ」
笑いながらポップも答える。大魔道士であるポップの飛翔呪文に誰も追いつけないように、勇者であるダイにどんな拘束も無意味だ。
それでいて氷漬けのまま朝まで転がっている所が、ダイの度量の広さを示している。
ポップが熱量を加減しながら少しずつメラで氷を溶かし、表面にうっすら霜が降りているだけの状態になると、ダイも軽く身じろぎしてぱりん、と氷をはたき落とした。
「ダイ」
ポップの唇が吸いついてきた。同じ部位に。存分に口腔内を味わってから、唾液の糸を引いて離れる。
「……余り煽らないでよ。またしたくなっちゃうでしょ」
「いいぜ。しろよ」
「……いいの!?」
「よくガマンしたな。ご褒美だ、ご褒美。もう学生達もいなくなったし。やっぱ、教え子のすぐそばでやるってーのは、抵抗あるもんなー」
もちろん、ダイはすぐさまポップを抱き寄せた。
「セトーサはわかったけど、そういや、スカムボーサって何?」
無造作に手を服の下に忍ばせる。
「ああ、あれは触媒だ。人魚が陸に上がり易くする為の。ほら、元々は海の生き物だから……少しでも楽に、地上に出られるよう、に、さ……」
そういえば、あの時は奇妙に空気がねっとりと、湿り気を帯びて纏わりついているような気がしたものだった。あれは、スカムボーサの作用だったのか。
「人魚の好む香木も、ちょっとブレンドしてあるけどな……センペルビブム、っていうんだ。聞いた事ないだろ……? 希少、なんだぜ。リンガイアの、ある、山の中にしか、生えてなくてさ……」
「もう説明はいいよ。ポップ」
「ん……」
ひと気のない白い砂浜に、二人の影だけが重なっていった。
その日、昼過ぎてからレオナに昨夜、いや今朝の成果を献上しに城に出向いたポップとダイを待っていたのは、当の命じた本人であるはずの、レオナの不機嫌絶好調な顔だった。
「お、お望みどおり『人魚のしずく』を十五枚ほどゲットしてきたが……何、怒ってるんだレオナ?」
恐る恐る、ウロコを入れた小袋を差し出そうとするポップを、怖い目でレオナは睨むと、
「……どうやってゲットしてきたのポップ君?」
と、聞いた。
ダイとポップは顔を見合わせて青ざめた。
え!? もしかして知ってる!?
「あんた達ときたら……もう、デリンジャーが調べてくれたのよ! 何か、帰りがけのポップ君の態度が挙動不審っぽかったから! そんな条件があるなら、先に教えてくれたっていいじゃないの――っ!」
ちなみにデリンジャーというのはダイの教育係だ。
ポップは思わず及び腰になって、
「と……獲ってこいって命令したのは姫さんだろ。オレはそれに従っただけだよ。それに、後から文句は言わないって……」
「そうと知ってれば頼まなかったわよ! そんな恥ずかしい手段で手に入れた物を、パプニカの王女ともあろう者がじゃらじゃら着けて歩けると思う!? いい笑い者だわよ」
「レ……レオナ。その辺で……」
ダイがとりなそうとするのを、レオナはくるりと振り返ると、
「ダイ君もウロコを手に入れるのに加担したの!?」
ダイに矛先を変えた。
「駄目よ! この腐れ大魔道士との仲は、私が後から割り込んだ形だから仕方ないけど、それ以外の人は絶対駄目!! 浮気は死罪よ。王族不敬罪で、死刑台まで送ってやるんだから。だから正直に白状しなさい、ダイ君――!!」
「あ……えーと、オレは……」
正直に白状しようとするダイを、
「アホか! 今のレオナがそんな説明聞く耳持つか! いいから逃げるぞ。来い、ダイっ!」
「待ちなさい――っ!!」
レオナの制止が響く前に、ポップはダイの二の腕を鷲掴んで窓からルーラで逃走していた。
「……全くもう、逃げ足だけは早いんだから」
窓から空を見上げてレオナがつぶやく。
それわ受けるように、豊かな白髭をたくわえた痩せた老人が、続きの間から姿を見せた。ダイの教育係のデリンジャー老人だ。
「姫……そう激昂なさらず。ダイ様が、姫を裏切る筈が無いのですし。余り頭から疑っては可哀相ですよ」
「わかってるわよ、デリンジャー。ダイ君がそう簡単に、誘いに乗るような性格じゃないって事くらい。でも何か腹が立つのよね。私を置いてけぼりにして、二人……と、塔の学生達だけで遊んできたからかしら」
「それは……今回の目的からしてし、言っても栓方ない事だと思いますが……」
「そうね。私じゃ人魚のお相手は出来ないものね。でも、そうするとダイ君は昨夜ポップ君と一緒だったという事よね。それも面白くないの」
デリンジャーは困ったように眉をひそめた。
「……ダイ様とポップ様は、世界の平和の象徴です。お二人の仲がよろしい事は、パプニカ王女としても歓迎すべき事柄と存じますが……」
慌ててレオナは手をはためかせた。
「あ、別に嫉妬してる訳じゃないのよ。私だって、あの二人がシリアスな顔でケンカしてる所なんて見たくないもの。あの二人がじゃれてるだけだって事くらい、それも私にはわかっているし」
ふっ、とレオナは軽く息を吐いて、
「でも、それに振り回される周りの人間達のことも、考えて欲しいなー、って思っただけなのよ。普通の人間には勇者と大魔道士に匹敵するパワーなんて無いんだから、あっちが譲歩するべきだわ。そうでしょ?」
デリンジャーは柔和な目もとの皺を更に深くした。
「そうすれば、さぞ、姫は物足りなく思われる事でしょう」
「全くだわ」
レオナは万感の想いを込めて同意した。
きっと明日も、明日も、勇者と大魔道士には苦労させられるのだろう。それは、とても素晴らしい日々に違いない。
「デリンジャー。他の人と協力して、ダイ君とポップ君を探して連れ戻して来てくれる?」
レオナの言い付けに、デリンジャー老人は会釈して部屋から退出していった。
レオナ自身は、それを見送った後、ポップと魔道士の塔にウロコ代を支払う為に、個人的に持っている宝石箱を、机の引き出しの隠しから取り出した。
< 終 >
>>>2010/4/23up